1-2砂塵のタマムシ


 『書き割り』ってのは、張りぼての舞台装置のことだ。


 たとえば、『勇者がドラゴンを倒してお姫様を救う』という劇をやりたいとする。

 王様の城で剣を授かる場面なら、白く塗った木の板を舞台に並べるだろう。

 洞窟でドラゴンと戦う場面なら、茶色く塗った紙の塊を並べるかも知れない。


 書き割りに彩られた場面の繰り返しで、物語は成り立つのだ。


 ニホンから現れる転生者たちは、その全員が、この世界の人間と違う『書き割り』を持っている。


 連中の書き割りは、すべてに優先されるらしい。異常な強さ、知識、能力。そしてそれを見たこの世界の人間の反応――物事の起こり方。


 結果的にこの世界は、転生者の書き割り通りに彼らをもてなすことになる。俺に力をくれた悪魔が言ってた。


 それじゃあ、俺たち世界の人間が可哀そうだって。いやいや。


「……壊すんじゃ、なかっ、たな……」


 熱気の中、俺はとうとう膝をついた。


 目、耳、口、鼻。火花ほど熱い砂が入ってきやがる。


 カサギの領地を出て数時間。街道を歩いていたつもりだが、砂嵐に襲われて、進む道も戻る道も分からない。


 充分な水や食料は、あの双子に分けてもらったのだが。風で荷物の袋が裂けて飛ばされちまった。


 せめて岩陰にでも逃れたい。俺は這いずるように進む。


「くっそ……あいつ、居た方が、やっぱ楽、だった」


 これは恐らく、カサギの書き割りを壊したせいだ。


 あいつは、『自分を裏切った追放者に復讐し、愛する者たちと領地に引きこもってのんびり暮らす』という書き割りを持っていた。


 だから、『自領が安全に保たれるために、他国から侵攻されない程度の細い街道は、砂嵐に襲われない』という書き割りがあったのだろう。都合のいいことだが、物語ってのは、都合の良さの集合体みたいなところがある。


 それを俺はぶん殴って壊した。もう都合は、はたらかない。街道が使えなくなるほどの砂嵐もこうして襲ってくるというわけだ。


「言って、る、場合かよ」


 自分で自分に突っ込んでも仕方がない。砂を分けながら、岩陰に近づく。


「うっ、あ……!」


 掌に鋭い痛み。何事かと見る。サソリだ。しまった。岩のそばで待ってやがった。


 腰のナイフを突き立てる。殺した。が、急激に気分が悪くなってきた。


「く、そ」


 傷口を切り裂いて毒を出さなければ。だめだ、手に力が入らない。


 ごうごうと叩きつけるはずの砂嵐。音は水の中みたいに遠い。痛いほどの熱射も感じない。叩きつける焼けた砂も。寒い、体が起こせない。毒が回ってる。


「ち、く、しょう……」


 転生者を殴っておいて、道端の毒虫に刺し殺されるなんて。


 俺には、都合のいい書き割りはない。こういう最後もありうる――。


 ずしん、ずしん、と大地が揺れる。顔を精一杯上げた。


 砂嵐が止んだらしい。いや、何かが遮っている。ニホンの単位で、175センチの身長の俺。その三倍はある岩。それをはるかに超えた、大きな影が。


「……ニムバス、タラップを下ろしなさい。行き倒れよ。私が診るわ」


 甲高い女の声が降ってくる。高慢な印象だった。俺は意識を手放した。


※※    ※※


 再び体を包むような熱気。俺は目を開けた。上半身の服がない。


「ふふん、気が付きましたのね下郎」


 右手が痛い。サソリに刺されたところだ。


「う、うわ……」


 汚く切り開かれ、乱暴に縫われている。指を失った不器用な男が、そこらの枝と蜘蛛の糸でむりやりつないだみたいだ。


 なんだこのぐちゃぐちゃの傷は。早く魔導医のところに行かなければ。汚い傷口を放っておくと、感染症とかいうのになると、村の学校で習った。


 と思ったら動かない。全身がぐるぐるに縛られている。火でできた太い縄。これは魔力で作られている。


 抵抗するがびくともしない。強力な火の魔法だ。カサギの植物には及ばないようだが。


「あら、いっちょ前に闘気を出せるの。下郎は生命力がごきぶり並ね」


 炎が俺を見下ろす女を照らし出す。金色の巻き毛に切れ長の目、整った鼻筋、美しいが高慢そうな唇。赤いヒールとガーターベルト、娼婦みたいな格好だが、そんなわけがない。


 このごてごてと面倒な美しいまき毛、厚化粧は貴族だ。それも、平民を見下しているタイプ。どこの家だろう。


 なかなかのプロポーションだが、服は、ここが暑いから脱いでいるだけ。虫や動物が居るからといって、服を脱ぐことを気にする女は居ないように、貴族の女は下郎という動物の前で肌をさらすことを気にしないのだ。


 女は動けない俺の傷口を、細い鉄の棒で引っ張る。


「ふうん、豚の皮でやったときよりうまくできたわね。顔色もいい。サバクヒカリサソリの毒は抜けたのね」


 確かに、体が消滅するような感覚はない。へたくそで高慢だが、診断は当たったのだろう。貴族はいい教育を受けているらしい。


「か、かんせんしょう……」


 どうにか口にした俺の言葉に、女はきっと表情を変えた。どぶでも踏み抜いたような怒りと屈辱だ。


「黙りなさい下郎、分かってますわよ! ナイラ、ナイラ! 下郎の後始末を! ああもう、暑過ぎてたまらないわ。私は着替えますわよ、すぐ来て手伝いなさい!」


 誰かに呼びかけながら視界から消える。


 光が辺りを照らし出した。わずかに魔力を感じる。魔導式の照明装置だ。ということは、ここは、恐らく魔導機の中。それも、動力機関だな。


 果たして、俺の寝かされた場所は、太いパイプが所せましとひしめく真下。動力炉から出る熱い空気が通っているから、この部屋は異常に熱かったのだ。


 あのお嬢様は、下郎の俺で医学の実験をしたかっただけだ。快適な客室を汚されたくないから、このひどい場所で処置をしたのだろう。


 ぷりぷりしながら出ていった女と入れ替わりに、小柄なメイドが入ってきた。


 この暑さでなぜ、丈の長いエプロンドレスなんぞと思ったが、わずかに魔力を感じる。ごく弱い氷の魔法で、体を冷やしているのだ。まあ、貴族に仕えるしもべが、暑いからって脱ぐのは失礼だからな。


「今処置を致します」


 ナイラって呼ばれてたっけな。火に巻かれたままの俺の手を取ると、手早く糸を抜き、小声で浄化の呪文を唱えた。


 たちまち、痛みが引いていく。じゅうじゅうと音を立てて、汚れた血が蒸発していった。傷口も治っている。


 回復魔法だ。あの女はサソリの毒をとるために切り広げたが、それを綺麗に治してしまった。


 助かったな。うん。よく見れば、なかなか可愛らしい印象だな。あの貴族の女ほど、美しくもないが。


「ありがとよ。あんたが医者やった方がいいんじゃねえの」


「あんたではなく、ナイラという名がございます。そして取り消してください。サリお嬢様の熱心な修練は、きっとこの世界の医学に革命を起こします。私の治癒魔法など足元にも及びません」


 本当にそう思ってんのかね。だが、反論すると面倒そうだ。


「……まあ、俺も下々の者だ。貴族様に逆らっても仕方ねえよ。で、この炎はどうする」


 カシャ、まぶしい光に顔をしかめる。


 メイドが箱みたいなものを持っていた。なんなんだこりゃ。あれが光ったのか。


 がごん、と金属音。俺の体がふわりと浮く。いや、落下してる。


 ざぶうん、冷たい水が体を受け止めた。炎も消えた。術者から離れると消える魔法か。


 ここは池の中。機関室から直接外に放り出す装置があったのだ。というか、俺は砂漠を抜けるまで寝ていたらしい。


 頭上から光が差す。巨大な金属の塊が、森の木々の間をがちゃがちゃと進んでいく。


 太陽の光を反射し、七色に輝くその甲殻。タマムシを模した移動用の魔導機。


 あの美しさに目立つこと以外の意味はない。無駄な人手と金を食うだけ。

 こんなもんを使うのは、三大国で有名な貴族、ザルダ家だ。あの女ザルダ家の一員だったのか。


 タマムシの頭から、何かがひらひらと放り出された。俺の荷物と上着。池を泳ぐ俺の頭上に着地した。


「わっぷ……! くそ、本当に怪我の治療以外、興味ねえんだな」


 食い物も水も入ってない。まあ池と森があるから、いくらでも探せるが。

だが俺が生きようが死のうがどうでもいいらしい。あの女、結局名乗らなかった。


 池の縁に泳ぎ着き、水を払ってタマムシを見つめる。


「うん?」


 違和感。この感覚は。


 拳を見つめる。呪印がじくじくと痛む。黒い文様が燃えるように光る。


 書き割りがある。あのタマムシから感じる。

 あそこに居る誰かが転生者だ。


 だが、どういうことだろう。タマムシの中では、何も感じなかったのに。

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