2.アラサー女は回顧する



「ぷはーーっっ! 最っっ高!!」



 缶ビールで存分に喉を潤した実菜は堪らず大きな声を出す。仕事終わりのキンキンに冷えたビールは、火照った身体の隅々にまで染み渡り、明日を頑張る活力へと変化する。


 味わった感動のままにくぅ~~っ! と声にならない呻き声を上げたところで、流石に苦笑して口を噤んだ。どうも最近独り言が多くていけない。着実におっさん化している自分自身に自嘲しながら、おつまみとして一緒に購入したフィッシュカツに手を伸ばす。



 うん、やっぱり美味しい!



 懐かしい風味をもっと味わいたいと、すぐに次の一口を頬張った。カレー風味の魚のすり身にパン粉をまぶして揚げたこの食べ物は小さい頃からのお気に入りだ。


 噛むほどにスパイスの効いたカレーの風味が口の中に広がって、とにかくビールが進む。カリカリの食感を味わいたいので、トースターでこんがり焼いてから食べるのが実菜のこだわりだ。



 生まれ育った徳島に戻って約半年。ようやく新しい職場にも慣れ、仕事も任せて貰えるようになってきた。



 でもまさか、30歳を目前にして環境を変えることになるとは思わんかったなぁ。



 テレビ画面をぼんやりと見つめながら実菜は思いを巡らせる。



 ましてや徳島ここに戻ってくるなんて……。



 ふと視線を移すと、机の端にある置き鏡に写った自身の顔が目に入り、顰めっ面になっていることに気付く。また感傷に浸ってしまったようだ。眉間の皺を親指で揉み込みながら実菜は再びフィッシュカツへと手を伸ばした。



 生まれてから大学を卒業するまでの20年余りを徳島で過ごし、都会への憧れを抱き続けていた実菜は就職を期に大阪に出てブライダルプランナーになった。


 憧れていた都会の生活だったが、生粋の田舎者だった為に環境に慣れるまでに随分と時間を要したことを覚えている。


 まず電車に乗ることが初めてだった。徳島で鉄道といえば電車ではなくディーゼルで走る「汽車」なのだ。実際は見た目も乗り心地も電車と殆ど同じなのだが……これは気持ちの問題なのだろう。自分が都会に出て来たことを実感するには十分で、電車の上に張られている電線を見た時は軽く興奮したものだ。


 電車に新快速や快速といった種類があることに驚いたし、乗り過ごしてもすぐに次の電車が到着することには感動すら覚えた。自動改札や通勤ラッシュも初めての経験で、人の流れに慣れるまでに周りの人に何度も迷惑を掛けてしまった。


 そんな実菜だったが、仕事は割と上手くこなせていたと自負している。お客様にとっての人生で一度の幸せな時間に携われることにやりがいを感じていたし、自分の提案でお客様が笑顔を浮かべてくれることに大きな喜びを感じていた。


 お客様に喜んで頂きたい一心で努力を続けた結果、評価して貰える機会も増え、トントン拍子で成績を上げて5年目にはチーフを任される立場になった。今振り返るとここが自分のピークだったと思う。


 チーフになり現場を離れて組織をまとめたり、後進育成に力を入れたりする日々の中で思い通りにいかないことが増えていった。もっとお客様に喜んで貰いたい、最高の瞬間をプロデュースしたいという自分の価値観と後輩達の価値観が合わないことが多くなった。意見が衝突することが増え、一体感を欠く実菜のチームは次第に成績が伸び悩んでいった。


 このままではいけないと、人間関係の修復や自分に出来ることを考えて実行してみたのだが……。実菜の熱意は空回り、後輩達への指導は意見の押し付けやパワハラだと陰口を叩かれ、上司からはプランナーとしては優秀だがマネージャーとしては無能だというレッテルを貼られてしまった。


 仕事を離れた今となっては、実菜自身も過去の成功体験に囚われ過ぎていて相手の立場に立てておらず、周りが見えなくなっていたなと反省出来るのだが、当時は味方のいない環境で、足掻くほどに拗れていく人間関係や自身に課せられた責任の重さに耐え切れず……。


 チーフに昇格してからちょうど1年が経った頃、精神的な理由から体調を崩してしまった実菜は6年勤めた会社を辞める決意をし、もう二度と戻ることは無い筈だった徳島へと帰って来たのだった。

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