1-12書き割りを失うということ
転生者の『書き割り』は、このクラエアという世界の役に立つ。
たとえば十年前。魔王大陸に現れた『魔王』と呼ばれるレッサーデーモンを倒し、それまで十二年にも及んだヒト族と魔族の『魔封大戦』が終わる原動力となったのは、転生者だという噂がある。
噂を超えた、確たる例というのなら。
マギファインテック社を起こして、魔導機を世界中に普及させたこと。
人魚やオークをヒト族に組み入れ、それまでの差別から解放させたこと。
あるいは、俺が書き割りを壊したカサギの領地だって、解放された奴隷に希望を与えていたこと。
すべてが転生者のやったことだ。世界を前に進めるために、チート能力と彼らを心地よくする書き割りは大いに役立った。
この男の能力もまた、恐らく。
「な、くそ、痛え、くそっ……なんなんだよ、お前……!」
怒りと戸惑いに満ちた目。おもちゃを買ってもらえない子供のような口調。これが、リオーネや他の女にチート能力を振るっていた転生者の姿か。
後ろのドラゴンも、その背中の女たちも、男を助け起こさない。もちろん、リオーネもだ。
仕方なく、男は自分で立ち上がる。
「おい、ふざけんなよ……」
男が両手に闘気の剣を作りだす。アッパー一発で倒れるほどヤワではない。あれ一本で、俺なんぞ紙切れのようになる。
「カス野郎の分際で、異世界のモブが、なんで俺殴れるんだよクソが! てめえのリオーネなんか、俺の能力で散々狂わせてやったんだ! セックスのとき、なんて言って喘いでたか教えてやろうか、クソカスが!」
俺めがけて突っ込んでくる男。書き割りは壊れても、転生者特有の闘気は健在。
これが呪印の弱点だ。書き割りが壊れても、その後どうなるかは分からない。転生者が俺を殺そうとするかどうか、その力が保たれるかどうかも分からない。
やばい。もう本当に闘気が出ない。いきおいでやるべきじゃなかったか。
「……っが、は……あ!?」
男が、がくりと砂に崩れた。
腹と口から血を流している。派手なジャケットの背中から、緑色の光の矢が貫いていた。これは魔力の矢だ。
かなり強い魔力を凝縮させている。魔法、ドラゴンの頭上で人間の女が杖を構えていた。
「レアク、大丈夫だった?」
俺の目の前には、刀を構えたリオーネ。背中に俺をかばい、男の攻撃を受けるつもりだったらしい。
「リオーネ、お前なんで」
「言ったよね。レアクを傷つけるヤツは斬る。たとえ、前のマスターでも」
呪印のわずかな反応、リオーネのもつ書き割りは、男に感じるものを超えている。
チート能力を切ったせいだ。恐らく、常時使っていなければならないものでもなかったのだろうが。
『魅了した女を好き勝手にできる。女達は絶対に裏切らないし逆らわない』という書き割りが壊れたせいだ。最悪のタイミングで、ハーレムの女たちが自分を取り戻してしまった。
男がドラゴンの背を見上げる。
「あ、ぅ……なんで、アミィ、ぼくの、お気に、入りの……」
アミィと呼ばれた人間の女は、黒いベールから冷たい瞳で見下ろす。
「口を開かないで。そのエネルギーボルトは、私達の意思です。私達が、あなたのくだらない力ではしたない声を上げさせられたからって、すべて支配できると思わないで」
瞳から、あの紋章が消えている。五人ともだ。
男はあふれでる闘気を、怒りのあまり俺への攻撃にすべて振り向けた。だから攻撃呪文を食らった。
本来魔力は闘気で防ぐことができるし、転生者として備わった膨大な闘気を少しでも防御に向けていれば、ここまでの致命傷は防げたのだが。
チート能力が途切れた途端、ハーレムの女が自分を攻撃するとは思っていなかったのだ。あるいは、ただのモブが自分を殴ったのが、よほど腹に据えかねたのか。
青いドラゴンが首を回す。怒気に満ちた凄まじい表情だ。
「え、エレイン、な、なにを……」
『オボエテル。オマエ、オトウサン、コロサセタ。ムラノミンナ、ヤカセタ。ワタシヲ、アシニスルタメニ、テニイレタ……』
エレインと呼ばれたドラゴンの口元。吐息が収束していく。まずいぞ、ブレスが来る。
「お前、広い世界が見たいって言ったじゃないか。だから連れてってやったんだ。俺と一緒にあちこち行っただろ、楽しいって言ってただろ! あいつら、しつこいからいらないって」
男が闘気を必死に引き出そうとする。だが、重傷のせいか、うまく行かない。
「オマエノ、ノーリョクデダ。クチヲヒラクナ!」
きいん、と閃光が走る。熱線がドラゴンの口元から放たれた。
「レアク!」
リオーネが俺にしがみつく。刀と腕をかざし、闘気で俺たちを包み込む。情けないが俺は身を任せた。
瞬間、呪印がずきんと痛んだ。血が吹く。ライムが、タズローの姿で現れたときのように。
一瞬、ほんの一瞬、男の前に何者かが現れたような――。
砂が溶ける音が響いた。砂丘が熱線に貫かれ、大きくくぼみ、溶け落ちた穴に周囲の岩石や砂が流れ込んでいく。
男の居た場所を貫くように、直線状にわたって砂が溶かしえぐられていた。凄まじい威力だ。これが、伝説にさえ語られるドラゴンの力。
砂を溶かしたといえば大したこともないようだが。砂は小さな鉄や石の粒なのだ。ただの火ではここまでいかない。あの熱線は溶岩並の高温をそなえていたのだ。
男の姿は影も形もない。闘気なしで直撃したのだ。燃える、溶けるを通り越して、蒸発してしまったのだろうか。
一方、リオーネの闘気は十分だった。熱線の直撃こそしなかったが、俺と自分を高熱から無傷で守り切っていた。
「ご主人、さま……あ、レアク、これは」
リオーネが涙をあわててぬぐう。俺はため息を吐いた。
「いいよ。好き嫌いってのは、複雑なもんだ。そもそも、俺とお前は出会って一時間にもならないし、昔どんなことしてようが、気にしないよ。ガキじゃないんだろ」
「……うん」
リオーネは心底安心したらしい。まあ、あんな奴でも、書き割りのお陰でも、重ねた時間はあったということだろう。女ってのは不思議なもんだ。
「マスター」
「ご主人様……」
アミィと呼ばれた、人間も。青いドラゴンも。自分たちで消し去ったあの男に対して、思うところがあるようだ。
愚か、とは思わない。自分で積み上げたものを自分の手で崩して嘆く経験は、俺にだってありすぎるほどある。
それより、だ。俺の呪印からは、血が流れ続けている。俺はリオーネを引きはがすと、立ち上がった。低くなった砂丘の向こうに振り向いた。
真っ赤な髪の男が立っている。細めた目と俺の目がぶつかった。
やっぱり居た。あのライムに匹敵する書き割りは、この男のものだった。
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