1-6炎の願いを砕く拳
悪魔はなぜ、俺に書き割りを壊す能力など与えたのだろう。
書き割りで規定される世界がつまらないからだ、と言っていたが。
俺は書き割りを持ったタズロー達を、タマムシと真逆に誘導しようと思った。
サリは魔法を解除したのか、目印の炎はない。
「方向を忘れられたのですか! 誰か、木に登ってみてください!」
タズローは軽業の得意なゴブリンの従業員を木に登らせた。案の定、タマムシがあげた煙が見つかったらしい。
どうする。事情を明かしてでも、どうにかするか。
「方向が分かったなら、先に行くぜ! お嬢さん方に救助を呼んだことを伝える!」
「ええ。お早く! 木が多いので、少々ホースが惑いそうです」
タズローは俺を引き留めない。しかも嘘を言ってない証拠に、ホースは茂みや張り出した枝に取られて、進みにくそうだ。
「へへ、あんた。ザルダハールのご令嬢ってのはどんな女だった。気位が高いが、相当な美人らしいな」
「大年増だよ。二十歳過ぎて結婚してねえんだから」
ついてくるのは闘気を使えるゴブリンと、人間の男が二人か。合計三人、書き割りの気配が遠くなっている。
こいつらなら、連れて行って大丈夫だろう。少なくとも転生者じゃないし、悪い考えを起こしたら、転生者の力を持つサリにあぶられる。
しかし、助けを呼んでほしいと言いながら、どうしてサリは炎の魔法を解除したのだろうか。
見覚えのある広場が見えてきた。魔力を感じる。呪印も再びうずきだした。タズロー達から感じたほどではないのだが。
梢をかき分け、タマムシを囲む広場に出る。
俺は息を呑んだ。なんとか声は殺したが、ついてきた三人は違った。
「あ、なな、な、なんだこりゃあ……!」
俺もそう言いたかった。炎の魔力はタマムシなんぞじゃない。サリから出てきて、広場を囲む半円形に広がっているのだ。
その中央。サリの放つ炎と対峙しているのは、なんとナイラだ。ただでさえひどい火傷を負っていたのだが、今は目の前にかかげて氷の魔力を放つ右手以外、使えないほどだ。あれは皮膚の下、相当な深度まで達している。
「おや、また見られてしまいましたわね……」
サリがぎろりとこちらをにらむ。三人の男は震えあがっている。顔には出さなかったが、俺もだ。
呪印がうずく。書き割りが、まだ作られる。ナイラの後ろ、火傷を負って倒れ伏し、苦しそうにあえいでいる使用人や技師たちがいる。
サリは、自分以外の全員を葬ろうとしていたのか。
いや、今まさにだ。呪印がうずく。転生者の特権である、この世界の人間を超えた魔力が集中していく。
「まあいいわ。なんだか今は、なんでもうまく行きそうな気がするの。あなたたちもまとめて焼き尽くしても、きっと私に、いいことが起こるに違いない」
「おやめなさい、ナイラ!」
ナイラがサリに向かって言った。氷の魔力を絞り出すが、耐えられん。
俺は木を飛び降りた。
袖を引き裂く。呪印は使える。広がる炎に拳を叩きつける。
「おいおいおい、どうしちまったんだ、サリお嬢さん……って呼んでいいのか、あんた」
俺は無事だ。背中のナイラらしい奴も、使用人や技師たちも。
カサギの『ワルキューレの樹』を殴り壊したときと同じ。そこら辺の冒険者程度の俺の拳が、書き割りの炎の波を壊した。
「あ、あなたは……」
ナイラが息を呑んでいる。俺が助けに戻ったことか、それとも莫大な魔力を打ち消したからか。
気になるが、今は目の前の転生者だ。何が来てもいいように、呪印の入った左拳を眼前に出す。
「あんた、転生者だな。あの爆発のとき、サリに入ったんだ。好き勝手やって、周りに迷惑をかけていた独りよがりなお嬢さんが、偶然の爆発事故を契機に、いきなり心を入れ替えて、幸せの道を歩み始めるってことなんだな」
さながら、少女向けの物語で悪役を担うはずの嫌味なご令嬢が、ある日突然人格を入れ替えるみたいに。
サリが目を剥いた。歯を食いしばると、美しい頬がくぼむ。憤怒に歪んでも美しいってのは、まあ確かに天恵の美貌だな。
「なぜお前が知ってる」
当たったのか。駆け引きの不得意な奴だ。まあ、カサギより十年ほど若いだろうし。
「……俺は書き割りを壊せる。分かりやすく言えば、この呪印は、転生者がうまくいくことを許さないんだよ」
「そんなことが、あるものかあああああっ!」
怒りと共に、炎の塊が突っ込んでくる。髪の毛どころか、全身が蒸発しそうな凄まじい魔力だ。
左手の呪印を盾のように掲げた。炎となった莫大な魔力が、眼前で散っていく。
だが周囲の森はあっという間に真っ赤な炎の柱と化す。メタルスは砂漠や岩山の多い国だってのに、貴重な森を全て燃やす勢いだ。
「サリお嬢さん、まだやれるだろ!」
ナイラに向かって呼びかける。ナイラの姿をしたサリは、左手をかかげて氷の魔力で使用人や技師たちを包んだ。呪印が消しきれなかった炎から、守っている。
「あなた、なぜ、お気づきに」
「あんたが強情な女だからさ。転生者にも退かないほどな」
ナイラのことは知らんが、サリなら勝てなくとも転生者に向かっていくことは確実だからな。タマムシの魔力から俺を逃した直後、死に臨んで誇らしい微笑を見せたのを覚えている。
「なんでなのよ、なんでそいつを守るの。たかが貴族に生まれただけで、自分勝手にまわりを振り回して、自分はうまくやってるなんて思いこむ、最低のクズを守るのよ!」
サリの姿の転生者は憎悪と共に魔力を強めてくる。カサギよりもさらに強い書き割り、入れ替わって幸福になることに、すべてをかけている。
「そいつの勝手な優しさで、変な治療されて苦しむ人を、後から魔法で治して来たのは私なのに。失敗したときの口留めもしてきた。生まれたときから、お嬢様お嬢様って顔色うかがってやってるのに。そいつから、ありがとうの一言もないのに!」
こいつは、ナイラだ。ナイラがサリと入れ替わったのだ。呪印が焼け付く。こいつ、カサギのときとは必死さが違う。
「聞いてるの、サリ。ただの使用人の私なんか、妾か、奴隷にしかなれないようないい男を、あんたは意味が分からない理由で振りまくって私の目の前で捨てる! なによ私が私じゃなくなるって! そんなに嫌なら、私がもらって幸せになるのに。あんたのお嬢様の地位全部、私がもらってやるのに! それで何もかもうまくいくわ、あんたなんか、お嬢様に相応しくないんだから!」
ナイラの姿のサリは、歯を食いしばる。魔力を絞り出してるだけじゃない。サリの姿をしたナイラに、心を深く傷つけられている。
「何が書き割りよ。私は、幸せをつかんでやる。あんたの地位さえあれば……!」
サリの姿のナイラが目を見開く。瞳が失われた。まるで炎の化身。膨れ上がった魔力が狂暴な火竜の首となって天高く立ち上る。俺たちへ叩きつける炎はそのままなのに。
呪印で消すのがやっとの魔法を、一つどころか、さらにもう一つ。チート能力の類はなくとも、この魔力だけで十分、世界の誰も手が出せない。
火竜がいななく。あのまま、落下してくる。呪印でも二か所同時は防げない。全員まとめて消し炭だ。
呪印はあっても、俺一人ではこいつに勝てない。
「……お嬢さん、あんたじゃないとだめだ。今、俺が止めてる炎を消せ」
正面さえ止めてくれれば、火竜を防ぎつつ接近できる。勝機はある。
「レアク、さん。でも、もう私は……」
震えまじりの、少女の声。ナイラの言葉が、相当効いた。ナイラのことを、身分に関係ない親友とでも思っていたのだろう。
「やってくれ! あんたが必要だ。それに、みんな殺しちまったら、ナイラも一人ぼっちだぞ」
それをナイラは、望んでいるのかも知れないが。
「分かり、ました」
背中が涼しくなる。氷の魔力が強くなっている。二人は書き割りがなくとも、高い魔力を持っていた。一瞬、一回なら、転生者にも及ぶ可能性があるほどの。それに賭ける。
たった一人俺たちと対峙し、炎を叩きつけるナイラが、目を剥いて叫ぶ。
「みんな消し飛べ! 私は、幸せになってやるんだああああっ!」
火竜がいななく。呪印のない頭上から降り注ぐ。火でできた顎を大きく開け、火の粉の涎をたらしながら迫る。
俺は眼前の火から呪印を離した。
殺到する魔力と熱波。だが吹雪の衣が俺を含めた全員を包む。
サリがやった。ナイラの体で、左手一本で転生者の魔力を相殺するほどの魔法を発動した。
竜が来る。開いた大あごに向かって、俺は呪印の刻まれた拳を突き出した。固めた拳で相手のあごを下から撃ちぬく。拳闘でいう、アッパーカットという打撃だ。
全身を包む炎が、一瞬にして散る。呪印の拳のアッパーカット。書き割りで作られた火竜が、断末魔とともに破裂した。
炎と吹雪がお互いを消した。さすがに魔力が打ち止めた。ナイラもサリも膝をつく。
俺は元気だ。闘気を放ち、加速する。行き先は、サリの全てを奪おうとする転生者。
「くそっ……!」
サリの体のナイラはすぐさま、炎の盾と鎧で自分を覆う。触れば指が溶けるほどの魔力。俺の闘気ごと貫く威力。あの魔法の直後に大したものだが。
俺は呪印の拳を固めた。相手は女。だが転生者。
「お前いっぺん、ちゃんと話し合え!」
盾を砕く。鎧を割る。滑らかな頬に、呪印の拳が食い込む。
確かな手応え。クリーンヒットしたサリは、がくりと崩れ落ちた。
申し訳ないほどの青タンを作って、気絶しているサリ。
魔力が消える。タマムシも魔力の噴出をやめた。
書き割りが壊れたのだ。
俺は後ろを振り向いた。魔力を出し尽くして、ナイラの体もまた気絶していた。
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