2-15ラウンド・ツー
拳には、闘気を多少込められたらしい。ライムは吹っ飛び、あおむけに倒れるところを、ロープで背中を支えられた。
「ぐっ、これは……」
口元をぬぐって、あたりを見回す。リングだ。黒く凍てついた雲の中に、ウィマルを倒した黒いリングが作られた。
『さあレアク、また魅せてくれよ!』
女悪魔がゴングを鳴らした。俺はライムに近づく。左腕は負傷したままだ。もう一度右のジャブ。
「……なんだ、こんなのか」
ライムに届かない。違う。間合いを読んでぎりぎりでかわされた。
こいつ――俺は距離を取る。
「あーあ、痛ってえな。何だよこれ、能力も闘気も魔力も使えない。でもお前もそうなんだろ」
口元をぬぐい、俺をにらむライム。隙のない構えだ。ウィマルのときと全く違う。素手の格闘を理解している。というか、相当に鍛錬している動きだ。
「レアクもくずだねー。女の子の顔を二回も殴るなんて。おかげで頭が冷えたよ。君は拳闘をやるんだったっけ。このリングは拳闘に持ち込むためなんだね」
間合いを詰めてくる。打撃か蹴りか、組打ちか。どれもありうる。
まずいな、こいつ相当徒手格闘をやり込んでいる。理由は分からんが、同格以上の相手と戦った経験もかなりありそうだ。
来る。左の打撃、と見せかけた逆の回し蹴り。
額をかすった。左腕はやられている。防御ができない。
蹴りの勢いで俺に背を向けたライム。これは誘いだ。両手を突き、伸びあがるように蹴りを繰り出してくる。これも退いてかわした。
「……あらら。ずいぶん冷静なんだ。そんな悠長でいいのかな」
体勢を起こしたライム。またにらみ合う。攻めに隙がない。
「ボクシングだったら、蹴りは反則なんだけどね。ファイトスタイルの一部って感じなのかな。このリングがどういう原理か分からないけど、ニホンのとはだいぶ違うのかな」
その通りだ。この拳闘は俺が経験してきたもの。ウィマルがろくに戦えないから分からなかったが、呪印が封じるのは書き割りにつながるチート能力と魔力、闘気だけ。もし武器を帯びていたら、それすらも持ち込めるし使えるだろう。
ライムがまた近づく。俺は下がろうとしたがローブ際。
ジャブにフック、鋭い。ジャブはかわしたが、フックを受けると重たい。日常的に鍛えているであろう、いいパンチだ。
「ほらほら、鈍いよフットワーク!」
調子付いて攻めてくる。左わき腹、右頬に受けた。痛いが前にでる。カウンター気味に返す。牙を突き刺すようにフックを入れた。
「げっ……」
脇腹から内臓を揺らす。たまらず退くライム。
ここだ。もう一度右拳を引く。次は顔面――足元がリングを離れる。
足払いだ。仰向けに転ばされた。
ライムはタックルに来た。寝技に持ち込むか。タップはない、へし折るか絞め殺すつもりだ。悪魔は動かない。組打ちも反則ではないのだ。
ならば。俺だって、ルール無用には慣れている。
右足の蹴り。突っ込んでくるライムのあごを打ち抜く。
「うぐっ!?」
たまらずよろめき、下がった。その隙に立ち上がる。
目を開けるライム。俺は接近する。体を縮めて懐に入り込んだ。
「どこだ」
「ここだぜ!」
取った。顎を砕いた感触。右のアッパーがクリーンヒット。
ライムは倒れない。顔を守ろうと腕を上げる。再び胴体にフック。
「ぐぁ……」
一発、二発。足元がふらつく。打たれ所をかばった。顔が空いた。
とどめだ。右のストレート。インパクトの瞬間拳をひねる。
完全に入った―—。
「浮かれるな……」
ぎょろりと動いた目。感触がおかしい。殴ったはずなのに効いていないのか。
拳の周りに、ぶよぶよとした液状のものがまとわりついている。これで防御したのか。
『あっちゃー、切れてきてるなあ。弱いけど戻っちまったよ』
悪魔が何か言ってる。戻った、何がって、チート能力か。
遠くでがらがらと音がする。壊れて落ちていく。黒く凍った雷や、雲が砕けている。
ここまでの戦いでも、このリング上でも。俺はウィマルのときよりはるかにダメージを受けた。呪印の能力、黒のリングが、ナイラの魔法に加わった力が、切れてきているというのか。
だから、ライムのチートが一部戻った。
「運が向いてきた、みたいだね!」
みぞおちに打撃。岩を叩きこまれたみたいだ。これは闘気、闘気まで一部戻っている。
拳闘も何もない。足元がリングから離れる。吹っ飛んで放り出される。
ぐんと、体が引っ張られた。
みぞおちになにかが引っ付いている。粘液のようなもの、ライムの体の一部だ。反動を帯びて、引き戻されていく。
「あっははははははは!」
ぼぐ。頭蓋骨と脳が混ざるような一撃。リングに叩きつけられた俺は、滑りながらロープにぶつかった。
体が動かん。意識もはっきりしない。目の前が暗い。こんなもの、拳闘で負うダメージではない。
ライムが俺を踏みつけた。憎悪に歪んだ笑みが降ってくる。
「おい、意識はあるのか、カス野郎。転生者の僕をさんざんに殴って痛めつけやがって。この世界は書き割りを持つ者が勝つはずなのに、持ってないお前が、なに必死に逆らってくれてんだ。悪魔! カウントしろ、まだこいつは死んでないだろ!」
悪魔が俺のそばに降り立つ。八百長はない。カウントダウンが始まる。
『ワン、ツー……』
ライムが俺の脇腹を蹴る。動かない左腕を踏みつけられると、息ができないほどの激痛が走る。
「うぐぁっ」
口元を踏みつけられた。悲鳴も塞がれる。
「喜べよ。お前に付き合ってやる。きちんと拳闘でKOを取って僕が勝つ。でもそれで終わりじゃない。下のゴミ共、お前の前で生きながら溶かし殺してやるからな」
サリ、ナイラ、リオーネ、それにトリックス。俺に協力してくれた者達を。
『スリー、フォー、ファイブ……』
カウントが進む。だが、もう意識を保つので精一杯だ。
「クソカスめ。僕は、転生者は異世界で絶対余裕で勝つって決まってるのに、こんなボコボコにしてくれやがって。どんな顔でりゅー君に会えばいいんだ。千人や二千人死んだからってなんだよ。僕達の書き割りは正しいんだ。僕達が居なきゃ、剣と魔法のありふれた世界なんて、誰も見向きもしないのに。僕達が、お前ら馬鹿どもに代わって、この世界を守って、導いてやろうっていうのに、なに殴ってくれてんだよ……ああああぁぁぁあっ! ちくしょうが!」
体が引っ張られた。黒い氷の中を漂う。ライムは、かんしゃくを起こしている。
「やっぱもう拳闘なんかいいや! バラッバラにぶち砕いてやるよ! レアァァァァク!」
粘液で振り回した俺の体。ばねのように、手元に引き寄せる。
拳に闘気が乗っている。まだ呪印が効いて弱まっているが、この勢いだ。食らったら文字通り頭が吹っ飛ぶ。
死ぬのか。こんな奴に、なにもかも汚されたまま。転生者に、ただ書き割りに恵まれただけの奴に。俺の生きて来た世界の全てを否定されたまま。
――嫌だ。
ふざけているのは、お前らの方だ。
こちらからすれば、あらゆる点で恵まれた、
わけのわからない力を振り回し、
右手。まだ拳は動く。
ライムが迫る。憎悪と闘気に任せて俺の頭を狙っている。最初に見せた、慎重で冷静な身のこなしを忘れている。
黒い氷が解けていく。呪印の力は数秒ともたない。だから絞り出せ、一瞬でいい。
右手を握る。上げる。体をひねる。ライムが迫る。
「はぐっ……!?」
拳が頭部に食い込んだ。俺の拳だけが刺さった。
歯と頬骨と、鼻をへし折った。
闘気と粘液の慣性。ありったけの力で俺の頭を吹っ飛ばそうとしたライム。
そのすべてを、逆に利用した。カウンターだ。
ライムのパンチは俺の頭をとらえられなかった。首と肩の間を空振りしただけ。
パンチの軌道が読めていた。ライム自身が、最後の最後で怒りに駆られ、身に付けたものを捨てたからだ。
書き割りが壊れる。ライムの意識と共にチート能力も一時的に消える。粘液が解けて吹っ飛ばされたが、ロープが俺を受け止めた。
血の塊を吐き出す。だが一歩、二歩。俺はロープを離れた。立てるもんだな。
ライムは完全に意識を失っている。リングロープが、リングそのものが、黒い氷が壊れていく。この試合も、もう持たない。
「おい、悪魔、早くしろ……」
それだけ絞り出す。
女悪魔は目元をぬぐい、ゴングを乱打した。
『KO! KOだ! レアクの勝ち! カウントは要らねえ、居ねえけど医者を呼べ!』
栄光の金属音を子守唄にしながら、俺は意識を手放した。
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