2-8ザルダハール家に潜むしみ


 到着までに、俺が知っているライムの特徴を二人に説明した。


 水滴や霧のようになって、あらゆる者を溶かし殺せるチート能力。

 転生者特有の莫大な魔力と闘気。

 さらに、チート能力の一部として、溶かし殺した者に似た何かを作れる。これが変身体だ。

 その擬態は限りなく完璧に近いのだろう。あらゆる現象や物質、生命の魔力の流れを把握するウィマルが恐れるくらいだ。俺の呪印にしか感知できない。


「じゃあ、何とかしてレアクが不意討ちすればいいってこと?」


「変身体は消せるだろうな。ただ、それじゃあライム本体に呪印が届かない」


 サリとナイラを守って戦ったときを思い出す。ウィマルを殴って分かったが、たとえパワーゲーマーでも、呪印の拳で『書き割り』を壊せる。ライムが恨みのままに俺を追っているなら、まだ書き割りが壊れていない、つまり本体に影響がなかったことになる。


『ではレアク、わざわざあの変身体を追う意味はないのではありませんか』


 トリックスが嫌なことを言う。だが、核心だな。


『そのライムという方があなたの言う通りの存在なら、変身体を攻撃しても、本体に呪印は届かないのでしょう。むしろ、あなたがスミスポートに居ると気づかれてしまう。こちらは呪印で変身体を感知できるのです。スミスポートは凄まじい雑踏だ。変身体からうまく逃れつつ、ミァン様やジャグ様の方に呪印を打ち込むことを考えてはいかがでしょう。あなたの書き割りなら、出会うことは難しくないでしょうし』


 確かにその通りだ。


 俺は何も言えなくなった。黙っているうちに、バスは停車場についた。料金を払い、トリックスを抱えて魔導バスを降りる。


 停車場は城壁の切れ目にある。メタリア各地の街道から、次々にバスが到着し、乗客たちはスミスポートの街中に入っていく。


 俺は立ち止まった。何か言いたい。言いたいけど言葉が出ない。確かにトリックスの言う通りなのだ。


『レアク、私のことなら、ほかの工房を探してもいいでしょう。スミスポートは巨大な都市です。マギ・ファインテックの影響力が大きいとはいえ、そこから逃れた腕のいい魔導機職人や工房も、まだまだあることでしょう』


 全てにおいてその通りだ。わざわざサリ達を追う意味もない。


 立ち止まっている俺とリオーネを、通り過ぎるやつらがけげんな顔で振り向く。俺よりリオーネが目立つらしい。半獣人は少なく、しかもクォーターだからな。俺もぼろ布同然の姿だし。小さい村でバスに乗ったときは目立たなかったが、身なりの整った奴らが多くなると、どうしても際立つ。


 門近くの守衛所の奴らがこちらを見つめ始めた。次々やってくる者達を素通りさせているように見えて、その目は鈍くない。


 あいつらは変身体じゃない。だがそこから報告を受ける奴らの中に、変身体が混じっていないとは限らない。もたもたしてると、ライムの先手を取れる可能性が消えてしまう。


「……レアク、どうする? アタシはどっちでもいいよ」


 リオーネは頼もしいことを言ってくれる。悪魔は応えない。

 俺の心は決まっていた。


「……やっぱりザルダハール家を探すよ。サリとナイラを、守らなきゃならない。いつでも二人を殺せる変身体をこのままにしておけない。あの二人はサソリの毒で死にかけた俺を助けてくれた。死なせたくないんだ」


 サリとナイラを取り込みたいと言っていた、ライムのことを思い出す。あいつは自分の好みの女を殺して取り込み、そいつらになることを楽しんでいた。そういう『趣味』で二人の近くに変身体として居座っているのかもしれない。


 こうなるのを避けるため、俺は二人を突き放したというのに。


『……そうですか。なるほど、確かに恩人のお二人を守るには、変身体を倒す必要がありますね。訂正しましょう、あなたには戦いの利益があります。恩人の生存というかけがえのない利益が』


 トリックスは理解したらしい。俺も分からなかった俺自身の考えを。


『それでは、私は今私がもつ知識で、私に名を与えたあなたの書き割りに従いましょう。レアク、リオーネ。ようこそ、メタリアの誇る首都スミスポートへ』


 俺とリオーネはトリックスを背負って出発した。

 魔封大戦やら、マギ・ファインテックの興隆やらで膨張した、メタリアの首都へ。


 四交代、無休稼働の工場地帯。他大陸との貿易をつかさどる港湾と倉庫地帯。そこで働く労働者たちの住宅街。彼らに必需品や娯楽を提供する巨大な市場と歓楽街。


 金属臭のする煤煙に彩られた活気のある街を、トリックスの案内で抜けていく。俺が何度か訪れたときは、こちらの街が目的地だった。商売や仕事を探して出て来た奴らもそうなのだろう。


 変身体を警戒するため徒歩を選び、慎重に進んだ。夜も更けるころ、ようやく目的地にたどり着いた。


 巨大な城壁で囲われた中に、広い庭と大きな木のある小ぎれいな住宅が立ち並んでいる。ここには、マギ・ファインテックの一部の社員や重役、メタリアの国で騎士や貴族の称号を持つ者や王族が住んでいるという。


 ブレスドヒル、“祝福されし丘”と呼ばれる、スミスポート屈指の高級住宅街だ。


 スミスポートを見下ろすこの丘の頂上には、王城と、それと見紛うほど豪奢を尽くしたマギ・ファインテックの本社がある。世界中に別荘や地所を持つザルダハール家のサリ達も、この丘のどこかに居るはずなのだ。


 白亜の城壁は、夜の闇も霞むほどの魔導灯でついている。暖色系等の光で夜の闇に浮かび上がっていた。


 俺達は城門の近くで茂みに隠れた。


「空気が綺麗になったねー。工場の音もずいぶん、ましだよ」


『風が吹き下ろしているでしょう。この風で、有害な煙はここに来ないのです』


 リオーネとトリックスの言う通り、スミスポートの渦を巻く金属や煙の臭いはなくなっている。ずいぶん環境のいいところだ。


「問題は、どうやって中に入るかってことだな。でも工房があるようには見えないけどな」


『そうですね。ミァン様も、工房は別の場所に持っておられました。実験を砂漠で行うのもメタリアの王家との間に不要な争いを生まないためです』


 そうなると、ザルダハール家の工房は別の場所にあるのか。見下ろせば闇の中に明かりと煙が立ち上っている。あとにしてきたスミスポートの明かりだ。


 あの中にあるのだろうか。どっちを探ったものか。


「あ、門が開くみたいだよ」


『伏せてください』


 俺とリオーネが這いつくばると、トリックスが魔法を使ったらしい。らしいというのは、俺の感知では気付けないほど小さかったからだ。


『周囲の草木と同程度の魔力で我々を覆いました。簡単には気付けないでしょう』


 わずかな魔力の丁寧な魔法だ。大したものだが。


 金属音を立てて、門の扉が上に持ち上がっていく。鎖か何かで引っ張っているらしい。裏に開閉を操作する詰め所でもあるのだろう。


 門から出て来たのは、鉱山で見た銀色の馬型の魔導機。それに、引っ張られている馬車。


 誰が乗っているのか。身動きが取れず、盗み見ることもできない。

 魔導機と馬車はスミスポートに続く道を駆け下りていった。


『レアク、呪印はいかがでした』


「反応はなかった」


『ではまず、良かった。魔導機には、あなたの守りたい二人が乗っていましたよ』


 サリとナイラか。とりあえず、あの二人のどちらも、すでに殺されて変身体になっているわけじゃない。


「その二人って、ザルダハール家のお嬢様と使用人さんだよね。工房に行くのかな。もう夜遅いけど」


「そうかも知れない……うっ」


 呪印が血を吹いた。俺は顔をしかめる。閉じていく門の間から、もう一台、馬車が飛び出した。


「トリックス」


『分かっています。この方の魔力も確認しています。あのタマムシの上に、お二人と一緒におられた方と同じ。御当主のサバルク・ザルダハール様です』


 じゃあ決まりだ。これはこれで、最悪のパターンだな。


 馬車を見送り、俺は茂みから出た。リオーネとトリックスも続き、三人でスミスポートに続く道を駆け戻る。


「ライムのやつ、ザルダハール家の当主を変身体にしやがったんだな」


 ウィマルは、ライムの変身体が犠牲者の生前の記憶や人格を持つと言っていた。

 あのタズローという男は、変身体のままで、マギ・ファインテックの社員として鉱山の監督をやっていた。


 ザルダハール家の当主もまた、生前の記憶と人格を備え、サリの父親としてふるまっているのだろう。実の娘のサリすら気付けない。俺の呪印を除けば、その正体を感知することはできないから。


 目的は、サリとナイラを殺して取り込み、俺に当て付けることか。それとも、魔封大戦以前から権勢を誇るザルダハール家が、パワーゲーマーの邪魔になって掃除にきたのか。


 あるいはその両方か。


 何だろうと、止めなければなるまい。

 あの様子は、どうもせっぱ詰まっているようだ。

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