1-16悪魔が笑う


 しゃがみこんだ。一人、心の中に沈んでいく――。


『おおい!』


 聞いたことのある声。呪印がびくんと跳ねた。拳に心臓が増えたようだ。黒いあざが広がって、腕全体を埋め尽くす。黒いものが、俺の体から飛び出した。


 ぎざぎざの歯、鋭い目。黒い炎が燃え上がるような長い髪。

 鋭い爪のついた両腕を組み、自分の胸元を押し上げる。


 四年ぶりの再会だ。こいつは、俺に呪印を植え付けた女悪魔。


「……なんだよ」


 まだ居たのか。『俺の中にいる』と言って呪印の中に消え、それから四年も出てこなかったから、ただの能力になって消えたかと思っていた。


『お前なあ、いつまでも一人で、何やってんだよ。いつ、お前の書き割りが始まるんだ、なあよう!』


 ぐい、と詰め寄ってくる女悪魔。俺は目をそらした。


「でも書き割りなんて、俺には」


 存在しない。ただ、転生者とぶつかるだけ――女悪魔が俺の顔をつかむ。一気に顔を近づけてくる。不思議な匂いがする。癖のある美人だ。


『違う! 書き割りは、転生者だろうがこの世界の奴だろうが誰でも持ってる。あのバカ神が好き勝手に作って転生者に与えてるやつが、大き過ぎてつぶれちまうだけなんだ! お前、気付いてるだろうが、リオーネに出会ったときに!』


 リオーネ。俺のために、俺なんかのために転生者に挑んでくれた、勇気ある半獣人のサムライ。あいつは確かに、あいつの書き割りを持っていた。弱く小さかったが、二人もの転生者に挑んだ。


『お前は、お前の書き割りを始めるべきだ。アタイはお前の中に居るんだ。あのときから、すぐ始めりゃよかったんだ! なのに、なのにずるずるぐだぐだ、三年も……』


「なんで泣いてるんだ、お前」


 四年前。書き割りによって現れた魔物に襲われ、怯える俺の眼前に現れた女悪魔。

死と絶望に怯える十五歳の少年に、ぎざぎざの歯をにっとむき出し、蠱惑的な肢体を揺らして、もったいぶってこの世の仕組みを教えた女悪魔。


 つんと上向いた胸元の二つのふくらみのように、自信をみなぎらせていた顔が、今は涙に揺れている。


『……辛かったんだよ! お前を見てるのが。呪印になって宿ったときから、アタイはお前の心でもある。ここに来るのが思い出すのが、どれだけ辛かったかも分かるから。でも、だから来たんだろ、一人で。お前どうしたいんだ。あんな転生者たちを、お前からリングを奪った奴らや、パワーゲーマーみたいな奴らを』


 全裸を闇で隠すようなイカれた格好だからか、気にしていなかったが。二十歳過ぎくらいだろうか。こいつは俺のために傷つき、泣いている。


 鉱山を出てからの三年。ごみのような生き方をしてきた俺のために。


 知らず、拳が固まる。思いだす。無残な廃墟になったこの場所で、拳を振るった俺の熱さを。


 どおん、という爆発音。山がびりびりと揺れた。振り向くとモンス・オールの町の入り口。ただでさえ傷み切っていたがれきが、崩れた。


『な、なんだ』


「転生者だよ。俺の書き割りだろ」


 女悪魔の根元にある呪印が痛む。こいつは、ライムやあの赤髪の男と同じほどに強い書き割りだ。


 悪魔を見上げる。この視点だと胸が強調されて嬉しい。ぱっと見、細いのに。


「お前が出てきて、俺は強くなったのか。呪印でできることは増えたか」


 悪魔は申し訳なさそうに背中を丸める。俺を見下ろしているはずが、まるで上目づかいのようだ。なんというか、悪魔のくせにギャップのあるやつだな。


『特にないんだ……ごめん。とにかく、お前になんか言ってやりたくて出て来ただけだから。あ、あの、でも一応さわれるようになったし、お前年上が好きみたいだから、アタイできるだけ』


 確かに、サリの代わりになりそう――あほか。


「そんだけ、心配かけちまったんだな。いいよ。また会えること祈っとけ。これから、俺は死ぬかも知れないからな」


『うん……』


 悪魔が引っ込んだ呪印を振り上げ、俺は駆け出した。闘気は使わない。俺の思い出を壊そうとするやつを、ぶん殴るために残しておくべきだ。


※※ ※※


 廃墟だろうが一年いた町だ。通りを走って現場に出た。


「なんだこいつら……」


 廃墟のあちこちに、人のような奴らが居る。


 人。奇妙な奴らだった。滑らかな銀色の髪に、絵本の騎士のように整った凛々しい顔。真っ赤なマントと、均整の取れたしなやかな体。体の方は性器のない男の裸のようだが、完全に金属だ。


 十人いる。五対五に分かれ、建物に隠れながら、棒のようなものを向け合って、魔力の塊を放ち合う。


 あれはたぶん、ジュウとかいう武器だろう。転生者達が知っているものだ。


 転生者達の故郷である、ニホンという異世界では、魔力も闘気も持たない奴らが、あれを使って何十人もの人間を殺すそうだ。本来、火薬で鉛の弾を飛ばすらしいが、あいつらが使っているのは魔力の弾を放っている。魔導機だろうか。


 魔導機といえば、こいつらそのものが、恐らく――。


 一人が俺めがけて首を回した。機械、というか、人形に見られているような気味の悪い感じがする。


『オートゥ・ナイン、イレギュラーを検知。警告します。あなたはマギファインテック社のランクA実験領域に踏み込んでいます。ゾーン外へ離れてください』


 大体読めた。こいつは、人間をかたどった魔導機だ。マギファインテック社で開発、実験中のやつだろう。一般に流通しているものとは技術段階が全く違うようだが、本当にすごいものは売らないというのは、ありうる。


 だが、俺に出て行けだと。思い出に浸ることすら許さねえってのか。


「出て行けってのはこっちのセリフだ。気色悪い人形ども。その気味悪いツラ、殴り壊されたくなかったら、これ以上町を壊すんじゃねえよ」


 威圧的に言いながら考える。俺はまだ攻撃されていない。この魔導機たちが命令を口に出しながら動いているんだとすると、攻撃の判断をしている段階だ。関係ないやつを戦闘に巻き込まないための機能だろう。


 五対五の軍勢を指揮しているらしい機体。銀色の前髪に、一筋の黒髪が混じった奴らが会話を始めた。こいつらがリーダーか。


『リーダーワン、リーダーツー、敵性判定プロセスを行います……廃鉱山周辺の人口データ参照、一般市民の居住なし。イレギュラーを盗賊類似と判断します。各機、治安維持モードに』


「そうかよ!」


 闘気を放つ。最初に俺を見つけた奴に迫る。

 反撃の気配がない。隊長機の言い方からして、俺を攻撃する寸前だったな。


「ふっ!」


 ストレートパンチの甘い感触。優男じみた魔導機のツラを、呪印の拳で殴り抜ける。


 書き割りを壊した感覚。間違いない。こいつらは、転生者がチート能力で作った存在だ。

 果たして、俺の殴った機体は頬を歪ませて転がっている。俺の本来の闘気だけなら、こんな硬い奴、拳の方が壊れてしまう。呪印のおかげで通じたのだ。


 俺は闘気を全開にして飛びのく。廃墟の壁を背にしたが、攻撃されない。残りの九機はジュウも向けない。止まった。まったく、完全に彫像のように。


 たとえば、一機がやられたとき、停止して持ち主の判断をうかがうような命令でも受けていたのだろうか。はたして、町の外から足音がした。


 誰かがばたばたと走ってくる。地上でも引きずりそうな長い白衣のすそ、ブーツにむき出しの細い脚、ももまでのニットの胸は平坦。これだけだと男か女か分からん。


「え、え、あれあれ、どういうことなのかなあ?」


 くせのある言葉づかいだ。なんというか、こっちのことをうかがいながらしゃべっているような。しかし、声からして女だな。


 黒く長いみつあみの女。眼鏡をかけている。


「ちょっとちょっとプリンス君たち、なんで強制停止プログラムに入っちゃってるの、おーい、しっかりしてよー。そんでさ」


 俺の周囲に魔力が巻き起こる。呪印が血を噴いた。魔導機たちの書き割りの主は、こいつだ。


 足元の砂と廃墟の岩が、無数の鎌となり俺を取り囲む。この魔力。俺の全力の闘気でも細い草のように刈られてしまうだろう。


「……あなた、一体なんなの。プリンス君に、私の推しに、なにしてくれたのかな?」


 俺に殴られた魔導機をなでながら。

 転生者は敵意のこもった目で、こちらを見つめる。


 俺は壊された廃墟を見つめた。町一番の女を覗くために、足をかけていた窓を、一体の魔導機が踏み壊している。


「てめえらのくだらねえ書き割りを、終わらせに来てやった悪魔サマだ」


 敵意を込めて、笑顔を作る。 

 サリやナイラのように、女だろうがぶん殴ってやる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る