10.風邪
風邪を引いた。帰りにあんなに雨が降るなんて思わなかった。それに、昨日、猫のところに傘をそのままにしてしまった。
まあ、結果的によかったかな。今は九条さんに合わせる顔がない。
昨日八つ当たりをしてしまった。謝らないといけないんだけど、勇気がでない。
私のことを話してしまった。姉になろうとしているなんて、気持ち悪いと思われたに違いない。
それに私がいらない子だということも話してしまった。
風邪のせいか、否定的なことしか思いつかない。
少し水が飲みたいと思い、立ち上がるために布団をめくる。
にゃーん。
昨日、連れ帰ってきた黒猫が、布団の中で丸まっていた。お前、いつの間にここにきていたんだ。
猫の鼻に指を近づけると、少し匂いを嗅いだ後、指を舐めてくる。ざらざらしていて、なんか変な感じだ。
昨日帰った後、祖父母に相談したら、すぐに許可がもらえた。
ずぶ濡れになっていたことは怒られたけど…
逆に、もっとほしいものはないのかとも言われた。今も、今までもすごくお世話になっている。
こんな面倒くさい奴を引き取って育ててもらっているのに、これ以上面倒をかけるわけにはいかない。
それなのに、また迷惑をかけてしまった。私はどうすればいいのだろうか。
水を一杯飲み、自分の部屋に戻ってくる。もう少し、考えを整理したいが、すぐに眠たくなり、瞳を閉じる。
目が覚めると、九条さんが部屋にいる。夢の中なのだろうか?
そう思っていると、彼女から声をかけられる。
「あ、起きたの?体調は大丈夫?」
「紗夜ちゃん起きたー?大丈夫―?」
九条さんのほかに、黒猫を抱えたさやかがいて、少しホッとする。
「うん。大丈夫、ありがとう。見舞いにもきてくれて」
「全然大丈夫だよー。猫ちゃんも見たかったしー、トーカちゃんもそうだよね?」
「ええ、それにもし猫を飼えなかったら、里親を探さないといけないじゃない」
「うん。それなら許可はもらったから大丈夫。ありがとうね」
「お前、紗夜ちゃんの家の子になるのかー、名前はなんて言うの?もう決まった?」
「ううん。まだ全然決められていないよ。私はすぐに熱が出ちゃったから」
「そっかー。じゃあ、名前を一緒に考えてもいい?」
「うん、お願い。私だけだとクロとかになるから」
「クロって安直すぎない?」
九条さんの言葉に素直にうなずく。
「そうなんだ。まあ、候補として置いておいてほしいかな」
「じゃあ、トーカちゃんも一緒に考えよう」
「えっ、私も参加するの?」
「もちろん、みんなで考えるの!」
「よろしくね」
「さあ、トーカちゃん。この黒猫ちゃんにいい名前を!」
九条さんは少し悩んだ後、名前を言う。
「女の子ならティア、男の子ならルイかな?」
「いい名前!この子は女の子だから、ティアちゃんになるのかなー」
「いや、さやかが考えた名前はなんなのか言いなさいよ」
「ええー、ティアちゃんが一番可愛いから、ティアに決定しまーす」
「はあ、櫻井さんはそれでいいの?」
「うん。ティアも安直じゃない名前の方が嬉しいだろうしね」
黒よりもティアの方が可愛らしい名前なので、そのまま採用する。それよりも、黒猫は女の子だったらしい。
でも、名前の由来はなんなのだろうか?
「けど、トーカちゃん、名前の由来って何かあるの?」
「昨日は雨が降っていたから、それを連想しただけよ」
「そっかー」
それだけだろうか。それなら、女の子はわからないけれど、男の子はレインの方がしっくりくるような気がする。
まあ、九条さんの考えがあるのだろう。
「あっ、ごめんねー。少し用事があるから、先に帰るねー。紗夜ちゃんは体に気をつけてね。じゃあ、お邪魔しました」
さやかが立ち去った後、部屋の中で九条さんと二人きりになる。気まずいが、昨日のことは謝らないといけない。
「あの、昨日はごめんなさい」
「…どうして、謝るの?」
「昨日はただの八つ当たりだったから。九条さんは関係ないのに、私の意味のわからない話を聞かせてしまったから。だから、ごめんなさい。」
「…1つ聞いていい?」
昨日あんなことを言うだけ言って帰ったのだから、聞きたいことがあるのだろう。
「うん。答えられることなら」
「あなたは私やさやかと一緒にいて楽しい?」
??どうしてそんなことを聞くんだろう?昨日の話じゃなかったのかな?
でも、ちゃんと答えないと。
「うん、楽しい。初めてできた仲のいい人が二人、さやかと九条さんだから。二人と一緒にいると楽しい」
思っていたことを言った。人と関わらないようにしようと思っていたのに、今では二人と一緒にいたいと思っている。
「そっか。それじゃあ、これからもよろしくね」
そう言って、九条さんは嬉しそうに笑った。
「えっ」
「何?嫌なの?」
今度は不機嫌そうな顔をしている。何が何だかわからない。
「いや、そうじゃなくて、昨日あんなことを言ったんだよ。私はおかしいんだよ。だから…」
「関係ないよ。だって、あなたは男で、女子の制服をきて学校に来ていることはすでに知っているんだから。あなたが誰になりたいのかは関係ないよ」
「それでも…」
「それでも、私はあなたとこれからも仲良くしたいと思った。それだけよ」
「それだけって…」
「私にもあまり人に知られたくない秘密はあるわ。それでも、今もそれを抱えて生きている」
たぶん、九条さんが男嫌いになった理由だろう。
「あなたの秘密がどれだけ深いものだったとしても、私はあなたが言ってもいいと思ったときに、あなたから話してほしい。それが私の望みののだから」
私から、話すことができるだろうか?それに、その時をずっと待っているということだろうか?
「じゃあ、私も帰るね。櫻井さん。いつか紗夜ではない、本当の名前を教えてくれることを待ってるから」
そう言って九条さんは部屋を出て行く。私の、本当の名前か…
私が僕になったとき、九条さんやさやかと一緒にいられるのだろうか?
私にとってお姉ちゃんが全てだった。そのお姉ちゃんがいなくなったとき、私は全てを失った。
空っぽになった私は、紗夜になることで埋めることができていたと思っていた。
けれど、二人と出会い、月日が経つほどに、今までに感じたことのない幸福感が私を包んでいた。
私が紗夜でいれば、このまま続くと思っていた。高校卒業まで続けばいいと思っていた。
今だけはこの時間を楽しんでいたいと思っていた。
僕になったら二人は私に何を思うのだろうか…
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