3-5何かが来る

 

 マーマトルに来てからの日々は、まるで夢のようだ。魔王大陸へ行くはずが、こんな海の真ん中でくつろげるなんて。


 美しい海、きらめく珊瑚。透き通る水を弾いて泳ぐ、幻想的な人魚たち。

 異邦人が好き勝手に採取させてもらえる程度の貝や海藻でさえ、飽きることが想像できないほどにうまい。


 今だって、そうだ。まさか俺が一生で、これほど高級な礼服に袖を通すことになるとは。


 領主の館、かつて俺達が招かれた部屋は歓声に満ちている。なにせ、このマーマトルの領主であるエマイルが、六番目の妻として、メタリアのザルダハール家の長女、サリーナ・ザルダハールを迎えいれようというのだ。


 サリの誘拐騒ぎ、あるいはエマイルのプロポーズを受け入れてから三日。結婚式の宴はつつがなく行われていた。


 足を運べないサリの親族に代わって、共にゲンゴロウに乗って来た俺達が、礼服やら礼装やらを整えられて、披露宴のあいだじゅう、座っていることになったわけだ。


「うっわー、とうとう魚が出てきたー。なんか平べったいのとか、ヘビみたいなぬるぬるのやつとか、妙なのばっかりだけど……うわっ、美味しい! すご、このペラペラの黒いやつ大好き!」


 いつもの青い鎧を、儀礼用の豪奢なサーコートで包んだリオーネは、虎の手と人の手を使って器用に料理を平らげている。


「シタビラメですね。ほかにはカレイ、ヒラメ、ウナギにアナゴ、ウツボですか。そういえば、人魚族は水底に這いつくばる魚や、鱗のない魚しか食べないと教わりました」


 俺と同じ礼服姿のトリックスは、あちこちを興味深げに眺めている。どうでもいいが、同じように小ぎれいな恰好をすると、こいつのスタイルの良さが目立つ。顔の造形が優勝していることにくわえて、どこまで脚が長いんだって感じだ。ミァンのやつの好みなのか、二十代前半くらいの外見なのも、大人っぽくてうらやましくなる。


 顔も髪も含めて、全身が魔導金属だから、銀の彫刻に服を着せたような違和感はあるんだが。


「……こんなへき地のコックにしては、まずまず、食べられるものを作ったのね。でもこれほど上等な素材なら、当然だわ」


 ウツボのステーキを、上品に口に運ぶナイラ。


 黒のヒールにストッキング。黒いドレスは袖と胸元、すそが繊細なレースで彩られている。特に胸元は大胆に開いて、魔導心臓とすべすべした真っ白な肌を見せつけているが、不思議と下品さはない。大粒の真珠のピアスにも負けていない美しさだ。


 女悪魔は貧乳だとか言っていたし、俺もそう思う。性格もたいがいなんだが、なんか、こう、ナイラはナイラで魅力がある。節操がないのか、俺は。


「レアク、手が止まっているわよ。あなたらしくもない。下品なあなたらしく、犬みたいに、ばくばくお食べなさい」


「そうだよ、食べないの? アタシもらっていい」


 そう言いながらリオーネが手を伸ばしてくる。俺は慌ててフォークを取った。


「食べるってば。いや、本当にサリはあれでよかったのかなって」


 人魚たちの混成合唱を、耳に心地いい祝福のハープや貝と珊瑚のマリンバが彩る中、サリはエマイルと並んでいる。参列した第一から第五夫人や、その子供たちのあいさつを受けていた。


 さすがにご令嬢というか、そつのない対応をしている。それどころか、子供たちの心までつかんでいるらしい。何というか、目標を達せられなかったとか、そんな悲痛さも見えない。


「……なんか、やっぱり日和ったのかな。お嬢様だし」


 リオーネのつぶやきを、ナイラは聞き逃さない。


「半獣人に、人間の政治力学は難しかったかしらね」


 リオーネが目を細める。牙が覗く。人間の手が刀の柄に――。


『やはり少々、心配だな』


 俺とトリックスが動く前だった。水の塊がリオーネの腕とナイラの口元をふさいだ。


 エマイルの分身だ。水路で発生して、ここまで来たのか。本人は相変わらずサリと共にあいさつを受けている。年取った男や女の人魚が居るが、あれは他の夫人の親族だろう。


 ナイラが怒る前に、口元から水が離れる。冷静になったリオーネの腕からもだ。


『優秀な使用人に代わって、私が説明しよう。この結婚は、メイルーナ・ザルダハール、サリの母親の意思でもあるんだ。メタリアのザルダハール家の長女が、転生者である私の妻になれば、パワーゲーマー達が、ザルダハール家を潰しにくくなると踏んだのだろう』


 メイルーナってのは、サリの母親の本名か。メイルは愛称なんだな。というか、恭順の証としてメタリアに差し出せないとなったら、転生者に嫁入りさせて家の存続を図るとは。


 実の娘を、どこまでも便利に使うというか。名家の令嬢なんてのは、そういう人生が平常なのかもしれないが。


『私はかれこれ三年も、サバルク様に、娘さんを欲しいと言っていたんだ。不幸せにはしない自信があったんだが、いかんせん私の治めるマーマトルは、平和で美しくとも、海上の片田舎だろう。海の幸や珊瑚はいくらでもあるけれど、もっと財力や権力を持っている求婚者はいくらでもあって、彼の返事は釣れなかった。やはりだめだろうかと思ったところで、先日、ここに立ち寄るサリをめとって欲しいと、メイル様から連絡が来て舞い上がったよ』


「だから、口座を凍結したの?」


 ナイラの言う通りだ。それで、俺達はここに足止めになり、サリはプロポーズを受けちまったんだから。


 エマイルは屈託なく笑う。ジャグとは大違いだ。


『まさか! あれは魔王大陸の冒険者ギルドからだったろう。ということは、恐らくパワーゲーマーの、サラマット・イゴーレンの仕業なんだよ。冒険者ギルドもダンジョンも、魔物たちも各国の領地も、あの大陸のすべてが、彼の思うままになるらしいんだ』


 エマイルの言っていることが、本当だとすると。

 次は恐らく、そのサラマットとぶつかることになるのだろう。どんな奴なんだか。


『最近だと、一か月くらい前かな。決して、解散しないだろう、なんて言われてた冒険者ギルドがあってね。転生者のルーウォンっていう男が、チートで魅了した百十六人の女で作ったハーレムギルド、“貞淑な宝石箱”っていうんだけど、それが急に解散してね。派閥二位の“千の首と万の牙”に吸収だよ。おかげで一位だった“自由なる剣”は二位に転落だ』


 魅了の転生者、それはまさか。

 俺が振り向くと、リオーネが刀の柄に手をかけている。唇から牙が覗く。瞳がきゅうっと絞られていく。


 トリックスとナイラは首をかしげているが。俺は理由を知っていた。そういえば、トリックスとは出会う前。ナイラやサリには話していない出来事だ。


 サラマット・イゴーレン。リオーネに出会ったとき現れた、赤髪の青年の姿をした転生者。俺達を見逃してくれた奴だ。もしも、パワーゲーマー達が容赦しなければどういう目に遭わされるのか、見逃すことで俺とリオーネに深く刻み付けた。


 そして、ルーウォンってのが、リオーネのかつてのマスターであり、女たちをチート能力で魅了してハーレムを作っていた転生者だろう。確かにサラマットに何かされていた。


 どういうチート能力かは不明だが、サラマットはルーウォンを操り、ギルドを解散させたのだ。


「レアク、体温が上昇し、心拍数が早まっているのではないですか」


「らしくないわよ、リオーネ。あなたは取り乱している」


 トリックスとナイラが俺達を気づかう。そうか、そう言わせるほど動揺しちまっているのか。


「レアク……」


 俺は無言で、差し出されたリオーネの手を握り締めた。


 ライムは多くの人を殺した。だがあいつは、無邪気に書き割りに身を委ねていただけなのだ。思い通りに行かないから、怒って暴れていただけ。ウィマルに至っては、俺と拳闘する気概もある。目的なく、チート能力をむやみに振るったりしないだろう。


 ではサラマットは。あのとき、リオーネ以外のハーレムに居た女達の命を奪っていたが。それでも、底はまだ知れないのだ。俺の呪印を知らなかったとはいえ、見逃す余裕を持っていることが不気味だ。ああいう奴は、本気で敵と認識した者をどうするのか。


 俺達は、そのサラマットと戦うことになる。


『……レアクとリオーネには、何か因縁があるみたいだね。私も個人的には、サラマットがパワーゲーマーで一番恐ろしいやつだと思う。だからこそサリを、私の妻は巻き込まれないで欲しい』


 相変わらず和やかに会話している二人を見つめて、エマイルは目を細めた。海でできているが、表情も分かる。トリックスを見慣れていると、液体でできた奴の表情も識別しやすい。


『私は一定範囲の海を操るチート能力を持っているんだ。魔封大戦のころは、海に暮らす人魚たちを統べることで成り上がってやろうと思っていた。三国協定で、人族としての権利を認めさせるべく奔走したのも、私を崇めさせるためだった。実際、三番目の妻まではこの頃もらった』


 いつだったか、俺が殴ったカサギと同じだな。書き割りには、復讐がないから、内政スローライフってところかね。


『しかし、そんな私を変えたのが、彼女の本なのだよ。失敗を重ねながらも、自分にできる精一杯、私心もなく人を助けるということ。本当に人を愛するということが、どういうことなのか書かれていた』


 ナイラがサリを見つめて目を細める。まあ、こいつはその内情を知っているからな。後始末しなきゃ、洒落で済まないような事態は、処理してきたし書かれていないんだろう。


『私は彼女の心を愛するようになったんだ。このマーマトルを、いつか、彼女が羽根を休められるような素晴らしい場所にしようと誓って、良い領主であろうと励んできた。転生者という下駄をはかされた私が何をしようと、クラエアの民がどう思うかは分からないのだが』


 寂しそうな影が覆う。どれほどの力を持とうと、どれだけの貢献をしようと、転生者はこの世界の者ではない。文字通り、世界に数十人しか居ないのだ。


 その孤独。村にも鉱山にも戻るつもりのない俺は、何か言ってやりたくなった。


「……大丈夫だろ。あんたの妻も子供も喜んでるじゃねえか。俺を殺そうとした人魚だって、あんたを失いたくないから本気だったんだ。ここはもう、あんたの場所なんだよ」


『だといいんだがな』


 転生者。強い力を持っているというだけで。それぞれに思い悩むことがある、俺と同じ人間ではあるのだろう。


 殴る必要のないやつも沢山いるに違いない。


「殴れないのに嬉しそうね、レアク。私のことは殴ったのに」


「……サリの方だよ。あのときは、お前が入ってたけど」


「ええ。あなたは必要なら女でも殴れる最低の拳闘士よ」


「いい笑顔やめろよ」


 ナイラは、人の心をえぐらなければ発言できないのだろうか。

 しかし、サリを見守る目は、成り代わろうとしたことが信じられないほど穏やかだった。


 そのナイラが、いきなり立ち上がる。


「どうしたのだ、妹よ」


「トリックス、限界まで魔力探知を広げて。またなにかが近づいている」


 そういえば、さきほどもそんなことを言っていた。


 トリックスが上着を脱いだ。背中から羽根が飛び出す。前髪のアンテナも立つ。


「レアク、リオーネ、ゲンゴロウに向かいましょう。この魔力は私のマスター、ミァンが本気になったときとほぼ同等です」


 エマイルが弾け飛んで水路に戻る。リオーネがサーコートを脱いで海雪を腰に差す。


 俺の書き割り、次はどういう転生者と出会うというのか。

 恐らく、エマイルほど話の分かるやつではないのだろう。

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