2-10魔導心臓


 ライムの体がはじけ飛ぶ。工房の端の棚まで吹っ飛ぶと、水風船のようにさく裂した。呪印の黒が取り巻いている。


 液体から青い髪の女の上半身が形成。手をかかげて魔力を集める。


「レ、アク……お、前、お前えええぇぇぇぇっ!」


 鬼気迫る憎悪。もう一生分見たような、転生者の魔力。通りごと吹っ飛ばすほどの稲妻を集めているが。


 ぱしゃ。間抜けな水音と共に魔力もライム自身も散ってしまった。やはり変身体。あのときと同じようにもろい。


 呪印の流血が止まった。俺が感知できる範囲に、ライムが使用できる変身体は居ないらしい。奇襲は成功。とりあえずは計画通りだ。


「あ、あ、レアク、さま……?」


 俺は顔をしかめた。見るに堪えないからだ。


 ライムがひどい泣き顔と評したサリは、金色の髪が乱れ、マスカラと化粧も涙ではがれていた。着衣もびしょびしょになって乱れ切っている。父親が死んだことを思い知らされ、おまけに下手人から殺されるところだったんだ。


 お嬢様には、いや、誰だって混乱する。


 だが、それよりもだ。

 俺は気絶したナイラのそばにしゃがんだ。一度サリを裏切ろうとして、それでも忠義を尽くしてしまった哀れなメイドのそばに。


 エプロンドレスが焼け焦げて失われている。ボタンが布ごと消失し、その下のささやかな胸が黒く焦げて、えぐれた傷口が露出している。


 顔に手を近づける。息はしていない。鼓動は、傷がひどくて確かめようがない。だがもう、これは。


「ナイラ……。サリ、見立てはどうなんだ」


 俺が声をかけると、ぐったりとリオーネによりかかっていたサリが、目元をぬぐった。

 立ち上がってナイラの傷を診る。


「心停止ですわ。蘇生しないと」


 心臓が止まった者を蘇生だと。そんな魔法聞いたこともない。そもそもこれじゃあ心臓が損傷している。一部の魔族が死体を操る魔法はあるらしいが。


「ちょっと待て、そんなことなんかできるわけが」


「いえ。試作品の魔導心臓がございます。移植いたしますわ。心停止の影響が全身に及ぶ前に起動すれば間に合うかもしれない」


 俺もリオーネも何を言っているのか分からなかった。魔導心臓、魔導機の心臓を人の体に埋め込んで心臓の代わりにするってことか。


「先週作ってみたのです。埋め込まれた人の血管や神経を通じて、魔力を感じ取り、その魔力の拍動に合わせて綺麗な血と魔力を体中にめぐらせる装置ですわ」


 まるで宝石のようだ。微細な回路がそこら中につながれた、トリックスの魔力炉に似ている。


 天才ってのは常人に理解できない。なぜって、コミュニケーションが成り立たないんじゃなくて、作るものがあまりに高度だからだ。


『ば、馬鹿な、ミァン様以外にそんな発想も技術もあるはずが』


 “転生者のチートに驚いたとき”のようなことを言っているトリックスは完全に無視して、サリは上着を脱いだ。スカートも半ば破いて、入口の脇にかけてあった外套と一緒に床にしいた。簡易のベッドのようになったところに、重傷のナイラをそっと置く。


 カバンから外科手術の道具を取り出した。そっと触れると魔力を感じる。火の魔法で道具を焼いて消毒しているのだ。


「あなた」


『は、っはははい』


 初めて焦っているトリックス。首だけだとか、自律型戦闘魔導機だとか、魔導機が好きなら反応するべきところも気にしない。やぶでも医者なんだな。


「風の魔法は使えますか。不潔な湿気の類は私が焼きます。この部屋から、この子に有害なちりやほこりの類をどうにかしてください」


『はい、今いたします!』


 俺やリオーネのときとは全く違う態度で、風の魔法を使うトリックス。煙や金属臭を含んだ工房の空気が、一瞬のうちに清浄になった。最低限、手術の準備はできたか。


 サリは破いたスカートのすそで、乱暴に髪の毛をまとめた。俺は見ているばかりだったが、リオーネがサリに呼びかけた。


「アタシ、リオーネ。レアクの仲間の半獣人だけど、なにか手伝える? 冒険者だったから、簡単な傷なら手当の経験があるけど」


 肉球でない方の手を示す。サリはうなずいた。


「ではお願いします。刃物が使えるなら、埋め込み口を切り開いていただけるかしら。接続は私が」


「まかせて。レアク、トリックスと外に出て見張ってて」


 言う通りだな。俺はトリックスを拾うと、そそくさと外に出た。


 呪印に反応はない。ウィマルの話では、ライムは恐ろしいやつのようだが、本当に変身体を用意していなかったのだろうか。そこら中に居るって話だったのだが。


 それとも、不意を突かれたから警戒してくれたのか。


 強力な捕食者を狩るには、そいつが狩りをする瞬間を狙う。恐らくライムは、自分が犠牲者を狙うことはあっても、自分が狙われることになるとは考えていなかった。だから、あんなに綺麗に俺の奇襲が決まった。


 もてなしてくれるはずの世界だから、負けるなんて考えたことがない。そこに転生者の最大の隙が生まれるのかもしれない。


 しかし、本当にナイラは大丈夫だろうか。サリは知識や見立てはうまくとも、手術の類がからっきしだ。それをナイラが補っていたのだが。


 あと一瞬早く殴れなかったのだろうか。いや、変身体に呪印を叩き込むには、しっかりと隙を作る必要があった。失敗して全滅するよりはましだ。けれど、恐らくナイラは――。


 空を見上げる。月と星がない。急に雲が出てきたらしい。


 工房の扉が開いた。


「レアク、終わったよ……移植は完璧。こんなに綺麗で早い手術、見たことない」


 言葉と裏腹に、リオーネの口調は沈んでいた。


 工房に戻ると、サリはナイラの胸元にすがっていた。宝玉のようなものが取り付けられて、傷が綺麗に縫い繕われている。


「サリ、ナイラは」


 真っ白な顔色は、さらに蒼白。どう見ても、これから生き返るようには思えない。よく見れば、取り付けられた魔導心臓からも魔力は感じなかった。


「……だめなんです。私では、いえ、人では、適合する魔力が出せない……理論は完璧なのに、機構も、体との適合も。起動さえすれば。早くしないと、もうこの子は……お父様も、ナイラも、私から離れていってしまう……」


 奇跡ともいえる、外科手術が成功したというのに。

 終わった命は、そう簡単に戻せない。いくら特異な能力だって、定義や限界がある。チート能力じみた魔導心臓もまた、起動のために適合した魔力がなければ――。


『では、私ではいかがでしょう』


 トリックスが首と魔力炉をぶら下げて近づく。


『見たところ、魔導心臓というのは、魔導機の魔力炉と近い構造をしていますね』


「……ええ。マギファインテックの魔力炉は改良の必要がないほど完全です。魔導心臓の設計は、ほとんどその流用ですわ」


『ならば試してみましょう』


 トリックスがゆっくりと近づく。ぶら下がった宝石のようなものが光っている。魔力を感じる。ナイラの胸に埋め込まれた心臓に、にじり寄っていく、やがて重なった。


 光と魔力が走る。


 とくん。小さな鼓動が、ナイラの体に蘇った。

 どく、どく、これは確かに人の心臓の拍動だ。


 ナイラの顔色が急速によみがえる。魔力のこもった新鮮な血が、体の隅々をめぐり始めたのだ。


 まぶたが震える。唇が、わずかに開いた。


「ん……うぅ……」


 ナイラが体を起こした。サリが飛びつく。


「ナイラ! ナイラ! 良かった、良かったわ。あなたまで居なくなってしまったら、私、私どうすれば……」


「お嬢、様……私は、確かあのライムに」


 腕の中の主人をなでながら、頭に手を当てるナイラ。


『いやあ、私の魔力が適合してよかった。妹よ、私はトリックス』


「く、首っ!」


 氷柱がトリックスの頭部に命中した。氷属性の強烈な魔法だった。


 工具だなに突っ込んだトリックスの首は、今にもメイン魔力炉との接続線が切れそうだ。気の毒過ぎる。


 やっとこやら、作業用の鉄の棒みたいなものの中から、トリックスを掘り出してやる。


『うぅ、なぜこのような目にばかり……』


「そういうこともあるさ」


「お前はレアク! まだお嬢様の前に姿を現したのか」


 俺に向けられる氷柱が、真ん中から斬られた。リオーネが刀を納める。


「話、聞きなよ。レアクは、あなた達を助けに来たのに。見捨てて逃げてもよかったんだよ」


「なんだと半獣人が……!」


 魔力と闘気がぶつかりそうだ。一触即発。この二人、めちゃくちゃ相性が悪い。


「やめて! その子が居なければあなたも死んでいたのよ! レアク、あれからどうしていたか説明してくださいな、このお二人のことも」


 サリの一言で場は収まった。カリスマってのは本当にあるんだな。

 呪印の反応はまだだ。数分ならいいだろう。

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