3-2恋する潮騒の王


 三大国でいえば、このマーマトル諸島はサラスに属する。


 サラスという国は力関係がややこしい。一応、サラスという名は付いているが、ジュベルナやメタリアのように、国を統一する王族が居るわけでもない。


 あちこちにある森に住むエルフの部族。特殊な信仰をもつ教団の入植地。それらがいくつか集まって、ゆるく結びついているだけだ。まあ、その結びつき同士で何度も戦争したり、三国協定を結んで守ったりしているから、ゆるいわけでもないのかも知れんが。


 俺達の前を歩くエマイルは、そのうちのひとつ、森の十字架というエルフの部族からこの諸島を統一する者として認められているというわけだ。


 夕日に染まるマーマトルは美しい。観光客や滞在者用の通路は、色とりどりの貝や珊瑚でできており、人魚族ばかりが住んでいる建物は浅い海に浸っている。きらきらと光る海のあちこちに、海亀や人魚が浮かび上がってくる。趣味なのか何なのか、男も女も岩の上に腰を掛け、なにやらいい声で歌っているのも雰囲気がいい。


 満ち潮が来れば、中央のテラス以外は海にうずもれるらしいが、その様もまた豊かなのだろう。月も見えてきた。優美な三日月だ。


 マーマトル諸島か。始めて来たが、この世の楽園のようだ。なんだかんだ採種自由の海藻や貝もうまかったし、安全ならしばらく滞在するのも悪くない気がする。


『君はなかなかロマンチストのようだね』


「うおっ!?」


 俺は悲鳴を上げた。いつの間にかエマイルが隣に居る。

 いや、違う。エマイルはしっかり先頭を歩いている。じゃあこいつは誰だ。


『なに驚いてるんだよ、チート能力だろ』


「あ、ああ」


 女悪魔の言う通り、呪印が反応していた。これはエマイルのチート能力で作られたなにかなのだ。海中から大量に出て来たのも、そうだった。


 海でできたエマイルは、女悪魔をしげしげと眺める。


『いやあ、君が書き割りの悪魔か。なんだかこう、親しみが持てる雰囲気だな。確かに大柄だが、君くらいの体格なら、抱けるよ。どうだい、私の第七夫人にでも?』


 何を言い出すんだ。しかし、見た目がいいからというか、色男の口説き文句にしかならない。用は嫌味がないのだ。


 女悪魔は明らかに戸惑っている。


『……おい、ド変態かよ。つかみどころのないやつだなあ』


「もう呪印の中に居ろ。あんた……変なこと言ってると殴るぞ」


 悪魔をひっこめ、拳を握る。軽い冗談だとは思うが。


『おやおや、転生者として、君に殴られるのは何より怖いな。引っ込むとしよう』


 ぱしゃんと弾けると、エマイルは通路を流れて海に注いでしまった。本当になんなんだよ。


「レアク、どうかなさいました?」


 サリが呼びかける。皆から遅れていた。俺は何でもないと言って追いついた。


※※ ※※


 磨き抜かれた珊瑚と、貝殻の宮殿。それがエマイルの居館の第一印象だ。壁や城壁の代わりに折り重なるシャコガイ。尖塔の代わりにそびえる赤青とりどりの珊瑚。


 城館の半分は海に浸かっており、物陰や壁、尖塔の周囲には、上半身に貝殻の鎧をつけた人魚たちが詰めていた。ここは妙に厳重だな。


「ようこそ、わが館へ。メタリア国、ザルダハール伯ご令嬢、サリーナ・ザルダハール様と、そのご一行よ」


 エマイルが大げさに礼をすると、貝殻の城門が開いた。城内は真珠やさらに鮮やかな珊瑚で美しく飾られている。月並みだが、宝石箱の中に迷い込んだようだ。


 あちこちに海を引き込み、泳ぎと歩きの両方で回れるようになっているのだ。


 促されて入っていくと、水路に人魚たちが現れた。

 見たところ、みんな女だ。それもナイラと同じエプロンドレスを着ているメイドや、もっと上等な服装の者まで。服のことはよく分からんが、サリの母親の部屋着くらいには高級そうだ。


 上品な服の連中は品定めをするように俺達を眺めると、そのまま泳ぎ去った。メイド達は水路沿いに廊下を案内し、応接間へと通してくれたが。


 応接間は広い。両端に窓のあるつくりで、壁にあしらわれた珊瑚が光って、調度と照明を兼ねている。奥に珊瑚の玉座のようなものがあり、前に十人はかけられる大きなテーブルがある。


 海の一部を引き込んだ水路が、そのテーブルと玉座の両方を取り囲んでいた。


 エマイルはひょいと水路を飛び越して、玉座の脇に立つ。


「さあどうぞ、君たちもかけ給えよ。私が何かするかもというなら、レアク君が、そのテーブルからここまでを、黒いリングに引き込めばいい。この私が本体だということは分かるだろう」


 確かに、それは可能な距離だし、このエマイルがチート能力で作った奴じゃないのも呪印で分かる。挑発的というわけでもない。自然体で出た言葉だった。


 サリにナイラ、トリックス、リオーネに俺。お互い顔を見回したが、結局は席に付いた。


 信用するしかないってこと以外にも、リオーネが水路を見つめて刀を握っているように、海から何が出てくるか分からない。仮に俺がエマイルを無力化できても、水路から手練れの人魚を呼び込まれたら苦しい。


 このマーマトルという場所は、ライムの雨の中で戦うのと同じ程度には、エマイルの有利にはたらくのだろう。エマイルのために計算され尽くしている。


「やあ、ありがとう。さて、本題だがね。君たちは魔王大陸へ行くための物資と資金の欠乏に困っているらしいが、それを私がどうにかしてもいい、という話なんだよ」


 いかにも親切な顔でそう言ったが、俺達の誰も反応しない。サリでさえもだ。転生者に父親を奪われ、家も奪われそうなんだからな。


 エマイルは肩をすくめた。男だが秀麗な顔つきだから、髪をなびかせると、わがままな子供にささやく母親のようだ。


「……おやおや。まあ、察しの通り条件を付けさせていただくがね。メタリア国ザルダハール伯爵令嬢、サリーナ・ザルダハール。君を私の第六夫人として、迎え入れたい」


 何て言った、こいつ。ざぶんと音がして、水路に現れたのは、先ほど見た着飾った人魚たちだった。


 十代後半から、二十歳過ぎくらいとおぼしき、それぞれの美しさの婦人たちが五人。

 その脇に、まだ幼気な恐らく実子であろう人魚がぽこぽこ出てくる。男の子、女の子、どっちだかも分らん、とにかく綺麗な子供。全部で二十三人もいる。


 ずいぶん頑張ったもんだな。


「もちろん、君には君の用があることは分かっているよ。夫婦の契りの義務は保留する。パワーゲーマー達に挑み、人道の天使として世界を救うことを心ゆくまで遂げればいいんだ」


 懐から取り出したのは、なんだか見覚えのある本。


「そ、それは」


「そう。“人道の天使”、第一巻の初版本だよ。手に入れるのに苦労した」


 尋常じゃないふせんの数だ。老魔術師の魔術書のようだぞ。どれだけ好きなんだこのコメントに困る本が。


 あ、書き割りが見える。感じられる。

 そうかこいつは、このエマイルという転生者は――。


 水路が泡立つ。出て来たエマイルがサリの前にひざまずき、白い手を取ってそっと口づけた。


「ああ、サリーナ。噂に違わぬ美しさだ。君の本から想像していたそれ以上だ……私は君の隣に立つために、ここまで来たんだよ」


 呆然とするサリ。

 俺には見える。このエマイル・ネヴィルナーという転生者の持つ書き割り。


 それは、『サリの活躍に感銘を受けて、自分を助けた人魚族を保護する』こと。そして、『人道の天使として活躍するサリを生涯支える最愛の夫となる』こと。


 高貴な王子という言葉が似あう、端麗な横顔。

 まさに、サリだけのために現れたような転生者だった。

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