1-1.呪いの樹を砕く

 風が吹いている。雲が月を隠した。


 ツタに覆われ、古びた屋敷のバルコニー。領主は、血走った目で俺をにらんでいる。


「何が目的なんだ。僕の領地を、こんなに荒らして」


 屋敷を囲む広大な森のあちこちに、火の手が上がっている。くわや鋤を手にした農夫たちが、門の前に押しかけて、騎士たちともみあいになっていた。


「書き割りが、壊れたんだよ。愛してきた民衆を、怒らせたのはあんただぜ。メタリア王国フラワーランド公。いや、シバタ・カサギさんって言った方がいいかな。転生者の」


 俺の言葉に、領主が驚愕の表情を浮かべる。線の細い、いかにも繊細で女にモテそうな男。十九歳の俺よりも、年下にさえ見えるようだ。


「お前やっぱりそうだったんだな。壊し屋なんて、ただの噂だと思ってたのに」


 領主の服につたがからんでいく。ベストに黒い薔薇が次々と咲いた。さながら植物の鎧のようだ。魔力が膨れ上がっている。


 転生者の圧倒的多数を占める、ニホン人独特の黒い髪。それが銀色に変わった。目の黒と白が入れ替わる。


 俺は腹の底で震えた。

 こいつは神に愛された転生者。この世界を変える運命を背負った選ばれし者。

 俺はその他大勢。絶対に逆らってはいけない存在。転生者の物語を彩るためだけの存在。


 そう思うから、負けるのだ。


 右の袖を噛む。力を込めて引き破った。


 露わになった一の腕、二の腕、拳。浮かび上がるまがまがしい刻印が、じくじくと痛んでいる。


 刻印の浮かぶ右こぶしを奥。左拳を前。背筋を伸ばす。鉱山で仕込まれた素手格闘の構え。俺にはこれが一番いい。


「それが……破壊の刻印か。本当に壊し屋なんだな」


 そこら中で巨大な魔力がうごめいている。叫びながら逃げ出したい。勝てるはずがない、こんな奴に。


 だから俺は、露悪的に唇をゆがめる。


「……だったらどうする。『クラエア一の慈愛の領主』さん。いや、自分を追放したパーティの奴らを生きたまま樹にして、苦しめながら取り出した膨大な魔力で森を作り、解放した奴隷やエルフを集めて平和なハーレム農場を築いた、復讐サイコ野郎さんかな?」


「森に還れ!」


 鬼気迫る叫び。優男が狂暴な本性を解放した。


 バルコニーの石畳が破裂する。飛び出した樹が成長する。女性の形、鎧をまとい、樹の剣を持った樹木の美女。すべてが、本来の俺を圧殺する高魔力だ。


 莫大な魔力で植物の魔法を操る。それが“世界一優しい領主フラワーランド公”こと、ニホン人転生者、『シバタ・カサギ』の能力だ。


 突き出される剣。俺は右と左の拳をかえる。裏拳気味に剣に当たった。

 枯れ枝が折れるように折れた。それどころか、樹木の美女そのものも、砕けた。


「こんな魔力で、ワルキューレの樹が……!」


「知ってんだろ、俺に勝てねえってことくらい!」


 襲ってくる樹木の美女を、次々に叩き壊す。俺の心が折れない限り、転生者の能力は俺に通じない。転生者の能力である以上は、魔力の多寡も関係ないのだ。


 この世界、クラエアには転生者が現れる。


 俺のようなクラエアに生まれた人間が持ち得ない、チート能力を持ち、彼らなりの冒険をして成り上がっていく。


 多くは、クラエアにとって好意的な態度で接し、その能力を活かして様々なことの役に立つ。最初に転生者が現れたときから、クラエアの世界そのものが爆発的に進歩したと、俺は村の学校で習った。


 つまり、転生者が居ることの利益の方が多い。こいつだって、十年間苦しめているのは、自分を追放した、無能な元パーティの奴らだけ。誰も文句は言ってない。


 だが俺には、こいつを倒さなきゃならん理由がある。


「う、ぐっ……、なん、だ……」


 急に息が苦しくなる。触れられてないのに。魔力も感知していないのに。


 カサギが俺を冷酷に見下ろす。ドワーフらしい小柄なメイドが、その隣に現れた。うお、さすがというか、凄まじい上玉だ。


 幼くも見えるが、あれがドワーフの良いところ。あれレベルのハーレムとか意味が分からんな。


 言ってる場合じゃねえぞ。ドワーフがカサギに差し出したのは、黒く輝く両手剣。ありゃ黒曜石だ。魔力なしで、すさまじく斬れる鉱物。ドワーフなら加工できる。


「僕は、君が憎いよ。でもそれ以上に君は危険だ。すべての転生者にとってね……僕は平和に暮らしたいけど、だからこそ、僕たちの平和を脅かすものは、徹底的に打ちのめすしかないんだ」


 そういうわけで、俺の首をはねるんだな。なるほど。転生者としてのチート能力と関係ない、ただの良く切れる剣でぶった切れば、俺は死ぬ。


 さすがに、異世界で成り上がってきた転生者。一筋縄ではいかない。


 だが、この苦しさの正体は分かったぜ。気づかれないように息を止める。

 思った通り。苦しさがなくなった。


 正体は、魔力を含んだ微細な胞子だろう。森に生えているキノコ、あるいは沼の近くにあるコケ。ニホンの研究で、ああいうものは胞子で増えることが判明しているらしい。その中には、人の目でとらえられないほど小さいものがあるという。俺は知らんが、ケンビキョウとかいう道具じゃないと分からないほど小さいそうだ。


 カサギの植物の鎧の中に、わずかなコケと小さなキノコが混じっている。

 少しずつばらまいて、俺に植え付けてやがったのだ。


 つまり、俺の動きを封じたのは、転生者としてのチート能力ってことになる。

 だから、今まで食らった分の効果は失われる。


「庭の虫は、殺さなきゃね!」


 カサギが駆け寄る。振り下ろされる剣。


 瞬間、俺は立ち上がる。掌で白羽、いや、黒い刃をはさんだ。


 カサギの純粋な腕力は大したことがない。ひねるようにして剣を抑える。


「なに……!」


 カサギが植物の鎧を成長させた。まさに魔力の鎧、触れれば消し飛びそうだ。


 だが俺も、刻印が右腕から消えた。

 いや、移ったのだ。顔面がぐずぐず痛い。破壊の刻印は俺の頭。


「言ってなかったな。俺の刻印は、気まぐれだ!」


 がら空きの額に頭突き。魔力を散らし、秀麗な鼻っ面を砕く。


「ぐっ……」


 カサギが剣を落とす。

 俺の刻印は再び右腕に。


 素手格闘の構え。打つ、打つ。刻印と拳を入れ替える。一発ごとにカサギの鎧が剥がれていく。


「う、ぅ……」


「あばよ、つまらねえ書き割りの、主人公さん!」


 最後の左ストレート。クリーンヒットした。カサギはグロッキー状態で腰から崩れるように倒れた。


 魔力が散っていく。転生者のすべてを支える、書き割りが壊れたのだ。


 俺は森の中心を振り向く。ひときわ大きな魔力が散っていく中心。これで、あのおぞましい樹から二人の魂は、解放された。


「貴様……!」


 メイドが巨大な斧を取り出す。カサギをぼこぼこにした俺を、殺す気だろう。闘気が集まるのを感じる。


 こいつは転生者じゃない。ただ猛烈に強いだけの、この世界クラエアのドワーフ。したがって俺は、なす術がないってことだ。殺される。


「……よすんだ」


「カサギ様!?」


 驚きの表情のメイド。カサギが傷だらけの顔をしかめながら、俺を見上げる。


「君が、来た理由が、分かったよ……行ってあげてくれ。あの子達は、君を待ってるんだろう」


 『絶対に復讐する』という書き割りが壊れて、こいつ本来の優しさが顔を出したってところか。憑き物が落ちたような顔だな。


「……じゃーな、優しい領主さん」


「違うよ。僕は、憎しみで彼らを殺した。苦しめた」


「違わねえ。自分に逆らった領民を助けて、火を消して助けてる奴が、優しくなくてなんなんだよ」


 カサギの鎧は溶けている。だがその魔力は今、森中に散って、あちこちの火の手を消し、領民たちの仲裁をしているのだろう。俺が物語を壊したことで、裏切った領民たちを。


 俺はジャケットを拾った。ほこりをはたいて袖を通す。シャツは、また買い替えなきゃならない。


「次は、どこへ行くんだい」


「さあな。つまらなそうなところ、だろうな」


 呼ばれるか、連れて行かれるか。それが俺の宿命だ。


※※          ※※


 混乱した領地は簡単に抜けられた。森を見下ろす峠道に差し掛かる。


「おじちゃん!」


「レアクさん!」


 簡素な皮の服をまとった、金髪の兄妹。双子の姉妹のようだが、双子の兄妹なのだ。


 俺はこの領地に行き倒れとして入った。なにせこの森、他と隔絶するため、周囲二百キロが岩と砂山なんだからたまったものじゃねえ。


 血まで干からびそうな俺を、助けてくれたのがこの兄妹だった。


「魔法の樹が消えたんだ。父さんと、母さんの魂がやっと解放されたんだよ」


「村のみんなも、なんだか夢からさめたみたいに、私達のことをいじめなくなったんです。初めて、村の広場に入れてもらえて……」


 俺に取りすがり、涙を浮かべる二人。


 この双子は、カサギを追放したかつてのパーティメンバーの子供だ。

 母親はカサギを裏切った元恋人。父親がカサギを追放して主導権を握ったパーティのリーダー。


 優しいカサギは、復讐すべき裏切り者の腹の中の子だけは、殺せなかった。二人を樹に閉じ込める前に生ませ、領地で生かしておいたのだ。


 世界一慈愛に満ちた領地で、ただ二人、むごい差別に苛まれる運命を背負わせて。さらなる復讐ってところだろうな。こいつら自身とは、関係ないのに。


「よかったじゃねえか。ま、もう大丈夫さ。ちょっとミスっただけだよ、カサギのやつ」


 ぽんぽん、と二人の頭を叩き、肩を押して引き離す。


 名残惜しそうな二人を背にして、俺は街道を進む。

 背中から声をかけられた。


「ねえ、レアクさん! どうして、転生者様と戦ってくれたの」


「……ああ? そうだな。カサギとは、花の好みが違った。綺麗になるぜ、お前ら。楽しくやれよ、これから」


 二人は顔を見合わせて、赤らめた。


 俺は砂漠に続く岩山の街道を歩く。カサギの書き割りは壊れた。その後どうするかは、あいつ次第。カサギの書き割りの先に何があるかは、書き割りの下に居た者たち次第。


 それが、転生者の物語を壊せる俺の宿命なのだと、あの悪魔は笑っていた。

 さて、どこへ行こうか。

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