2-12水滴の海に溺れて
どうする。ライムの人格になった変身体は、転生者の力を使える。すなわち莫大な魔力による雷の魔法。そして、一撃で命を奪う闘気。
そんな変身体が四人。うち一人が入口のドアを開けた。
風と雨が吹き込み、雨粒が固まっていく。変身体がどんどん増える。
ぼろをまとった子供、足元がおぼつかず、年齢もよくわらかない数人の男女。
なんなんだ、雨そのものが変身体を形成する液体だとでもいうのか。ライムの水滴は吸い込んだだけで魔力や闘気も関係なく溶かし去ってしまう。
そうでなくたって、こいつらがいっぺんに転生者の魔力や闘気を使えば、俺達は全員まとめて建物ごと消滅させられる。
追い詰めておびえさせるつもりか。それとも、なにか一斉に動けない理由でもあるのか。
変身体たちが静かに俺たちを囲む。最初の娼婦が口を開いた。
『レアク。君が考えていることを当ててあげようか。『なんで自分たちを殺さないんだろう。一斉に攻撃すればいいのに。それとも、できないんだろうか。たとえば変身体は一体ずつしか使えないか、この雨でできてる奴は、今までに見てきた変身体より、弱いとか』どうだい?』
何も言えなくなった。考えが読まれている。ライム、いつこちらに来た転生者なのかは分からないが、戦闘の場数が違う。チート能力にかまけた馬鹿では、決してない。
娼婦からライムの声が出る。
『うん、正解だよ。両方ね。
だから、こうして喋らせるのがせいぜいか。だが。
「いけない!」
リオーネがサリに飛びついた。むきだしの肩に、つぶつぶと小さな穴が空く。
血が吹きだした。溶けたように床に滴る。
「リオーネ様……! 一体なにが」
サリは気付いてないらしい。確かに闘気も魔力も感じなかった。俺の呪印も薄すぎて反応していない。
やられたのは、刀を使える方の腕だ。ナイラがリオーネの前に立つ。杖をかざすと、魔力起こった。
小さな粒がぱらぱらと落ちていく。簡単な冷気の魔法か。雨粒を凍らせる程度の。
「しぶきを飛ばしているのよ。見えないほど小さな粒。雨粒だけじゃない。跳ね返って舞う、しぶきがここに入ってきてる……深い傷ね」
「これぐらい平気」
「そんなわけないでしょう。あなたサムライね。我慢するのが格好いいと思ってる。いいから下がって、レアクも私の周りに。あなたも味方なんだから守ってあげる」
頼もしいもんだ。ナイラ、こいつにとって味方って言葉は、わりと重いんだな。
しかし、雨は部屋に吹き込んでくる。不完全だろうと、ライムの変身体が次々と部屋に入ってくる限り、どうしてもこの場所は征服されてしまう。
『うんうん、それが正解だね。見えないほど小さい水の粒なんて、軽い魔法で凍らせちゃえばいいんだ。それにさ』
変身体が顔を上げた。びしょ濡れの体でこっちに突っ込んでくる。
俺は呪印の蹴りで顔面を打ち抜く。サリは炎を放って蒸発させた。
『お見事。そいつらはいつもの僕と違って弱い。君達程度でも簡単に倒せるだろ』
ライムの言う通りだ。だが、雨音が強くなった。風が増して部屋に吹き込む。変身体の数がさらに増殖していく。
古戦場に湧くゾンビの様だ。しかも、その全員がチートとしか言いようのない攻撃力を持っている。
満ち潮に巻かれる岩礁のように、俺達はトリックスの処置台まで追い詰められていく。
『……でも、こうなるんだよ。数の暴力ってやつさ。ちなみに、このくらいの雨なら、僕は三日三晩、降らせていられるからね。旧職人街に住んでいるのは、マギファインテックに協力しない可哀そうな人達ばっかりだし、いくら溶かしても文句なんか出ないでしょ』
変身体は、この雨でも外で過ごすしかない、みすぼらしい者達ばかりだ。俺達を殺すためだけに、そいつらを書き割りに巻き込みやがったのか。
サリとナイラだけじゃない。ただ俺に腹を立てているというだけで、ここまで平気で巻き込むというのか。
呪印が広がっていく。だが悪魔が現れた。
『……おいレアク、何する気だ』
「あのリングを出すんだ。こいつら全員ブッ倒してやる」
ウィマルと戦ったときのようにだ。発動できれば、変身体をまとめて吹っ飛ばせる。
悪魔は腕を組んで見下ろしてくる。心底軽蔑しているという感じだ。
『バーカ。怒っても今度は協力しねえぞ。相手の話聞いてたのかよ。そのあとで、同じだけ変身体が来て終わりだ、もっと賢くなれ』
その通りだ。ちくしょう、その乳、もんでやろうか。
女悪魔はますます何かを感じ取ったか、頭を振った。
『……なんか、今のお前は嫌だな。そんなんなら、べつに死んでもいいや。やる気にならねえ。いいか、知恵を絞れ。こいつには、お前だけじゃ勝てねえぞ』
呪印に引っ込んでしまった悪魔。呪印そのものも元に戻ってしまった。
「嫌われちゃったね。まあ、レアクのそういう所、直した方がいいと思うけど」
怒りを欲情で晴らそうというところ。
リオーネの言う通りだ。だが、どうする。
ナイラの魔法が強くなっていく。ぱらぱらと落ちるばかりだった水滴が、粉のようになって変身体たちに打ちかかる。今や、舞っている粒が目で見えるほどになってきた。
変身体が襲ってくる。俺は呪印の拳で胸元を砕いた。サリが炎を放って蒸発させる。
『ほらほら、外は順番待ちになってるよー』
波は退かない。途切れない雨音のように、おぞましい変身体が次々に襲い来る。
俺もサリも必死に抵抗し、十数体を倒したが、次々新手が現れる。おまけに、倒すたびに飛び散る雫が防ぎきれず、俺もサリも、あちこち穴が空いて血が流れ始める。
太い針で体中に穴をあけられているようだ。闘気でどうにかもたせるしかない。
『うーわ、血まみれー。協力しても、数に追い詰められて終わっちゃうのに。テンプレのゾンビ映画みたいだね。はーあ、ここひとつき、映画見に行ってないなあ。なんかいいのやってたっけなー』
ゾンビは分かるが、エイガってのはなんなんだ。いや、言ってる場合じゃないぞ。
あのリングさえ発動すれば、俺以外を逃がせる可能性も生まれたはずだが。悪魔の協力はもう期待できない。
この状況を覆す何かの方法はないか。悔しいが、俺だけじゃ無理なのは、悪魔の言う通りだ。
『私を起動してください』
トリックスの声だ。俺が老人の首を蹴り砕いたところだった。
『倉庫の魔導金属があればいい。この水滴は、人以外に効かないようです』
そういえば、トリックスはナイラの魔法の範囲外だ。骨組みも回線も、濡れてはいるが溶けてはいない。
「それでどうにかなるのか」
『やるしかありません。ここであなた方を、我が妹達を終わらせないためには』
トリックスターを信じるか。
どうでも、俺が無理をするより確実そうだ。
一瞬ナイラが俺を振り向く。サリと目が合った。リオーネも黙ったまま俺を見た。
三人ともトリックスの声は聞こえたな。
倉庫の扉までは、泥水にまみれた無数の腕。生気のない人の顔、顔、顔。
触られたら、骨まで溶ける。俺の呪印だけが残るだろう。
「この海に、溺れないように、か。行くぞ、サリ!」
「はい!」
倉庫目掛けて飛び降りる。右呪印のフック。左の呪印のミドル。また右のジャブ。
サリが続く。杖をかざし、二人に炎の衣をまとわせ、飛び散る自ら身を守る。
『うーん、なんでそっち……? ナイラちゃん達、やっちゃうけど』
残りの奴らがナイラ達に突っ込む。だがナイラが杖を振りかざす。冷気があふれて空気を貫く。
「なめるなあああぁぁぁっ!」
半径二メートルほどの変身体が、青白く凍結する。変身体が次々突っ込んでいくる、それらも彫像となって粉砕される。
領域を区切って、全魔力を放出しているのだ。水滴より質量が大きい変身体であっても、一瞬で凍って砕けるほど。
無論、転生者の魔力や闘気なら貫けるだろう。だが、ここに居る変身体では、それが発揮できない。
トリックスの解放まで、あれでもたせる。
俺は変身体を砕き、サリが蒸発させる。倉庫の扉にたどり着いた。
『あーあー、そんなの数秒しか持たないでしょ。なにやってんのもー、先に死ねよ』
ナイラ達に変身体が大挙して押し寄せる。姿が見えなくなった。
まだだ。魔力は感じる。トリックスに魔導金属さえ渡せば。
俺は扉を破壊した。倉庫は工房より広い。乱雑に物が置かれている。だが魔導金属の塊、二百キロあるものはどこだ。
「その棚のそばですわ!」
サリが指してくれる。闘気を全開。変身体は居ない。ひっつかんで放り投げれば――。
どおん、天井が崩落する。
びちゃあん、巨大な水塊が部屋を埋める。魔導金属が取り込まれた。
『あっははー、ざーんねーん♪
人の手足や首が混ざった巨大な水塊。てっぺんの女の首が、にやにやと俺たちを見下ろしていた。
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