3-6ライフ・クラック
外に出ると異常がはっきりと分かった。
宴もたけなわで、朝日が昇りかけているはずが、隠されている。
雲ひとつない青空のはずが、何かが覆い隠しているのだ。
『何か』。黒い柱と、それに支えられた門のようなものが、マーマトルの眼前にそびえ立っている。距離感からして、その高さは約一千メートル以上。門の上部はさらに数千メートル、つまりキロメートル単位の大きさがある。そんなものがどこからともなくマーマトルの眼前に現れた。
俺とリオーネとナイラは、ゲンゴロウの背から見上げる。こりゃあなんなんだ。
眼下では、エマイルの本体と分身体に率いられた人魚たちが、戦闘態勢に入っていた。粒のそろった闘気や魔力を感じる。これだけ強くて海中を無制限に泳げるなら、相当な強さではあるんだが。
サリとトリックスはゲンゴロウ内で機関と操舵についている。リオーネが伝声管を開いた。
「飛ぶの? お嬢様」
「お待ちを。エマイル様方に合わせます!」
海面が溶かした飴のように、にょっきり伸びあがる。先端が俺の隣にやってくると、そこからエマイルの分身体が現れた。
『巨大な魔力だ……そのあたりの転生者を遥かに超えている。レアク君、呪印はどうだい?』
反応していない。あんな異常なものが、転生者の仕業でないはずがないんだが。
「分からねえな。もっと遠い所に居るかも知れない。広げてみるか」
『やめとけ。お前の消耗は避けろ』
女悪魔が出てきた。確かにそうかもしれん。ライムと戦ったときは、拳闘までに相当消耗させられたから、リングでもえらく苦戦した。
じゃあ、どうすればいいんだろうな。あの門は何をしてくるのか。それとも、膨大な魔力は感じるが、ただの張りぼてで、何か別の方法で――。
エマイルの分身体がつぶやく。
『まず、犠牲なしで仕掛けてみようか』
ゲンゴロウから飛び降りると、海に同化する。
はるか沖の海に立っているエマイルの本体が、三叉矛を掲げた。
「うおっ、こりゃあ」
「海が……」
俺とナイラは息を呑んだ。
海が立ち上がっている。そう言っても間違いではないだろう。俺の隣に分身体を送り込んだ、飴のような変形。あれがより巨大な規模で、大量に起こっているのだ。
変形した海の太さは数百メートル。高さは数キロメートルにもなるだろう。海水でできた巨大な水路が、太いクモの巣のように分かれて、門の脚に絡みつき、伸びあがっていく。
雲で見えない上層部にまで到達している。
「……すごい水の魔法だね。さすが転生者ってところかな」
つぶやくリオーネに、ナイラが言った。
「半獣人、あなた魔力感知は?」
「全然ムリ。闘気だけ」
「じゃあ仕方ないわね。あれは魔法じゃないのよ。魔力も闘気も一切使われていない。あれが、サリの夫になる人のチート能力なのよ」
その通りだ。暴力的なまでの大質量の海水の操作。それがエマイルのチート能力なのだ。
ライムと違うのは、人を溶かさないこと。だが、ただの海水とあなどってはならない。質量がでかいということは、ただそれだけで凄まじい威力がある。町や村を壊滅させる鉄砲水や津波だって、たかが水の移動なのだ。
「なんか、小さいのが上っていく……あれ、闘気を出してるよ」
リオーネは目がいいらしい。俺の目では、海に絡みつかれた門に、無数の水滴みたいなものがうごめいている程度しか分からない。だが、数は相当多いぞ。百や二百、千にも迫るかも知れない。
「エマイルの分身体だろうな。闘気を出してるってことは、ライムの変身体みたいに戦えるんだろう」
恐らく、いくらやられてもエマイル本体にダメージはない。ライムがそうだったように。
あいつのように、触れれば即死というわけでもないが。どちらが強いのだろうか。
これがエマイルの力。さすがに、パワーゲーマー達の傘下につかず、小さいとはいえ一種族を統べる転生者だけのことはある。
ぱしぃん、どどど。浅くなった水面が震える。海に浮かぶゲンゴロウもゆらゆらとかしいだ。
「きゃあ!?」
バランスを崩したナイラを受け止める。
「大丈夫かよ」
「……平気よ。放しなさい、ごつい腕と汗くさい体」
言われなくともだ。礼ぐらい言ってもばちは当たらないと思うが。しかし細かった。鳥の羽毛か花束みたいな体だ。
ちゃんと飯を食ってるのか。料理の腕がいいから、舌は肥えているのだろうが。
「魔力が動いてるな」
「闘気もだよ。なにかとぶつかってるみたい。分身体は、転生者ほどの力じゃないみたいだけど」
激しく戦っているのだ。あの門には何者かが居るということ。相変わらず呪印に反応はないんだが。
どうするべきか。見下ろすがエマイルの本体は動いていない。消耗はほとんどないのだろう。青い粒は出たり消えたりしているが、海で戦う限りは、あの分身体をいくらでも作り出せるのだろう。
『今、大量の魔物と戦っている。レベル70代がメインかな。Sランクの冒険者で、一対一交換ぐらい。うちの近衛兵なら一人で三匹くらい倒せるだろうけど、ぽこぽこ出てくるよ。まるで上級ダンジョンが、いきなり出現したみたいだ』
ダンジョンか。魔王大陸名物だが、迷惑この上ない。閉鎖が間に合わないと、町や村が滅ぶこともあるし。
『まあ、私の能力なら一年くらいこのまま戦っていられるから、それは平気なんだけどね。問題はあの黒い門だよ。あれは、大きな大きなモンスターの脚の一部だ。見たこともない海竜みたいなやつなんだ。今見えてる二本の向こうに、もう二本脚があってね、甲羅の部分は見えないけど、雲や霧を突き抜けるほど高い所にある』
俺はリオーネと顔を見合せた。
酒場の与太話ですら、そんな魔物は聞いたこともない。だって、島や山よりもはるかにでかい。そんな生き物がこの世に居るってのか。現に居るんだが。
そんなもんを扱うということは、十中八九転生者だ。高レベルの魔物を一瞬にしてうじゃうじゃ使役するのも、厄介な能力だ。
『もし、転生者があいつの甲羅の上なら、そりゃ感知できねえわな。遠すぎるぜ』
雨を降らせたときのライムよりも、まだ高い場所に居るのかもな。無理に探っても消耗するだけだ。
『今のところは、私とも戦っていないよ。転生者は怖いが、あの魔物がどういう攻撃をするのか……いけない! 全力で防御してくれ!』
言われなくともだ。俺は二人の前にでた。
莫大な魔力が頭上に集中する。二本の脚の遥か上方。海竜なら頭に当たる部分か。
ブレスだろう。しかし、呪印が反応しない。
『レアク、だめだ! 消せねえ!』
女悪魔が言うならそうだろう。ナイラとリオーネが俺を押しのける。
「任せて!」
闘気と氷属性の魔力。二つ合わせれば、かなりのものだ。
階下で脇の窓も開く。トリックスとサリも加勢するか。だが――。
「でかすぎる……」
ぶち切れたときのミァンみたいだ。雲を突き破る山脈を創造するほどに、莫大な魔力。
呪印が効かないということは、チート能力と関係ないのか。転生者と同じほどの魔力を持つ、考えられないほど巨大な魔物が、書き割りではなく実際に居るってことか。
光が雲を裂く。目を焼くような閃光が走る。熱線だ。余波だけですべてを消し飛ばすほどの。
標的は俺達じゃない。マーマトル中央にある宮殿、つまりこの島のすべてだ。
雲が蒸発し、音と光が狂暴に膨れ上がる。放たれる。
その瞬間、海が再び盛り上がった。マーマトルと展開した人魚の軍勢を守る壁となる。エマイルの
さらに閃光と同じほどの魔力も加わる。巨海の盾が凍結した。チート能力と転生者の魔力の同時使用だ。
閃熱のブレスが来る。光の矢が氷壁にぶち当たる。
水蒸気が暴走する。盾の外の海が沸騰している。内側の俺達も熱が上がっている。
「これは」
「何とか防げそうね……!」
リオーネ、ナイラ、サリ、トリックス。呪印なしじゃ話にならない俺に対して、この世界の強者たちの盾。
人魚達もまた、闘気や魔力で耐えている。子供や老人などは、エマイルの分身が守っていた。
手の甲に軽い痛みが走る。これは、新しい転生者の気配だ。
目標は俺達、ではない。
はるか下、エマイルの本体。
「くそっ!」
俺は飛び降りた。闘気を全開、脚に集中する。
マーマトルの建物を飛び移る。もう少しでエマイルの居る所に付く。
「っ、ちくしょうが」
だめだ、ここからは海だ。
「レアク!」
トリックスが翼を伸ばした。足場になる。蹴って飛ぶ。
書き割りは、二つ。エマイルの眼前に小柄な少女が現れる。
こいつが真の狙い。海竜のブレスは囮だったか。
「まあ、そう来ることもあるよね!」
だがエマイルは闘気も全開にする。転生者の魔力と闘気の両方をフルで使っている。これで防御は可能だろうか。しかし俺は吹っ飛ばされた。
どうにかトリックスの翼につかまる。体勢を立て直す。嫌な予感がする。
少女は闘気も魔力も出さない。目を細めてつぶやいた。
「
手の中に光が生まれる。あれは魔力でも闘気でもない。チート能力だ。
「やめろ!」
叫びと共に少女にとぶ。だが一瞬、少女の手が早い。
ぱちん。小さな拍手。手の中の光が弾けた。
書き割りの反応がひとつ、消える。エマイルがしぼんだ風船のように崩れ落ちていく。
まさか――。エマイルの魔力と闘気が途切れた。
氷の盾が一瞬で蒸発。熱線の残りが一面に降り注いだ。
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