36.過去の僕

また、暗い空間に僕は一人、立っている。ここは前にも一度経験したことがある空間だった。以前はずっと暗い中を歩いていた。目的もなく、ただがむしゃらに進んでいた。


 暗い空間に人の泣き声が聞こえる。僕はその泣き声が聞こえる方向に歩いて行く。前も見えない、足元も見えない漆黒の空間をただ、声を頼りに進んでいく。

 周りは何も見えないが、より一層、泣き声が大きく聞こえる。たぶん、すぐ近くまで来ているのだろう。


 今までは普通に歩けていたのに、急に足が重く感じる。それでも、僕は足を止めない。そのまま少し歩いて行くと、少し周りが明るくなる。


 いた!


 ずっと泣いていたであろう人を見つける。けれど、その人影は見覚えがあった。

 …あれは、僕だ…


 僕は自分に近づく。幼い僕は、僕を見上げ、さっきまで泣いていたのが嘘のように笑顔でこちらに話しかける。


「お姉ちゃん?それともお兄ちゃん?どっちでもいいや、僕を殺しにきてくれたの?」

「…どうして?」

「だって、僕には何もないから、紗夜お姉ちゃんももういない。僕はもう一人になっちゃった。殴られ続けるのも、もうしんどい。だから死にたいの。けど、僕には勇気がないから、だから…」


 僕を殺して。


 そうだ。僕は紗夜お姉ちゃんがいなくなってから、何も見えなくなっていった。そして、誰でもいいから殺してくれる人を望んだ。けれど、今は違う。僕にもたくさんの友人ができた。もう、一人じゃない。もう、そんなことを望んでいない。


「だめだよ、諦めちゃ。君はこれからいっぱい素敵な人と出会うんだから」


 僕がそう言うと、真っ暗な空間が白く輝き、思わず目を閉じる。目を開けると、そこは教室に変わっていた。


「ここは…」

「ここは、僕が通っている学校の教室。そして…」


 小さい僕の周りに、冬花やさやか、クラスメイトたちが現れる。


「ここにいるみんなが僕を認めてくれた人たちだよ。僕も何もないと思っていた。今でも少し、そう思っている。けどね、そんな僕でも、好きになってくれた人がいる。仲良くしてくれた人がいる。…認めてくれた人がこんなにいる」

「…こんなに、僕に…」

「そう、だから諦めないで。僕は多くの人たちに支えられている。僕らは一人じゃないんだよ」

「…一人じゃ…ない」

「うん。一人じゃない」

「来ないで!」


 近づこうとすると、何か壁のようなものに阻まれ、突き飛ばされる。もう教室の背景はなく、何も見えない状態に戻ってしまった。

 どこからか、声が聞こえる。


「僕には何もないんだ!だから、希望を見せないで!僕を…一人にさせてよ」


 僕は、怯えている僕に対して、何をすることができるのだろうか。いや、一つだけ思い当たることがある。


 だから、僕はゆっくりと僕に近づく。ほんとにゆっくりと、一歩、一歩踏みしめるように進む。姿は見えないが、どんな体制でいるのかはわかる。

 いつも、体育座りをして、自分の気持ちを押し殺していた。そんな時に、紗夜お姉ちゃんが後ろからよく抱きついて、話をよく聞かせてくれた。だから、僕も僕自身に抱きつく。


「…紗夜お姉ちゃん?」

「紗夜お姉ちゃんはもういないんだ。それはもう事実なんだ。それを認めて前に進まないといけない」

「…認めて前に進んだら?紗夜お姉ちゃんは?僕のせいなのに…」

「…そうだね。でも、紗夜お姉ちゃんは僕を助けてくれた。生きろって、ことだと思う。だから、僕は僕として生きる。僕自身の足で一歩を踏み出すことに決めたんだ」

「僕…自身で…」

「そう。だから、過去を認めて進めるように、一緒に頑張っていこう」


 黒い空間にヒビが入り、粉々に砕け、真っ白になった。


「…紗夜お姉ちゃんはもう、いない?」

「うん。もういない。だけど、僕は生きている」

「…そっか。…うん。僕も、頑張るよ」


 そう言って消えていった僕を見届け、決意する。

 僕もちゃんと前に進めるように。

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