2-17輝かしい妥結の道


 攻める側は守りがおろそかになる。

 呪印の拳で剣を抑え込む。無防備なジャグの顔めがけてジャブを打つ。


 ジャグは飛びのいた。俺とサリから距離を取る。軽やかな動きだ。


「まいったな。まあ、こちらが悪いんですけれど」


 ジャグ・リトラス。世界中に魔導機を供給するマギファインテック社のCEOにして、パワーゲーマーの一人。


 そのチート能力はよく分からない。


 あらゆるものを魔力的に分解するウィマル。

 何者であろうと溶解させる液体にくわえ、トリッキーな変身体を扱うライム。

 設計図を書くだけで、魔導機を実体化させてしまうミァン。


 ほかのパワーゲーマー達と並ぶほど戦闘に役立つ能力なのだろうか。さっきの一撃は、転生者のもつ単なる莫大な闘気だった。


 呪印を打ち込むか。あるいは黒のリングを作るか。細っこい体にラッシュを叩き込めば勝てそうにも思える。


 その隙はどう作るか。サリの魔法か、それとも下のトリックス達――。


「あ、ここまでです。やめましょう」


 ジャグが剣を収めた。一体どういうことだ。


「交渉しましょう」


 にこやかにそう言ってのける。交渉だと。わけのわからない魔法を使って、俺とサリをなで斬りにしようとしておいて。


「ふざけんな! 斬りかかっといて」


 ジャグは両手で俺を制止する。いきり立つチンピラに言って聞かせる、慇懃無礼なセールスマンってところか。


「レアクさん、あなたではありませんよ。私はザルダハール家の正統後継者である、サリーナ・ザルダハールお嬢様に持ち掛けているのです」


 サリの方を見つめるジャグ。


「わたくし、ですか……? なぜ、あなたはお父様が没したことを」


「……おや、そうだったのですか。これはまた、ご不幸なことで」


 白々しいもんだ。同じパワーゲーマーだから、ライムの能力や、あいつがやったことなど分かってるだろうに。


 それを追求してやろうにも、サリの口から事態が漏れてしまった。


 うかつだぜ、このお嬢さん。まあ、チート能力を使っているとはいえ、三大国と魔王大陸を飛び回って、マギファインテック社のCEOをやってるような奴だ。この世界的に言えば、歴史上存在したことのない大商人。サリなんぞただの小娘だろう。


「それにしても、そのようなご不幸を背負って、なお貧民たちをお助けになるとは。“人道の天使”の面目も立つというものですね」


「私自身として、なさねばならないことをしたまでですわ」


「いえ、実際、役立ったといえましょう。我々マギファインテックとメタルスが、今、ようやく救援隊を派遣できたくらいですからね」


 周囲に魔力の気配。しつこいが、俺でも分かるってことは相当な大きさだ。


 ゲンゴロウの腹の下の広場を囲むように、あちこちの路地から迷彩模様の鎧をつけた男たちが現れる。


 いや、顔が銀色をしている。トリックスと同じだ。つまり、自律型戦闘魔導機オートゥ

 そいつらを囲んで、ジュウを持った人間やオークが幾人も居る。こいつら、メタルスの国の騎士団か。ずいぶん様変わりした。マギファインテックが装備の調達に関わっているんだろう。


「すでにこの旧工房街では、メタリア騎士団とマギファインテック社の魔導機によって、救護及び復興作業が行われています。緊急の避難施設も設営できました。つきましては、私人であるあなたが保護しておられる、市民たちをこちらに預からせていただきたいのです」


 呪印が反応する。悪魔が俺に耳打ちをした。


『レアク、こいつ、今チート能力を使ったぞ』


 なんだと。呪印が反応したこと以外、何も起こっていない。

 ジャグはすっかり、ただの商売人としての顔をしている。あるいは、街を与る男か。サリの方は、ジャグの目を見つめて黙っている。


 なにかおかしい。俺は二人の間に割って入った。


「……信用できねえな。サリ、騙されるんじゃねえぞ。下の奴ら、どう見たって救護活動をしに来た雰囲気じゃない。今から一戦やらかそうって感じだ」


 そう言ったものの、サリはうんともすんとも言わない。ジャグがつぶやく。


「君とは交渉していないんだ」


 わずかな魔力を感じる。何をやった。


「……」


 俺は確かに言ったぞ、“何をやった”と。だが声が出ているのに聞こえない。

 女悪魔もさまざまに表情を変えている。何か言っているようだが、音が発されない。


 下の声は聞こえるのだ。俺の耳がいかれたわけじゃない。


『レアク、聞こえますか』


 トリックスの声だった。下で、子供やら老人やら囲うように翼を広げている。


『その一帯で、空気の流れが魔力的に操作されています。平たく言えば、あなたと悪魔の声は奪われています。その転生者が使った魔法の様です』


 だったら、呪印でなんとかできないのか。そう思ったが、反応していない。

 もしかして、ジャグ自身が修練で身に着けた魔法なのか。チート能力の書き割りに関係なく。


 それならば、呪印は効かない。転生者がただの人間として、書き割りに頼らず修練して身に着けたものは、呪印でかき消せない。


「さあ、ご遠慮なくおっしゃってください。私たちに彼らを預けると。そうすれば、分かっていますね。あなたにはご覧になれるでしょう。我々の合意から得られる、輝かしい妥結の道ベネフィット・アグリーメントが」


 呪印が反応する。サリとジャグの足元を、金色の光が結んでいる。

 これはチート能力だ。俺が飛びかかろうとした瞬間、パンという何かが破裂するような音が響いた。


「いけませんね……魔導銃の暴発ですか」


 ジャグが見下ろす先。広場を囲む騎士の一人が、ジュウという武器を暴発させたのか。


 しかし、その威力。ゲンゴロウの側板にひびを入れている。ニホンのジュウは、火薬で鉛の塊を飛ばすらしいが。どんな速度で何を飛ばしたらこうなるんだ。


 ちょっと待て。もしもこの広場を囲んでいる騎士たちが、自律型戦闘魔導機を含めて一斉に撃ったりしたら。


 血の気が引くのを感じる。ざっと百人は、工房街の住人達が居る。ライムが溶かし殺したのとは違う。直接的に、やるというのか。


『私と同型の自立型戦闘魔導機もいます。リオーネも気付いているようですが、防ぎきれません』


 俺は悪魔を見上げた。黙って首を横に振るばかり。そりゃそうで、ジュウも自律型戦闘魔導機の攻撃も、転生者の書き割りとは関係がないのだ。俺が俺の闘気でできるのは、打たれる瞬間誰か一人をかばうくらい。それだって二人とも貫かれて死ぬ可能性がある。


 ジャグはサリに向かって踏み出す。


「さあ……旧工房街は、マギファインテックによって新たな工業都市に生まれ変わる。住人達はこの事故を乗り越えて発展を遂げ、悲しみを味わうも、健やかに生きていく。人道の天使としても、マギファインテックと距離を縮めたいザルダハール家としても、それがお望みですよね。信じてください。すべての者に利益をもたらす、輝かしい妥結の道ベネフィット・アグリーメントは存在するのです」


 柔和な微笑み、へりくだった無害な声。天使の顔をしてやってくる悪魔としては、この上なくおあつらえ向きだ。


 しかし、ジャグは。俺はライムのように好き勝手殺して回り、それが全て世界から肯定されるというのが、最悪の転生者だと思っていたが。


 ジャグは違う。こいつは交渉で破壊や絶望を生み出す。それを自らの書き割りで塗りつぶして、今の地位を手に入れたのだ。


『動けますか、レアク』


 耳に入り込んだ声。ジャグの声。口を動かしていないはずなのに、俺の耳に入ってくる。


『魔導機ふぜいができることが、転生者にできないとでも? 私は動けますかと聞いているのです。やってみてください。その瞬間、一斉に暴発事故が起きて、ここは血の海になりますがね』


 やはりそうだったのか。そして、これはトリックスが使っている声を届ける風の魔法だな。しかし、こんなにこやかな表情で、憎悪むき出しの吐き捨てるような言葉を使えるとは。


 裏表が激しい、なんてもんじゃないな、こいつ。


『まったく。今頃、ニホンで恋人にしがみついているライムのやつは、この都市を与るわれわれに、一言の断りもなく無茶苦茶をやったものです。しかもあなたに倒されて、書き割りが壊れたから、人道の天使がこれほどの人間を救護してしまった。我々はといえば、メタリアとの交渉がこじれて、救護隊派遣まで、五日もかかったというのに。こんなことは、初めてだ。事故としてすべてを納める段取りが、ぱあじゃないですか』


 ライムの言っていた書き割り、殺戮を単なる事故として、マギファインテックの邪魔になる職人組合を弱らせて解体する。


 それが壊れて俺たちが数百人を救護した。それを塗りつぶすべく、ジャグが動いたのだ。

 チームワークとでもいうのか。パワーゲーマー達は、お互いのミスを補い合っている。


『まあ、もう無理でしょう? あなたとの交渉はできませんが、サリお嬢様ならば簡単です。ザルダハール家の当主を掃除してくれたのも良かった』


 五日、俺達が住民の救援に従事していた五日間。それが、ジャグから逃れる唯一の方法だったのだ。


 俺達がやるべきは、見知らぬ工房街の住人達を助けることなんかより、とっとと逃げることだったのだ。


『私の輝かしい妥結の道ベネフィット・アグリーメントはね、私の交渉相手に最高の結末を確信させる。私の提案に乗ることで、全てがうまくいくと信じさせる。今頃彼女は、美しく整備されたこの街で、子供たちがほほえみあう平和な光景を見ていることでしょう』


 それは、魔法による記憶や意識の改ざん程度ではない。チート能力だってことは、その程度で済まない。


『面白かったなあ。一年籠城した魔族の将軍が、この能力で投降しましてね。首を斬られるときも、家族や一族が救われると信じていましたよ。もちろん全員売り飛ばされて、一年以内にみーんな死んだのに。利益を信じて、マギファインテックに商売を預けてくれた三大国のギルドの偉い人も、ほぼ全員零落しましたよ。工場の労働者が足らないんで、村ごと移住させた奴らも私を信じていました。悲しくもないのに、泣きながら説得してやったのが効いたのかな』


 俺への憎悪のままに、残酷な思い出を魔法で語るジャグ。

 言葉と口調から想像できる歪みは、サリに向けるにこやかな顔と釣り合っていない。こんないびつな奴、初めて見たぞ。


「さあ、一言、あずけるとおっしゃればいいのです。私の提案を信じて」


 サリは催眠術にでもかけられたように、細い手を伸ばす。俺はやめろと叫んだが、それもかき消される。トリックスも何かを伝えているらしいが耳に入っていない。


 “交渉”が成立するまさにそのときだった。


 周囲の騎士から悲鳴が上がる。足元が、魔導銃が凍り付いている。

 魔力を感じる。これだけの広範囲の魔法、転生者ほどではないが、使えるのは。


「何をやっているのよ、サリ」


 ナイラだ。ナイラがゲンゴロウの頭の上に立っている。

 杖を握り、胸元の魔導心臓からも魔力を引き出して。まるで以前サリを傷つけたときのような口調だった。

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