第十話 明原玖秭名②

「ひい、ひい、はあ……!」

 黄昏に暮れる校舎。一人の男が悲鳴を上げながら廊下を走っていた。

 男は既に成人に達していたが、走る、と言うには不格好な様で時々転びそうになりながらも必死に走っていた。いや逃げ出していた。

 顔は涙と鼻水で顔をみっともなく汚し、乱れる服を隠そうともしなかった。男はその学校の教員だった。もし生徒がその姿を見れば、ゲラゲラと下賤な嘲笑の餌食となっていただろう。

 だがそれでも、男は逃げなければならなかった。

 あの、女の姿をした悪魔から。

「ゆぅーびぃーん、やさんっ♪ おはいんなさいっ♪」

 暁光に照らされる廊下。セーラー服を着た一人の少女が映し出される。

 影にぼかされて顔は見えなかったが、歌声からしてきっとにこやかな笑みを浮かべているのだろう。中学生にしては長身の体躯が、彼女のプロポーションの良さを表している。

 ただ、制服が血塗れな事と、片手に持ってる包丁を除けば、だが。

「何だ、何なんだよおっ!!」

 無人の校舎に男の啼泣が木霊する。正確には、校舎に誰もいない訳じゃない。――あの少女が、斬り伏せただけだ。自分を邪魔する教師の全てを。

 少女がその細身からは信じられない膂力で迫りくる。

「はぁがきがじゅうまい、おちましたぁー」

『郵便屋さん』。大人数が縄跳びをする際などに歌われる童歌。中学生にしては少し子供っぽいそれを、今日の昼休みにグラウンドで生徒が歌っていた事を男は思い出した。

 羨ましそうにそれを眺める女子生徒がいた事も。

「くそぅ、ちくしょうぉ……!」

 何故だ。何故こうなった。

 つい数分前。数名の教師で生徒を囲っていた時。一人の女子生徒が入室してきた。いつもおどおどとした気弱な態度だが、相当な美人で有名だった生徒だ。

 彼女は最初、少し怯えていた。数名の教師と女子生徒の間で視線を右往左往させていた。その怯えっぷりを見て、黙らせるのは容易いと男は踏んだ。

 脅しの為、一人の教師が包丁を彼女に向けた。その瞬間、ふっと彼女の美貌から光が消え、どんよりとした仄暗い影に落ちた。少女の変化に気付かぬ教師が、胸に手を触れさせようとしたその時――。

 そうだ。あの悪魔の所為だ。

 あの悪魔がいなければ、自分は今頃、女子中学生の幼気な身体をじっくり堪能していた筈なのに――。

「ごあっ!?」

 雑念に乱れる思考を弾いたのは、背中に受けた強い衝撃だった。勢いに負けて廊下に身を投げ出してしまう。

 男の背に当たったのは、教室の扉だった。

 少女が教室から強引に剥ぎ取り、投げ付けてきたのだ。

「くそぉお、いてえ、いてえええ! 有り得ねぇだろ、くそがあ!!」

 悪態を吐き散らし、しかし自分を覆う影に気付き、ピタリと動きを止めた。間欠泉のように全身から滝の汗を流し、ガタガタと身体が振動し始める。

 目の前に立つのは、赤毛の美少女。

 暁の世界に浮かび上がった少女の顔は、糖分を過剰に含んだ砂糖菓子のように蕩け切っていた。頬は上気し、唇は三日月の形に歪んでいた。

 闇に映える夜桜の如く幻想的で、人を喰らう巨人のように恐ろしく、吐き気を催すほど美しかった。

「ひぃろってあげましょ」

 血塗れの掌をすっと差し出す。ぼたぼたと指の隙間から血液が溢れ出ていた。

 掌を傾け、廊下に転がる男の面前にごとっと何かが落ちる。歌に合わせて彼女は『それ』を落とし続けた。


「いぃちまーい♪」

 ――左手の人差し指を。

「にぃまーい♪」

 ――右手の小指を。

「さぁんまーい♪」

 ――右手の親指を。

「よぉんまーい♪」

 ――左手の中指を。

「ごぉまーい♪」

 ――右手の薬指を。

「ろぉくまーい♪」

 ――左手の親指を。

「なぁなまーい♪」

 ――左手の薬指を。

「はぁちまーい♪」

 ――右手の人差し指を。

「きゅぅまーい♪」

 ――右手の中指を。

「じゅぅまーい♪」

 ――左手の小指を。

 

 落とし、続けた。

 教師が彼女に刃物を向けた瞬間、彼女は豹変した。目視が許されない速度で包丁を奪い、その両腕を手首から切り落としたのだ。

 教師は痛みに悶える暇もなく、素手で咽喉を潰され、顔面を引っ掻かれた。吐血する教師を少女は石ころのように蹴り飛ばし、気絶させた。

 あはっ♡ と絶頂したような笑みは、その場にいた全員を金縛りにあわせるには充分だった。

 こんな目があるからいけない。女の子を見てしまうこの目玉が。――目玉を指でくり抜き、口腔に無理矢理突っ込ませた。

 こんな手があるからいけない。女の子に暴力するこの手が。――両手の五指を一本ずつ丁寧にナイフで切断した。叫び声が煩いからと舌も切った。

 先程とは違った恐怖に慄く女子生徒たちを放置し、男は命辛々逃げ出した。

 それも、今無駄な努力に終わったが。

「なんだ、なんなんだよっ……、明原ぁ!!」

 命乞いをする余力すらなく、ただ少女の名を叫ぶ事しか男には出来なかった。嘔吐しようとして、明原のシューズが弾丸のように腹部に突き刺さり、十メートルほど飛ばされた。その場で胃の中のものを全て吐き出した。

 セーラー服を汚す少女は何も答えない。ただ超常的なまでの高みから弱者をいたぶる愉悦しか頭にない。

 コツコツとわざと音を立てながらゆっくり近付く明原が、ナイフを振りかぶる。

「あーりがとさんっ」

 ガラス窓に映る薄明の明るさを、鮮血が赤く染め上げた。



 ――――――



「――――は、」

 意識が覚醒する。目を覚ますとそこは知らない場所――ではないが、見慣れない天井ではあった。

 上半身を起こし、バクバクと胸骨に文句を言うように喚く鼓動を手で押さえる。今着用している服装が自身の私服でない事に気付き、しかしすぐにここは自分の実家ではなかったと納得する。

 明原はぐっしょりと汗で濡れた下着の不快感に顔を顰める。周囲に人の気配はない。ベッドから降りた明原は思い切って上着を脱ぎ、折り畳んでベッドの上に置く。流石に下まで脱ぐ勇気はなかった。

「……暑いな」

 四日前。『優生思想』の手掛かりを見つけた日。その日はアルマが「今日は疲れたろうから『優生思想』についてはまた今度」と話をお開きにした。アルマから空き部屋を紹介され、明原と燃々はそこで宿泊していた。別にフロントに帰っても良かったのだが、『優生思想』に狙われる危険性があると告げられ、アルマのお言葉に甘える事にした――真夏らの家は監視用の魔法使いが見守っている――。

 アルマに借りている部屋は、六畳ワンルームの個人部屋だ。ベッドから執務机に、テレビや本棚までついた明原から見れば豪華な空間である――本棚の本は日本語と英語のものは一つもないので読めないが――。

 家具や雑貨もお洒落で、部屋を紹介された際は「なんだかすごく年頃の女の子っぽい」と安直な感想を抱いたものだ。

 北欧風のリーフ柄のカーテンをどかし、下着姿のまま窓を開ける。明原にはややズボラな一面があった。

 肌を撫でる朝風の冷たさに身震いし、汗が乾く感触に息を吐く。

「はぁ……」

 そう言えばアンダーの四季はどうなっているのだろうかと不意に気になった。暑い日差しと青風の涼味は炎夏の季節にも思えるが、いや抑々なぜ太陽があるのか。天候や時間帯はどうなのか。一度噴き出した疑問は湧水のように止まらない。つくづく魔法とは分からない。この世界が魔法による産物かは分からないが。

「…………」

 窓から離れ、タンスから衣服を取り出してパジャマから着替える。この服も誰のものなのか不明だが、アルマが買っているのだと考えると、何だか複雑な気持ちになった。

 部屋から出て、洗面台まで向かう。冷水をすくって顔にかけて意識を覚醒させた。

「おはよう」

「あ……、二位くん」

 朝の洗顔の途中で明原に声をかけたのは、二位真夏。彼は昨日まで患者衣を着ていた筈だが、今は夏らしいスポーティな服装をしている。

「おはよう、二位くん。なんだかお洒落な服だね」

「いやこれアルマ……先生が用意してたやつ。朝起きたらタンスにこの服と『これ着てね♡』って手紙が置いてあった」

「ああ……」

 取り敢えず紙を破く真夏が目に浮かぶ。なんだか、こう、なんであの人はああも残念なのだろう。素直に感謝しにくいというか。

 つい少し前に出会った少年と朝を共にする今の状況に言語化しにくい引っ掛かりを覚えつつ、真夏の頭部に巻かれた包帯が視界に入り、胸が痛んだ。

 デュラハンとの激戦の末、辛勝を収めた真夏たちは、学校の保健室で療養していた。魔法による治療も可能なようだが、自然治癒に越した事はないと、最低限の処置だけしてベッドに縛り付けられていた。

「二位くん、もう動いて大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。おれは医者志望だ。自分の怪我の具合ぐらいわかる」

「……そう……。ならいいけど……」

 方便にしか聞こえなかったが、本人がそう言うのなら無理に突っ込むのはやめた。

 真夏はばしゃりと顔に水をかけながら、こう切り返した。 

「おれよりお前の方が大丈夫じゃないように見えるぞ、明原」

「え?」

 ぎくり、と明原は僅かに心臓を揺らす。

「いや、そんな事はないよ?」

「顔色が悪いな。エネルギー不足……、いやストレスか?」

「…………」

 さらっとそこまで言い当てられたのならば、もう降参するしかない。明原は苦笑いを含んで正直に暴露した。

「実は、昔の夢を見てて」

「夢?」

「うん。人を……何人も傷つける夢。……夢じゃなくて過去に起きた現実なんだけど」

「…………具体的には?」

「私が通っていた中学校では、生徒に暴行を加えている教師が何人かいたの。問題にはなってたけど、証拠がなくて有耶無耶になってた。私は事件を解決するつもりはなくて、ただ忘れ物を取りに教室へ戻ったら、ちょうどその暴行現場に居合わせてしまって……、そしたら、先生の一人が口留めのためか私に包丁を向けたんだ。後は、まあ、想像の通り」

 実際のところ、教師たちは一人も死んでいない。ただ全治一年の病院送りになり、あれ以来セーラー服を着た女子中学生を見ると、泡を吐いて倒れる程の恐怖を抱くようになっただけだ。

 襲われかけた女子生徒から教育委員会への摘発があり、そこから他の生徒から被害が相次いで報告され、裁判が行われる予定だった。しかし彼等は真面な精神状態ではなく、今のところ見送られているようだ。

 今現在、彼等がどうしているのかは分からない。一度面会に行ったのだが、医師からNGを貰い、慰謝料も受け取ってもらえずに帰宅した。女子生徒は転校したらしいと風の噂で聞いた。

「……あの人たちは、悪人だった。犯罪者に違いない。けど……、うん。『私』はただ愉しんでただけだった。罰とか正義とか大層な事は一つも考えていなかった。血に興奮して、人を斬る感覚に震えて……。つくづく、最低だな。私」

「……あまり、辛い事ばかり思い出すな。お前が救った人だっているだろ」

「救ったなんて。そんな気は全くなかった。偶然だよ」

 自嘲する明原は二人分のタオルを手に取り、真夏へ差し出す。受け取った真夏が顔を拭きながら何でもないように言った。

「偶然でも奇跡でも、救ったのは事実だ。傷つけた事実を受け止めるなら、救った事実もちゃんと受け止めろ」

「……二位くん」

 彼の目指す医者という職業は、何の比喩でもなく命が懸かっている。真夏が医者になれば『命の選別』をする時もあるだろう。

 そんな真夏の『命』に対する言葉は、重々しく明原の胸に響いた。

「あと、それと」

 真夏は少し言い淀み、ふっと身体を反転させた。顔が見えなくなる。脈絡のない行動に明原は疑問符を頭上に浮かべる。

 一拍の間を置き、彼はやや気まずそうに言った。

「……おれも……、お前に救われてる。……だから明原には、あまり自分を責めてほしくない」

「……!」 

 彼が顔を背けた理由がわかってしまって、明原は少しくすりと笑む。「なに笑ってんだ」と不服気に返された。

 真夏と明原の間に甘酸っぱい青春めいた空気が流れる。しかし、それも長くは続かない。

「やあ、いい雰囲気の途中に失礼するよ」

 二人の空気を遮るのは中性的な美声。要するにアルマであった。何処かから瞬間移動してきた彼に、真夏と明原の二人はもう驚く事もない。

「うわ」「ああ、アルマさん」

 とまあ、この通りである。

 少年少女の冷めた態度にアルマは大袈裟な仕草をする。

「酷いな、二人とも。もう少し驚いてくれてもいいじゃないか。猫パンチされた子犬のような反応を期待した僕が馬鹿みたいだ、全く可愛げのない」

「真面な登場をしてから言ってくれよ」

「14歳の反応がこれだよ。何て面白みのない。これが日本の民主主義の末路だよ」

「攻撃範囲広すぎだろ」

 主語がデカすぎる妄言にもう呆れの溜め息もない。「さっさと本題に入ってくれ」と急かすと、アルマは肩をすくめて告げた。

「『優生思想』のアジトが判明した。作戦会議といこうか」


「彼等は如何やら海上に潜伏しているようだ。それも、日本にね」

 執務室。アルマは椅子に座りながらそんな事を宣った。机上には原型を取り戻した白蛇が眠っている。その白い長身にはコンセントが差し込まれており、モニターに繋がっている。

 並び立つ魔法使い四人が表情で疑問を示す。

「海の上? どういう意味ですか」

 問い返したのは、真夏の隣に立つ雪丸。傷は完治してないらしく、服の下には素人が扱ったようにこれでもかと包帯が巻かれている。非常に動きにくそうであった。

「文字通り。奴らのアジトは海上に浮かんでいる。つまり、船を根城にしているんだ」

 成程、と納得する。一日に入港している船の数は日本だけでも約一万隻なのだ。その馬鹿げた数から魔法使いの乗った一隻を探せというのは無理がある。航空機を使っても発見は難しいだろう。

「しかし連中は何故日本に……」

「確かに……。アクアノートは明らかに英国人だったが……、おれたちに会いに来たってだけじゃ、帳尻が合わないというか……」

「そこはわからないけど、こちらにとっては幸運だ。存分に利用させてもらおう」

 新たな疑問はさておき。話を前向きに進める。アルマが白蛇と接続しているモニターを軽く小突く。如何やらそれに位置情報が印されているらしい。

「現在、彼らは海上にいるようだ。とは言っても、食糧や衣料などの物資はどうやったって陸地から調達するしかない。監視中のメンバーからの報告によると、彼らは小型船を使って運搬しているみたいだ」

「小型船? だったら必ず陸地の何処かには泊まるよな。どうやって泊まっている港の場所を割り出した?」

「本拠地の在所からいくつかの停泊ポイントを推測したんだ。そこから人気が少ない所を選んでメンバーに監視させ、特定したんだ。『教室』には魔法使い以外の仲間も多いからね。数とは力だよ」

 迅速な行動に真夏は驚く。『優生思想』の手掛かりを見つけてまだ数日ばかりしか経過していないのも関わらず、こうも奴等の首元に近付けるとは。

 驚きを示す少年少女の反応を嬉しそうに見つめ、アルマはモニターの画面の赤い点を指差し、こう告げた。

「――君たちには、その船を密航してもらう」

「密航……?」

 言葉の意味はわかったが、情報の処理に数秒必要だった。小首を傾げる真夏に、アルマが追加で説明を上乗せする。

「彼等は前述のように物資を求めて陸地とアジトを行き来している。そうすれば運搬船は必ず何処かの港に滞在する時間がある。その間に船へ密航し、アジトに乗り込む! シンプルな作戦さ」

 意気揚々と語るアルマは、子供がこれから遊園地にでも行くのかというほどノリノリだった。鬱陶しそうに雪丸が反論する。

「内部から組織を破壊しろという事ですか? 『優生思想』にアクアノート以外の魔法使いがどれだけいるのか把握しているのですか。それに、魔法じゃなくても戦闘員は大勢いるでしょうに。僕ら四人だけではアジトの壊滅は難しいと思いますが」

「誰が君らだけと言ったのさ。『教室』の魔法使いもまた、君らだけじゃない。日本に居る『優生思想』の構成員を『生徒』たちが軽くボコして敢えて逃がす。で、そいつに『優生思想』に連絡させて連中の魔法使いを呼び寄せるんだ。彼等は常に強大な戦力を欲している。魔法使いの所在がわかれば飛んで来るさ」

「……? 構成員がいるとわかっているのに何で拷問とかしなかった」

 真夏の一般的な感性からは辿り着かない発想に、明原が苦笑する。不思議がる事もなく平然とアルマは答えた。

「彼等は魔法使いでない下っ端だ。得られる情報は少ないだろうし、それに彼等は『詠唱術』で呪いをかけられている。『優生思想』の情報を喋ろうとすると自害する設定のものをね」

「……優生思想とはよく言ったものだな」

 優秀な人間だけを選民し、低劣な人間を排除する。古来より存在する優生学だ。仲間であっても、ただの人間ならば畜生のように扱う。

 ふと真夏は、アクアノートの事を思い出す。金髪碧眼、眉目秀麗、高慢で理知的な立ち振る舞い。想像の中にいる英国の紳士をそのまま取り出したような。魔法使いでなければ、きっと俳優にでもなっていた事であろう。

 ――あいつは『杖』について言及していた。なら、十中八九保有している。

 ――『杖』があるなら、一般人に戻る事だって選択肢の一つだ。

 そんな彼が、なぜそんな極端で悪逆非道な思想に染まってしまったのか。

 魔法に目覚めければ、栄冠と誉れに華やぐ覇道を歩んでいた筈の彼が、何故。

「……真夏?」

 思案にふける真夏の顔を燃々が覗き込む。はっと顔を上げると、その場にいた真夏以外の全員がこちらを見ていた。なんとなく気まずくなって「話を続けてくれ」と促した。雪丸が何か言いたげだったが、やがて視線を外した。

「まあとにかく、戦力を分散させ、個々で迎え撃つという事だよ。それに君らだけが本部に侵攻する訳じゃない。後に援軍は向かわせる。他にも手は打っているよ」

 ――作戦を纏めると。

 まず真夏ら先遣部隊四名が運搬船に密航し、本拠地に向かう。大玉のアクアノートを討ち、援軍を待ちつつ内部から組織を瓦解させる。といった事か。

 文章にすると非常に短いが、言うは易く行うは難しだ。本格的な作戦に、一気に緊張感が高まった。 

「取り敢えず君ら、一旦着替えようか」

「着替え?」

「ほいっと」

 ぱちんっとアルマが指を鳴らし、ぼふっと白煙が四人の身体から立ち昇った。

 煙が晴れると、四人の衣服が別物へと早変わりしていた。さっきまで全員バラバラの私服だったのだが、今は黒を基調とした学校の制服となっている。首元にはパーカー、男子はズボン、女子はスカートだ。

「この服は……」

「僕が造った『教室』の制服だよ。今の時代、街中に紛れ込むには中高年の制服が一番だ。雪丸には渡していたけど、ちょっと前に破いてしまったからね」

 外見は確かにただの学校制服だが、これを都内で見たかと言われると微妙なラインである。『ありそうでない』辺りを狙っているのだろう。

 背中にかけられている鞄は重さは感じなかったが、何か物質が入っている感覚はあった。

「色々とギミックがあるよ。例えば布には魔力に高耐性を持っているし、認識阻害効果も持つ。鞄にはひみつ道具」

「あ! 拳銃入ってる! うわっ、これホンモノ!?」

「そこの安全装置を外してごらん」

 バンッ!

「撃てた!」

「撃てたじゃねえわ。撃つな」

「あはは。まあ流石に実弾ではないよ。ただのゴム弾だけど、人間を気絶させる程度の威力はある。使い様だね。麻酔弾とかもあるよ」

 黒光りする銃をあわあわと持て余す燃々にツッコミを入れ、自分の鞄にもあるのか確認する。映画でしか見ないような小型の銃があったが、今はいいかと放置した。

 鞄の中身は意外にもシンプルだった。拳銃の他には弾倉、ナイフ、通信機器、謎の腕時計。どちらかというとサバイバルグッズだ。……何故かニンテンドースイッチが決まりが悪そうに鎮座していたが。

「まあとにかく、便利道具という事さ。要所で使ってくれ。制服について何か質問あるかい?」

「何で全員微妙にデザインが違うんだよ。何だ、この花……」

 性差による服の違い以外は、特に差違はないが、制服の模様や色彩が四人ともバラバラだった。真夏はネクタイに白い薔薇のタイクリップが着けられているし、燃々のパーカーには裏側に大量の兎が印刷されていた。こんな制服があるか。

「それはイングリッシュローズだよ。不満があるのかい? 僕監修のステキデザインなのに。本人の個性や用途に合わせて変化を加えたのさ、同じものばかりなんて鑑賞には向かないからね。それに僕は、美男美女を自分好みにデコレーションするのが大好きなんだ」

「うわ」「あーあ」「アルマさん気持ち悪い!」「……」

 真夏、雪丸、燃々、明原の順番で痛烈に罵倒していく。何気に明原の無言の圧が一番ダメージがありそうだった。

 酷いな~、とアルマは相変わらず飄々と笑いながら出口の扉へと歩いていく。

 突然の行動に疑問を感じながらもその小さな背中に疑問をぶつける。

「作戦決行日は?」

「今」

「「「「は?」」」」

 四人の声と、ドアの錠が開いた音が部屋に響いたのは同時だった。

 アルマはどこからともなく取り出した鍵で扉を開けていた。少年たちの疑惑には一切答えず、代わりに『杖』を振り、ぐんっと四人の身体を引き寄せた。真夏たちは謎の引力に引っ張られ、為す術なく扉の奥へ吸い込まれていく。

「ちょっ」

「それじゃあいってらっしゃ~い」

 アルマのクソ野郎ッ、顔面不衛生変態ッ、と思い付く限りの語彙で罵る暇もなく、四人の魔法使いは敵地寸前へと放り出された。



 ――――――



「うぐっ」

 アスファルトの床に放り出され、硬い感触に表情が歪む。続いて雪丸が飛んで来たので、その場から離れる。しかし雪丸は憎たらしいまでに鮮やかな着地を見せつけた。随分と慣れた身のこなしだった。

 次いで燃々が抛られ、雪丸が不可視の右腕で受け止める。最後に明原が飛ばされたが、明原はくるりと空中で反転し、すたっと曲芸のように美しい着地を魅せた。真夏が審査員なら文句なしの10点を与えていた。

「どこだよ、ここ……」

 全員が揃ったところで、周囲を確認する。一見ただの路地裏だ。日本語の書かれた看板が見えるので、日本ではあるようだが、詳細な現在地は不明だ。

「場所ぐらい言えよあいつ……」

「しょうがないよ、アルマ先生なんだから」

 さらりと先生を貶す雪丸に溜息を吐き、ふと後ろを振り向く。真夏たちが排出された扉の方へ。

「「あ」」

 扉を開けた一人の男とばっちり目が合う。

 ちょうど黒いスーツの男がその扉を開けて、身体を出していたタイミングだった。

「「…………」」

 ――『優生思想』のメンバーか?

 思わぬ事態に二人して硬直。先に動き出したのはスーツの男だった。何か叫ぼうと息を吸い込む男の顔面に、真夏は渾身の左ストレートを打ち込んだ。

 更によろけた男の後頭部を掴み、そのまま背面の壁に直接叩き付けた。ゴンッと頭蓋骨とコンクリートが衝突する嫌な音が響き、男はずるりとその場に崩れ落ちた。

 見ず知らずの他人に対しての暴虐に、三人がまるでアルマを見るような目で真夏を見る。

「君、意外と『優生思想』似合ってると思うよ」

「なんだと」

「真夏……、まだこの人が『優生思想』だって決まった訳じゃないのにこれは酷いと思うよ」

「うっ…………」

 燃々からも責められ、罪悪感が良心に痛みを訴える。心なしか明原の視線の温度も冷たい。

「まあやっちゃったものは仕方ない。身ぐるみ剥がそう」

 いち早く切り替えた雪丸が男のスーツのポケットをゴソゴソとまさぐる。お前も大概だろ、とはさすがに言えなかった。

 雪丸が男のスーツからスマホ、ハンカチ、財布と奪っては宙に投げ出す。スマホを拾い上げ、電源を立ち上げるが、当然ロックがかかっていた。燃々が財布の中身を漁るが、現金か何かしらのカードしか出てこない。

「ん?」

 燃々が一枚の名刺を取り出す。スマホを放り出し、「どうした」と燃々の隣でその名刺を覗き込む。

 名刺に記された名前を真夏が読み上げる。

「『一般財団法人 光明会』」

「なにこれ? もしかしてほんとに無関係の人?」

「いや……。イルミナティという実在する悪魔崇拝組織がある。光明会とはそれの別名だ。これが『優生思想』の表の顔である可能性は高い」

 イルミナティは現実でも知られている宗教団体だ。神を排斥し、悪魔崇拝を掲げる邪教徒。生贄儀式などを行っている狂人――というのが表世界での認識。

 魔法に悪魔が宿ると聞く。そこからイルミナティに繋げるのは自然な事だろう。

「現実に存在する組織って……、もしかして、魔法使いが組織の黒幕だったの?」

「さあな、そこまでは知らん。アクアノートが人を集めるために体よく名前を利用しているだけかもしれん。教徒共に『自分は悪魔の天命を受けた選ばれし人間だ』なんて言って魔法を見せつければ嫌でも信じるんじゃないか」

「そっか、確かに」

 真夏と燃々の会話に「二人とも」と雪丸が割って入る。

「これ見て」

 雪丸の手に握られているのは、白い蛇だった。本物ではなく、十中八九鉄で編み込まれた魔道具だ。倒れた時に壊れたか雪丸が壊したのか、既に半壊している。

「例の監視用魔道具か」

「うん。ここが運搬船の港付近だとすると、多分見張りに使ってたんじゃないかな」

 成程、と納得する。イルミナティの名刺に加え、監視用の魔道具。証拠は完全に揃った。

「これでこいつが『優生思想』の構成員なのはハッキリしたな」

「殺人未遂罪にならなくて良かったね」

「おい、せめて傷害致死罪にしろ」

「どっちにしろだよ」

 少年たちの不毛な言い合いを尻目に明原は、男の出てきた扉に近寄り、奥へと顔を突き出す。部屋の中は如何やらコンピューター室らしく、パソコンが複数設置されてあった。ここで監視カメラ魔道具の映像を映しているようだ。壊した方がいいのか分からなかったが、今私達のやる事じゃないと判断し、放置した。

「こいつどうする?」

「縛り上げて部屋にぶち込んでおこう。明原さん、中に縄とかある?」

「あ、ガムテープなら……」

「よし。全身をガムテープでぐるぐる巻きにしよう」

 部屋から三つ程のガムテープを手に取って真夏と雪丸に手渡す。数分後、男は黒いスーツの見る影もない、頭の先から爪先まで完全なるガムテープミイラに姿を変えていた。口は塞いだが鼻は開けているので多分死なないだろう。

 茶色い芋虫の頭を真夏が掴み、雪丸が脚を掴んで部屋の内部へ三つ分のガムテープと共に放り投げる。ごつんっと音がしたが聞こえないフリをするように扉を閉じた。

「さて、近くに港があればいいがな」

「ここに『優生思想』のメンバーがいるという事は、そう遠くない筈だけどね」

 切り替えの早い少年二人が走り出し、その背中を少女二人が追いかける。四人は路地裏から出たが、やはり見覚えのない街並みだった。地名は不明だが、ここは住宅街のようだった。

 視界に何かが反射して、真夏は思わず目を細める。先頭の真夏が脚を止めたので、つられるように三人がその場で止まった。

「あ! 海だ!」

 燃々が指差した先、2キロ程遠くの地平に青く輝く海が広がっていた。太陽に照らされて光粒を粒立てるその様は、まるでサファイアの森のようだった。

「ほんとに近くだったな……。あそこにいるのか」

「速く行こう」

 そう遠くない距離。四人が再び歩を進める。魔法使いの脚力は常人とはおよそ比較にならない。陸上選手もかくやという速度であっという間に海辺の港まで辿り着いた。

 港にいた釣り人は見える範囲では五名。停泊している船は三隻。船は恐らく三隻とも漁船。大きさは平均的なのでこれは『優生思想』の運搬船ではないだろう。

「怪しそうなものは特にないな……」

 アスファルトの岸壁を容易く飛び越え、向こう側に着地する。アスファルトの道はここまでだ。更に奥には海岸に面した陸地が広がっている。

「! あれは……」

 波浪に削られた海岸沿いを眺めていると、いそいそと袋を運んでいる黒いスーツのメンバーを発見した。その近くには、中型の船。それを視認した真夏たちは咄嗟に付近の岩場に隠れた。乗り遅れた燃々を真夏が首根っこを掴んで引っ張る。

 岩場の影からそっと顔を出す。黒いスーツの男たちは船に乗り込み、荷物を中に運び込んだ。人数は二人。船内にも何人かいるのかもしれない。

「あれが『優生思想』の船か」

「九分九厘そうだろうね。それにしてもめちゃくちゃ怪しいな彼ら」

 男たちが船から降り、スマホを操作しながら何処かへ歩みを進める。

「明原さん、兎束さん。僕らはあの二人を沈めるから、その隙に君らはあの船に乗り込んで。敵がいたら倒してね」

「お、了解!」「わ、わかった、任せて」

 手短に雪丸が少女二人へ指令を発すると、燃々は意気揚々と、明原が自身無さげに頷いた。言うまでもなくこの四人で白兵戦最強は明原である。

 行くよ、と岩場に沿って動き出す雪丸に追随する。男たちは自動車が幾つか停まっている駐車場まで歩を進めた。しかし急に脚を止め、二人して真剣な表情で何か駄弁り始めた。雪丸の魔法の間合いの外にいる。直接戦闘は出来れば避けたい所だ。

 真夏は装着している指輪から刃を抜き、掌底を傷つけた。漏れ出る血液が朱色の花々へ変化する。風に乗せて血花を放った。複数の花々が男二人の黒いズボンを傷つけ、肌を露出させた。

 突然切り取られたズボンに男たちは違和感を感じたか、会話を中断してこちらに目線を向ける。まだ気付かれてはいない。

「おい! そこに誰かいやがるのか!? いるなら黙ってねえで出て来い!」

「まさか、魔法使いじゃあるまいな……。どっちにしろ、見られたんなら殺すしかねえ」

 ドラマに登場するようなチンピラの台詞を吐き捨てるスーツ男二人が、同時にコンクリートの地面に顔面を叩き付けられる。二人は一瞬の内に意識を刈り取られ、大の字の姿勢で地面に僅かばかり埋められた。

「やっと間合いに入ってくれた」

 扇でトントンと肩を叩きながら雪丸は呟く。真夏が近くまで誘き寄せた相手を雪丸の『鎧狗』で読んで字のごとく沈めたというだけだ。

 真夏は立ち上がり、漫画のような無様な格好で沈黙する二人を指差す。

「あいつらどうする。もうガムテープねーぞ」

「船に縄ぐらいあると思うよ。明原さんたちの方へ行こう」

 男たちに近寄り、それぞれ片足を掴んでズルズルと物のように引き摺りながら、運搬船の簡易停泊所まで歩いた。ごつごつした岩場に気絶した男の頭部が何度も打ち付けられていたが、気にしない。

「明原ー、燃々ー。無事かー?」

 船に向かって声をかけると、返事をするように船内から何かが飛んできた。

 スーツを着た男だ。吐血しながら宙を舞い、崖にぶつかって崩れた。

「あ、戻ってきた」

 燃々がひょこっと顔を出す。さっきの男は、まあ燃々か明原が蹴り倒したのだろう。

 船に乗り、物資を入れた三つの袋があることを確認してから、燃々に声をかけた。

「船にいたのは?」

「あの人だけだよ。私も玖秭名も無傷」

「そう。ところで縄とか鎖とかある? とにかく拘束できるものは」

「あー、ごめん、私が見た限りないっぽい」

「そう……。じゃあ通信機器壊してこの辺に捨てておこう。あと財布も抜き取っておいて」

 財布を抜いたのは公衆電話を用いて本部に連絡させない為だろう。真夏たちは言われた通りにスマホを海に捨て、財布を盗んだ。

 がちゃりと扉を開けて操舵室から現れたのは、敵ではなく明原。彼女は真夏に「全員倒したの?」と訊き、それに真夏が頷くと、途端に困ったような顔で操舵室を指差す。

「ねえ……、全員倒しちゃったら、誰が敵のアジトまで操縦するの?」

「「あ……」」

 真夏、燃々の声が無様に重なる。そう言えばそうだった。後先考えずにボコっていた。

 どうしよう……、と作戦開始前から困り惑う二人の肩を叩いたのは、雪丸だった。

「心配いらないよ。この程度のサイズの船なら僕が操縦できるよ」

「え、ほんと?」

「いやでもアジトまでの道は? そこまではわかんないだろ」

「そっちも大丈夫。三人とも、通信機をだして耳に着けて」

 その言葉を合図に、四人が鞄からインカムを取り出す。電源を入れ、耳に装着した。

 ざー、ざー、と砂嵐のような音が響いたと思えば、聞き覚えのある声が鼓膜を震わせた。

『やあ、みんな! 僕だよ! 元気にしてたかい?』

「……お前」

『おっとっと、待ってよ真夏。通信は切らないで。また繋げるの面倒だからさぁ』

 生まれ持った美声が宝の持ち腐れと化すイライラ発言を繰り返すのは、勿論のことアルマである。色々と言いたい事はあるのだが、もういいやと舌打ちだけで済ませた。

『じゃあ僕がモニターを見ながらあっちこっちに行ってと指示を出すよ。アーユーレディ?』

「そういうのいいんで」

 すげなく返す雪丸は他三人に「辺りの警戒だけよろしく」とだけ告げ、操舵室に入室した。

 入室する際に盗み見た彼の横顔には、一筋の冷や汗が垂れていた。

 雪丸が柄にもなく緊張しているのだと察すると、どきりと心臓がはねた。

 ――そうだ。雪丸だって怖いんだ。

 なんとなく雪丸は強くて、どんな時でも覚悟の決まった魔法使いなんだと思っていた。だけど違った。常日頃傲岸不遜な言動で周囲を困らせている彼だってまだ14歳の少年なのだ。命を取り合う覚悟が出来てなくて当然だ。兄を弔った時とは違う。

 戦いとは理屈ではなく、本能が導き出した結論だ。だからこそ、避けられないのだとわかる。

 アルマの言葉に重みが増して真夏の両肩にずしりと圧し掛かった。今更怖じ気つくとは恥ずかしい、と自嘲する。

 ――戦いはどうあっても好きになれない。

 ――けど、おれにも譲れないものはある。

 大海の地平を望む。きっとあの先に、魔海の主は偉そうにふんぞり返っている。

「――アルマ先生。案内を頼む」

 数分前とは違う芯の通った真夏の言葉を受けて、アルマは何故かそれを求めていたかのように笑った。

『じゃあ、作戦開始だ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る