第八話 日野森雪丸③

「兄はまだ死ねずに彷徨っている。僕は弔いがしたいんだよ」

 意外にも素直に全てを語り終えた雪丸は、真夏を見ずにそう締め括った。

 兄の話をする時は、何だか上機嫌にも思えた。

「日野森家とやらはどうなったんだ」

「滅んだよ。現当主の父も死んだ、後継ぎ最有力候補もその二番手も行方不明。元より恨みつらみの多い家業だ、当然の結末だよ。僕はアルマ先生に助けてもらったけど」

「随分ドライなんだな。別に嫌いな人間しかいなかった訳じゃないんだろ?」

「心配しなくても、彼等が生き残って喜ぶ人はいないよ。みんな死んでる」

 立て板に水といった様子で何の情もなく語る雪丸。息をついて真夏は話を替えた。

「……デュラハンは、どうすれば弔い……死ぬんだよ」

「デュラハンは霊体の存在。肉体に乗り移って生きるカムイだ。僕の『霊器』で止めを刺す」

「……もうちょい、何かないのか。具体的なものは」

「魔法使いが『詳細不明』のアドバンテージを手放す訳にはいかない。知りたいならちゃんと見ればいい」

 そう言い放ち、ちら、と雪丸の紺碧の瞳が真夏を映す。やや遠慮がちに見えたのは真夏の気のせいかもしれない。

「別に君は来なくていいけど」

「乗り掛かった舟だ、途中下船なんて恰好がつかない真似しやしねえよ。だが……何故今まで黙っていた。ダブルが現れたと聞いた時からあたりはつけていたんだろ」

「…………言ったって変わんないでしょ。やることは同じだよ。身内の恥だから、言いたくなかったっていうのもあるけど」

 それは、実家についてなのか、カムイに堕ちた兄のことか。

 素っ気なく告げた雪丸の瞳に、覚悟の光が宿る。

「お前まさか、死ぬつもりなのか?」

 雪丸は漸くこちらを振り返った。不満だと顔に文字が書いていた。

 真夏はその不満気な美貌の前まで、一歩踏み出す。

「だとしたら、どうするの? 死ぬなとか自己満足だとか月並みな二番煎じで説得してみる?」

「おれの命も賭けろ」

 雪丸のいつも通りな嫌味を無視し、嘘偽りのない真っ直ぐな言葉をぶつける真夏。口を半開きにし、当惑を通り越して狼狽する雪丸は、理解できないものを見る目をしていた。

 ――本当に、兄以外に頼れる人がいなかったんだな。

「賭けろって…………」

「お前の命懸けに、おれの命も勘定に入れろって事だ。おれはお前と一緒に死にに行ってやる」

「僕の為に、命を賭けるって事?」

「だからそう言ってるだろ。何回言わせるんだ」

「…………どうして?」

 調子を取り戻してきた雪丸が、率直な疑問をぶつけた。真夏は慎重に言葉を選んで今の自分の気持ちを返す。

「おれは、まだお前の事をあまり知らない。女みたいな顔してて、口が悪くて、嫌味で、意外と冷徹でもないって事ぐらいだ」

「…………で?」

「おれはお前を引き留める言葉を持たない。物語の主人公は、こういう時なんか上手いこと言えるんだろうけどさ……。生憎おれはそっちはあまり器用じゃない」

「…………」

「だからおれは、お前と戦うよ。雪丸。お前を言葉で止める事は出来ないから、一緒に命を賭けるんだ」

「魔法使いを救いたいって…………」

「ああ、そうだ。おれはまずお前を救いたい。これでも医者志望でな、自殺未遂を見過ごす事は無理だ。これがおれなりの最大の『譲歩』だ」

 言いながら、やはり自分は『言葉』は不器用だと思う。命を賭けると言っておきながら、死なせはしないなどと言っているのだから。

『杖』を嵌めた左手を突き出し、拳を雪丸の胸板に押し付ける。上目遣いで見上げる雪丸の目は、年相応に幼かった。

「覚悟を決めろ、雪丸。おれの命を背負う覚悟を。兄を祓う覚悟を」

「――僕は」

 雪丸の言葉を切るように、ズガンッと破壊音が街中に響いた。

「「!!」」

 吹き飛んだボウリングボール大の石礫が二人の周囲に落下した。

 地下駅の入り口を埋めていたコンクリートの残骸が、爆発じみた斬撃でこじ開けられ、パラパラと砂が宙に舞った。

 開け放たれた入り口の砂埃に、人影が浮かび上がる。重そうな赤い甲冑を纏った首無し武士。

 デュラハン、かつての名を日野森朝太郎が、東京の街に君臨した。

「堪え性のない奴だ」

 呟いた真夏の左手に、ブンッと白銀の太刀が現出する。

 疾風のように駆け出した真夏に狙いを定めた首無しが長刀を薙ぐ。真夏は斬撃と地面との隙間にスライディングしてデュラハンの直下まで滑り込み、上段へ切り上げる。デュラハンは動きもせずに甲冑で受け、刀を持たない素手の裏拳で真夏を叩く。モロに喰らった顔面から出血するが、じゅうう、と即座に回復した。

 台風と竜巻がぶつかり合うかの如き連撃が炸裂する。『霊器』によって齎された魔法の覚醒、研ぎ澄まされた五感が格上の剣士相手に善戦まで持ち込む。

 

 嵐の激闘から一歩引いた位置で、雪丸は。

 悲劇の夜を今一度回顧した事、変わり果てた兄との再会により、兄を殺す事へ逡巡が生まれていた。

 真夏に言われた言葉を反芻する。

『覚悟を決めろ』

「ああ……、君に言われなくても、わかってる」

 そう。あの日、全てが滅んだあの日から。意志も意味もなく無為のまま死んだように生きる兄を、救うと決めていた。

 ――兄さん。

 ――今度は僕が助けてみせるから。

 雪丸は、懐から一つの新緑色の『扇子』を取り出した。狂言や能に用いられるような、見てくれは一般的な代物。

 その扇子が雪丸の『杖』だった。

 それを顔の前でばっと心地良い音を立てて展開する。

「…………おいで。僕の霊器」

 無地の扇子の新緑色に、ぼう、と火がついたように二匹の鳥の模様が浮かび上がった。



 ――――――



「ま――――――て――――――!!」

 住宅街にいるにも関わらず、空を裂くように怒鳴り散らす燃々に、明原は人目がなくて良かったと思った。いや近所迷惑ではあるが。

「あはははははは!」

 50メートル前、兎束燃々の姿をした偽物が、人を小馬鹿にするような叫声を上げながら走っていた。

 現在明原と燃々の二人は、発見したダブルを追いかけ回していた。

 再発見してから、もう15分が経過しているが、ダブルの依然変わらぬ余裕綽々な態度に、これこっちが遊ばれてるな、と明原は思った。

「まさか無限の体力ってわけじゃないよね……?」

 浪費するのはこちらばかり。二人とも一般人としては異常な体力であるが、徐々にペースは落ちてきている。対する燃々のダブルのスピードが衰える様子はなく、けたたましく喚く余裕すらある。

 息切れしている明原と燃々の方向に首を回し、意地汚くニヤッと笑うダブル。

「私の顔でそんな笑い方するな――――――!!」

「燃々さん、あんまり挑発に乗ると……」

 燃々の単純な反応を見て、ダブルは愉快そうに嘲笑を深める。煽られているとわかってはいるが、速度は低下するばかりで、いつまで経っても状況に好転がない。いたちごっこだ。

 ――魔法を使う……? いやでも危ないな…………。

 死神魔法を使えば、追い付けるかもしれない。だがここは住宅街。オンオフの切り替えは出来ても、出力の調節は未完だ。一般人に見られる可能性が高く、うっかり物を破壊してしまっては言い訳が利かない。

 二手に別れるべきか。いや、追い付けない上に目的地がわからないままでは無駄でしかない。

「うん?」

 ふと、こちらをおちょくるダブルの先方に目を向ける。およそ30メートル前の民家の二階の屋根に梯子がかかっていた。近くに作業服の男性が何か準備をしているので、恐らくこれからペンキ塗りをやるのだと思われる。

 それを見た明原に、一つの天啓が閃く。

「…………」

 明原は道に転がっていた野球ボールサイズの石ころ二つを走りながら爪先で蹴り上げ、掌におさめる。そして、ダブルがこちらに振り向いた瞬間、タイミングを見計らって二つの石を順番に投擲した。

「!」

 野球選手並みの剛速球。真面に当たれば命も危うい。ダブルは無駄な抵抗だと思ったのか、にやけ面を崩さずにあっさりと躱した。投げつけられた一つだけを。

 もう一つの石ころは、立てかけられていた梯子に直撃した。

 がっと硬い音を鳴らしながら梯子が揺れ、ぐらりと道路に向けて倒れ出す。

 ダブルの進行方向へ。

「?」

 もう一つが梯子に当たり、自分の方に倒れている事に気付かないダブルは、そのまま長い梯子にガシャンと頭からぶつかった。

「わっ!」

 燃々の声で悲鳴を上げながら下敷きになるダブル。あれだけ走り回った割に反射神経が鈍い。

 ともかく、生まれた隙を逃さず、距離を一気に詰め、梯子から脱け出そうとするダブルに燃々ががばっと覆い被さった。

「捕まえ……あれ!? いない!!」

 燃々が自身の姿をしたダブルを捕らえようとするが、梯子の真下には誰もいなかった。先程までいた筈のダブルが嘘のように消えていた。

 困惑する燃々に、明原が周囲を見渡す。

「一体、どこに……」

「あ! あそこ!」

 明原が指を差す。今二人がいる場所より少し先に、トコトコと駆ける学生服を着た少女がいた。

 望愛だ。

「あれ、望愛?」

「いやダブルだよ! また変化したんだ!」

「ああ! 確かに!」

 どうやって下敷きから脱け出したのかは不明だが、とにかく追わなければならない。

「君たち! 何をしている!?」

「げっ、やば」

 騒音を聞きつけた作業服の男性が顔を出す。説明など出来るわけもないので、二人揃ってその場から逃走する。

「あ、こら、待ちなさい!」

「ごめんなさーい! 壊してはいないので!」

 そういう問題じゃない。走り出す燃々の背中を追いながらも、「すいません!」と一度謝罪してから通り過ぎた。後ろで男が何か叫んでいたが、申し訳ないが無視する。

「ああ、もう、また振り出し!」

 叫ぶ燃々の隣に並び、うんざりしながら望愛の姿となったダブルの背が家屋の角に消えていくのを見つめる。

 二人も同様に角を曲がる。しかし、次の光景に望愛の姿をしたダブルはいなかった。

「あれ?」

 再び風のように消えたダブルに首を捻りつつ、ふと、後ろに何かの気配を感じた明原と燃々は、何の気なしに背後を振り向く。

「「「あ」」」

 そこで目があったのは、望愛。の見た目をしたダブル。

 両手を中途に突き出しているので、多分背中を押したりとかして脅かそうとしていたと思われる。

 思わぬ展開に二人は揃って動きが硬直する。

 固まった二人の魔法使いに、ダブルは――、


「遊んでくれてありがとね、おねえちゃんたちっ」


 にこっと嬉しそうに笑って、純真な感謝の意を告げた。

 無邪気な幼児のような笑みに、明原達は毒気を抜かれて呆然とする。

 

「お礼に、いい事教えてあげる。――あっちの地下駅で、魔法使いさんが何か遊んでたよ? 二人で」


「え……、それって…………」

 復帰した明原が、問い質そうと手を伸ばすが、瞬きの間にダブルは消えてなくなっていた。新たな疑問を残して。

 先程まで彼女がいた足元を見ると、雪のように白い毛が数本落ちていた。何の毛かは分からない。だがもしも、ダブルではなく、アルマ先生が言っていた『妖狐』の仕業ならば……。

 ――狐につままれた……ってこと?

 何だか釈然としない明原に、燃々が喋りかける。

「ねえ、それよりさっきの! 何か、魔法使いが戦ってたって…………」

「あ、そうだ……!」

 色々と知りたい事は増えたが、今はいい。後でアルマにでも訊けばいい。

「二人って、二位くん達の事かな。それとも、『優生思想』の人?」

 そもそも害意がなかったとは言え、狐の言葉を信用していいものか。

「わかんない……。でも、行かなきゃ! もし二人が危険な目にあってるなら、見捨てられない!」

 燃々の想いに、明原はこくりと頷く。

「うん……、行こう」

 


 ――――――



 新緑色の扇子を持った雪丸の背後、半透明な幽霊が浮かび上がる。それは徐々に形を成していき、やがて全長6メートル程の赤銅色の骸骨へと姿を変えた。出現しているのは上半身だけであり、半身だけの骸骨が宙に浮いている状態だった。

 加えて、この骸骨魔法にも、デュラハンのように首から存在しなかった。つまり、首と下半身がない巨大な骸骨というRPGの中ボスじみた形貌であった。死を連想させるおどろおどろしい容姿に、盗み見した真夏は正直ゾッとする。

 更に、がしゃどくろの背面に、ボッ、ボッ、ボッと四つの青い怪火が提灯のように空中で燃え立つ。海月のように儚く揺れるそれは、魂を吸い取る鬼火のように思えた。

 ガッと飛ばされ、デュラハンと距離を取った真夏は、がしゃどくろの近くに並び立つ。間近で見上げると、やっぱり気味が悪かった。

「雪丸、この骨は……」

「『鎧狗』は魔法使い本人以外には見えない鎧を生み出す魔法。通常は不可視の鎧だけれど、『霊器』を使う時だけ姿が見えるようになるんだよ」

「デメリットしかないような気がするが?」

「それは、『これ』を見てから言いなよ」

 バサッと広げた扇子を勢いよく鳴らす。すると、背後で控えていた炎の一つがゴウッと燃え上がる。その炎に骸骨が手をかざすと、意思を持ったように炎の形状が固定され、刀となって手に収まった。

「…………!」

 骸骨騎士が炎の兵刃を両手に持ち、垂直に振り下ろした。

 ズガッと大地に刃が着弾、竜の如き炎熱の斬撃が凄まじい速度で大地を裂きながらデュラハンへ加速した。

 首無しが回避を諦めるより速く、斬撃が甲冑を纏った体躯に激突し、鋼鉄の如き硬度を誇る甲冑が斬り裂かれた。

 デュラハンの無双の鎧に初めてダメージらしいダメージが入った事に驚愕する。

 真夏はそこで、『鎧狗』の奇妙な特性に気付いた。

「熱く……ない?」

 触れていないとは言え、ここまで大きな火球の至近距離に居るにも関わらず、熱さを感じなかった。

「この炎は魔力を素につくったものだから、物理的な攻撃力はあるけど、炎としての燃焼特性は絶無だよ。魔力がエサだから酸素や可燃性の物質はいらない。ただ物体を燃やす力はない」

「物体は?」

「これには霊体を燃やす能力がある」

「霊体?」

 真夏がぱっと思い付いたのは、魂とか精神とかのスピリチュアル。それらに干渉する魔法があったところで今更驚きはない。だが不可視を解除するというデメリットを曝け出してでも炎を開放したという事は。

「これならデュラハンに致命傷を与える事が出来るのか」

「そうだね。デュラハンは霊体と肉体が交互に混ざったカムイ。肉体が死んでも霊体がある限り死ねない。だけどこの炎で焼き尽くせばデュラハンは死ぬ。止めは僕しか刺せないから、君は独楽鼠のように走り回って囮になってくれればいいよ。見てるのは僕だけだから、存分に醜態を晒して構わないよ」

 嫌味に切れ味が戻ってきた。雪丸の通常モードに呆れつつ、調子を取り戻してきたようで安心した。

 がしゃどくろが不知火の一つをもう片方の手で雑に掴む。掴んだ火球を地面に直接叩き付けると、ゴウと炎が地を這って首無しの周囲に網のように展開した。青い鬼火は一弾指の間に燃え広がり、付近の街路樹にも当たったが、火事になる様子はなかった。

 目も眩むような光なのに全く熱さを感じない事に違和感を覚えつつ、真夏は『霊器』を握る。

 ボッと炎上網に風穴が開けられ、デュラハンが炎を身に纏いながら直進してきた。狙うのは自身に決定打を与える事が出来る雪丸。

 首無しの狙いを悟った真夏は、ふっと搔き消えるように飛び出す。走りながら白刃に指を押し当て、出血させる。鮮血の垂れる刃をヒュンッと空中で薙いだ。溢れ出す血花が空を泳いでデュラハンを吞み込んだ。

 首無し武士は長刀を檻のように振り回し、朱色の花雲を次々と斬り落としていった。雪丸に接近するが、骸骨の腕に横殴りにされ、近くの建物まで飛ばされた。

 真夏は反撃を許さず、血花を操ってデュラハンの周りを花の嵐で囲んだ。視界が完全に塞がれた武者に、がしゃどくろが鬼火の兵刃を交差させる形で花嵐ごと斬り払った。

 その威力は花々が風圧で吹き飛び、地面が陥没する程だったが、斬撃の合間を縫ってデュラハンが正面から逃げ出した。

「…………」

 二人の連携から逃れた首無しの斬撃を避けつつ、真夏は意識を思考の海へ沈ませていた。

 それは、デュラハンが連携攻撃から逃れた手段について。

 ――今の攻撃は……、別の方向から見えなければ回避できない…………。

 視界は朱色の壁に完全に閉ざされていた。だが真夏のサポートを嘲笑うように奴は正確に抜けてみせた。正確過ぎた。

 その時、つい先刻の疑問にならなかった違和感を想起する。地下駅内で、奴は突然動きが悪くなった。どれも深手には至らなかったのに。

 僅かな点と点が繫がり、細い線となる。

 ――まさか? もしかして、デュラハンは……。

 確信を得る為、真夏は雪丸の隣でこそっと耳打ちする。

「……雪丸。おれがあいつの気を引く。そしたら隙を見て遠距離攻撃を仕掛けろ」

「……?」

 意図の分からない指示に雪丸は眉を顰めながらも、異は唱えずに「わかった」とだけ返した。

 当たり散らすような勢いで旋廻する鎌鼬を潜り抜けながら、真夏はデュラハンへ肉薄した。ザシュッと頭部や太腿に切れ込みが入ったが、どうせ治ると無視した。

 低い姿勢のまま、パイルバンカーの如く『霊器』を心臓に撃ち出す。首無し武士は造作もなく長刀の身幅で受け止めた。

 デュラハンは刀身を僅かに反らし、真夏の太刀を上空へ弾いた。後方の街路樹に突き刺さる。得物を奪われても真夏は動じず、ゼロ距離まで接近、長刀を持ったデュラハンの右手を左手で握り込み、ドドドと腹部に鉄拳を何度も打ち付けた。

「…………!」

 魔力の籠ったただの連撃は致命傷には届かない。だがほんの少しデュラハンの動きが鈍る。

 反応が遅れた隙を見落とさず、デュラハンの右腕の肘をもう片方の手で掴み、身体を反転させ、大柄な体躯を力任せに背負い投げした。

「ふんっ!」

 ゴンッと頭部のない首の断面がコンクリートの地面に直接ぶち当たる。だが真夏に許されたのはそこまで。首無しの身体が後ろに崩れ落ちた寸前、空いていた手で真夏に胸倉を掴まえる。

「うっ」

 体勢を整えながら真夏の躯体をぐいっと引き寄せ、仕返しとばかりに地面へとフルスイングした。頭への一撃こそ防いだが、背中の強打は避けられず、高所から落下したような衝撃が骨の髄まで響き渡った。

「がはっ!」

 身体が地面にバウンドし、意識が飛びそうになる。いかに再生すると分かっていても、痛いものは痛い。到底堪えられるものではなかった。

 しかし真夏は振り絞った精神力で起き上がる首無し武士の足首を掴み、離さなかった。

「ちょっとおれに付き合えよ……!」

「…………」

 視界の端に青い揺らめきが映る。

 ボウッと長大な炎の鏃が寡黙な武士に放たれた。デュラハンはそちらに長刀を持った腕だけを動かし、剣の錆になる事もなく難無く弾き、青い霧とした。

 狙撃したのは、勿論雪丸。あっさりと防がれたが、真夏としては十分だった。

 デュラハンは、矢が飛来してきた方向――雪丸の方へ身を動かす事なく反撃した。

「……やっぱりか」

 真夏は手を離し、腕の出血からありったけの血花を生み出した。暴風が甲冑で包んだ全身を巻き込み、ガガガと攻撃を繰り返した。

 無数の花弁に気を取られている内に、真夏は脚を踏み出した。抛られた『霊器』の下へ、ではなく、瓦礫の散らばる地下駅の方向へ。

 「…………!」

 デュラハンが暴れる血花を振り切り、掠り傷を付けながら真夏に向けて飛び出した。

 慌てているとも言えるその様子に、雪丸も何か違和感を感じたようだ。

 駆けるデュラハンの足元に、ドッドッドッと連続して火矢が撃ち込まれた。弱点の鬼火に思わず脚を止めるが、続けて炎の鏃が降り注ぎ、追撃の中断を余儀なくされた。

「お前の心臓はあそこだろ!!」

 叫びながら真夏は血液で適当なサイズの新刀を生み出す。

 瓦礫の積もった地下駅の入り口に向け、走りながら勢いをつけて新刀を振りかぶった。凝固した血液があっという間に名刀の切れ味を誇る花弁へと変化し、波濤のように瓦礫へ押し寄せた。

 朱色の波の流れに逆らって、そこから何かが上空へ飛び上がった。

「あれは……!!」

「正解か」

 上空に浮かんでいたのは――、人間の、生首。

 切り取られていたデュラハンの頭部であった。

 生首の顔の一部が、少年二人に憤怒の表情を向ける。生首だけの化け物に向けられる殺意は、なかなかどうして恐ろしかった。

「デュラハンは首のないカムイと聞いたけど……、そうか、離れていただけで、存在はしていたのか」

 雪丸が驚愕の抜け切れない声音で呟く。

 魔法は理屈に適った現象だと、アルマは言っていた。『頭がないのに思考出来る』状態は、いくら魔法、引いてはカムイとて有り得ないのではないか。そう推測したのだが、当たりだったようだ――まあ頭が繋がっていないのに身体を動かせるのも奇妙な話だが――。

「……地下駅から、変だと思っていたんだ。奴は血花の毒を受けていないのに、動きが可笑しくなった。あれは隠れていた顔の部分が毒の成分を吸っていたのか」

 先刻、真夏と雪丸の連携から逃れた際も、この顔が戦況を見て都合よく動いていたのだ。いや駒を動かしていたと言うべきか。

 そしこの生首は一向に姿を見せずにコソコソと逃げ隠れてしていた。あの生首UFOが急所であると見て間違いないだろう。

 しかしながら、宿敵の急所が露呈しても、魔法使い二人に達成感などは皆無だった。げんなりしてると言ってもいい。

「一応訊くが……、『どれ』がお前の兄だ?」

「呼べば返事してくれるかな……」

 そう。その生首が持つ顔のパーツは、一人分ではなかった。

 正確には――幾つもの顔面が一つの頭部に張り付いていたのだ。

 肌色の球体に、喜怒哀楽をそれぞれ表現した人相が浮かび上がっていると言えば想像し易いだろうか。日常生活で想像したくもないが。

 だが真夏たちの筆舌にし難い気持ちは、そう簡単に代弁出来るものではないだろうか。

「シュールな光景だな……」

「見れば見るほど味の出る気持ち悪さだね」

 シリアスな戦闘は何処へやら、二人して素直な感想を漏らす。出会いを待ち望んでいた筈の雪丸でさえこれである。

 二人の空気を読まない悪口に苛立った訳でもないだろうが、生首が百目鬼じみた目玉をぎょろりと一斉に真夏へ集中させた。

「!」

 突き刺さる殺気に、真夏は何かに気付いて血刀を生成、背に担ぐように構え、背後から急襲したデュラハンの長刀を防いだ。

 バキッと砕けた血刀から花々が咲き乱される。立ち昇る血花が長刀に纏わりつき、首無しの動きが制限される。甲冑へ一発、二発、三発と怒涛の乱撃を叩き付けた。微量だが毒を吸った影響か、動きが悪い。

「雪丸! お前はあの生首に行け! お前じゃなきゃ殺せないんだろ!」

「ああ……、わかってるよ」

 生首が何処かへ飛んでいく。自分がやられると不味いと言っているようなものだ。逃げ出す生首を雪丸が魔法で追撃しつつ追いかける。

 徒手空拳で格闘する真夏を見かねた雪丸が去り際に、木に刺さった太刀を指差しながら短く付け足した。

「ああ、あと……、『霊器』は呼べば主の下へ帰ってきてくれるよ」

「――来い、『霊器』!」

 走り出す雪丸の言葉通りに手を伸ばし、『霊器』を呼ぶ。すると、ガタガタと突き刺さった太刀が独りでに震えだし、幹から抜け出して鳥のように真夏の下へすっ飛んできた。

「うおっ、ととっ」

 プロ野球選手の剛速球宛らに主へ突っ込んできた太刀を危うげに受け取る。主人への配慮のない勢いに、思わず後ろに引っ張られるようによろける。

 体勢の崩れた真夏に、血花を振り払ったデュラハンが長刀を上段に構える。防御が間に合わないと悟った真夏は、攻撃をその身で受け止めた。

 疾風の長刀が、真夏の上着に斜めの切痕を刻む。がつっと硬いものを包丁で無理に切ったような音が鳴った。

「ぐ、」

 斬られた箇所から、出血は溢れない。攻撃は確実に通ったが、真夏は痛みに呻いただけだった。恐らく、向こうの顔面風船は不思議そうな表情をしているだろう。

 ――何故なら、真夏は服の下に血液を凝固した甲冑を身に着けていたからだ。

 流石にそう厚くはないが、魔力を流し込んでいるので、鉄ぐらいの強度はある。切先が掠りはしたが、致命傷は免れた。

 地面に仰向けに倒れた状態から脚を勢いよく振り上げ、デュラハンの上半身を蹴りながら起き上がる。――カンフー映画でよく見るネックスプリングだ。

「血花!」

 呼びかけに応えるように身体を濡らす血潮が血花へ変貌する。荒れ狂う血風が景色を朱色の麻の葉模様に染め変える。

 美しくも恐ろしい夾竹桃の世界に、白銀の炬光が一際煌めく。

 合図もなしに、二人の剣士は相手へ踏み込んだ。

 星の爆発のような幾つもの銀光が中空で眩く弾けた。流星群にも思える白銀の斬撃が馬鹿げた効果音を響かせながら血濡れの雷光と打ち合うが、白刃の軌跡が迸る度に押されているのは真夏の方だった。

 ――動きに大きな変化がない……。さっきの生首、もしかしてこの辺に目玉を残しているのか?

 それとも、凄まじく視力が良いのかだが、どちらにせよ真夏に確認を取る術はない。

 剣戟を打ち合う度にデュラハンの剛剣に舌を巻く。真夏は魔法使いといえどもただの人間、体力にも傷の再生にも限度がある。この剣風の中では、長刀にばかり気を取られて血花を平行して使用する事も難しくなってきた。先程の血花の毒も微量だった為か、効き目が薄い。

 ――せめて、雪丸が本体を倒すまで……!

 首無しの振り下ろしを躱し、長刀の峰を踏み抜いて地面に切っ先を埋める。脚で押さえ付けたまま太刀を水平に薙ぐが、籠手で受けられた。

「うっ……おおおおおおおおお!!」

 裂帛の気合を丹田から迸らせ、籠手に食い込んだ白刃に力を込める。ザクッと肌に切れ込みが入り、一気に籠手ごと武士の片腕を斬り落とした。

 利き手ではないものの、片腕を失くしたデュラハンが僅かに身体のバランスを崩す。防戦一方から脱却する為、胴部に追撃を加えようと太刀を振るうが。

「――えっ……」

 がっと白刃が甲冑に呆気なく弾かれ、衝撃が伝わった両手から柄が抜け出した。太刀が再び宙に放り出され、付近の地面に刺さる。

 がくりと全身が脱力し、敵の目の前で跪いた。氷水をぶっかけられたかのように四肢が震え、ぐらぐらと視界が揺れる。医者志望故に、自身に起きた異常を即座に看破する事が出来た。

 ――まずい……。血を流しすぎた!

 真夏は失血死寸前だった。

 血液は総量の二分の一を失血すると出血性ショックによって死に至る。真夏の血液総量はおよそ5000ml。1500ml程度出血すれば意識が朦朧とし出し、生命に危険が及ぶ。

 優生思想の下っ端から受けたダメージと蛇の毒、攻撃的なデュラハンとの連戦で、真夏の身体はとっくに人間の限界を超えていた。

『出血』という血花の条件、傷が再生するという慢心が引き起こした緊急事態だった。

「はあ、はあ、……」

 荒い呼吸を繰り返す度に臓腑が擦れるように痛んだ。意識がチカチカと点滅して正常な思考がまとまらない。

 ――だめだ、ここで倒れたら……。

「うぐっ!」

 どがっと真夏の鳩尾に武士の蹴りが入る。少年の体躯が発泡スチロールのように軽く飛ばされ、無抵抗のまま地面に転がった。

 指先が傷つく程強く地面に爪を立て、起き上がろうと力を振り絞る。

 少年の死に物狂いを嘲るようにゆっくりと近付くデュラハンが、血に濡れた長刀をその背中に向けて振りかぶっていた。

 まだ明るい初夏の空に、鮮血が散った。

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