2-6敗者の余裕


 呪印でできたリングは何だったのか。分からない。


 だが、なにかが失われている。


 何が失われたか分からないが、息が上がっている。すさまじい動悸がしやがる。


 やっぱり無理だ、もう何もできない。悪魔もいつの間にか消えていた。というかなぜバニーガールだったんだろうか。


 ウィマルも動けないらしい。闘気の乗らないパンチでも、殴られ慣れていなければ軽減する方法が分からない。顔面はあちこち骨折、鼻も口も切って血をだらだら流し、脳しんとうも起こして、意識は不確かだろう。


 リオーネが無言で刀を抜く。砂漠の日の光に、海雪の波紋が無残にきらめいている。自分を侮辱したウィマルの首を、はねる気だ。


「よせよ……」


「レアク!」


 俺ごと斬りそうなリオーネを見つめる。言葉が出しにくい。どうにか話を続ける。


「こいつはな……ローブを脱がなかったんだ。無様でも、弱くても、俺と力いっぱい戦った。リングで倒れるまで戦ったんだ」


 あとは、分かるはずだ。女でも、サムライだというのなら。


 リオーネが黙って刀を納めた。ウィマルを仰向けに寝かせると、気道を確保してやる。血は詰まっていなかったらしい。呼吸はできているようだ。


 ウィマルがわずかに目を開く。リオーネがまぶしく見えるのだろう。


「はん、へは……」


「あなたが卑怯者じゃなかったから。アタシがサムライだったことと、レアクが拳闘士だったことに感謝してよ」


 俺達を魔力分解するつもりで来て、この結果。助られるということは、プライドに応える。


「ち、ひ……ょう……ひん、ひら、め……」


「砕けたアゴで、悪態付けりゃ上等だ。お前は根性なしじゃねえよ。誰か助けに来てくれるのか」


「……はぶ、ん」


 その言葉通りだった。突風が吹いた。

 地平線のあたりに、なにかが転がっている。丸いわら束みたいなもの――こっちに来る。


 リオーネが俺を抱え、トリックスを拾って飛びのく。


 転がって来たのは枝の塊。乾いて白っぽい茶色になった枝だ。ただし、大きさは数メートルもある。そいつが砂漠を転がってくる。


 ウィマルのそばで止まった。魔力も闘気もないが、枝の先に小さな種が実る。種が乾燥した砂に落ち、芽吹く。芽の先端から、褐色の肌に銀色の髪の女が現れた。


「はーい! “誘い癒す緑”、グリューネ・プランターよーん。今日は砂漠のタンブル・ウィード仕様、魅惑の褐色肌でーす」


 なんだ、こいつは。長い脚に滑らかな胴、膨らんだ胸元をきわどい衣裳とベールが隠している。情熱的な砂の精霊って感じだが。


 パワーゲーマーだな。呪印からまた血が出ている。ウィマルの負傷を察知して助けに来たってわけだ。方法は分からんが、お互いの体や心の状態を共有しているのかも知れない。


「あなたが話題のレアクさんね……ってウィマルちゃん! しっかり!」


 助け起こすと、顔の傷に手を当てる。指の間から瑞々しい緑の葉が現れた。あれは安価な薬草の一種だ。当てて寝ていれば、傷の治りが早まる。


「こんな、ひどい目に遭うなんて。待ってて、すぐ治るわ」


 傷が輝いている。回復魔法か、いや、魔力を感じない。だが薬草にこれほどの効果はないはずだ。


 グリューネというこの女、植物から現れたり、薬草を作ったり。植物を使役するチート能力なのだろうか。だとすれば、カサギと似たような能力だが、その程度でパワーゲーマーになれるというのか。


 ボコボコになったはずのウィマルは、みるみるうちに回復しきった。異常な回復速度だ。


「さあ、これで大丈夫よ。痛かったわねー。お姉さん怒っちゃった。こんな奴ら私たち二人で、一気にやっちゃおう」


 砂の中に魔力の気配がする。水の一滴も感じないような砂漠の真ん中なのに。しかも、強大な魔力。ミァンが山を出現させたときのようだ。


「……やめてくれ!」


 ウィマルの一喝に、グリューネが動きを止めた。リオーネは刀を抜いていない。この事態を読んでいたのか。


「で、でもあなたを負傷させる奴なんて、この世界の秩序のために見逃せないわ。私の感情だけじゃないの。反逆者レアクに対して、脅威を感じたらそれぞれの判断で自由にしていいって円卓で決まったし」


 そうだったのか。円卓ってのでパワーゲーマー達は方向を決めて動くというのか。


「そうだ! だけど、だけど、今俺の目の前でこいつは殺させない。どんな理屈でも無理だ。グリューネさんと戦ってでも、止める」


 気の毒なグリューネは、戸惑ってきょろきょろしているばかりだ。ウィマルが立ち上がる。ローブをはたくと、マントのようにはおった。


「俺はさっき、レアクに拳闘で負けた。だから自分を鍛えようと思う。また拳闘して勝つまで、チートで勝つことはしない。俺が、もたもたやってる間に、みんなの誰かがこいつを殺すなら、もうしょうがないけどな」


 鍛えるか。あんなへなちょこパンチしか打てないやつが。厳しい拳闘の修行をするって言うのか。

 小さな書き割りを感じる。ウィマルは、『極め尽くした魔法で無双する』ことから、『全く適性の無い拳闘の修行をする』ことになってしまった。


「えっと、何を言ってるの。ウィマルちゃんが負けるなんて。それなら、絶対にここでちゃんと殺さないと」


 言いかけたグリューネの眼前で、ウィマルは膝をついた。頭を下げる。意外と童顔に見えるが。転生者は年が分からない。


「グリューネ、助けてくれたのは礼を言う。だけど、今日は、今だけは引いてくれよ。こいつを殺さないでくれ。でないと俺は、ずっと負けたままになっちまう。それは絶対に嫌だ。それぐらいなら、今ここで俺自身を分解して砂漠に還る」


 細い前腕の一部が消える。リンゴをかじったようなへこみから、血が噴き出す。筋肉と血管を一部だけ魔力に還したのか。


 腕の一部がえぐれたら、相当な痛みだろう。脂汗を流しながら砂漠に手を突き、懇願するウィマル。数分前とは別人だ。クズ野郎ではなく、負けを背負ったいっぱしの男になっちまった。


 グリューネは小首をかしげる。ウィマルをしげしげとながめると、しゃがみこんで肩を叩いた。


「……分かったわ。よく分からないけど、みんなのお姉さんとしては、男の子のまっすぐな気持ちには、分かったって言うしかないみたい。今日は帰るだけにしましょうね。僧院のみんなも、エルフの森のみんなも、あなたを心配していたし」


 ウィマルは立ち上がる。ローブのポケットを探った。


「ああ……転移魔道具、忘れちまったよ。ごめん」


「お姉さんのがあるわ。何があったかゆっくり聞かせて。ね? それじゃあ」


「待ってくれ。おい、レアク。そのポンコツ出せよ。首じゃなくて胴体な」


 リオーネが俺を見つめる。信用するのか。こいつが見せた勇気は真実だし、今この二人と戦いになったら、リオーネも俺もやられちまう。


 信用しよう。俺達が殺されるってことじゃなく、こいつの勇気の方を。


 リオーネがトリックスの胴体を投げ渡した。ウィマルは風の魔法でそれをふわりと受け止める。手を当て、念じた。


 巨大な魔力の胎動。トリックスの魔力炉に魔力が再び宿った。あのすさまじい爆発で、完全に放出したはずなのに。


「メイン魔力炉に俺の魔力を補充した。そこだけは壊れてなかったからな。あとは回路とサブ魔力炉を修理なり作るなりしてやれば、そのポンコツは動くぜ」


 魔法が得意ってことは、魔導機にもある程度通じているということなのだろうか。ウィマルは続ける。


「といっても、あんたと虎猫娘じゃ、どうにもならねえだろ。スミスポートの、ザルダハール家の工房に持ち込んでみろ。分かってると思うが、マギファインテックには行くなよ」


 CEOのミァンが直接実験していた魔導機を奪ったのだ。行くわけがない。


 ところでスミスポートとは、このメタリアの首都だ。砂漠を南西に超えて、荒野の街道を進んだ先にある大きな港町。マギファインテックの本社と工場がある。ザルダハール家なんて、進出してたっけか。


「一体どういうこと? なんでアタシたちの味方を……」


 言いかけるリオーネにウィマルが手をかざす。魔力の塊がその体を取り巻き、失われた小手と胸当てが再生した。今度は青色だ。似合ってはいるが。


「これ……」


 リオーネは戸惑うが、ウィマルは涼しい顔で言う。


「魔法の防具だ。俺が嫌いじゃなければ使ってくれ。あんたも俺の首をつなげてくれただろ」


「え、でもサイズなんでぴったりなの」


「一度あんたの体をつかんだ。女の体はそれで大体分かるんだ、虎猫娘ちゃん」


「ッ……礼は言わない。でも、ないと困るからもらっとく」


 リオーネは顔を赤くしてにらむ。あらあら、とグリューネがほほ笑んだ。


 ウィマルは再び俺に向き直る。


「最後に言っとく。ライムの変身体に気を付けろ。あれはそこら中に居る。溶かされた人間の人格と記憶も持ってるから、最高にタチが悪い。レアク、お前のしでかしたことで一番やばいのは、ミァンや俺と戦ったことじゃなくて、あの女を怒らせたことなんだ。あいつとサラマットが、俺達の中で普段の掃除を担当してるんだからな」


 掃除。邪魔者を片付けて自分達の勢力を確保するという汚れた隠語。世界の支配は綺麗ごとだけで出来はしない。


 ライムのやつか。血眼で俺を探していることだろう。しかし変身体か。呪印でなければ、識別はできないのだろうな。

 首都スミスポートには雑踏がある。俺はほぼ変身体に見つかるだろう。ライムは俺を殺しに来る。


 グリューネが細い目を開いた。


「……ウィマルちゃん、もういい加減にしないと」


「ああ。じゃあな、拳闘士さん。九割九分無理だろうが、殺されないことを祈るぜ。でないと俺があんたを殴れなくなる。グリューネ、頼むよ」


「任せてちょうだい」


 グリューネが黒い玉のようなものを取り出す。魔力が放たれ、二人を包み込んだかと思うと、闘気も魔力も完全に消えた。


 砂漠の静寂が広がる。リオーネが海雪の柄から手を離した。


 本当に、奴らは帰ったのか。俺は拳で、生を拾ったってこと、らしい。


『……自然魔力のチャージ完了。おはようございます。レアク、リオーネ。ここは死後の世界ではないのですね。転生者はどうしました。おお、私のメイン魔力炉になぜ魔力が!?』


「拳闘士がやったんだよ。パンチより、魔法が得意な奴だ」


 のんきによみがえった片目のトリックスの首に、苦笑で応えた。

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