兇美
@kakuyoooooom
零
信念の崩壊が人間の崩壊だ
ひどく殺風景な室内の灯は顔がやっと見えるほどだ。
一人の男が正座し、それに面してもう一人。男は座卓に腰かけ煙草に火を着ける。
煙とともに、その口から言葉が静かに吐き出された。
「お前は負けたんだよ。
信念をとるか、女をとるか。てめえの拠り所を見失った者は身を滅ぼす。
わかってんな?規律違反は死だ」
「あいつには…あいつには俺が必要だった…。もうどうしていいかわからなかった。
俺だってこんなことはしたくなかったんだ…」
絞り出すように吐いた言葉は、虚しく夜風に飲み込まれた。
ガタッと男は立ち上がり、煙草の火を消す。
「甘ぇこと言ってんじゃねぇぞ。どんな道を選んだっていい。てめえの信じて選んだ道なら。
だがその道のケジメはつけにゃなんねえ。それが大事なもんを守るってことさ。
守るべきものは一つでいい。二つも三つも抱えることが、崩壊を招く」
「でも、桐野さん…!」
「でも、はねぇよ。お前の道だ。最期はてめえでケジメつけろ。最後に何を守るか」
そう言って桐野と呼ばれた男は、正座の男の顔を覗き込み、その膝元に短刀を置いた。
口元は笑っているが、その眼に光は宿っていない。かといって無気力、でもない。
口元の筋肉のみを嫌々吊り上げているその様からは、生き物が、生きている物の証としての感情は窺えない。
フッと息を吐いて桐野は、男に背を向け縁側に立ち、庭を眺める。
男は、短刀を前に硬直している。
「こうやって…仲間を殺してきたのか?…」
その一言に、桐野の肩が動いた気がした。
「みんな知ってる。
あの事件のこと…」
「言い残すことはそれだけか?」
桐野の言葉に凄みが増した。
男は二の句を失う。
「早くしねえと、決心が鈍るぜ」
男は覚悟を決めたように、震える手で短刀を拾い上げた。
すると次の瞬間には、男は桐野の背中に向かって駆け出した。
が、桐野が背後へ腕を振りかぶった時には、男の喉から銀の刃が伸びていた。
男はドッと仰向けに倒れる。
桐野が近寄って見下ろすと、細い息でまだヒュウヒュウ鳴っていた。
それを見て桐野は、踵を返して部屋の隅へ。そこにかけてある日本刀を手に取り、妙に恍惚とした表情でその刃筋を眺める。
かと思えば、苦しむ男の元へ戻りその腹へ一直線に刀を突き下ろした。
男が、絶叫する。
「てめえのケツはてめえで拭け。てめえで道を選びたければな。
それもできない奴に、道を選ぶ資格も、ましてや死に方を選ぶ資格もねえ」
男は口から血を流し、眼球の飛び出すかというほど目を見開いている。
刀をねじり膓をえぐりながら、桐野の口角が少し上がった。
まだ、噴き上がる。ねじればねじるほど出てくるこの吸い込まれそうなほど真っ赤な液体。
「ありがたく思え」
苦しむ男を後に、桐野は部屋を出た。外では部下が一人待機している。
「あとは任せた」
桐野の表情はどこか寂しげだった。
空を見上げれば街灯が光るのみで、天は雲が覆っている。一雨きそうだ。
暗闇を選ぶかのように桐野は一人、歩き始めた。
虚しい。この虚しさは何だろうか。
いつからだ?
このご時世こんなことをやっているのは俺たちくらいのもんだ。果たして人間らしいのはどっちだ?
「庸平!」
ふいに後ろから誰かが呼びかける。
「なんだ、斎藤か」
「こんな時間に何してる?」
「その名前で呼ぶなと言ったろ」
庸平ならずっと前に死んだ。
桐野は斎藤に目もくれずに黙って歩き続ける。
周りに人通りはなく、街中が寝静まっている。
追いついた斎藤が並んで歩きだした。
「ちょうどよかった。お前に紹介したい女がいてな。なかなか美人で…」
「興味ない」
話を打ち切られた斎藤は口を尖らせる。
「知ってたよ。人生楽しんでるか?」
「考えたこともない」
考えたことなら、ある。
「桐野の幸せって何?」
という女の声と共に、石畳の夜道が脳裏に映し出された。
ああ、俺が最も俺であって俺がまだ俺になる前のこと。
「勝手に人のためと思ってやっていることは、結局は独りよがりだよ」
またあの女の声だ。
独りよがりか…。そうかもしれない。
それでいい。
本営が見えてきた。寡黙にそびえ立って二人を見下ろしている。
ふいに、桐野が口を開いた。
「人間が生んだものは無機質さだ。
人間は生物を脱却してどこに向かう?俺たちはどうだ?」
「少なくともここの人間は生には向かっちゃいねえな。こりゃ死刑執行を待つ囚人だ」
死刑というより呪いかな、と斎藤は首をひねる。
本営のあちこちにまだ電気が点いている。
「人間が人間たり得るのは、幸福か、信念か。はたして何にこの生を使うか。それが問題だ」
「きれいに生きるのもいいがな、現代社会じゃ身がもたねぇぞ。理想だけで生きてる奴はもういねえよ」
「だから俺がいる」
彼らを監視するのは、彼ら自身の信念だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます