3-3沖から来たもの
サリは信じられないという表情で自分の手とエマイルの分身の美しい顔を見比べる。だがやがて、冷静にその手を取ってそっと引き離した。
「……お気持ちは嬉しうございます。私のような二十歳も過ぎた女をそこまで想ってくださって。ただ、急なことでして、少々お時間をいただけませんでしょうか」
冷静に、穏やかに言葉をにごす。
俺は分身体とエマイルの本体を見つめた。表情に変化はない。たとえば、ジャグにあったような、社交で押し包んだような憎しみも。まあ、男の俺からみて、だがな。
しかし異世界人にプロポーズを受け流されて、動揺しない転生者が居るなんてな。
「そうか……いや、考えてみれば当然だ。私の妻たちも、十余年かけて、必死に口説いたのだから。君だって、一筋縄ではいくまい。パワーゲーマー達のこともあるし、しばらくここに滞在して気持ちの整理をつけるといい。滞在費はもつよ」
本当に遠慮しなくていいって感じだな。金欠の俺達には何よりありがたいが。
サリは両手を振った。
「め、滅相もございません! ゲンゴロウの停泊を許可していただいているだけでも申し訳ありませんのに。私たちはなんとか自活しますわ。そうですわね……一週間、これから一週間後に、整理を付けてエマイル様の清廉な言葉にお応え申し上げます」
指を一本たてたサリ。エマイルは困ったようにほほえむと、分身体を海中に下がらせた。
妥当なところ、なのか。サリの一言で、俺達はエマイルの宮殿を去ることになった。
※※ ※※
ゲンゴロウに戻ると、サリは体調が優れないと言って、部屋に引っ込んでしまった。お嬢様らしいというかなんというか。
俺はというと、夕食はとったし、とっとと眠っても構わないのだが。なんとなく、ゲンゴロウの屋上で座った。
三日月はすっかり高くなった。暑くも寒くもない、潮気をはらんだ風がゆったりと吹いている。夜の海は真っ暗で恐ろしいものだが、珊瑚礁は浅く、一部の珊瑚が光るため、ぼんやりと照らされている。
ちゃぷちゃぷと穏やかな波音。珊瑚の明かりを見つめる。遠くに目を移すと、光が終わったあたりで暗い海になっている。あの辺りから深いんだな。
しかし、恋か。まさかこんな海の果てまで来て、人の恋路で俺の行く先が左右されることになるなんてな。
『……のんびりしてて、いいのかよ』
女悪魔が現れた。俺の背中から腕を回すと、頭の上にあごを乗せてくる。本当に、でかいな。いろいろと。
「まあ、いいんだろ。めちゃくちゃだったんだ、ついこの間まで。人の気持ちってやつは、チートがあっても、そう簡単に決着がつけられねえのさ」
パワーゲーマーの連中を思い出す。それなりに幸せそうに生きてやがるらしいが、なんかどうも余裕がないように見えるんだよな。
ライムとジャグ、あと俺に殴られる前のウィマルと、ミァンも。
もしかして、この世界であいつらの人となりを一番知っているのは、俺なんじゃないだろうか。というか、なんでこうなってんだろうなあ。
「……書き割りについて、もうちょっと教えてくれるか」
『呪印にもあいつ以外の反応はないけど……ああ?』
「だから、書き割りについてだよ。そもそも、なんなんだ。お前とか、転生者の力とか、この呪印とかってのは。この世界の根っこってのは、なんなんだ。転生者がニホンから持ってきたむつかしい科学も、クラエアにはなかったらしいが、たぶん、それは本質じゃないんだろう?」
悪魔は俺を離し、腕組みをして考え込んだ。見上げると、3メートルの巨体に、胸元についた塊のような膨らみがまぶしい。じゃなくてだ。
女悪魔は考え込む。探るように語る。
『……根っこ、そう根っこが、いるんだ。お前らがニホンと呼ぶ、あっちの世界も、クラエアも。中心に決めてる力がある。魔力でも、闘気でも、ニホンのシゼンカガクってやつでもない。書き割りを作ってる、チート能力を作ってる、呪印を作ってるなにかと同じものだ』
「そんなもんがあるのか」
『そうみたいだ。アタイもその存在らしい。書き割りを作ってる物語の神はそう言ってた』
神か。前にも言ってたな。神なんて架空のものじゃないのか。そう言ったら、サラスのあちこちにある教団の連中に、小一時間延々と説かれるだろうけど。
「そいつが、パワーゲーマー達を操ってるのか。このまま、運よく連中を殴りまくっていったら、そいつが出てくるってことかよ」
悪魔はわしわしと頭をかいた。ぎざぎざの歯を隠すように、唇をゆがめる。
『……うーん、たぶん、そういうわけでもない、んだと思うんだが。なんか狙いがあって、転生者の書き割りを作ってる、とは思うんだけど。それに、あの男女自体も、べつに強いやつってわけじゃあ……だめだ、うまく説明できねえ』
「なんだそりゃ。あやふやだな」
『まあ、そうなんだよなあ。でもなあ、レアク。アタイがあんたや、あんたの仲間を何とか応援したいってことは、本当だぜ。この先を見てみたいんだ。あんたには、あんたの書き割りがあるし、それはパワーゲーマー達に挑むことで大きくなる』
「呪印も、か」
得体の知れない何かが抜けていくことを思い出す。恐怖がある。自分が何になるか分からない。
女悪魔が少し黙った。
『……そう、なんだろうな。アタイも、今は、これ以上何が起こるかは分からない』
ライムと戦ったときは、したり顔で呪印の第二段階なんて言ってたが。
これ以上聞いてもどうしようもなさそうだ。お互いにな。
がこん、という音がした。背後でドアが開く。
「ナイラ」
杖を持っている。エプロンドレスのボタンをはずして、宝石のような魔導心臓を大胆に露出していた。谷間はないが。
そう思ったことは読めたのか、視線が冷え込む。
「おいゲス……サリを起こしてきなさい。ゲンゴロウを出しましょう」
「いや、それはごめん。でも今出ても魔王大陸には着けないだろ」
「違うわ。変な魔力を感知したの。まだ遠いけど、なにか近づいている」
一瞬だが、転生者の魔力と張れるほどのナイラ。こいつ、魔力感知もかなりのものだったな。
トリックスが下の窓から駆け上がってくる。リオーネも一緒だ。
「呪印はまだ反応してないぜ」
「じゃあ、転生者が連れて来たなにか、なんでしょう。あなたには弱いから、取り巻きを使っているのよ」
ライムが旧工房街を、めちゃくちゃにしたことを思いだした。この美しいマーマトルが、ああなるっていうのか。
俺は階下に急いだ。サリの部屋の扉をノックする。
「サリ、サリ! 起きろ、ゲンゴロウを出すんだ。なにか来た、ここを巻き込んじゃだめだ!」
返事がない。ドアノブを回す。開いている。どうするか。ええい、もういい、勢いよく開いた。
「レアク、様……?」
薄桃色のネグリジェ一枚。完全に眠ってたのか。
あどけない少女のように俺をじっと見つめる。そのくせ、この肉感的な肢体。くそ、何を考えてんだ何を。
「おお……おい、着替え中か、すまねえ。とにかく早く出してくれ。マーマトルを巻き込んじゃだめだ」
「お待ちを! あなたは、何も思わなかったのですか」
「いや、そりゃここを旧工房街みたいにしたら」
「ではなくて! 私を、欲しいという男性が現れたこと……ですわ」
そう聞くって、ことは。
サリがベッドから立ち上がる。天蓋つきの豪華なやつ。地獄から立ち上がる亡者みたいに、あるいは、何か悪いことに誘う魔女みたいに。
しずしずと、俺に近づいてくる。今気づいた。俺より少しだけ、いい感じに背が低い。
金色の髪が口元に枝垂れかかっている。唇が濡れているみたいだ。昼間見た、マーマトルの澄んだ海の様に、滑らかで美しい体。
指先が、動けない俺の唇をなぞる。
「十九、でしたかしら。ニホンなら、お酒も飲めないお年頃のレアク様……あの転生者より先に、私の柔らかい肌を、蹂躙したいとお思いになりませんでしたの……?」
くらくらする。
いや、これは、俺が男だからじゃない。何らかの魔法――。
魔力がサリを取り巻く。黒い髪に赤い瞳、両こめかみに生えた角。美しいが顔の造形が違う。こいつは、魔族のサキュバスだ。
魔法防御が遅れた。魅了されちまう。
『さあ、坊や、魂を』
まずい。その瞬間。
『ぎええええぇぇぇぇっ!』
断末魔と共にサリだったサキュバスの腹と胸が貫かれた。氷の矢だ。廊下にナイラが鬼のような形相で立っている。
サキュバス、いや、サキュバスですらない。美しかったサキュバスの体はでろでろに溶け、ウミウシのようなぐにゃぐにゃした化け物になった。
ぶきいい、と溺れる豚のような声を上げ、うみうしは窓を破った。海に落下していく。
逃げちまったかと思ったら、ぷかぷかと浮いてやがる。体中に人魚の使う三叉矛がぶっささっていた。それも、珊瑚を削ったやつと、海水でできたやつ。
海水でできた矛を手にしているのは、海から生えたエマイルの分身だった。
『おのれ、何者が、私のサリを……!』
気高い海の王は、髪の毛を怒気に震わせている。
それは、人道の天使を守って来た俺達も同じだった。
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