1-9決別の先に
ライム・ラライムと名乗ったあの女は、一体何者なのだろう。
俺には悪魔を通じて、転生者達とこの世界に関する情報がある。だが、あんな奴は知らない。呪印を得て四年になるが、出会ったことも存在を感じたこともない。
というか、呪印が傷になって血が噴き出すほど強力な書き割りに触れたのが初めてなのだ。
悪魔が教えてくれたのは、転生者が強力な書き割りを持ち、彼らの意のままにこのクラエアという世界が動くことだけだ。
ライムにやられた者も居るが、技師や使用人の半数以上は生き残った。
魔導機の爆発、ナイラの裏切り、さらに強力な転生者の出現。わけのわからないできごとに出会い、全員浮足立って好き勝手に話し始めた。
「静粛になさい!」
サリのつるの一声に、全員が会話を止めた。べつにでかい声でもないのだが。天性というか、人の上に立ち命令を出すことに向いている。貴族というのはこういうものか。
「とにかく、私達が助かることを考えましょう。お父様に救援を頼みます。あの恐ろしい転生者の方がおっしゃったことから、マギファインテック社の方々は頼れませんわ」
そりゃそうだろうな。サリはナイラの手を握った。
「それと、私はナイラを許しますからね。ナイラに、私に成り代わりたくなるほどの不満を植え付けたのは、この私なのですから。このことで、ナイラを責める者が居れば、まず私を通すのが筋です」
「恩を売るつもり?」
「ご名答よ。恩知らずと呼ばれたくないなら、今まで通り、私のそばに居なさい」
「……ふん」
輝くような豪奢な笑顔と、暗いふくれっ面。いい対照だな。サリ、自分を殺そうとしたヤツをかばうか。貴族らしい、いい鷹揚さだ。へたくそな医学の押し付けさえなければ完璧なんだが。
「まあ、好きにやってくれよ。俺は行くぜ」
「お待ちを! レアク様!」
様付けに思わず振り返っちまった。あの気位の高いサリが、俺のような下賤な男に。
「なんだよ。まだナイラが入ってるのか」
「違います! あなたは私たちを助けました。あのライムという恐ろしい転生者は、あなたでなければ撃退できませんでした。お礼を言わせていただきたいのです」
殊勝なことだ。クンシはヒョウヘンするとかいう、ニホンのことわざがあったっけ。
「じゃあ、肩の傷だけどうにかしてもらえるか。痛くてしょうがねえ」
勢いで動いたが、骨をやってるかも知れん。
「分かりましたわ! では! ……ナイラ、お願いね」
喜色満面に医療かばんを開けそうになって、ナイラを見つめる。ついさきほど主人を裏切ろうとしたメイドは、嫌そうに命令を聞いた。
数分とたたずに回復魔法で処置は終わった。ライムの闘気はよほど洗練されていたのか、切り口は滑らかで血を留めやすかったらしい。
サリは俺の肩に包帯を巻き終えた。こういうことはきれいにできるんだがな。
「……さて、あなたのその呪印。ナイラと私の転生を殴って止めたことも、あのライムを殴りつけたこともです。一体あなたは」
おっとやばい。俺は立ち上がる。
「そうだ! 礼ならこのあと、あんたら二人で今夜の相手をしてくれよ」
できるだけ軽薄に言ってやる。
サリは意味が分からなかったらしい。だが、一瞬置いて怒りで頬を紅潮させる。
ナイラが俺をにらむ。目の前に氷の塊が現れた。
飛びのいてかわす。地面に深々と突き刺さっている。よし、完全に嫌われた。
「恩知らずの下種め。サリお嬢様に近づくな!」
抜き身のような鋭い視線。命に代えても、俺を殺すつもりだろう。これでいい。
「ああ、そうするよ。二人とも俺のことも今日のことも忘れろよ」
樹上に跳ぶ。ちょっとだけ回復した闘気を振り絞った。
「待てッ、分際も弁えずお嬢様の好意を侮辱したこと、はいつくばって謝るんだ!」
ナイラがまだ動く左腕をかかげる。氷塊が俺の頭上に形成されていく。俺の身長を軽く超えた。ニホンの長さで、十メートル、二十メートル、重さ何トンだこれは。
「う、うおおおっ……」
俺は慌てて逃げた。こんなもん、転生者でなければ防げるはずがない。というか、サリのことを憎んでたんじゃなかったのかよ。今日一番の全力だ。
「くたばれ、下郎が!
ナイラが使える氷系の最上級攻撃呪文だろう。振り返る余裕もない。
叩きつける巨大な氷塊。へし折れる木々、えぐれる地面。森を消す気か。俺は闘気を振り絞り、一目散に逃げた。
※※ ※※
ライムは、恐らく死んでいない。そして俺は、書き割りに巻き込まれている。そんな俺に構えばどうなるか。あの化け物に再び出会うことになる。
あいつが、次も舐めてかかってくる保証はない。戦えば、俺は負けるだろう。
そしてクラエアは、転生者のためにある異世界だ。書き割りの壊れたナイラとサリでは絶対に転生者に勝てない。
狂おしいほど俺を憎んでいるライムの奴は、俺と居る二人に何をするだろう。そんな因縁には巻き込めない。
走って走って、森を抜けてたどりついたのは、砂漠の端にある寂れた村の跡地だった。近くの岩山に、ぼろぼろの鉱山の跡がある。枯渇して捨てられた鉱山町ってところか。マギファインテック社が魔導機を広めて、採掘の効率が上がったはいいが、枯渇も早くなって、打ち捨てられた鉱山も増えた。
もう黄昏時だ。星が現れ始めている。
俺は傾いたあばら家の跡に入り込んだ。砂交じりの風をかわせる。
あたりに岩や石は少ない。隠れているサソリとか毒蛇の類は居なさそうだ。
廃墟から材木の残りをかき集め、ついでに乾燥で枯れた草木の類も集めた。
ズボンのポケットから、マッチを取り出す。ニホンのものでもともとクラエアにはなかったが、冒険者ギルドで販売している。どこぞの転生者がチート能力でニホンから持ってきたのだろう。
マッチを擦る。柄が折れた。次も、次も……なくなった。
「……あ、しまったなあ」
しっけている。そういや、騒動の前に、池に放り込まれたんだった。
砂漠の夜は冷える。このままじゃ死んじまう。俺が魔力を行使できるなら、火の魔法でどうにかするんだが、生憎と魔法の適正はからきしだ。どうしたもんか。
というか、食料もないぞ。カサギの領地にでも戻るか。地図だと、ここから一番近い町まで行くのに、また一日は闘気を使いながら走らなきゃならない。
何か食って火で体を温めて、しっかり休まないと、それだけの闘気は戻らない。この廃墟で飢え凍えて死んじまう。
たとえライムに殺されなくても、あてどない一人旅は死と隣り合わせだったのだ。
「やばい、な……」
背中が冷たいのは、風が冷え込んできたせいじゃない。本当に、うかつまみれ。カサギの所から先、いろいろありすぎて、完全にペースを乱している。
さて、どうする。そう思ったときだった。
呪印が少しだけむずむずとした。これほど小さい反応も初めてだ。
むずがゆい感覚が続く。近づいてきているらしい。だが、周囲に人の気配はないぞ。
ひゅるひゅると、隙間風の音がするばかり。壁に砂が当たるぱたぱたという音。本当になにか居るのか。
まさか、ライムがもう俺を見つけたのだろうか。そして、また誰かの姿で近づいて来ているのか。
「おい、オマエ」
背後から聞こえた声。振り向く。
「……こんなところで、なにしてるんだ」
猫のように背中を丸めた少女だった。黒と黄色の毛皮の生えた体に、胸元と腰を覆う布を身に着けている。
こいつは、亜人と人間のハーフか。だが、ひとつ不釣り合いなのは、腰に帯びた立派な刀だった。しかも二本か。
微弱な書き割りの気配は、この少女から放たれていた。
この上、またなにか、ややこしいことになるのか――。
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