第九話 日野森雪丸④ ――月行騎士――

 骸骨が手に持った炎を鏃に変え、連続して射出する。高速で飛来する炎の矢を悠々と躱す生首に、ちっと舌打ちする。球体に浮かぶ唇の一部が若干馬鹿にしているようにも見えた。

 現在、雪丸はデュラハンの本体を追っているのだが、一向に彼我の距離は縮まっていなかった。煽り運転する生首への苛立ちと、真夏はどうなっているかと焦燥が交雑して、段々と心の余裕が埋もれていく。

「……くそ」

 雪丸が滅多にしない毒づきが、彼の余裕の無さを如実に表している。

 彼が焦っている要因には、人払いの結界も含まれている。

『詠唱術』で雪丸が張り直した人払いの有効範囲は、2キロ。夏休みと言えども昼の終わる頃、そろそろ社会人が帰り道へ脚を進める時間帯だ。範囲から出れば人々が大勢いる。こんな化け物を世に放つ訳にはいかない。

 炎の骸がゴウと火力を増す。今度は外さない、と骸骨の掌の上に燃え上がる鬼火を鏃の形に曲げる。

 背中に何か重いものが衝突したのは、その時だった。

「ッ、う!」

 意識から外れた炎の骸骨が消滅する。体幹が乱され、勢いのまま地面に前面へと突っ込んでしまう。辛うじて顔面強打は避けた。

 誰だ、と背中に圧し掛かった何かへ視線を動かす。

「……!? 真夏!」

 血塗れの真夏の身体を抱える。胴に×の字の切痕が加えられており、一目で致命傷だとわかった。傷はかなり深く、衣服が赤黒く染められていた。病気のように青白い顔が、彼の命が残り僅かだという事を否が応でも雪丸に予見させた。

 雪丸は『治療術』を会得していない。雪丸に出来たのは、自身の上着を強引に千切って傷跡に押し当てる事だけだった。

「…………」

 暗い影が雪丸と真夏を覆う。目の前には、首無しの堕ち武者が威風堂々と立っていた。

 瀕死の兎二匹如きに本気を出す必要はないとばかりの圧倒的なまでの森厳さは、顔が見えないにも関わらず、雪丸の目を釘付けにした。

 真後ろの上空で浮いていた筈のデュラハンの生首が、侍従のように身体の横に並んだ。

 カムイ『デュラハン』。

 人の命を喰らって生きる首の無い武者。浮き出る顔の数だけ人を殺している。

 もっと単純に表すのならば、喋る死体とでも呼ぼうか。

「…………」

 亡霊は何も語らない。ぎょろぎょろと無駄に多い目玉を不気味に右往左往させている。死にかけの少年二人の事など、眼中にないようだ。

 薄気味悪く蠢く顔に、雪丸は、兄の青い瞳を見つける。

 それを見つけた雪丸は……、笑った。

「……ねえ…………、兄さん。」

 中性的な言葉に、デュラハンが砂粒程度の反応を見せる。夜陰の深くで灯る松明のような兄の自我が、弟の声を聞いたのかは分からない。ただ、聞き入るように黙って停止していた。

「僕ね、仲間が出来たんだ。魔法使いの、だよ。僕は友達が作れるような性格じゃないけど、仲間とは呼べるようになったよ。友達じゃあ、まだないけど」

 嬉しそうに雪丸は声を綴る。子供が学校での思い出を肉親に語るように、誇らしげに。

「みんな前を向いて生きてる。明るい未来を信じてる。すごいな。僕は、後ろ向きにしか生きられなかった。ただ兄さんを弔う為に生きてきた。その後の事なんて、考えた事もない。……魔法使いに生まれた以上、不幸になるのは間違いないんだから」

 雪丸が立ち上がる。真正面から生首に視線をぶつけた。

「でも今は違う。彼らが僕を変えてくれた。兄さんを弔う為だけじゃない。僕のこれからの為に兄さんを殺す。兄さんがいない世界で、少しでも前を向いて歩けるように」

 自分なんかに命を賭けてやると言ってくれた少年がいた。今彼は戦いに傷つき、心身ともに満身創痍だ。

 雪丸は彼に報いなければならない。

「生きようと思う。どうにか、頑張って。魔法使いは……、いつだって生かされた人たちだから。生きている人間が過去の人にできるのは、その人たちを忘れずにいる事だ」

 兄は自分を愛していた。雪丸は何の疑りも迷いもなしに、堂々と叫ぶ事が出来る。兄は誰よりも弟の幸せを願い続けていた。

 ならば、雪丸が勝手に死んでいい道理はない。兄への恩返しとは名ばかりの、死にたがりなど兄が最も望まないものだ。



「魔法使いはろくでもない、どうしようもない存在だ」



「……なんて、考えるのはもうやめたよ」



 ばき、とデュラハンの足元から薄氷が割れるような音が響いた。

 生首が視線を地面に移す。まだ生温かい血溜まりが足元に拡がっていた。拡がり続ける血の池に揺らめく波紋が、ぴたりと固体として凝り固まる。

 澱みのような赤黒い血液が、デュラハンの草履に結氷のように張り付いて固まっているのだ。

 ただの血液ならば、肉体の外に溢れたとて、瞬時に凝固する事はない。『血花』の使い手の血液以外ならば。

「そうだ、雪丸……」

 がっと真夏が埒外の筋力で武士の足首を掴む。

 深傷の絶えない身体だった。至る所から出血は止まらず、ただ致命に届く箇所のみを再生し、崖から落ちる寸前で命を繋ぎ止めている状態だった。

 自身の傷を顧みずに血だらけのまま敵の足元に這い寄るその姿は、宛ら死を喰らう亡霊のようだった。

 一介の中学生とは思えぬ幽鬼の如き形相に、デュラハンを以てしてゾッと怖気が走った。

「おれたちは生きる。誰かの掌の上だったとしても」

 意識が逸れたその時、ぶおっと出自不明の上昇気流が真夏を中心に発生、同時に血花を展開させ、三人の周囲を花風の暴風が巻き上がった。

 朱色の台風の目の中央部に、頭部のない青き灼熱が現出する。勢いに負けた武士と生首が軽く飛ばされる。

 音を立てて広げた新緑色の扇子の奥で、雪丸は睨みを鋭くする。

「終わりだよ、兄さん。なるべく早急に死んで」

 扇子が上から下へと、何かの儀式のように高雅に舞ってみせる。

 途端、強風に煽られた山火事のように骸骨の炎熱が火力を増した。全身を鬼火に滾らせる首無しの骸骨は、荼毘に付される仏のようだった。

 上昇気流に乗った炎が螺旋を描いて竜巻になる。

「おれの血花に……、炎が燃え移ってる……?」

 苛烈さを強めた青い炎は、朱色の花々に次々と燃え移っていった。無論、燃焼して花弁が燃え滓になる事はない。ただ花が炎を纏っただけだ。

 花嵐に鬼火が点火し、たちどころに豪炎の台風と化した。先程までは辺りの景色も見えていたが、今はもう青い竜巻しか映らない。三人は炎の嵐によって完全に世界から隔離された。

「………………」

 生首が沈黙する。全方位から弱点である鬼火に包囲され、逃げ場がなくなった事を悟ったようだ。

 強引な『治癒術』によって回復した真夏が立ち上がり、出血から二対の血刀を生み出す。

「詰みだ」

「まるで悪役のようだね、僕ら」

 がしゃどくろの持つ大刀に炎が宿り、真夏の血刀に炎が点火する。青い炎の衣を纏った紅血の刀は、いっそ禍々しい程に荘厳だった。

 雪丸の骸骨が青き大刀を持ち直す。デュラハンが槍のようにがしゃどくろの中央にいる雪丸に突進した。

 振り下ろされた大刀が粉塵を巻き上げ、炎の噴水が聳え立つ。粉塵が晴れた時、首無しの武士は長刀で炎の一撃を防いでいた。雪丸が手振りをする度にズガ、ドゴッとがしゃどくろと武士が得物を嚙み合わせ、コンクリートが破壊されていく。

 まだ体力のある雪丸が肉体を足止めしている。二人は合図を交わす事なく意思疎通が出来ていた。

 雪丸の意図を察した真夏は、本体の生首まで駆け出す。

「お前を潰せばおれらの勝ちだ」

 戦闘力があるのは武士の肉体の方。ならば早々に頭を潰す。

 走りながら血刀を交差させる。風を切って炎の弾丸と化した血花が生首へ雨のように降り注ぐ。器用に逃げ回るが、物量には勝てずに段々と花弁が掠り始める。

 動きが鈍る生首に、躊躇いなく真夏は血花の雨に突っ込む。

「…………!」

 肩に、腿に、首に、主人であろうと容赦なく血花が突き刺さる。雪丸が足止めし、逃げ場を失くしたこの千載一遇の機会を逃す訳にはいかない。生きる為に、死力を尽くすのだ。

 リーチの短くなった血刀の間合いまで肉薄する。生首に向け、一刀を振り上げる真夏だったが――、そこで、奴が口の一つから何かを放射した。

「う!?」

 飛来物に対し反射的に目を瞑り、しかし直撃は免れなかった。べとりとした何かが片目の上の瞼に激突して真夏は顔を反らした。

 舌だ。奴は自ら舌を噛み切り、吹き矢の如く吐き出したのだ。

 馬鹿げた奇襲だったが、既に瀕死の真夏には思いの外痛烈な一撃だった。意識が攪拌され、再び生身の血花が刺さった事で、真夏は我に返った。

 ――ここで気絶しては……!

 血花の動きは単調だ。本人が意識を失っても暫くは設定したパターン通りに動き続ける。今は魔力で肉体を強化して血花に耐えていたが、気絶しては魔力で防御は出来ない。最悪の事態に備え、真夏は血花の制御を解除した。鉄の雨のような血花が、途端にひらひらと紙のように宙を舞う。

「はあ、はあ」

 片目は潰れた。隻眼の状態でブンッと片方の太刀を投げつけるが、血花を纏っていてもバランスの取れない状態では当たりはしない。ひゅんひゅんと上空に回転しながら飛んでいった。

 死に体の悔し紛れ。鼠の喚き声程の悪足搔きにもなりはしない。

「ああ……、もう駄目だ。気が済んだよ。おれはここで降参だ。もう血花の一つも作れない」

 先刻までの鬼気迫る形相を放り出し、真夏は呆気なく両手を上げ、参ったとポーズを取った。意想外の言動に、デュラハンは僅かに自失する。

 そう。真夏はここでダウンだ。魔法使いであっても、あれだけ動けたのが奇跡だ。もう出来る事はない。

 だから。

「行け――雪丸」

「わかってる――終幕だ」

 真下に落下する血刀を、ぱしっと受け取る少年が、一人。

 骸骨の鎧から抜け出し、真夏の真上まで飛び上がった雪丸だ。

「……!!」

 後方では、がしゃどくろが炎の兵刃を振り回してデュラハンの肉体を翻弄している。雪丸が認識できる距離に魔法がいるのならば、傍にいなくても遠隔操作は可能だ。

 耐空する雪丸が持つ血刀から、ガスバーナーのように炎が噴出する。青い炎に閉じ込められる紅血の刀から炎熱の血花が飛び散って宙を舞った。

 眼下、驚倒する生首を睨み付ける。

「さよならだ。兄さん」

 両腕を交差させた雪丸が、生首の眼前まで舞い降りる。血刀を水平に薙いだ。

 電影の如き斬撃が青い軌跡が生み、生首を切り裂いて太刀へと収束した。



 ――――――



「ねえ、兄さん」


「どうした?」


「…………ごめん、何を言いたかったのか、忘れちゃった」


「そっか。じゃあおれが先に言っていいか?」


「うん」


「――おおきくなったな、雪丸」


「…………うん。けど、まだ全然だよ。兄さんみたいな大きな背中には、まだ届かない」


「そんなことないさ。でっかい背中だよ。物理的じゃない、人は人の心意気に惹かれるんだ」


「だったら尚更、僕は小さい人間だよ。いつも嫌な言葉ばかり選んで発言してる。兄さん以外の人間と深い関係になった事なんてない。兄さんがいないなら、一人がいいって思ってしまう」


「いいんだよ、それで。人間、自分の全てを曝け出せる相手なんてそうそういるもんじゃないんだから。この人と友達になりたいなって思ったら、一歩ずつ、ゆっくりと進んでいけばいい」


「……それでいいのかな」


「いいんだって。おれだって、弟のお前に全部は話してないぞ?」


「ふうん。例えば?」


「――――――」


「……ふふっ」


「好きだから話せない事もある。隠し事があるのは、その人に嫌われたくないって事なんだから。まずはその気持ちを自覚する処からだな」


「…………そうだね。ありがとう、兄さん」


「言いたい事、思い出したか?」


「うん。ねえ兄さん」


「ああ」


「僕のお兄ちゃんが、兄さんで良かった」



 ――――――



 雪丸が太刀を振り抜いた瞬間、生首の肉がぼろりと崩れた。そして倒れてゆく雪丸の躯体を、両手を掲げて受け取る。壮絶な戦いを繰り広げた後だったが、妙に軽く感じた。

 ごとっと無造作に落下した生首が、灰になって宙に溶けていく。生首は命乞いをする訳でも悲鳴を上げる訳でもなく、己の運命を受け入れ、静かに消えていった。デュラハンの肉体も同じように、甲冑ごと灰になって消滅していった。天に還るように立ち昇る黒い灰は、何故だか奇妙な郷愁を感じさせた。

 それを見届けた真夏は、雪丸をその場にゆっくり下ろす。立つ気力もないと寝そべる雪丸の横に、真夏も同様に倒れ込んだ。

 戦いの一部始終を見届けた空の青さが、魔法使いの健闘を激励しているように見えた。

「はあ、はあ、ふー……。雪丸、生きてるか」

「…………ギリギリかな。君は」

「おれも、まあ……、これから死にそうだけど……」

「アルマ先生に連絡……。あ、スマホ壊れてる。これもう修理してもらえないな。穴開いてるし……」

「おれのもだ……。この際、魔法使いの仕事とプライベートでスマホ分けるか……」

 穴だらけ傷だらけのスマホ――というかただの鉄屑をその辺に放り出し、一息つく。救出は、まあ明原と燃々がこちらに電話をかければ、連絡がつかない状況だという事が伝わるだろう。そこからアルマに通達がいく筈だ。その辺りはあまり案じていない。

「……なあ、雪丸」

「なに」

「お前……、さっき、おれのこと、名前で……」

「言うに事欠いてそれ?」

 冷たい息を吐いて心底呆れた様子の雪丸に真夏は「いや何か喋んなきゃかなと思って」と返す。雪丸はもう一度息を吐いた。

「…………これで、兄さんの弔いは終わった。生きる意味はもうない」

「自殺でもするのか」

「しないよ、今更。そんなかっこうがつかない真似」

 まだ日の沈まない夏空に、雪丸は手をかざす。青空の眩しさに耐えかねたように。

 兄は死んだ。雪丸が殺した。会う事も笑い合う事もできない。だが、もう雪丸は一人じゃない。いつか別れるのが嫌で、辛くなるだけだと決めつけていたあの頃とは違う。

 戦う理由なら、今隣にいる。

「生きていくよ。兄さん」

 青空を横切る二羽の燕が、雪丸の未来を暗示するように囀っていた。



 ――――――



 一方、明原、燃々サイド。

「地下駅ってここ?」

「じゃないかな。多分」

 化け狐につままれた後に、二人は指が差された方向へ足を急がせた。道中、何故か人気がなかったが、取り敢えず最寄りの駅に到着した。

 周囲には矢張り人間はおらず――無論、真夏と雪丸も――、特に怪しいものもなかった為、地下駅の内部に入る事にした。

 地下のプラットホームにまで下るが、電燈は灯っていただけで、人の気配はなかった。駅員さえいない。

「何で誰もいないのかな」

「これも魔法?」

「かもしれないね。慎重にいこう」

「うん」

 こそこそと隠密を心掛けて、死角を警戒しながら二人は歩を進めた。

 無言で歩くこと数分。また別の出口まで来てしまった。人が一切いない、という事以外は特に不自然な点はなかった。

 杞憂だったのだろうか――。そう思いかけるが、出口へ向かう階段へ視線を移すと、そこに二つ分の人影が見えた。

「あれ……、今の……」

 スーツを着た後ろ姿は、どこで見覚えがあった。しかし明原の脳内メモリーが答えを出す前に、人影は階段を上って出口へと消えた。

「玖姊名? どうかした?」

 人影を見ていなかったらしい燃々が、何やら思案している明原に声をかける。

「あ、いや、今スーツを着た人が見えて……。何処かで見た気がするんだけど」

「それ『優生思想』の人じゃない?」

「あ」

 漸く明原は思い出す。そうだ、あの廃病院で見たのだ。車に乗って気絶しているスーツ姿の男を。

「じゃあ、あの人? が見たのは二位くんたちじゃなくて、『優生思想』の……?」

「うーん、真夏も雪丸もいないし、そうなのかも? でも、だったら何してたんだろ。この辺で妙ちくりんなものはなかったよね? 明らかに魔法だろって感じの」

「確かに。何か壊したような形跡もないしね……」

『優生思想』の下っ端がいた時点で、人だかりがいないのは魔法によるもので確定だ。なら何故、そんな事をしたのか。

 今から連中を追いかけ回してもいいが、もし車で来てるのなら流石に追いつけないだろうし、見つかればアクアノートに報告されるだけだ。奴等の尾行は断念するしかない。

 もう少しここら辺を捜索しよう、と燃々に言い、二人は『優生思想』が細工した可能性のある駅内をウロチョロし始めた。……無人駅の自動販売機で普通にジュースを買っている燃々は少々緊張感が無さ過ぎる。

 投げ付けられた缶コーヒーを苦笑しながら礼を言って受け取る。プルタブを開けて喉に流し込むと、猛暑に焼かれた肌が潤った気がした。

 空き缶を近くのゴミ箱に入れた時、ごつっと奇妙な音が響いた。

「?」

 明らかに缶同士がぶつかった音ではなかった。鉄とぶつけたような硬い音。

 分別する穴の片方を覗く。白く細長い何かが蠢いた。

 何だ? と思いながらゴミ箱の蓋を掴み、ぱこっと封を解く。

「わっ!」

 中から飛び出したのは、白い蛇だった。しゅるるっと地面を滑るように逃げてゆく。

 ――何で蛇が……。

 明原はあまり爬虫類に明るくないが、少なくとも東京で野生の蛇を見かけた事はない――まあ長年引きこもっていたせいで信憑性は薄いが――。ましてや、信仰の対象ともされる希少な白蛇など。

 毒蛇は本土には3種類程度しかいないと聞く。無毒だとは思うが、何かあれば事なので触らないで放置した。

 なのだが。

「ん、蛇だ」

「!!」

 燃々は自分の前を通った蛇を、躊躇いなく足で踏みつけた。視界に入ってから一切の逡巡なしに。短慮さえない行動に明原は正直ドン引きする。

 東京では白蛇は富を齎す弁財天の使いとして広まっている。彼女に信仰があるのかは知らないが、それにしても……。

「あれ? この蛇……」

 明原の引き気味な視線に気づかず、何かを感じた燃々が、ひょいと尻尾を指でつまんで持ち上げる。動き出す白蛇の頭をがっと掴むと、じっと穴が開くほど表面を見つめた。

 白い鱗は生物的な感触はなく、赤い目はガラス玉のよう――いや硝子そのものだ。動きは間近で見ると機械的で、時折駆動音が聞こえる気がする。捕まえられているのにさっきから抵抗も弱い。

 もしやすると、この蛇は――、

「これ……、ロボット?」



 ――――――



「いいものを見つけたね、燃々」

 白い蛇を机上で指差しながらアルマは言う。山ほど積まれた書類や囲まれている白蛇もといメカスネークは、血の代わりに鉄の部品を千切れた身体から流れている。

 白蛇メカを見つけた二人が首を捻っていた頃、ちょうどいいタイミングでアルマから電話がかかってきた(電話番号を教えた覚えがない……)。「ダブルの件が解決したようだから戻っておいで」と。

 取り敢えずメカと共に教室に戻った二人だったが、そこで待ち惚けていたのは、満身創痍でベッドに拘束されている真夏と雪丸だった。「また!?」と仰天するのも程々に、事情を聞いた後にアルマの待つ部屋へ向かった。

 何の成果もないという報告をして、燃々が白蛇メカを差し出すと、アルマは愉快そうに冒頭の台詞を告げた。

「これはね、魔法具というものだよ」

「魔法具?」

 ファンタジー作品ではよく聞く単語を繰り返す。アルマは机の引き出しをゴソゴソし、いくつかのペンダントや宝石類を机上に放り出した。

 それを特に怪しむ事もなく手に取って眺める燃々が「きれー」と呟く。

「これが魔法具ですか?」

「そう。これは一例だけどね」

「『杖』とどう違うの?」

「魔法使いじゃなくても使える。所有者が魔力を籠めて使うタイプもあるけど、これ単体で使用できる事が多いかな。効果はしょっぱいものから歴史の改ざんまで多岐に渡る」

「ほえー。何でそんなものがあそこに?」

 メカスネークを手先で弄ぶアルマが簡潔に答えた。

「これは『優生思想』の魔法具だろうね。それも、監視用の」

「監視……!」

『優生思想』、『監視』という穏便ではない言葉に、腑抜けていた燃々の顔に緊張が走る。

「じゃあ真夏が前に監視されてたって言ってたのがこれ?」

「恐らくね。これは仕組みが単純な分、蛇だけじゃなく様々な形に制作できる。猫とか、蜘蛛とかね。真夏が気付かなかったの鑑みると、鳥型とかで監視していたんだと思うよ」

「なるほど、小動物の形で造れば警戒もされにくいね」

「そゆこと。さっきも言ったように監視タイプは仕組みが単純だから、攻撃的な性質は持ち合わせていない。移動機能がついてて、この目で物事を監視したり記録したりするのが関の山だよ。あとは、GPS機能がついてる程度かな」

「え――。じゃあ、今この場所がバレるんじゃ!?」

 さらっと添えられた一言に明原が叫ぶ。余裕のない明原の声に「それは大丈夫」とアルマが手で制す。

「ここは『アンダー』。秘匿用と排除用の結界が何重にも張られている。これぐらいの魔法具じゃ、外から内への通信は絶対に通らない。そこは心配しなくていい」

「……それフラグってやつじゃない?」

「いや君が踏み付けた時点でGPS機能は既に潰れてんだけどね」

「あらら」

「あららじゃなくて……。でも、それなら『優生思想』にも私達がこれを捕らえた事が伝わってるのでは?」

「そっちの可能性は否めないね。ただ、質より量を優先してるみたいだから、壊れる事自体はよくあると思うよ」

「そうですか……」

 深刻な事態にはならないようだが、どちらにしても良い状況ではないらしい。表情の曇る明原にアルマは言った。

「でもお手軽だよ燃々。玖秭名」

「え?」

「これにはGPS機能が付いてると言っただろう? これを修復すれば魔法で通信を辿って発信源を逆探知する事が出来る」

「!」

 逆探知という思わぬ言葉に、明原と燃々が目を見張る。

「『優生思想』の本拠地を突き止められるのですか?」

「これがほんとに『優生思想』の魔法具ならね。本拠じゃない支部という可能性もあるけど、それそれで手掛かりにはなる」

「結界は?」

「外から内は通さないと言っただろ? 内からの外の電波ならば通るよ。その辺もこちらで調整する」

 おお、と期待の高まる情報に興奮した燃々が、頻りに肩を上下させる。

 ニッと口角の吊り上げたアルマは告げる。

「今度はこっちから反撃開始だ」

 明原の懐で、ナイフが冷たく光っていた。

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