1-7追ってきたモノ


 しつこいと思うが、俺にできるのは、認識した転生者の書き割りを壊すことだけだ。その後どうなるかは、知ったことではない。


「う、うぅ……私、つっ……」


 サリの体が目を覚ます。涙目で俺が殴った頬を抑えている。どっちだろうか。


「いやあ、俺のお陰で助かったな、お嬢さん」


 恩着せがましく言ってやる。瞬間、俺のどてっ腹に炎の槍。


「何が助かったですか! 女の頬を殴っておいて、助けた恩を着せるというの!?」


「ぐぅっ……じょ、冗、談だろうが……」


 痛え。闘気のガードを解いてなくてよかった。さもなきゃ貫かれてそのまま串焼きだ。

 くそ、でもこれで分かった。こっちは確実にサリだ。じゃあナイラの人格はどこに行ったのか。入れ替わりが戻ったというなら。


「う、うぁあああああっ!」


 女の絶叫。振り向くと、片腕と両足に大やけどを負ったナイラの悲鳴だった。

 恐らく元に戻ったのだろうが、その瞬間激痛に襲われたのだ。自分が負わせた火傷の痛みに。


 あっという間にサリの顔色が変わる。心配そうに駆け寄ると、ナイラのかたわらにしゃがむ。


「ナイラ、しっかり! 処置をしないと……」


「いらない!」


 ばしっ、振り払った手の音が響く。いやにはっきりとしている。


「この、くらいの火傷、死なない程度に、回復させるのは、簡単、なのよ……」


 炎を防いでいた左手に魔力がたまった。冷気がナイラの前身を取り巻き、痛々しい火傷を覆う。そういえば、サリのやった俺の処置を適切にやり直したのが、ナイラの回復魔法だった。


「本当は、お前の体で、へたくそな処置をして、私の体に入ったお前を苦しめてやるつもりだった……お前のへたくそな手術で、苦しんだ、人達みたいに……」


「ナイラ……」


 俺の助け方があんなだったんだ。人道の天使と名乗って、このタマムシであちこちに出没して医療を施していたころ、ずいぶんな目に遭った奴は沢山いたに違いない。


「みんなみんな、後で私が治してた。ぎりぎりのところで、ザルダハール家の家名に傷がつかないように」


 サリには、後からナイラが繕える程度のミスしかしない知識はある。それをミスと気付いてないあたりが相当だが。


「それもこれも、今日、お前と入れ替わるためだ! この事故は偶然だった。それで私が重傷を負って、みんな死んだことになって、私が入ったあんたは、本当の人道の天使になるはずだったんだ。なのに、お前さえ、お前さえ来なかったら、ちくしょう……」


 ナイラ。なるほど、そういう完璧な書き割りのはずが、俺という異物が入り込み、ついにはすべてをめちゃくちゃに壊しちまったってわけか。


「ナイラ……小さなころから、ずっと、ずっとあなたは、私の、お友達だと思っておりましたのに」


 サリは本気でそう思っていたのだろう。さっきの戦いで叩きつけたようなナイラの言葉が、本音だということに気が付かずに。


 使用人や技師たちも黙っている。『人道の天使』は、行く先々の大きな街の本屋に並んでいた。冒頭の説明文だけ目を通したが、確かこのお嬢様は、十六歳から五年間、あちこちの国でこういうことをやっていた。ナイラはそのすべてに付き従っていたのだ。


 俺の知ったことではないんだが。

 しかし、女が仲たがいして苦しんでいる姿は、なんだか心が痛む。

 まあ、二人とも命の恩人ではあるんだし。性格はあれだが、俺好みだ。


「……まあ、結局、誰も死んでないみたいだし、本音も分かったから、また仲良くやればいいだろ。そうだ、俺が言ったみたいに、いっぺんよく話し合ってみたら……」


 ナイラとサリが同時ににらむ。俺はひっとうめいた。転生者以外に、これほどびびるのは初めてのことだった。


 書き割りは壊れた。呪印は役に立たない。殺されちまう。

 背筋に冷たいものが走ったが、やがてナイラがぽつりと言った。


「でも、確かに、言いたいことは一生分言えたわ……手足も不自由になったみたいだし、これから先も、お嬢様にしがみつかなきゃ生きていけないわね」


 ひどい火傷だとは思ったが、そこまで深刻だったか。サリは痛ましげな目で、頭を振る。


「ナイラ。私が、私に、足らぬところがあるのなら、言ってくださればよかったですのに。私が、考えたくないけど、失敗していたことが分かった今は、きっと、少しずつ良くできますわ。あなたの、手足が動かないのなら、治療法を探して、一緒に生きていたっていいんですの……」


 ザルダハール家なら、金はあるだろうしな。


「何よ、お金持ちの自慢?」


「地位にふさわしいふるまいを考えたまでです」


 棘のある微笑の応酬をする二人。


 なんだ、もういいってことか。


 俺が書き割りを壊した結果は、転生者は悪役令嬢に転生せずに、性格最悪なままの悪役令嬢に正体ばらして和解して、文句言い合いながら生きるってことか。


 壮大に、何も始まらない、ってことになったのか。

 まあ、カサギはとっくにやっちまってたから、それに比べりゃまだましだな。


 立ち去ろうとした俺は、手の甲に痛みを感じた。

 また呪印だ。裂けて血を噴いている。こいつは、この強烈な書き割りは――。


 びしゃ、ぼとぼと。変な水音。

 いや、違う。俺と来た三人のマギファインテック社の社員たちだ。


 作業服がひらひらと落ちた。中身はどこへ行った。小柄なゴブリンはまだしも、作業員らしくガタイのいい男たちも居たぞ。


「おやおや、なぜ書き割りの気配が消えてしまったんでしょう。これでは、ただの虐殺になってしまうじゃないですか……」


 ホースがそばに留めてある。俺たちを見つめてため息を吐いたのは、捜索に来たマギファインテック社の社員、タズローだった。


「お前、それは……」


 俺には水音の理由が分かった。タズローは右手をかかげて、その上に人の顔ほどの丸い球体を浮かせているのだ。


 そこに、目玉や口らしきものが浮き出ている。たぶん、あれが社員たちだったものだ。


「うーん、転生者相手だから、飲む必要があると思ったんですが……まあ、いいでしょう。せっかく水になった彼らの命が、もったいないですからね」


 がば、と口を開けるタズロー。三人を一瞬にして飲み干す。


 どう、と地面が震えた。空気が変わる。魔力と闘気、両方が渦を巻いている。これは、こいつは、俺が一度もお目にかかったことがないほどの転生者だ。


 しかもこいつは、性格が最悪。


「どうです。私に勝てそうですか、みなさん。ふふふふ、弱い者いじめ、大好きなんですよねえ……」


 死にかけのねずみをなぶる猫のように、タズローの目が俺達を見比べていた。

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