2-7通り過ぎる悪意


 砂漠は広かった。リオーネは道に詳しいが、それでも抜けるまで八日かかった。

 そこからは、荒れ地の街道を一日進んで、小さな村に着く。


 村からは、早かった。マギ・ファインテックの魔導機を使ったのだ。


 魔導バスは直線の街道を進んでいく。リオーネは窓に張り付いて外を見ている。


「ねえレアク、あれ、鳥が飛んでる! すごい、あんなに綺麗な桃色の羽根」


「あー、ありゃ魔王大陸から渡って来たのかもな。あっちで見たことがあるぜ」


 マギ・ファインテックが魔導機を使ってメタリアの街道を舗装していたのは知っていたが、まさかこんな便利な乗り物を走らせていたとは。カサギの領地は主要街道から外れていたからな。


 広い車内では、リオーネよりだいぶ年下の子供が、親に鳥のことを言っている。鉱山からの出稼ぎだと話していた壮年の男は、夕暮れの日差しの中、うつらうつらし始めた。


 車内の網棚の袋から魔力の気配。ちかちかと目が光った。


『きっとヒイロラミンゴです。一年に一度、数千キロメートルを渡る鳥です。あの桃色は甲殻類や虫を捕食した影響だそうですよ。近くに湿地帯があるのでしょうね』


 俺とリオーネは思わず周囲を警戒した。乗客や運転手は気付いていないらしい。


『……大丈夫ですよ。あなた達の耳にだけ、私の声を風に乗せています。メイン魔力炉に力があふれているので、この程度は造作もありません。魔力センサーも、破損ではなく出力不足だったようです。もう使用していますよ』


 頼もしいことだ。何も言ってこなかったってことは、異常な魔力を使う転生者のようなやつは近づいて来なかったのだろう。


 しかし、もうバスに乗って丸一日だぞ。もっと早く言ってくれても良かったのに。


『それより呪印はいかがですレアク? その、ライムという転生者の変身体や、他の転生者はまだ確認できませんか』


 リオーネも不安そうに俺を振り向く。ヒイロラミンゴの美しい群れは、夕日と共に森の向こうに消えていた。


「……ありがたいことに、まだだな」


 だが、俺には俺の書き割りがあるのだ。必ず、転生者と出会うことになる。


 村やこのバスで雑談がてら情報を集めた。俺は知らなかったが、マギ・ファインテックには二人のCEO、最高経営責任者が居る。


 一人が、転生者のミァン・ヨウク。通称“魔回路を結ぶ姫”。鉱山で戦った、あの眼鏡に白衣の女だ。マギ・ファインテックの技術顧問でもあり、自社が製造、流通させているあらゆる魔導機を設計したのだそうだ。こいつはパワーゲーマーであることが確定している。


 そしてもう一人。空がごうごうとうなった。一人の子供が叫ぶ。


「あ、ジャグ様の魔導機が来る! 窓開けていいですか!?」


 運転手は振り向かずに答えた。


「どうぞ。少し遅くしましょうか。あまり身を乗り出さないでくださいね」


 子供は喜色満面で、親にせがみ窓を開けてもらう。さっきまで眠っていた男も起き出して傍の窓を開けた。


 俺も窓を開けて空を見上げた。リオーネは網棚からトリックスの首を引き出し、顔を空に向けてやる。


 風を切る甲高い音。ごーっと空気を弾いて、なにかが震える。

 宵の口の空に小さな星が輝いている。それが五つ。不自然な赤や緑に点滅しつつ、空を流れていた。奇妙な星が、いびつな三角形を作って、そのまま夜空を滑っている。


 それはバスの進む森の向こうに消えていった。よく見ると、木々の向こうがうっすらと明るくなっている。奇妙な星の三角形はその明かりに消えていったのだ。


「なんだったのあれ……」


 リオーネがつぶやく。胸元のトリックスが答えた。


『飛行機と、マスターは呼んでいらっしゃいました。ニホンにある乗り物らしいですよ。空を泳ぐ魚のような、流線型の魔導機です。航空力学、材料工学、流体力学などなど、異世界のむつかしい学問を様々に用いて設計なさったそうです。ジャグ様はあれを使って大陸の間を移動なさっています』


 トリックスはべらべらしゃべる。


 なんでも、ヒコーキは上空数キロメートルの所を、一時間で八百キロくらいの速さで移動するらしい。朝出たら昼前に魔王大陸に到着できることになる。


 頭がおかしくなりそうだ。ちなみに、ニホンでは数百人乗りのヒコーキが何百機も空を飛んでいるらしい。狂った技術力だ。


 転生者は、本当にそんな世界から、クラエアに来て満足なのだろうか。


 さておいて、あのヒコーキで三大国や魔大陸をあちこち移動し、王侯貴族と大口の契約をまとめているのが、マギ・ファインテックもう一人の最高経営責任者、ジャグ・リトラスという男だ。

 通称“黄金の道行”と呼ばれる転生者で、彼が交渉をまとめると、当事者と周囲の全てに黄金の祝福を授けるがごとき利益をもたらすという。


 マギ・ファインテックの貪欲な成長は魔導機が便利だということもあるが、ある意味全ての産業を潰し尽くしているともいえる。それなのに問題が少ないのは、あいつの能力と『書き割り』によるところが大きいのだろう。『かかわった者全てを裕福にしつつ、商売で無双する』とでもいった感じだろうか。

 まあ、ライムのようなパワーゲーマーの掃除屋が裏で動いている影響もあるのだろうが。


 男の子が窓を閉めた。母親を振り向く。


「ヒコーキ、すごかったなあ。ジャグ様はヒコーキで空を飛んでよその大陸に行くって本当だったんだ。僕もあんな風になりたいなあ」


「うんと勉強して、マギファインテックに入って頑張って働けばなれるわよ」


「うん! きっと頑張るよ。お母さんやお父さんに、村長や領主様のところより、おっきな家を建ててあげるね!」


 母親は誇らしげにほほえみ、男の子の頭をなでた。なるほど、小さな村の庶民にも、出世のコースが開かれているのか。


 マギ・ファインテックができて、良いことずくめだな。『書き割り』のあるパワーゲーマー達のお陰だろうが。


 バスは夜の森に入り、真っ黒い木立を抜けた。開けっ放しの窓から入る空気に、焦げ臭い金属臭が混じり始めた。


「ぐるぅぅぅ、これきっつい……なに、この空気……」


 リオーネがうなりを上げて顔をしかめる。クォーターとはいえ、虎の血が混じった鼻にこの臭いは厳しい。


「おい大丈夫か」


「うぅー、レアクは平気なの?」


「鉱山やら洞窟で慣れっこだ。選鉱場や精錬場なんかこの比じゃねえ。でもどうするかな」


『適当な布を当ててください』


 トリックスの言う通り、バンダナを取り出して口元を覆うリオーネ。多少ましだろうが、これでも完全には防げなさそうだ。


「……あれ、楽になったよ」


『風の魔法の応用です。金属の粉やすすをより分け、清浄な空気を口と鼻と目の周りに集めています。私から離れなければ一週間は続けられますよ』


 正確で繊細な魔法だな。俺は魔力を感じられないし、運転手の魔道士も気付いた様子がない。出力そのものが小さいから、メイン魔力炉に魔力が戻った今ならできるのだろう。


 リオーネの耳が元気に立ち上がった。トリックスの首にほほえむ。


「ありがとう」


『いえ。貴女の繊細な感覚が私とレアクを救うこともあるでしょう。この街で、何があるのか分かりませんからね』


 そうトリックスが言ったときだった。どどど、と地面全体が揺れる。バスもがくがくと振動した。どうやら慌てて街道の左に寄ったらしい。


 がちゃがちゃと不格好な金属音。開けっ放しの窓から後ろを見ると、真っ黒い巨大な虫が近づいてくる。


 虫、いや。あれも魔導機だ。形は前に見たタマムシと同じだが、ずいぶん不格好で、装飾はなく、ペイントも黒一色だった。


 ガチガチと乱暴に多脚を鳴らして、巨大な車体が街道を突っ走っていく。

 虫の背中に誰か乗っている。藍色の地味なドレスを着て、車いすを押す金髪の女性。そして、その女性の肩に手を置く、脂ぎった男。


 女性の方に見覚えがある。あの金髪、高慢そうな瞳。


「サリ。車いすのは、ナイラか……」


 あの二人だ。俺が置いていったあの二人。

 その肩に手を置いている脂ぎった男だが、あれはサリーナの父親であり、有名なザルダハール家の現当主だろう。『人道の天使』に描かれていた挿絵とよく似ている。


 魔導機はバスを追い越し、スミスポートめがけて一直線に進んでいった。


 ウィマルの言った通り、ザルダハール家はこの首都にも進出していたのだ。


 それよりも――。


『レアク、その手は』


「……血が、出てたよ」


 二人の言う通りだった。

 あいつらが近づいて、呪印から流血したのだ。

 今はおさまっている。あの魔導機が遠ざかったからだ。


 もしもウィマルを信じるなら。ライム以外に巧妙な別人を作れるやつが居ないというなら。


「ザルダハール家に、変身体が居るのか……」


 あるいは、サリとナイラ。俺が逃がした二人のどちらかが、すでに殺されて入れ替えられてしまったというのか。


 確かめなければ。あのライムと再び、戦うことになるだろう。二人のどちらかを溶かし殺したというなら、拳を見舞ってやらねばならない。


「レアク」


『レアク』


「……あのタマムシの出来損ないを追う。ザルダハール家を探すんだ。サリーナ・ザルダハールを。ライムの変身体が居るはずだ」


 早速、次の書き割りが始まるらしいな。

 しかし、トリックスの修理はどうすりゃいいんだろうか。

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