第1章 ファラオの暑い夏
①
我が国エジプトは
「ふわぁ、今日は
「お疲れ様、アルシノエ」
「
「そうよ、放っておけば
毎年、
たっぷり四ヶ月続く増水は、川上から養分豊富な黒土を運んでくれる。そのおかげで砂漠の真ん中に
水が引くと季節は
頭の中でこれから来る
「やだっ! さっきティズカール様があんなにお近くにいらっしゃったのに、私ったらこんなに
それはつい先刻のこと。
「うぅ
アヌは
「アルシノエってよく二つのことを同時に考えられるよな。さっきからすんごい
「だってこんな情けない姿をティズカール様に見られたかと思うと……」
「え、そっち? 神官の横領の話は?」
ふんっ、自室にいる時くらいは国のことよりティズカール様のことを考えていたっていいじゃない。
あらためて手鏡の中の見慣れた顔に向き合った。自分の姿で一番好きなのは
「ウヌウヌ〜! 今日もお願い!」
背後に呼びかけると、
「ふぁ〜気持ちいぃ!」
二
なのに、ひとしきり顔をスリスリすると、二匹の体がするりと実体をなくしてしまう。
えぇ、もう人型に戻っちゃうの!?
ふわふわとただよう
「アルシノエ、今日も疲れているわねぇ」
黒い耳をぴょこぴょこ動かして、色っぽい
彼女って全身から色気がムンムンなのよね……どうやったらあんなに胸が大きくなるのかしら。くるくるの黒髪を長く伸ばしているのも、とっても
「さ、はやく寝台に横になって。
白い耳をそよがせているのが、白兎の
二人は
ウヌウヌは、私の身の回りの世話をしてくれる神様なの。
でも、
寝台にうつ
「アルシノエ、今日の香りはどう? 実は新しく調合したものなのだけど」
「あ、やっぱり? いつもと少し違うなぁと思ってた……」
眠気をこらえながらモニョモニョと答えていると、
「でも前の方が香りが強くて好きだったかなぁ……」
ガタン、と大きな音がして、ウヌウヌが
「そ……そんな!」
「私たち、な、なんてことを……!」
しまった! 私は
「あ、ウヌウヌ、違うのよ、別に今日のも
ぴーんと耳をたて白目をむいた二人は、私の話なんて全ッ然聞いてくれない。
あぁ私ったら、余計なことを言ったわ。この夫婦、とっても気のいい神様なんだけど、ちょっとのことで自己
「ウヌヌ、どうしましょう!? 私たちアルシノエになんてひどいことを!」
「あぁ、ウヌト、こうなったら僕たち死してわびるしか……!」
「いや、
「ウヌト、僕たちはしょせん兎だ。こうなったらこの肉体ごと
「そうねウヌヌ、グツグツ
「あぁ、僕たち
「もちろんよ! 鍋の中でも、そして肉体を失っても、私たちの
「ちょっとやめー! やめなさーい!」
抱き合って
「勝手にスープになるんじゃない! だいたい神様がスープになれるわけないでしょうが! それよりも私は肌のお手入れをしてほしいの、それだけだから!」
でもとか、やっぱりとかモジモジする二人を、アヌも一緒になだめてくれた。
「そうだよ、お前らがスープになったら
「アヌビス様……」
ウヌウヌは感激の涙をにじませた。
人間の見た目
こうしてアヌのとりなしもあって、やっとお手入れが再開された。
百合の香りに包まれながら、私は今日の出来事をふりかえる。
いったいどうしてティズカール様は
さすが私が
ふわぁ〜あくびが出ちゃう。ティズカール様も、今ごろお休みになっているのかしら。もしかしたら、私と同じように神様と一緒にご
ティズカール様の
「いいなぁメジェド神は、毎日ティズカール様と一緒で……」
◇◆◇
「ティズカール様! よくぞご無事で!」
「みんな、ありがとう」
「もう戻られないかと思いました……」
「女王陛下はティズ様に
もともとこの大国エジプトに婿入りするまで、俺は小国の王子だった。王子といっても五男だったので、たいしてありがたみのある存在ではなかったが。
「だから大丈夫だと言ったじゃろう」
ペタペタと
初めて顔を合わせてからすでに半年がたったが、この
正直、彼が俺の守護者だと聞いた時には……複雑な気持ちになった。
でも話してみると、メジェド君は物知りでとても親切だった。今では異国から婿入りした俺の教育係のような存在になってくれている。
「我の命じた方法でアルシノエ
メジェド君の絵に描いたような目がこちらをじっと見つめてくる。
「はい、おっしゃる通り、おそれながらも陛下を
ひぃと悲鳴をあげる従者を無視し、メジェド君は続きをうながす。
「それで?」
「可能な限り近づいて、耳もとでささやくようにお話ししました」
「ちゃんとティズ君は手を壁につけていただろうな?」
「えぇ、それも言われた通り。陛下を囲うように
ふむ、とメジェド君は満足げにうなずく。
「よろしい。それがいわゆる〝壁ドン〟である」
「かべどん……」
「若い
「はぁ。でも陛下は突然の無礼にたいそうご不快に思われたご様子でした。俺もだいぶ
あんな強引に女の人にせまるなんて、
「よいのだ。ティズ君は普段は
メジェド君はカッと目を見開く。というか、炭で描いたような目が突然大きくなった。どうなってんだろう、この神様の顔……。
「よいかティズ君、これがいわゆる〝ギャップ
「ぎゃっぷもえ……また俺の知らないエジプト語ですね……」
「あの、ティズ様、それってホントにエジプト語なんでしょうか……?」
従者に
「でもメジェド君、陛下には何度も『無礼だ』ってはねのけられましたよ」
大丈夫、大丈夫、と言いながら、彼のかぶった布がヒラヒラ
「そのくらいしないとアルシノエ嬢はティズ君とは話さんじゃろ。とりあえず顔をつきあわせて話がしたいというティズ君の願いが
「まぁ……そうですね」
俺は
「しかしティズ君はどうしてアルシノエ嬢と話がしたいと思ったのじゃ?」
「それは……だって、一応俺たち夫婦ですし……」
「形ばかりの夫婦など、この世にいくらでもおるじゃろ。特に王族同士の
たしかにメジェド君の言う通りだ。婿入りすることが決まった時、俺は
エジプトは大国。それに対して俺の故国マルトゥは取るに足らない小国だ。だが、マルトゥは交通の
そんな国の適当な王子を婿にとる。つまりこれは政略結婚というやつで、それ以上でもそれ以下でもない。
でも、と俺は思う。
「幸せになると約束したんですよね、故国に残してきた、家族に」
人質としてぼんやり生きるのは
俺の顔をじっと見て、不思議な見た目の神様はうなずいた。
「ふむ。そういうティズ君の明朗な性格、我は好きであるぞ」
「ありがとうメジェド君」
奇妙で
そうそう、最初は「メジェド様」と呼んでいたけど、
「さて、それでは次の作戦を
「えっ!?」
メジェド君の言葉に、俺は軽くのけぞった。い……
「よいか、ティズ君、よく聞け!」
また布の上の目が一回り大きくなった。
「次は……〝頭ぽんぽん〟である!!」
「あたまぽんぽん……? そ、それはいったい?」
ふ、ふ、ふ、とメジェド君は不気味な笑いをもらした。口の片方の
「よいか、落ちこんだアルシノエ嬢をなぐさめる際、大人の余裕を見せて……だがほんの少し照れた顔で……頭を優しく
「ダメですっ! そんなことしたら不敬罪で
従者三人がそろって
「お、俺もそれはちょっと無理だと思いますね……。そもそもおなぐさめする機会が
「そうかのう? けっこう使える技なんだが……」
こうしてドタバタと夜が過ぎていく。この国の夜は冷えるけれど、この部屋だけは毎夜暑苦しい。
それにしても、今日は女王と間近に顔を合わせられた。それは本当に大きな
〝天上のターコイズ〟と
あ、それと、先ほどの陛下はあまりお化粧をされていなかったな。
正直言うと……俺は普段の
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