3-8強く優しき海


 上空で爆発音がする。


 いや、これは違う。恐らく海竜の咆哮だ。もう一人の転生者が呼んだやつ。


 転生者がやられた、それも俺に書き割りを壊されたんじゃなくて、物理的に殺害されたというのに。まだとどまって戦うというのか。


 遠くの方に、無数の魔力や闘気を感じる。エマイルが留めていた魔物たちが、このマーマトルに攻め寄せようというのだ。


『……レアク、脱出しなければなりません』


「とりあえず加勢してくるね」


 トリックスとリオーネは、破壊された珊瑚や海上の飛び石を伝って戦場に駆けていった。


『転生者の気配はないぜ。もしかして、あの化け物呼び出して、逃げちまったんじゃねえのか』


「だとしたら、こっちも逃げるしかないな。ナイラ、サリは」


「今すぐは無理よ。さすがに、今のサリには、私も何も言えない……」


 ナイラは抱きしめたサリの頭をなでている。

 父親、故郷、夫。この短い間で、サリはあまりに多くを失い過ぎた。


 誰もが目をつぶるような、貧しい者や弱い者の苦しみを癒そうとするということは、痛みの無視が下手だということだ。そんな奴が、耐えられる悲しみじゃない。


「けどな」


 海竜がもう一度、熱線を放ったら終わりだ。エマイルの居ない今、ここを守ることはできない。


 人魚たちが絶滅し、残骸となったマーマトルは上級の魔物に占拠される。高難易度の海上ダンジョンの出来上がりってわけだ。せめて、それに巻き込まれるわけにはいかない。


『泣いていてはいけないよ、サリ』


 海水が固まってできたエマイルだった。死んだはずだったのだが。呪印が反応しているってことは、まだ書き割りが生きているのだ。


「エマイル様、生きて」


『残念だけど違う。私は死んだ。残酷で慈悲深い海マーシィ・デプスの効果が続いているだけだ。殺される瞬間、どうなってもいいから、私の島を助けたいと思ったら、この姿になった』


 書き割りは感じられる。『サリの夫となり、帰る場所となって平和に過ごす』ことから、『残酷で慈悲深い海マーシィ・デプスの能力の一旦として、人魚達を守り助けて潮騒に消える』ということに。


『レアク、どうにかならないのかよ。ド変態でも死ぬことはねえじゃねえか、領主さん』


『おやおや、優しい悪魔さんだね。しかし、これでいいのだよ。レアク君、分かっているだろうね』


「ああ。書き割りを壊せば、あんたが消える運命は変わるかも知れない。だけど、そうしたら」


『せっかく決まった、“同胞を守れる”という書き割りまで壊れてしまうじゃないか。私は最後まで、潮騒の王でありたいのだよ!』


 分身体が三叉矛を掲げる。今一度、海が吠えた。


 マーマトルを取り巻く海水が変形していく。ナイジャがまき散らした毒魔法の汚染が一か所に寄り集まって隔離された。負傷した人魚達や、戦いに加われる者達が、優しく運ばれ、ゲンゴロウの近くに流れてくる。


 宮殿に迫る魔物たちの前に、無数の分身体が立ちはだかった。トリックスやリオーネが加わっても劣勢気味だった味方が、再び攻勢を強めている。


 潮騒の王は、誇り高くも、自らの書き割りに殉じるつもりだ。転生者でも殴る必要がないどころか、手を貸さなければ、ただのばかだ。俺はサリの両肩をつかんだ。


「おいサリ、しっかりしろ。ゲンゴロウに戻るんだ。俺たちもできることをしよう」


「エマイル、様……私の、帰る場所になってくれると……」


 だめだ。帰る場所か。メタリアの屋敷から逃げざるを得なかったことが、相当きつかったんだな。

 あるいは、助けられる弱者達と違って、自分にいつでも帰れる場所があるってことが、サリの人道の天使としての役割を支えていたのかも知れない。


 そりゃあ、甘っちょろいお嬢様、といえばそうだが。


『サリ。聞きなさい』


 エマイルの分身体がサリのそばに現れた。


「エマイル様」


『私には記憶がある。君たちがニホンと呼ぶ世界での記憶だ。そこにはクラエアの数百倍の人間が暮らし、国も数百とあり、技術は進歩していた』


 転生者と話していると感覚のずれを覚えるときがあるが、改めて聞くとすごいな。かえすがえす、なぜそんな繁栄した場所から、わざわざこんな世界に転生したいんだか分からない。


 分身体と人魚達は、海が無くなる境界で戦闘を繰り広げている。トリックスの翼とリオーネの斬撃も目立つ。改めて、リオーネはあんなに強かったのか。


『だが、人々は互いを助けることを忘れていた。だから私の世界に完全な平和はなかった。残虐な独裁を行う国があり、逃げ惑い苦しむ人々もまた無数にいる一方で、そんな心配のない人々も沢山いた。ザルダハール家のような暮らしのできる人々が、数億人居たんだよ。私もそちらに生まれたんだ』


 何がどうなったら、ザルダハール家みたいな快適な暮らしが数億人に供給されるんだか想像がつかん。


『……それで、私は君と同じように考えた。苦しむ人々の側に立とうとして、危険な現場に医療支援に行った。だが結局、私たちが支援しようとした者達に密告され、軍隊に捕らえられて拷問の末に殺されたんだ。それで世界が嫌になった。こちらでは、人魚達を助けてやる代わりに、誰も私を裏切らぬよう確実に支配してやろうと考えた。弱者の卑しさを矯正しようとして、三番目の妻までは、ずいぶん苦しめたと思う』


 冷徹な暴君でも、それが一族の力になりうるときはある。人魚族にとっては、エマイルは解放者であり、その後腐敗する独裁者でもあったのだろう。


 必死に戦っている人魚たちも、あるいはここで逃げ出すと、エマイルにどう裁かれるか分からないと考えているのだろうか。


『間違いを気づかせてくれたのが君だ。あの本には、失敗も書いてあった。弱く貧しく、苦しむ者がなぜ裏切るのか。善意がなぜ蹴り返されるのか書かれていた。苦しんだ人は相手を試す。苦しむ人を助けるということは、助けた相手から騙され、嘲笑され、善意を蹴り返されるということなのだ』


 天上が震えている。光が収束していく。まずい、またあれが来る。


 エマイルが立ち上がる。三叉矛を再び掲げた。一体どうする気だ。


 分身体が集合する。海が立ち上がっていく。遠く地平線まで海底が見える。一体どれだけの質量の海が動いているんだ。


 海で出来た巨人が現れた。雲を突き抜け、頭部も見えぬ海竜に、勝るとも劣らないほどの。雲の上ではきっと対等ににらみ合っているだろう。


 これが、全力の残酷で慈悲深い海マーシィ・デプス。エマイルの全てがここで消えることと引き換えに、マーマトル海域の海水が巨人となった。


『他者の苦しみに寄り添えば、他者の苦しみを抱える。良いことを、すればするほど災禍を引き寄せてしまう。それでも退かぬと君は書いた。それは真実だったはずだ。エマイル・ネヴィルナーの名において、君を離縁するぞ、サリーナ・ザルダハール。君は負けるな。私の未亡人などではない。人道の天使となって羽ばたき続けるのだ!』


 その言葉を最後に、分身体は水塊となって巨人の一部に合流した。

 三叉矛がからからと音を立てる一方、巨大な海の巨人が咆哮を上げる。


『うっわ……』


 女悪魔が感嘆の声を上げる。文字通り高山に等しい海の巨人の拳が、海竜の頭を打ちのめしたのだ。


 初めて雲から頭が出て来た。亀のような奴だ。目玉の半分だけでゲンゴロウほどもあるんだが。


 海竜が咆哮を上げる。顎を開いて閃光を放った。海の巨人の胴体を熱線が突き破る。


 だが、それだけだ。蒸発を繰り返しながらも、海の巨人はその手で海竜の顔面をつかむ。拳の色が毒々しい。あれは、ナイジャの毒魔法朽ち果てた牙ロットゥン・ファングで汚染された部分を濃縮してあるのか。


「すげえ。溶かしてる……」


「あれほど、強力な魔法だったのね」


 転生者の魔法だからな。呪印で受けといてよかった。しかし、海でとんでもない魔法を使いやがったんだな、ナイジャのやつは。即死チートなんて使う奴がまともなはずがないが。


 海竜の悲鳴が毒水の中に吸われていく。天地のような怪物の頭部は、皮膚が裂け、肉が溶け、骨まで分解されている。


 やがて、苦しそうにもがいていた四本の脚が、がくりと折れた。しょせんは生物。海をまたぎ、雲を突き抜けるほど巨大でも、頭部を溶かし尽くされればひとたまりもなかった。


 巨人の背中から水塊が離れる。マーマトルを囲む浅瀬が戻った。戦っていた人魚達と、トリックスやリオーネも清浄な海に覆われていた。


 巨人が崩れていく。すなわち、水上数十キロメートルまで膨れ上がった海水の塊が落ちてくることになる。


『や、やべえのか、おい』


「いや……大丈夫だろ」


 女悪魔に言ってやる。巨人が崩れた海は、マーマトルの周囲を綺麗に避けていく。


 怒濤の中に、無数の魔物たちが飲み込まれていく。頭を取られて倒れ伏す、強大な海竜もまた、波に砕かれ、海に四散して流されていく。


 耳を埋めるような大波の轟き。目を覆い尽くす波のしぶき。空も雲も全て埋め尽くし荒れ狂う海は、マーマトルの周囲で吹き荒れ続けた。


 やがて、陽が昇った。俺達がのんきにマーマトルを訪れた、数日前と同じ陽が。夜明けがきたのだ。青い空とわずかな綿雲が祝福するように流れる夜明け。


 海は静かだった。マーマトルは来たときと同じ美しい珊瑚礁で、紺碧は水平線まで朝日を浴びて続いていた。


 戦っていた人魚達と共に、戻って来たトリックスとリオーネ。


 見守っていた俺と女悪魔に、ナイラ。


 そして。


「エマイル、さま……」


 サリが顔を上げる。俺はしゃがみこみ、その肩を叩いた。


「なあ、お嬢さん」


「レアク様」


「あいつは、紛れもない潮騒の王だったな。それであんたは?」


「人道の、天使……そう、でしたわね」


 サリが立ち上がる。その目にもう、悲しみも逃避も見えなかった。


「負傷者を救護しましょう。動ける方はゲンゴロウにお集まりください」


 俺達はサリの後に続いた。潮騒の王と人道の天使の意思に報いるとしよう。

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