3-9取り繕う一閃


 人魚族は、魔王大戦より以前、三大国すべてで、魔族に準ずる種族として扱われていた。


 大体、広大な海に住む連中と、一般的な人族は交流がなかった。たまに捕まった人魚族が、金持ちやら権力者の愛玩用に売買されるとニュースになる程度だ。よくて奴隷待遇で船の水先案内や、漁師の使われになっているらしいと聞いた。


 俺も、このマーマトルに来るまで、実際に会ったことは一度もなかった。


 当然、ほぼ一生を海で過ごす人魚達の体の性質や、まして手当の仕方なんぞは全く分からなかった。


 だから負傷者の治療に関して、俺の役に立てることなんて、それほどないだろうと思っていたのだが。


 違った。


「レアク様、三番配線はどうなっておりますの!?」


「傷薬切れちゃうよ。縫合糸も!」


「魔力瓶の在庫は用意してあるのよね。私の心臓に止まって欲しいのかしら」


 海から上がって来たサリとリオーネとナイラが俺をせかす。


「二分待ってろ! 今取ってくる!」


 俺は必死の形相で、倒壊を免れたエマイルの宮殿に駆け込んだ。


 入り込んだのは倉庫だ。ここには、エマイルが領民のために交易してため込んだ衣料品や魔道具、魔導機の部品などが集積されている。


 魔道具の部品、医薬品、多種多様な属性の魔力瓶、魔導回路、金属製武器防具などなど。シャコガイの城壁と同じほど高い棚に、整然と並べられていた。


 エマイルの宮殿は人魚族に不自由のないよう、海を引き込んで作られている。だがあいつはマーマトルで生産できない貴重な物品を、人魚の侵入しにくいわずかな陸上に集めていたのだ。必要な時は、残酷で慈悲深い海マーシィ・デプスの分身体を使い、海中の人魚達に分け与えていたという。


 驚いたことに、交易に使う大量の物資なども、この方式で荷を積んでいたという。


 悲しいことだが、そのエマイルは身まかってしまった。


 では誰が、完全に陸上の倉庫から、必需品の受け渡しをやるというのか。医療の技能に最も劣り、肉体をまずまず強化できる、俺しかいないというわけだ。


 ちなみにトリックスのやつは、海中に沈んでいる。海の中で人魚の治療をするサリとリオーネとナイラのために、風魔法で海上の空気をかき集めて即席の診療室や手術台を作っているのだ。


『おいレアク、三番配線。あとこれが傷薬、縫合糸な』


 女悪魔が梯子の上の棚から言われた部品を投げ落としてくる。俺は必死につかんで巾着に放り込む。


「ああ……うお、お……」


『落とすんじゃねえ! 間に合わなきゃ死んじまう奴がいるんだ』


「わ、分かってるって……」


 無茶苦茶だ。しかし、手伝うと言っちまったからな。


 どうにか袋にまとめた。出ようとしたところで、人が入ってきた。サリ達のうちの誰か、いや。俺より背が高い。男だ。


「女悪魔、まだ行くんじゃない。私も手伝える」


『お前』


「ハサーテだ。人魚だが、変化の魔法を覚えている。数時間は陸で動ける。エマイル様のためにも、同胞を一人でも救いたい」


 こいつは、エマイルの側近の人魚か。俺に三叉矛を突きつけて来たやつだ。鋭い目をした、武骨な雰囲気の男。だが、美しい髪に整った顔立ちをしている。人魚らしい神秘的な雰囲気がある。


 足元は赤いズボン、いやこれは。


「お前、脚から血が出てるぞ」


「仕方あるまい。魔法はまだ不完全だ。伝説上の姫君以外は、人に変化する魔法を完成させた者は人魚族に存在しない。それより人手が欲しいのだろう」


 平然と言っているが、痛みに震えている。相当な苦痛らしい。


 人魚が陸に上がるってのは、それほどのことなのか。同族を助けたいとはいえ、荷物運びのためだけにここまでやるか。なんて根性なんだこいつ。


「分かったけど、この一回でやめろ。お前まで倒れたら、けが人が増えちまうからな」


『軽いもんに、しとくぜ。』


 俺は返答を待たずに駆け戻った。女悪魔は適当に見繕ってやっているようだった。ハサーテか、暑苦しいやつが居たもんだ。嫌いじゃねえがな。


 ※※ ※※


 俺が体力の極限まで消耗したが、救護作業は日没までに終わった。思ったよりも死傷者が少なかったのだ。


 人魚達自身の奮闘と、彼らを統べる潮騒の王である、エマイルのお陰だった。


 海竜の一回目の閃光こそ、エマイルは防ぎきれなかった。少しの間、ナイジャのソウル・クラックで殺されていたからだ。ほとんどの死傷者はこのときに出た。


 その後の魔物の攻勢や、二度目の閃光は、エマイルが海そのものになって、人魚達を守り切った。


 非戦闘員も巻き込まれたかと思ったが、共に婚礼の祝宴に来ていた海の生き物たちが、彼らをかばってくれたらしい。


 突然の襲撃と悲劇はあったが、マーマトルは変わらず、潮騒の王が愛した海上の楽園なのだ。


 ゲンゴロウの個室。ベッドに寝ころび、全身の筋肉痛に耐えながら、俺は満月と穏やかな海を見つめていた。


 部屋の外では、魔力が盛んにうごめき、工具を振るう音がする。サリとナイラ、それにトリックスだ。救護作業に続いて、ゲンゴロウの不調部分の点検と修理に入っている。明朝には出発するつもりだろう。


 こんこん、と扉がノックされる。


「どうぞ」


「レアク……大変だったね」


 リオーネか。


「こんなもん、なんでもねーよ」


「嘘。闘気の使い過ぎのきつさは、あたしも知ってるもん」


 そう言うと、音もたてずにベッドに腰かけた。俺を見下ろす。虎の手でそっと俺の胸に触れてくる。あやされている、みたいだ。


「……お前はいいのか」


「うん。食料とか水とかは、人魚の人たちが積んでくれてる。魔導機のことは分かんないから、あたしが居ても仕方ない。扱えるのは闘気だけだもん」


「そうか」


 それで、俺の所に来てくれたってわけか。まあ確かに暇だった。

 リオーネも窓から外を見た。青白い月と穏やかな海は相変わらずだ。


 ふと、つぶやく。


「ねえ、サリさんのこと、気になる? ナイラが居るから大丈夫だよ。あたし、あの子嫌いじゃない」


「そりゃあ、俺も同じ意見だけどな」


 サリか。本当に大丈夫だろうか。エマイルの最後の言葉は、突き放すようなものだった。帰る場所が欲しいというのは、あいつの本音じゃないのか。


 そうだとしても、この世界を牛耳るべく現れた転生者と対立する俺。ただ流れるだけの俺には、サリの満足できるような居場所にはなってやれない。


「やめときなよ、あの人は」


「……え」


 リオーネの瞳が憂いを帯びた。柔らかい肉球が俺の胸元で震えている。


「サリさんは立派だと思うし、尊敬はするよ。獣人族のことを、差別しないっていうのも、真剣に言ってくれてるって分かる。人道の天使っていうのは嘘じゃない。でもきっと、女の人としては、レアクのことを疲れさせるだけだよ」


 うすうす思っていたことを、全て見透かされているかのようだ。


 リオーネが俺の胴体をまたいだ。細くしなやかな体を寄せる。


 胸元と腰回りだけを隠す小さな鎧のほかは、しなやかな女性の体躯。虎を思わせる黒と黄色の毛並みは、思いのほか柔らかい。この奥に乳房や、そのほかが―—想像しちまう。


「卑怯かも、しれないけど。あたしはレアクが大好きだよ。もう、今は、レアクに従うって決めたからじゃない。レアクさえその気なら、あたしは簡単に手に入るんだ」


 これほどに、蠱惑的だったとは。リオーネ、俺のことをそんなに。

 体の痛みが薄れていくかのようだ。腕を伸ばせば手に入る――痛みが走った。


 筋肉痛、違う、手の甲、これは呪印だ。


「リオーネ、俺の右手を」


 スイッチが入るように、リオーネがシーツをまくる。手の甲から出血。この反応は、パワーゲーマーと同等だ。


 リオーネが刀を抜き放つ。窓を切り崩した。


 沖が波立っている。なにかが来る――巨大な闘気だ。

 ゲンゴロウごと、いや、マーマトルの宮殿を輪切りにするほどのでかい斬撃。


「あたしじゃだめかも……!」


 窓から身を乗り出し、闘気を高めるリオーネ。居合の構え、繰り出せる最も強い技だが。


『レアク、このあと眠っちまっていいか?』


 女悪魔がでてきた。もう考えていられない。


「やってくれ。みんなやられる」


『おうよ! リオーネ、そのままぶつけろ!』


 呪印からあふれた黒が、リオーネの腕と刀に宿った。ライムとの戦いでやった、俺の仲間への呪印の付加だ。


 闘気が迫る。瞬間、リオーネも居合を放つ。


 海を撫で斬るほどの衝撃が、リオーネの黒い斬撃に切り裂かれる。呪印で崩せるということは、やっぱり転生者だ。


 直後に甲高い音。窓辺のリオーネが、赤い髪の青年と鍔競り合う。


「あなたは……!」


「……うーん、君たち見逃しちゃったのは、おじさんの大失敗だったねえ」


 メタリアの砂漠で、俺とリオーネの命を助けた転生者。

 エマイルがパワーゲーマーで最も恐ろしいと言った、サラマット・イゴーレンだった。


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