2-16黄金の道とぶつかるとき
気絶するのは初めてだった。
拳闘、非正規冒険者としての戦い、そして幾人かの転生者との争い。
俺はいつも、自分を守って戦ってきた。俺が倒れた場合には、誰も助ける者がいないから。気絶は死と同義だった。
だがウィマルやライムには、そんなやり方じゃ勝てなかっただろう。
負けたくない。それだけですべてを出し尽くした。
リオーネやトリックス、サリにナイラ。味方だと思える者達が居たからだ。
さらさらとした感触がある。質のいいシーツだ。
目が覚めた。左腕も動く。俺は上半身裸らしい。顔と腹には、傷薬をしみこませた綿と包帯がついている。どれぐらい寝ていたのだろうか。
「……に運んでいらして! 止血だけはしておいて!」
「もう十五人追加します。失血と意識喪失、骨折が……」
「やるわ、連れてきなさい! 半獣人、準備をお願い」
「斬るのは任せて!」
サリ、トリックス、ナイラ、リオーネか。
ばたばたと慌ただしい。一体なんなんだ。シーツをまくって外を見回す。
俺は目を見開いた。どうなってんだこりゃ。
ここは簡易の病室のような場所らしい。俺も含めて、ベッドが十個並んでいる。うめき声をあげるけが人や、今まさに流血の処置中の者達でふさがっていた。
見回すと、サリとナイラ、リオーネはその処置に参加していた。ほかにも、使用人らしい男女、粗末な衣服姿の者たちが手伝っている。
トリックスは廊下から現れ、翼と腕で担架に乗ったけが人を次々と運び入れてくる。完全な野戦病院だ。なんなんだ、ここはどこだ。状況について行けない。
右手、呪印から黒い線みたいなものが伸びている。部屋の入口に――。
『おーい、とりあえず、避難者の収容が済んだぜ!』
女悪魔が顔を出した。ごく普通に、皆に交じって働いていたらしい。
「悪魔様、ありがとうございます! では指導者を決めていただいて点呼を……まあレアク様! お目覚めになられたのですわね!」
『やったな、レアク! 体は大丈夫だろ、手伝ってくれよ!』
悪魔の言う通り、ライムにやられた傷は、すっかり全快していた。ベッドから降りると、次の負傷者が俺の寝床に運ばれてきた。
とやかく言ってる場合じゃない。俺は女悪魔の言う通り、処置に参加した。
※※ ※※
負傷者を運んだり、医薬品や人間用の魔道具を運んだり、わけもわからず働くこと数時間。作業しながら聞いた話を総合すると、大体こんな感じだ。
まず、ここは病院ではない。マギファインテック社のタマムシを参考に、サリが作り上げた魔導機、その名も“ゲンゴロウ”の中だ。こいつ、なんと水陸両用で、居住性優先だったタマムシと違って、俺の寝ていた病室や処置室、魔導器の簡易工房も備えている。
俺とライムの決着がつくと、まず起こったのは黒い凍結の解除だったという。稲妻はそのまま降り注ぎ、工房街は大火に見舞われた。サリはすぐに実家に戻り、父親を失ったことを母親や親族に告げ、このゲンゴロウを起動して工房街に戻ってきたのだ。
目的は、ライムの攻撃でやられた工房街の住人の救助。雨にやられた者は完全に死んでしまっていたが、凍結が解けた後、稲妻による火災や破壊に脅かされる者達は無数に居た。
サリ達は、トリックスが助けた俺の処置もそこそこに、消火や救助活動、避難船としての働きなどをめまぐるしくこなした。それも丸三日。
四日目の午前、俺は目を覚ましてそれに駆り出された。そういうわけなのだ。
そして、ライムの起こした“事故”から五日目。昼過ぎになって、やっと、救護はひと段落ついた。
建物の一部はまだくすぶっており、がれきも撤去されてはいないが、亡骸も負傷者も分かる限りはみんな引き出した。手当てもできる者には済んだ。
ここから先は、住人達の問題。サリの“人道の天使”としての役割は終わったというわけだ。
焼け跡の広場に寝そべる“ゲンゴロウ”の脇。魔力炉を利用した即席のキッチンで、様々な食料を使った煮込みが作られている。小麦粉や、雨に当たった干し魚、湿った芋など、放っておくと悪くなる食べ物をみんなで消費することにしたのだ。
椅子、テーブルが持ち出され、リオーネや女達が焼けだされた者達によそっていた。トリックスも居る。食べなくていいはずだが。いや、一部のキッチンで鍋を煮ているのは、あいつが生やした翼の一部だ。炎の魔力を発生させているのだろう。雷以外も出せるか。
“ゲンゴロウ”は爆発した“タマムシ”より全体的なサイズがでかい。しかも体系が丸く、背中のテラスも広い。そのテラスに立った俺は、ぼんやりと手すりから工房街の者達を眺めた。
最初、呆然としていた住人達だったが、手当てがされ、食料がある程度確保されると、落ち着いたらしい。ずいぶん余裕のある表情というか、笑顔を見せる者達もいた。
小さな子供の中には、トリックスの翼にぶらさがったり、リオーネのしっぽに絡んで遊んだりする奴も居た。ほほえましいもんだ。冒険者をやっていると、ああいう子供にしがみつかれることがある。
「……レアク様、ここにいらしたのですね」
サリだった。“タマムシ”では、はしごとふただった背中に出る通路だが、“ゲンゴロウ”の方では階段室と扉になっている。出てきやすいのだ。
カップを二つ持っている。俺の隣に来ると、ひとつを差し出して来た。
「ようやく人心地着きましたわね」
「……ああ、こりゃ何だ」
茶色い汁が入っている。かいだことのない匂いがする。
「まあ、コーヒーをご存じありませんの? 転生者がサラスに持ち込んだニホンの飲料ですわ。コーヒーの木になる豆を摘んで、乾かして炒って、煮だしたものです」
これがコーヒーか。ニホンじゃそこら中でこれを飲ませる店があると聞く。転生者が持ち込んだが、まだクソ高くて庶民の口には入らないという。
サリはザルダハール家の令嬢。庶民ではないってことか。
茶色い汁だ。少しだけ口を付けてみる。
苦い、酸っぱい。何だこりゃ、飲めたもんじゃない。
そう思ったが、サリの手前だ。表情は崩さない。
「飲んだことがねえもんだな」
「あらあら。レアク様にはまだ難しい味のようですわね」
サリはころころと笑っている。見透かしてるのか。
「ガキ扱いかよ。俺だってそれなりに……いや、まだ十九だったな。ニホンじゃ酒も飲めない年だったか」
十五で村を出てから四年。拳闘やら、転生者との絡みやら、しなくていい苦労をしたきがする。
「まあ、そうでしたの。ご苦労なさったのですね。では、私のように二十歳も超えて、こんな好きなことをしている女なんて」
「違うだろ。見下ろしてみろ、お嬢さん」
サリの言葉をさえぎり、焼け出されたやつらに目を向けさせる。
だがサリは首をかしげる。
「皆さまがどうかなさいました?」
可憐なもんだ。豪勢な花瓶に生けた、涼しげな花のよう。大概忙しくしていたはずだが、疲れではサリを蝕めないのかも知れない。
じゃなくて、だな。このお嬢さん、自分のやってることにどれだけ鈍いんだろうか。
「分からねえのかよ。あんたが、この魔導機を動かしたから、今あいつらは、助かってる。で、そう決めたのはあんただろう。そう決められるあんたを作って来たのは、今までのあんたの生き方なんだ。年がどうとか、関係ねえよ。立派だと思うぜ、俺は」
世界を遊ぶことしか知らない、パワーゲーマーの連中とは大違いだ。
「……本当に、そう思われますか?」
俺を見つめるサリ。黒い瞳が震えている。母性さえ感じられるような豊かな体をしているのに、寒さで震える少女のようだ。
「嘘言ってどうなるんだよ。工房でライムが化けた親父に言われたことなら、気にするな。記憶は持っていても、あれは変身体だろ。くそったれなライムだ。あんたの父親は、あんたが小さい頃から知ってるやつのほう」
コーヒーを落とすかと思った。俺の胴体に腕が回される。サリが俺にしがみついているのだ。
胸元にしがみついたまま、サリは嗚咽を繰り返している。張り詰めたものが、一気に崩れたような感じだ。相当無理をしていたんだな。
かんがえてみれば、こいつこそ、実の父親を殺された直後なのだ。
それでもこれほどの人を助けられるのは、まあ、“人道の天使”なんて大げさな看板も、あながち嘘ではないってことだろう。
だが、そういう奴は自分の傷が見えなくなることも多い。
呪印から悪魔が現れた。なにか冷やかしてくるのかと思ったら、しみじみとサリを眺めている。
『……連中の書き割りが壊れてからの世界は、サリみたいな奴が作っていくのかも知れないな』
パワーゲーマーを全員ぶん殴った、その後のことか。サリはそのとき、きっと世界にとって必要になるだろう。
今だって、自分の悲しみを後回しにして、ライムの暴れた跡を整えているのだから。
ぴし、と嫌な感覚。呪印の反応、これは大物。しかも至近距離。
があん。振り向きざまに突き出した拳と、豪奢な彫金が施された剣が交わる。
簡素な鉄の鎧姿の青年。だが、ミァンの時に出て来た奴じゃない。整ったこの顔、さらにこの上背。顔は会見やギルドの肖像画で見たことがある。
こいつもパワーゲーマー。
マギファイン・テックのCEO、“黄金の道行”こと、ジャグ・リトラスだ。
「厄介だな、呪印って……本当に、
ずずず、と地響きが轟く。数百メートル向こうで、焼け焦げた塔が斬られて崩れていくのだ。
この威力、転生者の闘気。俺とサリをまとめて斬り殺すつもりだったのだろう。
来るかもしれないと、思っていた。スミスポートはマギファインテックのひざ元だ。
もう傷は治っている。やってやろうじゃねえか。
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