2-4黒いゴングを鳴らして
悪魔は呪印になっている。今、俺を助ける偶然は起こりえないだろう。トリックスのときのようなことは起こらない。
そのトリックスの首を踏みつけ、リオーネの動きを封じて。ウィマルはこちらに話しかける。
「俺は、あんたの理由が知りたいんだ。レアク・アルタイン……だったよな」
「なんで俺の名前を」
「……いろいろあるのさ。世の中ってのは便利なもんでな。情報収集のチート能力がなくても、そこそこ偉けりゃ、非正規冒険者の名前や経歴のひとつふたつ簡単に分かる。それはいいだろ、聞いてるのは俺だぜ」
トリックスの髪の毛が半分ほど消え去った。リオーネの小手が地面に落ちる。金具だけを消し去ったんだ。
質問を待つしかない。ウィマルは俺を見下ろすように言った。
「なぜわざわざ俺達に、パワーゲーマーに逆らう?」
それが書き割りだから、という言い訳は浮かんで消えた。ウィマルはにやにやしながら続ける。
「いいじゃねえかよ、べつに。俺たちは俺たちで、魔王を倒して平和を作った。俺が言うのもなんだが、魔王は本当にすさまじかったぜ。三大国だって、魔封大戦の前は普通に戦争してたのを、俺達があれこれやって、今の姿にしてやったんだ。まあ、マギ・ファインテックを成長させるために、大陸間の貿易が必要だったからってのもあるんだが」
歴史の授業で習ったが、二十二年前の魔王の出現までは、三大国と呼ばれるサラスもジュベルナもメタリアも、何度も戦争を繰り返していた。
それが、魔封大戦で団結して戦ったことにより、貿易や法律に関する協定が結ばれたのだ。パワーゲーマーが平和にしたからこそ、鉱山から出た俺が、世界中をふらふらできたともいえる。
「俺は、俺の書き割りを始める。呪印を授かって」
「それだよ。誰がお前の書き割りなんか、求めるんだ?」
俺自身、考えたことがないといえば噓になる疑問だ。
ウィマルはまくしたてる。
「俺達の強い書き割りは、端的に言って求められてる。神話、伝承、歴史の英雄、みんな強い。勝つってことに安心がある。だがあんたはどうだ。あんたみたいな、この世にあふれるショボい一般人が、同じショボい一般人の書き割りを望むと思うか。善行でも、人殺しでも、金稼ぎでも、荒淫でも、無双でも、とにかく凄まじく抜きんでた書き割りが見たいってのが人情なんだよ。あんたは主人公に不適格だ。ついでに言うと、俺は、殴り合いが嫌いだぜ」
それでも、と続く言葉が浮かばない。俺を誰が評価するだろう。この俺自身さえ、俺を見捨てていたのに。
「俺が気になるのは、それなのに、あんたがあんたの書き割りにこだわる理由だよ。こんなポンコツを作ったり」
トリックスの首を踏みつける。まだ意識は戻っていないらしい。ばちばちとどこかの回路が爆ぜた。
続いて、リオーネの腹を撫でる。今度は胸当ての金具が消えた。
「この半獣人みたいに、どっかの頭が悪いやつが考えたような、エロゲ転生者の使い古しヒロインに寄り添う理由ってなんなんだ? 俺には分からねえ。だから知りたい、それで円卓の後で、いち早くあんたを探しだしたわけさ」
事実と論理が狂暴に追い詰めてくる。こいつは、ウィマルは、とことんまで全てを自分の中でしか考えていない。
こいつ、こいつに分からせてやるには。
殴るしかない。拳が固まる。呪印が広がっていく。
殴りたい、こいつを。黙らせてやりたい、俺の拳で。
「……答えられないか。ま、そうだろうな。思った通りだ。俺があんたの立場でも、理屈を考えるのは難しいぜ。そうだな、俺があんたなら、死にたくねえから、まず真っ先に、俺たちに這いつくばって助けを乞うね。こんなポンコツや、中古女を捨ててでもな」
この野郎の顔面。アッパーか、腰の入ったストレートパンチで――。
呪印が広がる。移動するのではない。俺の腕を埋め尽くしていく。初めての変化だ。疑問を怒りが塗り潰す。
「チンピラのあんたが戦う理由を、事実ベースで論理的に知りたかったが、殴り合いやってたやつの言語能力の低さを甘く見たね。すまねえ、すまねえ。詫びだ、確実にこの世から、おさらばさせといてやるぜ」
俺を見つめるクズ野郎の視線。
急に息が止まった。なんだ、必要なものが、全く入って来ない。苦しい、なんてもんじゃない。一体これはどういう――。
周囲の砂が俺を囲む。半円のドーム状に覆い尽くし、頑丈な岩の塊に変化する。これは魔法だ。魔力を感じる。
だが、この強さは。ミァンが地殻から山を作ったときと同じほどの凄まじい魔力が、俺の周囲に凝縮されている。ここまで自在に魔法を扱えるのか。
『あんた自身には
空気を分解しただと。空気のない場所なんかあるのか。だが、目が霞んでくる。指一本どころか毛穴すら開かなくなっている気がする。生きるのに必要な体の機能が、完全に停止している。
力が抜ける。砂が俺の顔面を迎えた。
『この声はあんたの耳に空気ごといれてやってるんだ。ついでに、パンチで脳細胞が吹っ飛んじまってるあんたに、分かるように言ってやる。酸素がないと生物の体は動かない。呪印の拳を振るうどころか、そのために命令を出す脳も、動かす手足に血を送る心臓も、どうしようもない。そのまま命が終わるまで、あんたは無力を自覚しながら窒息するしかないんだよ。ちなみにそこに空気がねえってのは、ただの結果だから、呪印でどうにかなるもんじゃないよな。違うならどうにかしてみな、悪魔さんよ』
呪印が触れた部分だけ、チート能力や闘気や魔力を消す。ミァンが解き明かした呪印の限界のことを、最大限利用してやがる。
こんな、馬鹿な。こんな奴に、いきなり、俺の書き割りは終わらされるのか。
いやだ。絶対に、いやだ。
理屈なんぞいらん。このクソ野郎に打ち込むまでは。この野郎の書き割りを粉々にしてやるまでは、膝なんぞ――。
「……っ……」
叫んでいるつもりが、声も出せない。トリックスに後から教わったが、空気がないと音も伝わらない。声帯の震えなどなんの効果もない。
霞む目に俺自身の身体が映る。呪印の黒は腕を埋め尽くし、胴体に入ってさらにもう片方の腕まで。
何か起こるのか。悪魔は答えない。だが起これ。今起こらなければ、俺の書き割りなんぞ無価値だ。代償がなんでも構わん。
「お、おおおおぁぁぁぁぁぁつ!」
声が出た。俺の体から黒いものがあふれた。
ドームが崩れる。砂が吹き飛ぶ。黒いものが沼のように広がる。
「うおっ、何だこりゃ。あっ!」
ウィマルが取り込まれる。呪印から生まれた黒いものは、トリックスとリオーネは外に弾き飛ばした。
俺は精一杯空気を吸った。えらく清浄だ。ウィマルは砂ぼこりまで消してくれた。分解が解除されている。
黒いなにかは俺とウィマルだけを乗せて、四角い台のようなものを形成する。台がせり上がっていく。四隅に柱が現れ、ポール同士が紐状の黒で連結されていく。
「ああ、なんなんだよ、おい?」
理解の追い付かないウィマル。だが俺には分かった。
これは、リングだ。
殴り倒せば、いいということだ。
ポールの上に女悪魔が現れた。
黒いハイヒール、フィッシュネットストッキング、ハイレグのレオタードにウサギの耳。手には黒いゴングと槌。
転生者が輸入した冊子で見た。ニホンでやってるボクシングに出てくる、美しいラウンドガールの姿だ。
『へへっ、ほらラウンド開始だ!』
ゴングが鳴る。俺は駆け出す。
「こいつが俺の、答えだッ!」
今度こそ、ストレートパンチの甘い感触。
ウィマルは防御もままならない。歯と鼻と、ほお骨をへし折る。
「はぐっ!?」
悲鳴と血を吐き出すウィマル。
お利口なクズ野郎の書き割りに、大きなひびが入ったのだった。
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