1-8ライム・ラライム


 転生者は、悪を成すためにクラエアに来るわけではない。

 ただ殺したい、ただ犯したい。そんな人格破綻者はめったにいないし、居たとしても、他の転生者と争いになって破れるだろう。


 だが、目の前のこいつは――。


「一体、なんで書き割りが無くなったんでしょうね。人道の天使の周りでは、ちょくちょく、書き割りを観測していたから、用心してはいたのですが……」


 タズローが顎に手を当てて首をかしげる。隙だらけだが。


「誰かが殺したのかな。でも、異世界人に転生者は絶対に殺せないはずだし……試してみるか」


 タズローの姿が一瞬かすむ。ふわりと景色が曇る。なんだ、霧か、雲か。小さな水滴が漂い始めた。


 水滴――水。


「がっ……」


 首と右肩が血を吹いた。青白く輝く剣が俺を貫いている。

 これは闘気の剣だ。達人は、闘気を具現化できる。そして、転生者は無条件で達人を軽く超える闘気を扱える。


 だが、どうやったんだ。闘気は体からしか出せないはずだぞ。チート能力は二つも存在しない。


首は致命傷だ。俺は前のめりに倒れながら、呪印のついた左手で喉を覆う。


 傷が消える。やっぱりチート能力でやった書き割りだった。俺はそのまま倒れるふりをした。肩の傷まで治療したら気づかれる。


 タズローは俺の生死を確認しない。殺しに慣れていないのか。いや、たぶん、さっきの液化させる能力で吸収しているから、その必要がないのだろう。


「うーん、こいつじゃなかったか。まあ、見るからにそのへんのごろつきだったもん。せいぜい、三流の冒険者。サラマットくんの普段の姿ってこんな感じなのかなあ」


 サラマット、本当に聞いたことのない名前だ。タズローだってそうだ。こんな強力な転生者、名が知れていてもおかしくないはずなんだが。


 転生者であることを隠そうとするタイプもいるらしいんだが、そういう奴は、正義感の強いほかの転生者に倒されているはずだ。あるいは、俺と出会っちまうか。


「で、やったのは君かな? それとも君?」


 闘気の槍、曲刀。サリとナイラの周囲に倒れていた、使用人と技師が貫かれる。俺と同じ首や心臓。


「タズ、アニマ! なにをするの、早く処置を」


「うるさいなあ」


 閃光が走る。サリの胸を稲妻が貫いた。

 魔力のガードも何もない。凶暴であまりにも強い転生者の魔力だ。


「……あ、やべ、死んじゃう。えい」


 再び稲妻。倒れ伏したサリがびくんと跳ね、息を吹き返した。


「AEDっていうんだっけ。ニホンには便利な電気ショックがあるんだよね。雷の魔法で、心臓を止めたり動かしたり、これ、私の得意技なんだ。千回くらい練習したら安定するようになったよ。何でも練習が肝心だね」


 生きた人間で、だろうな。


 サリは真っ青な顔をしている。死んでいた胸元の火傷の痛み以上に、死を体験させられた恐怖が焼き付いている。自分を抱きしめ、言葉も出ない。


「また死にたいなら、すぐ殺すけど。雷って神様の罰らしいけど、人道の天使が撃たれて死ぬなんて笑えるよね」


 ばちばち、ぱりぱりと雷の音。サリとナイラを囲むように、雷の塊が浮かんでいる。魔力もまた、体から放たなければならないはずなんだが。なぜあんな、何もない場所からひとりでに発生している。


 ナイラを抱きしめ、怯えるサリ。ナイラが厳しい目で、タズローを見つめ返す。


「……どうして、こんなことを」


 いい度胸だな。いくらわがままとはいえ、主人を死なせて成り代わろうとしていた女だけに。いや、こいつ相手にはそれぐらいでなきゃだめだ。


 タズローが目を見開く。眼鏡の奥に狂気が宿る。


「決まってるよ。お前達の書き割りが、邪魔だからさ。そのタマムシ、マギファインテック社製、hct08”タマムシ”は、社の技術の粋を集めた高級品なんだ。偶発的な爆発事故なんて、起きるはずがないんだよ」


 あの、爆発事故か。ナイラが持っていた、『事故をきっかけに主人の悪役令嬢に転生する』という書き割りのためだったのか。


「もちろん、機械に完璧はない。いくらあの子の設計でも、偶然近くで使われた魔法で、偶然魔力炉の反応が変わって、偶然事故を起こすことはあるさ。数百万分の一くらいの確率でね。けど、この世界のバカな顧客はそれを過大にとらえる。まして、口うるさい人道の天使のことだ。欠陥品だなんて吹き回って、マギファインテック社の機械が売れなくなったりしたら、世界がどれだけ歪むか分かりはしない!」


 だから、残らず殺すということか。すべてを隠蔽すると。

 なんて奴だ。いや、きっと、こんなことを何度もやってきている。


 びしゃ、ぴちゃ。水音と共に、残りの技師と使用人たちが液体になった。

 ナイラが言葉を失う。サリは悲鳴も上げられない。完全に戦意喪失だ。


 助けなければ。今動けるのは俺だけだ。だが、こいつのチート能力は一体なんなんだ。


「うーん、それにしても君達、外見だけは結構好みだなあ。黒焦げにするより、コレクションにしようかなあ……」


 タズローの姿が霧の中で変わる。真っ青な髪の小柄な女、煽情的な服装をした魅力的なハイエルフの女性。何だか知らんが、ニホンの転生者が好きそうな若い女ばかり、十人ほど繰り返す。


 霧はその間、ナイラとサリの二人を取り巻いている。


 霧、水滴。仮に、手で触れたものを液化して吸収できるチート能力だとしたら。そして、霧にした自分の体の一部を操ることができるとしたら。そこから、闘気と魔力を放っているとしたら。


「きーめた。君達も、私がなってあげるね」


 最初に変わった青い髪の女が、右手を上げる。霧が近づく。もう待てない。


 俺は立ち上がった。呪印を顔面に移す。


「あれ、なんだよ君」


 霧が来た。一息に吸い込む。

 俺の頭は溶けない。呪印の力で、目も鼻も口も守られている。


 くそ、肩が痛え。もう闘気が出せん。


 必死に走る。一歩、二歩。呪印を右の拳に移した。


「そんなに、私に触って欲しいんだね」


 女が掌を引く。俺を触って溶かす気だ。

 呪印なら腕ごと吹っ飛ばせるだろう。だが、それと同時にもう片方でべつの場所に触れられたら終わり。呪印のある手だけ残して溶け死ぬ。


 相手も闘気を出さない。本気でやれば俺ごとき回り込んで殺せるが、こいつ、遊んでいたぶり殺すのが好きなのだ。


 お互い拳の間合い、にらみ合う。


「どうしたの……来ない? あの子達先に溶かしちゃおうか」


 霧が二人に近づく。ナイラのエプロンドレスの裾が溶けていく。


 顔は笑ってるが、目は違う。俺より年下くらいに見えるが、どんな人生過ごしたらこんな奴になるんだ。


 一撃で書き割りを壊して、意識を刈らなきゃならん。顔面しかない。触られる前に殴るしか。


 さんざ繰り返した、鉱山の拳闘と同じだ。あと一発でどちらも倒れるとき。オッサンに言われたことを思い出せ。呼吸を読め、合わせろ――今だ!


 ストレートパンチが女の頬を捉えた。

 絞り尽くしたはずの闘気は、呪印のある右にだけわずかにこもった。舐めくさって闘気を出していなかったぶん、女の手は遅れた。


 女が吹っ飛ぶ。カサギと違って、闘気を込めた拳だ。地面で全身を擦りむいた。呪印が効いて、液化が解除されたな。


「助かった、らしいな」


 俺はため息を吐いた。シャツのボタンと腹がなくなっている。肉体に触れる寸前だったか。だが、無事に書き割りを壊せた。


 女は呆然と殴られた頬に手を当てる。涙がにじむ。なんだか、親に殴られた小さな子供みたいで気の毒だ。


「え、あ、あぇ……あ、嘘、痛、い……なんで、私、”水泡に帰す戦慄”ライム・ラライムだよ、転生者で、パワーゲーマーだよ、なんにでもなれるのに、何で、この世界で痛いの、殴られる、の」


 初めてのペットが死んだ子供のようだ。散々人を殺しまくって、今までも大量に殺しただろうに、なんだこの釣り合わない感覚は。


 前髪が瞳を隠す。つぶやきが高まっていく。


「お前、おまえ……お前お前お前お前オマエエエェェェェェッツ!!」


 すでに能力が失われている。憎悪は、ただ叫びとなるだけだ。


「誰だよお前、顔覚えたからな! この私を殴りやがって、この世界で痛い思いさせやがって! 絶対許さないぞ! まだまだ体はあるんだ。私達の邪魔をするやつなんだな、お前なんかお前なんかお前なんか……」


 びしゃり。それ以上の言葉はなかった。ライムと名乗った女は、水となってと崩れたからだ。


 書き割りは確かに壊れた、能力は失われた。水がチート能力を持って、動いていたとでもいうのか。


「パワー、ゲーマー……本当に、本当に居るなんて」


 サリがつぶやく。パワーゲーマー、俺の知らない言葉だった。

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