1-15拳の始まった場所
砂漠の明け方。夜の冷気と昼の熱さが混じり合い、気温差は岩や砂にしずくの恵みをもたらす。
人も虫も獣も殺す渇きの力が、ほんの少しだけぬるんだところに、おれは足を踏み出した。
リオーネはまだ小屋で眠っている。作ってもらった虫肉のくん製を、これも縫ってもらった皮の袋に入れて背負った。
俺は俺を見つめ直す。三年前、俺のせいで崩壊した、あの廃鉱山を目指す。
湧水をくんで戻ってくると、リオーネが外に出てきていた。会わずに出ていくつもりだったんだがな。
「レアク、行くの」
「ああ。いろいろありがとうな」
あれから、俺の事情は一言も話していない。ただ一緒に食事をして、男女の関係もなにもなく同じ部屋で眠っただけだ。
なのに、リオーネは俺を見つめる。
「戻ってくる?」
俺は押し黙った。約束、約束なんて持ちかけられるのは、一体何年ぶりだろう。転生者との因縁を背負う奴に、約束できることなどないから。
だが、リオーネには、こう言ってやるべきだ。
「……お前の、そのサムライの刀に誓ってやる。必ず、戻る」
どうするのか、まだ具体的なことは分からない。けれど、リオーネを連れて行くことだけは決めた。
リオーネは俺の袖を離した。刀をかかげ、刀身をわずかに押し出す。美しい刃紋を見つめ、かちりと戻す。
「わかった。この海雪は、父様の刀。青と白が混ざり合って溶けていくように、この刃と技は何者にも染まらない。あたしと、レアクの約束も、変わったりしない」
ただ一緒に食事をとっただけの俺に、リオーネはそこまで。
俺の腹ほどの背丈しかない小柄な体。虎の耳の生えた頭を、そっと撫でる。
「ありがとよ、またな」
闘気を放ち、砂漠を駆ける。目標は、村を出てから、俺が一年も長居した、あの廃鉱山だ。
※※ ※※
俺の本来の生まれは、ジュベルナの国の北部辺境だ。そこで十五になるまで育った。
呪印を授かり村を出て、行き着いたのはこのメタルス。とにかく自分の知り合いがいる場所を離れたかった。
今から四年前のこと。当時はまだ、マギファインテック社が今ほどに大きくなっておらず、このメタルスの各地の鉱山も、領主たちが運営していた。
坑道に潜って採掘し、それを地上に運び出して。選鉱し、破砕し、精錬する――。多くの工程に多くの人出が必要とされていた。
メタルスの首都まで出たはいいが、ふらふらしていた異国の少年が、雇い入れられてもおかしくなかった。
リオーネに印を付けてもらい、地図を参考に闘気で走ること二日。
水や保存食がまだ余っているが、俺はその廃墟の入り口に着いた。
「モンス・オールにようこそ……」
立札の文字はかすれている。覚えているから読めるだけだ。最新の地図には描かれていない廃墟、それが俺の一年暮らした街だった。
赤茶けた台形の岩山の間に、労働者の住居や、日用品の店、選鉱場、芝居小屋などなどがたたずんでいる。
ポルド伯領、モンス・オール。四年前は銅山、それを選別し精錬する工房を備え、人口は確か、二千人にも迫る、ちょっとした鉱山町だった。
今は、見る影もない。割れた路面、朽ちたクレーンに、倒れかけている廃屋。俺は歩き出した。
「本当に、誰も来てないんだな」
普通廃墟は魔物や盗賊の根城になるが、マギファインテックの魔導機が見回るせいで、そいつらすらも気配がない。
出荷用の馬車の停車場、ここにトロッコを押していくのは、重労働だった。
酔って絡んだり、絡まれたりした酒場。
飲み過ぎて吐き散らした路地の角。
怒りのまま隣の奴に喧嘩を仕掛け、ぼこぼこにやられて放り出されたゴミ捨て場。
町で一番の美人といわれた女が、働いていた選鉱場。悪友と見に行って冷やかしたものだ。
通り過ぎる全ては、ほこりをかぶり、屋根や壁や窓が割れた汚い廃墟と化している。もうここに価値はない。
朽ちたクレーンや、倒れた水のタンクの中心。岩山の壁面にうがたれた、坑道までやって来た。
「マギファインテック社、社有地につき、立ち入りを禁ずる……」
そう書かれた、入口をふさぐ看板がなくても、坑道は完全に崩れて塞がっていた。
この鉱山では四年前に大規模な崩落事故が起こった。領主のポルド伯爵は事態を収拾できず、台頭してきたマギファインテック社が領地を買い取り、コストの問題で閉山を決定した。
俺を含めたあらゆる鉱山労働者は失業し、町を去った。彼らの稼ぎを当てにしていた、あらゆる職業の者も町を捨てた。
俺は拳を固める。手の甲に呪印が浮き出る。
「……あの転生者、殴ってなきゃあな」
村に来た最初の転生者以来、初めて出会ったやつだった。
『ポルド家の十男として生まれながら、小さな鉱山の経営を改革し、町と領地を大きく繫栄させ、やがて領主となって成り上がる』という書き割りを持つやつだった。
気持ちが煮えたぎってくる。善良そのもののように改革を訴えていたツラに、殴った拳から血が出るまで打ち込んでやったときの衝動が。
再び町の廃墟を歩く。顔の端っこのにきびみたいに、砂漠の端にいきなりできた異物のような町。一年も居れば隅から隅まで知り尽くせるような小さい町。
全ての建物の中で、最も俺が覚えている廃墟。
「モンス・オール拳闘場」
そう書かれた看板は、倒れて砂の中に朽ちていた。
いや、看板どころかリングのある建物そのものが、建物の体をなしていない。屋根が崩れ、壁も倒れてしまっている。
木製のリングも、もう何だったのか分からない。砂の間に板切れと、わらでできたロープの残骸が埋もれているだけだった。
だが俺は、残骸になったリングの中央に歩み出た。しゃがみこんで、何千回も踏んだ板切れをなでる。
「オッサン、来てやったぜ……」
そいつは、三十がらみの男だった。
俺がここに来たばかりのある日。そいつが、酒場の喧嘩で負けて泣きながら通りを歩いていたガキに、パンチを打ってみろと言ったのだ。
へたくそなジャブを見て、男はガキにコツを教えた。拳の握り方、力の入れ方、体重の移動。
で次の日、ガキはそのジャブで同じ相手を打ちのめした。
「三年も、たつのにさ。拳の使い方、全然分からねえんだよ」
男は俺と違う坑道に潜りながら、この拳闘場で荒くれたちに拳闘を教えていた。後で聞いたら、魔封大戦にも従軍した、名うての冒険者だったらしい。
喧嘩の勝利が嬉しくなった俺は、子犬みたいに男になつき、拳闘にのめり込んでいった。闘気の使い方も習った。
それからは、このリングで、三日に一回というペースで、力自慢や流れ者たちと血や汗を流し続けたものだ。
「本当に俺なのかな、ここに立ってたのは」
鉱山のあがりは良かった。この砂漠の端の田舎町で、荒くれものは稼いだ金を酒と女と拳闘に張り込む。
俺はめきめきと頭角を現し、拳と体でずいぶん稼いだ。
生傷と、口の中の血の味を、勲章のように思っていたものだ。
鉱山の休みの日、ちょうどこんな昼間にも試合はあった。
目を閉じると、相手を打ちのめしたときの歓声が聞こえてきそうだ。
「良かったな、あのときは……」
だが、転生者が来て変わった。
あいつは、つまらないやつだった。酒もやらない、女は買わない。殴り合いは野蛮で無駄だと、目で言っていた。
俺には書き割りが見えた。『鉱山を改革して成り上がる』、『改革のために人心をつかむ』、『人心をつかむために、危険な坑道で小規模な事故が偶然起こる』。
その、小規模な事故が起こった坑道に、俺に拳闘を教えた男が潜っていたのだ。
労働者を危険な拳闘に駆り立て、鉱山とは違うところで金を動かし、生産効率を蝕んでいた男が、幸運にも偶然の事故で死んでくれた。
誰も聞かなかった転生者の声に、住人も労働者も賛同し始める。俺に打ちのめされた奴らが、拳闘の危険を叫ぶ。てめえの賭け金で、素寒貧になったやつが文句を言いだす。
客も賭け金も減った。ついに、俺は打ちあう相手を失った。この廃墟と同じほど、空しいリングに上がったときの感覚――。
俺は立ち上がった。振り返ると、町で一番高かった建物の廃屋がある。あのてっぺん、時計のあるあの市庁舎に、とうとう俺は乗り込んだのだ。
「……くそ」
頭に血がのぼっていた。昼だったか夜だったかも思い出せない。
『書き割り』が見える転生者の善良な頬に、呪印の乗ったジャブを打った。
転生者は闘気を集めた。町ごと吹っ飛ばせるやつだが、俺は構わず左のフック。
血が飛んだ。殴る、殴る、殴る――すべて、呪印が乗っている。
気が付くと、血と鼻水と涙の海に、その転生者は沈んでいた。
『鉱山を改革する』という書き割りは、粉々に壊れた。
俺は牢獄につながれ、次の日鉱山の大崩壊が起こった。モンス・オールという鉱山町は、そうやって地図から失われていったのだ。
それ以来、俺は根無し草のごろつき。ギルド登録もない、非正規の冒険者崩れ。
なんだ、サリとナイラは、間違っていなかったんだな。
俺は立派に、脚の一本も切り落とされて当然の、バケモノじゃないか。
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