邂逅

 どこか淋しい曲の似合う女だった。


 その日夕陽が沈むと、町の神社に灯がともる。

 前を横切る大通りの交通量はそう多くないが、階段を上がって漆の鳥居をくぐれば、今日は祭りの客で賑わう。

 この季節外れの催しは地域の最も注目を集めるところであり、今年は殊に活況を呈しているようだ。


 一人の男が、のそりのそりと鳥居前の階段をのぼる。

 最後の一段を踏み、神社の中を見た桐野は顔をしかめた。

こういう人の多いところは嫌いだ。

 下はジーンズ、上は黒シャツに黒のジャケット。私服のレパートリーを持たない彼のいつものスタイルだ。

 深くため息をつきながら鳥居をくぐると、立ち並ぶ出店の前を人々が往き来している。

 それらを押しのけるように桐野はスタスタ進む。

 少しうつむき加減。獲物を探すかのようにギョロギョロと眼だけを上げ、やや猫背で腰を沈めて歩くその姿を見て、関わり合いになろうというもの好きはいない。


 奥へ進むとライトアップされた舞殿・本殿が建ち並ぶ。

 舞殿からは、法被で踊る若者たちの熱気が伝わり、太鼓の音が鳴り響く。

 本殿右側の脇道へは、奥の灯に吸い込まれるように人々が消えていく。

 それらに目もくれず左の小道へ入ると、それまでの喧騒から遠ざかり別世界のように静まり返っている。

 それにしてもえらく入り組んだ道だ。境内には小さな社が点在している。


はて、約束はどこだったか。

送られてきた地図を見返す。


 地図を開いたまま、奥へ歩みを進める。

 右を見れば、神社には不釣り合いな、黒ずんだ五重の塔が無言で突っ立っている。

 もうここまで来れば、一、二組男女とすれ違えばいい方だ。こんなところを一人、目を尖らせて歩く桐野を、やはり皆避けて通る。


 ついに人っ子一人いなくなったところで、小さな門があった。奥がほんのり明るい。

 くぐってみると、石畳の道がまっすぐに伸びている。

 両脇に並ぶ灯篭に誘われるように進むと、奥には小さな社が、背の高い木々に覆われひっそりと佇んでいた。

 その木々の隙間を月の光芒が貫き、その降り立つ先に、ぼんやりと照らし出された人影がある。


女だ。


 細身で、白いシャツに、黒のスラックス。亜麻色の長い髪を後ろで結び、空を見上げている。

 女も足音に気づいたようで、近寄る桐野を用心深く見つめる。

「写真の通り、無愛想な顔ね」

「挨拶だな」

 無愛想なりに、桐野の顔にはまだ表情があった。


「そういうあんたは、顔が強張っているぜ」

「こんな仕事、誰だって強張るわよ。

 パートナーは無愛想だし」

「まあ、そんなしけた顔するもんじゃない。

 せっかくの門出だ」

「フッ、そうね」

 遠慮がちな、いじらしい笑い方をする。


 急な轟音とともに、あたりが明るくなった。


 花火の打ち上げが始まったらしい。

 二人の顔が赤く照らし出される。

「ま、とにかくこれから一緒に」

 と手を差し出してくる。

「ああ。よろしく」

 握った彼女の手は冷たかった。

「伊藤千紗よ。あなた、名前は?」

「桐野庸平」

「じゃあ庸平ね」

「好きに呼べ」

満更でもない顔をしている。


「何時の便だ?」

「二十二時五分。あと一時間半はあるわね。

 せっかくだから出店でも回っていく?」

「そりゃ気ぃ抜きすぎだ。危機感持たねぇと」

「ちょっとだけよ。こういう機会じゃないと、どうせそうやって無愛想なままでしょ?」

 何も言い返せない。

「ちょっとだけだぜ」

 と呆れて苦笑する。

 花火が佳境を迎える頃、脇道から出てくる二人を気に留める者はいない。


「あんたの好きなところに行ってくれ。俺はよくわかんねえから」

「こういうのは男がリードしてほしいところだけどね」

「俺がリードしたらこんなところには来ない」

 と顔をしかめる。出店が見えてきた。

「人混み嫌い?」

「たらたら歩く奴らが嫌いだ」

「生き急ぐのもよくないよ」

 あっ焼き鳥、はしまき、と店を通るごとに千紗が反応する。

「食べるのが好きなんだな」

「レディに言うことじゃないわよ」

 と顔を赤らめて拗ねる。

「いや、そういうつもりじゃない。楽しそうにするから、見ていて落ち着く」

「馬鹿にしてない?」

「いや、ホントのことさ」

 結局千紗は、たこ焼きを頬張りながら歩く。

 庸平の手にはジュースがある。喉がかわいたと言ったら買わされた。

「まだ回んのか?」

「せっかくだからね。時間もまだあるし。

 明日から忙しくなるんだから」

「ま、好きにしたらいいけどよ」

 さっさと歩く庸平に、千紗もせっせとついていく。

「ああ、私も飲み物買えばよかった。食べてたら喉乾いてきた」

 誰かさんは歩くのが早いし。

「飲むか?」

「あ、ありがとう」

 と庸平が差し出したジュースを一口もらう。

「いる?」

 と今度は千紗が、楊枝を刺してたこ焼きを差し出す。

「じゃあ」

 はい、と千紗が腕を伸ばすので桐野も立ち止まり、口を開けて待つ。そこへたこ焼きが投じられた。

「どうかした?」

 庸平の様子がおかしい。

「俺ぁ猫舌なんだ」

 フッと千紗が笑う。

「なんだよ」

「そんな柄じゃないでしょ」

「仕方ねえだろ」

 今度は庸平が拗ねる番。


 千紗が満足する頃には、人々が帰り支度を始めていた。

「最後あっち行っていい?」

 と、本殿右側の道を指す。

「ああ、好きにしな」

「庸平っていつもそんな感じ?」

「どういうことだよ」

 千紗が皮肉な顔を向けてくる。

「初対面なんだからもうちょっとお互いを知ろうとかないの?」

「仲良しごっこじゃねえからな。そういうあんたも、初対面にしちゃ自由奔放だな」

「図々しいってこと?」

 とニヤリ。

「そこまでは言ってないだろ」


 右の脇道へ入ると、裏の公園に繋がっている。

 灯の正体は、公園中央のしだれ桜のライトアップだった。

 あたりに人は、もういない。

「うわあ、綺麗だねえ」

 と桜の下まで行く千紗をよそに、庸平は手前のベンチに座る。

 やれやれ、と桜の方を見ると、千紗が枝を手に取り花を眺めている。


 庸平は内心驚いていた。

 この女が、こんな静かな表情をするのか。

 下からのライトによる陰影と、垂れ下がる桃色のカーテンの演出によって、ひどく寂し気に見える。


 ひどく、絵になる。


「どうかした?」

 庸平は我に返り視線を逸らした。

「いや、何でもない。綺麗な桜だ」

「だよね」

 と千紗が隣に座る。

「出発前にこういう時間とれてよかった」

「俺は人混みを連れまわされて疲れたよ」

「何それ文句?」

 庸平はフッと笑って流す。右口角を上げ、右目尻にしわを寄せて笑う。

「私はちょっとでも庸平のこと知れてよかったよ。そのキザな笑い方とか」

 今度は口を尖らせる庸平。

「お遊びじゃねえんだからよ。

 仕事ができれば、それ以上互いを詮索する必要はない」

「互いをよく知ってた方が仕事も上手くいくんじゃない?それとも何?知られたくないことでもあるの?」

「いや、別にそんなものは無いが」

 知らない方がいいことはある。

 互いのことなんて余計に知らない方が無難な関係を築けるものだ。

「でもいいところも見つけたよ」

「俺の?なにが」

「なんだかんだ言いながら付き合ってくれる優しいところとか」

「そりゃ仕方なくだよ」

 千紗が時計を見る。

「そろそろ汽車の時間ね。行きましょ」


 手配されていたのはSL寝台列車。

トンネルを抜けると一気に蒸気が空へ吐き出され、闇夜の山道を緑の鉄箱が走り抜ける。


 今日は満月だ。


 庸平と千紗は寝台個室に入った。

「禁煙でよかった?」

「ああ、タバコは吸わねえ」

 後から入る千紗が鍵まで確認し、対面して腰かけた。

「じゃあ、仕事の互いのことを知るとしようか」

「そうね」

「伊藤千紗、二十二歳。国家情報局の職員。

 国の機密情報を扱っている」

「桐野庸平、二十三歳。私設軍隊"蒼龍隊"隊長。自称、国家の護衛軍だ。

 で、仕事について教えてくれよ」

「私のいる部署は、ずっとある物を探していたの」

「ある物?」

「そう、ある物。国家のトップシークレットよ。私もその一部しか知らないくらい…」

「なんでそれを探してんのかは、聞いても?」

「世界がひっくり返るわ」


 列車の軋む音が車両に響いた。


 眉間にしわを寄せながら、庸平が口を開く。

「そいつが、今回の仕事とどう関係が?」

「その"ある物"の在り処について、情報をうちが掴んだの。

 でもこれを追っているのは私たちだけじゃない。この国以外にも。

 世界中の色んな奴らが狙ってる。だからそいつらより先に…」

「見つけろと。そして俺はあんたを護衛すりゃいいんだな」

「そう、よろしく」

 廊下の電気が消えた。

「明日は到着してから忙しくなるわ。もう寝ましょ」

「そうしよう」

 汽車は満天の星空の下、田園の中をゆく。

 一室の窓から、明かりが消えた。

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