2-13雨に飛べ
俺は呪印の拳を振るった。
黒いものが広がり水塊の一部が消え去る。だが、わずかに縮んだだけ。
『効っかないよー。何十体、くっつけたと思ってるんだい』
サリの手を引いて回り込む。水塊が動いて部屋の出口をふさいだ。魔導金属との間も閉ざされる。
『無理だよ、無理無理。トリックスとの魔法の通信、僕も聞いてた。小さい魔力で聞こえないように通信するって、ウィマルがこの世界に来て最初に考え出した方法だよ。この体でも分かる。あいつを再起動させたいんだろう。ミァンが作った魔導機だからね、確かに何かできるかも知れない』
膨らんだ水塊が、テントを広げるように俺達にかぶさってくる。サリが杖をかざした。魔力が集中する。
杖の先から熱線がはなたれた。水塊を切り裂き、蒸発させて、壁を貫く。
「……うぅ」
「しっかりしろ」
魔力が切れている。いくら転生者の魔力が使えないといっても、この質量の水を蒸発させるのは、相当魔力を消費するらしい。
倉庫が蒸し暑くなるほど蒸発させたが、水塊の大きさは変わらない。むしろ膨れ上がっていく。天井の穴から次々に補充されているらしい。
『だからさー、無駄だよー。言っただろ、三日三晩は雨が降るって。さあ、じゃあ……』
水が広がる。俺とサリは壁際に追い詰められた。倉庫のものが浮かび上がる。工具、金属塊、棚。ただ濡れている物質と違って、人は溶ける。
『みーんな、骨まで僕のモノだよー! あははははははっ!』
首の高笑い。俺達を殺せることに集中したライム。今だ。
「やれ! いける!」
俺が叫んだ瞬間だった。サリが熱線で焼いた壁が、外から切り崩された。
崩したのはひものついたボール。違う。トリックスだ。接続の済んだトリックスの首と付属するパーツ。
魔導金属の塊と接触する。ライムは俺たちを追い詰めることに夢中だった。体内から魔導金属を吐き出していたのだ。
『丈夫な体で、良かった』
俺ならば傷ひとつ付けられないはずの金属が、液状化してトリックスを覆う。むきだしの補助魔力炉、メイン魔力炉、人でいう内臓と骨が金属の肉体に包まれていく。
『感謝いたします、ミァン様、サリ様。パーツも金属も、実に私となじむ』
トリックスだ。俺がそう名付けたときの自立型戦闘魔導機が、とうとう蘇った。
『なんだよ、人形なんてーっ!』
ライムがトリックスを潰しにかかる。文字通りだ。水塊の質量で押し付ける。
ごぼん。完全に覆われたトリックスだが、そこらの工具や棚と同じ。全く効かない。水塊の中からライムを見上げる。
『……人形でも魔導機でもありません。私は自立型戦闘魔導機、ナイン。あるいは、書き割りを乱す魔導仕掛けの道化、トリックスです』
腕をかかげる。背中やわき腹から枝分かれした金属が飛び出す。倉庫のライムを貫き、さらに外まで延びている。
魔法が来る。俺でも分かる強い魔力。
「レアク様!」
サリが俺にしがみつく。密着して杖をかかげる。俺も精一杯闘気を高めた。
倉庫の外で、同じように魔力と闘気が高まるのを感じた。トリックスを投げつけたリオーネの闘気と、ナイラが残りの魔力を絞り出したんだ。
防御は今できる最大。あとはトリックスが何をやれるか。
『
眩い光。雷の魔力が炸裂する。伸ばして貫いた金属の翼。恐らくあらゆるライムの変身体めがけて、トリックスから雷の龍が放たれた。
『うぐああああぁぁぁぁっ! くそ、くそおおぉぉぉっ! こんな魔法、僕の、僕の本体なら……ああああぁぁぁぁっ!』
悲鳴と共に、変身体が消し飛んでいく。不完全でも人に対しては、致命傷を与えられる変身体。だが転生者の魔力と闘気が使えなくては、魔導金属の体に精神を持つトリックスの攻撃は防げない。
『狙ってたのか、レアク……!』
顔をゆがめながら、俺を見つめるライム。ちと意地悪いが、指摘してやるか。
「まあな。お前も通信を聞いたり、魔導機について知ってたりするかもとは思ったよ。だから妨害に来られたら、サリに印を付けてもらって、リオーネに外からトリックスを投げ入れてもらうことになるなって、考えてた」
俺達が魔導金属を持っていくのではなく、トリックスを魔導金属の所に来させる。変身体に囲まれ、分厚い壁のある状態では、無理だった。
しかしトリックスには気の毒だな。まあ、元気そうだし、崩れかけの壁を貫通するほうが、直接リオーネの剣を受けるよりましだろうが。
ライムはしゃべることもできなくなった。工房全体を走る電撃が、変身体を分解させてしまった。
しゅうしゅうと蒸発した変身体。トリックスは翼を収納する。リオーネとナイラを先に引っ掛けて、倉庫の中に引き込んできた。
「……ありがとう」
『何よりだ、リオーネ。無事かい、妹よ』
「機械を兄に持った覚えはないわ。でも、助かった。正直もう魔力が空っぽで」
『魔力炉を使ってみなさい。君は立派に自立型戦闘魔導機でもある』
ナイラが自分の胸に手を当てる。心臓の代わりに埋め込まれた、宝石のような魔力炉。人間であっても、あの莫大な魔力を扱えるというのだろうか。
「トリックス様、いけませんわ。できるかも知れませんが、あくまで私は命を維持するために、あの魔力炉をナイラに埋め込んだのですよ」
サリの言うことはもっともだが。
『しかし状況が許しません』
トリックスの言う通りでもある。雨は降り続いている。外ではびちゃびちゃと音がして、変身体がまた集まってきた。天井の大穴からも、水が流れ込んでくる。もちろん、溜まった水たまりが人の形を取り始める。
結局、同じなのだ。ライムはもう、俺達と会話や駆け引きをするつもりがないらしいが、機械的に変身体を送り込んでくる。ただ殺すことに方針を変更したのだろう。そして、最初からそれが一番正しい方法だ。
『すみません、レアク。もう一度、私の全魔力を放出します。一帯の変身体を消滅させますから、その隙に皆と共になんとか逃れて』
「トリックス、お前、魔力センサーは生きてるな」
『……ええ。ライムの本体位置は正確に分かりますが、そこまで届く魔法もありませんし、何より本体は我々より強力な魔法と闘気が使えるのですよ』
「じゃあ大丈夫だ。こいつがあるだろ」
俺は拳を差し出した。呪印が黒々と刻まれていた。
「俺が鉄砲玉になる。あいつのところまで俺を飛ばせ。ここで決着つけてやるんだ」
「レアク様、それはいけません! 死んでしまいますわ」
サリの心配は嬉しいんだがな。
「やるしかないんだ。でないとライムは、ずっと追ってくる。転生者はみんな、恐ろしいほどの負けず嫌いだからな。書き割りを壊してやらないとだめなんだ」
今度こそ、直接叩き込む。元はと言えば、俺があいつをなりゆきで半端に攻撃して逃げたせいで、サリやナイラが巻き込まれてしまったともいえるのだから。
あのリングを出せるほどに、俺の気持ちは高ぶっているが。悪魔が協力してくれる気配はないな。きつそうだ。
「でも、でもきっと、何か方法が」
「お嬢様、だめだよ。レアク、行くんだね」
リオーネが俺を見つめる。こいつがそばに居ると、恐怖が薄らいできやがる。覚悟が乗り移ってくるようだ。サムライってのは立派だな。
「ああ」
「じゃあ、足場はアタシ達に任せて」
そばの棚をつかんで持ち上げる。虎の腕に乗せ、振りかぶった。
「百メートルくらいまでは飛ばせるよ」
そこからは、闘気を使って飛び移るか。
『不十分ですね。私がレアクを飛ばせるのもそこまで。上空二百三十一メートルが、ライムの位置ですから』
「そこから先は私がやるわ。二百メートルと少しまでなら、雨を凍らせて塊を作れる」
ナイラの胸が輝いている。メイン魔力炉から魔力を取り出しているのだろう。しかし、ここまでやってくれるのか。あれだけ罵倒してきた割に。
俺の生暖かい視線を感じ取ったか、ナイラの目が急速に冷え込む。
「あなたのためじゃないわ。死んで呪印だけになっても、お嬢様を守るのよ、レアク」
「分かってるよ」
無茶苦茶言いやがるな。まあこいつらしいけど。
「レアク様、みんな、どうして」
「俺も決めたんだよ。あんたが、あのタマムシで世界に行ってたみたいにな。ついでに、今のあんたなら、大量の人間を助けられると思うぜ。この後な」
ぼこぼこと泡のような音がする。壁や天井から、もはや人間の姿ですらない変身体が降ってきた。
サリが杖をかかげた。炎の渦が巻き起こり、盛大に全員を蒸発させる。魔力を振り絞ったか。
「ならば、絶対に戻ってきてください。私が一人も死なせはしません!」
炎の渦が続いている限り、ほかの三人は俺を飛ばすのに集中できる。相当な負担だろうが、サリならやり切るだろう。
「よし、頼むぜトリックス!」
俺は炎の中に飛び上がった。建物に空いた大穴の縁を蹴り、駆け上がる。
闘気を使って屋上に飛び出す。陰鬱な工房街は、ライムの雨でさらに汚れていく。
二百メートル。黒い雲の中に、あのライムが居るのだ。
ここまで俺だけの力じゃない。知恵も使った。
さて、後はこの拳に宿った女が、もう一度振り向いてくれるかどうかだ。
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