第四話 アルマ①

 ――真夏。


 陽太……。何でそっちにいるんだ? こっちに行こう。皆がいる場所に行こう。


 ――起きて。真夏。


 待て、往くな……。陽太、頼む。おれを置いていかないでくれ。


 ――もう真夏は一人じゃないよ。おれはいらない。ほら、真夏を待ってる人がいるよ。さあ、起きて。


 陽太! 陽太、待て! おれは、まだ――――――



 ――――――



「おれは……」

 木漏れ日が瞼を刺激して、睡魔を解放させた。チュンチュンと種類の分からない小鳥が囀るのが聞こえた。

 徐々に覚醒していくのと並列して、今のは夢か、と直ぐに理解した。当たり前だ、陽太は死んだ。真夏が殺した。

 逃げられぬ咎と追憶に後ろ指を指され、朝っぱらから最悪な目覚めをした真夏は、自分が今寝ていたベッドが、実家のベッドではない事に今更ながらに気付いた。

 ふと辺りを見回すと、そこは全く知らない病室だった。少なくとも真夏がかつて入院していた場所ではない。

「っ、燃々と明原は――」

 上体を起こし、しかし違和感。

 自分は大量出血で倒れていた筈だ。他にも骨折や打撲もしているかもしれない。少なくともあの時は痛烈な衝撃に襲われていた。

 しかし今はどうだ。身体に一切の不和がない。痛みも無ければ創傷もない。

 着ている服装を確認すると、それは白い患者服だった。誰が着替えさせたのかは取り敢えず目を逸らす。服の下には包帯が巻かれていたが、感覚的にも負傷はない。

「これも、魔法……なのか?」

「――二位、くん……?」

 がこんっと何かが落ちたような音がした。はっと音源がした方を見ると、そこには明原がいた。足元には複数の果物と果物ナイフ、それを入れていたであろう容器が転がっていた。

「二位くん……! 良かった、目が覚めたんだ……」

「……ああ。そっちは? 燃々は無事か」

「うん。燃々さんは元々そこまで重症してなかったし、私も大体治ってたから。二位くんが一番酷かったんだよ。あの人はすぐ目が覚めると言っていたけど……、もう、本当に一生眠ったままなんじゃないかって……」

「大袈裟だ。……どれくらいおれは寝ていたんだ?」

「昨日から。今は朝だから、半日ぐらい寝てたかな」

 そんなにか。身体的のみならず、精神的にも参っていたらしい。今日から夏休みだ。学校はいい。しかし真夏には姉が二人、妹が一人いるので、彼女らが長男が何処にもいない事に気付けば、行方不明者として警察沙汰になる可能性がある。それはなるべく避けたい。

「傷は……? 一朝一夕で治るものじゃないと思うんだが……」

「素質があれば身体の傷を治す事も出来る魔法使いもいるって、アルマさんは言ってたけど……。ごめん、私はよく聞いてない」

 医者志望として気になる発言ではあったが、明原は詳しく知らないようなので、後にする。

「ここは何処なんだ?」

「私もよく分からないんだけど……、あの人は『アンダー』って言ってた」

「アンダー? あの仮面の男がここまで連れてきたのか」

「うん」

 脳裏に浮かぶうざったい笑みに対する不快感を、真夏は目を細める事で表現した。信用以前に、あの男が理解出来なかった。

 明原に自分たちを襲わせたかと思えば、手傷の治療を行う。そして誘拐同然ではあるが、あの男から害は加えられていない。

 明原の件も妙だった。あの男は最初から例のナイフを真夏を介して明原に渡すつもりだったのではないか。態々真夏と燃々を襲わせたのは、三人の力を見る為か。

 となると、あの未来予知ラブレターも仮面の男発信か。アクアノートは真夏たちが何かやったのだと勘違いしていた辺り、『優生思想』と仮面の男は別枠だと考えていいだろう。抑々同じ組織なら二人一緒に真夏たちを攻撃してくる筈だ。

「あいつを……信用していいのか?」

 真夏の零れ出した本音は、明原も同意を得る処だったようだ。

「私も、正直よく分からない……。けど、今は信用していいと思う。私達も気付いたらここに連れて来られたけど、帰り方は教わったから」

「帰り方? 乗り継ぎか?」

「いやそうじゃなくて……。ううん、これは後で言うよ。ちょっと特殊というか、言葉だけじゃ伝わりにくいから」

「そうか。……そういえば燃々は何処にいるんだ」

「あの人が一旦元の世界に帰らせたよ。二位くんと私の家族に言い訳する為に。いとさん? には事情を説明しに行くらしいけど」

「そうか……」

 祖母であり魔法使いであるいとの事を喋ってる辺り、燃々は随分と明原を信頼しているらしい。

 やっぱあいつメンタル化け物だな、と思いつつ、『元の世界』にあっさりと帰還している事、先程の煩慮が杞憂に終わった事に安堵する。燃々がきょうだいになんて説明しているのか、また別の不安が出来たが。

 そこまでひと段落つくと、落ちた果物を拾いに行き、戻ってきた明原に真夏は言った。

「……明原」

「うん?」

 平然と果物ナイフを持って林檎を器用に剥く明原に、また別の疑問が生まれたが、それも後で確認するとする。

「ありがとう。燃々を助けれたのは、お前のお陰だ。おれと燃々を助けてくれて、ありがとう。さっき……昨日は伝えられなかったから、今言うよ」

「えっ……」

 唐突な感謝に、明原が息を呑んだのが伝わった。急過ぎたかもしれない。だけど今この時を逃せば、また機会を失うような気がした。

 暫時の間。俯いた明原がどんな顔をしているのか、わからない。次いで、彼女は顔を上げると、にこりと華やかに笑んだ。

「うん……こちらこそ」

 ――あ……。

 心が撃たれたような気がした。どくんっと一際強く心拍数が上昇し、思わず明原から目を外してしまう。熱くなった顔を見られないように。

 明原が不思議がっている。どうしたの? と身体を近付けてきた。

 うっと言葉が餅のように詰まり、何故だか思考が回らない。

 冷や汗の垂れる真夏の救世主は、思いも寄らぬ人物であった。

「やあ、いい雰囲気の途中に失礼するよ」

 会話に割って入った中性的な美声に、二人してぎょっとする。

 明原のすぐ隣、テレポートしたかのようにいつの間にか、そこに見知らぬ小学生が立っていた。

 相貌は男子とも女子とも言え、異様に整っていた。背丈は小学生高学年レベルだが、外見に不相応な笑みはどこか闇を感じる。

「誰だあんた……ってこの声……」

「そう。君らの言う怪しい仮面の男だよ」

「は?」

 小学生(?)は「こうすればわかり易いかな?」と言いながら『杖』を取り出し、ふると揺らした。

 その瞬間、例の黒い外套を羽織り、仮面を被った長身の大男が現れた。即ち、真夏たちの言う怪しい仮面の男である。

「あんた……その姿」

「魔法で変身してるだけだよ。さっきの子供の姿の方が本物さ。誰かにバレたくない時とかに変身するんだ。子供の姿でいた方が大人は何かと便利だから、一人で出歩く時は『素』だよ」

 そう解説してから、再び『杖』を揺らした。瞬く間に姿形が小学生まで退行する。

「あんた……何者なんだよ」

「僕はアルマ。しがない魔法使いの教師だ」

 飄々とした言動を崩さずに自己紹介するアルマと名乗った男は、次に謝罪した。

「まずは謝ろうか。もう大方察しがついているだろうけど、玖秭名に『杖』が渡るように仕向けたのは僕だ。燃々を攫ったのはまた別の組織だけど、それを助長させたりもした。それに関しては謝るよ」

「……!」

 軽く頭を下げるアルマに虚を衝かれたようにしばし唖然とする。水野郎の尊大な態度を見てからだからか、随分と殊勝に思えた。

 不信感は残っていたが、先に質問をした。

「あんたはおれら魔法使いをどうしたいんだ?」

「教育だよ。聞こえなかったかな? 君たち魔法使いは自分の力を知らない者が殆どだ。玖秭名のように制御出来ずに他人も自分も傷つけてしまう。だから、学びを」

「…………」

「まだ信用出来ないって顔だね。じゃあ、ちょっと外へ出ようか。もう歩けるかい?」

 突発的な行動に、真夏は顔を顰めたが、こくりと頷いた。

「ついておいで。君にプレゼントがある」



 ――――――



 用意された服に着替え、病院から出ると、そこは東京ではなかった。

 真夏が寝ていた病院は小さく、緩やかな坂道の上にあった。周りにも複数の民家があったが、人の気配はなかった。

 坂の上から見下ろす景色は、東京では絶対に見られない程に幻想的だった。人が壊した世界の美しさは、ここに残っていたのではないかと思えた。

「さあ、こっちへおいで」

 しばし光景を眺めていると、裏路地から声がかかった。暗闇からアルマがちょいちょい手招きしていた。

 数瞬悩んだが、あてもないので結局ついて行く事にした。そのすぐ後ろを明原が追随していた。

 木々の間を縫って僅かに差し込む陽光に照らされながらアルマの小さな背を追う。

「これから何処に行くんだ?」

「さっき、玖秭名が普通に果物ナイフを持っていただろう? 玖秭名の魔法は刃物を持つ事が発動条件なのに」

「ああ……」

 背後に佇む明原にちらと目線をやると、両手を広げてひらひらさせた。魔法の制御は問題ない、という意味だろう。

「今から行く場所はね、魔法を抑止する為の『杖』を売り買いしている店なんだ」

「『杖』……。アクアノートもそう言ってたな」

「そうそう。まあ取り敢えず実物を見てみようか」

 それから三人並んで歩く事数分。

「着いたよ」

 アルマが指を指したのは、木造の小屋だった。周囲は草木が生い茂っており、人の手が一切触れていない事がわかった。

 如何にもな情調を纏う小屋に、アルマは我が物顔でノックもせずに扉をぎいいと開いた。

「さあさ、おいでよ」

「…………」

 ここまで来たからには、とアルマの後を追って入店した。

 入った瞬間、古本と埃臭さが鼻腔を刺激した。うっと思わず少々後退りしてしまう。新品のしの字もない匂いだった。

 店内には嗅覚が教えた通り、薄茶色の古本が山積みにされていた。本棚には隙間のない程びっちり書物が詰まっており、見た事のない言語でタイトルが書かれていた。

 置いてあるのは書物だけではなかった。片目に宝石が埋め込まれた骸骨、ゲージの中でピクリとも動かない白い梟(マネキンだよね?)、闇より深い漆黒のネックレス等、少年心を擽られるものが複数鎮座していた。

「二位くん、あの人だよ」

 明原が店内の奥を指す。白魚のような人差し指の先、そこにはカウンターがあり、アルマが手招きしていた。

 カウンターまで向かうが、肝心の店員がいない。只の一人も。微動だにしない空の椅子があるだけだ。

 あれ? と真夏は視界に何か引っ掛かったような気がした。道端に散乱した硝子片に反射した日光が目に入った程度の違和。

「…………?」

 ぐっと目を細めてカウンターの、店員が座っているであろう椅子をじいっと凝視する。

 すると、ぼんやりとだが、光粒が人の形を成しているのが辛うじて見えた。

 ――何だ。何がいる。

 謎の光の正体を探ろうと片手を奥まで伸ばしたその時。

『当店はお触り厳禁だよ』

「うわっ!?」

 どこからともなく流れてきた高い声に、真夏はオーバーリアクションし、アルマの笑いを誘った。

「あははは! 真夏はやんちゃだねぇ、まさか触ろうとするとは僕も思わなかったよ」

「いや、だって……、何か、何かいるよな?」

『そうだよ、人の子。私はここにいる』

 再び女性のらしき声。今度ははっきりと人影が見えた。

 いるのだ。完全に視認は出来なくても、真夏の目の前に、人非ざる何かが。

「魔法使い……?」

「違うよ、彼女は『カムイ』」

 新出単語に真夏は小首を傾げる。神威。神居。カムイ?

 補足が入ったのはカムイという女性からだった。

『私達のような霊的存在の事だよ。妖怪。悪魔。エレメンタル。スピリット。呼び方は色々あるし、まあ何でもいいけどね。でも「カムイ」と呼ぶのが一般的かな』

「カムイ」

 妖怪、とそう言われれば何故か納得できた。魔法があればそんなものがいても可笑しくはない。

 それにしても不思議な体験だった。何とか光の輪郭が見える。そこから女性の声が聞こえる。

「彼女はこの『カキア』の主。店内のものは全て購入可能だけど、徒に傷つければどうなるかわかったもんじゃないよ。彼女は長生きなだけあって随分寛容だけど、そこだけは注意してね」

 目には見えない女性が、微笑んだような気がした。取り敢えず彼女に逆らうのは止めた方が良さそうだ。

「えっと、二位真夏です。……よろしくお願いします?」

『おや、礼儀の良い人の子だね。アルマとは大違いだ。――私はソール。私の名前もたくさんあるんだけど、これが気に入っているからそう呼んでおくれ』

「わ、わかりました」

 輪郭しか見えない誰かとの会話は、まるで未知の宇宙人と交流している気分だった。

 緊張に身体を強張らせる真夏を置いて、アルマが切り込んだ。

「さて、お互いの挨拶も済んだ処で、本題に入ろうか。ソール。彼に『杖』を選んでくれ」

『はいはいっと。おいで人の子。お前に『杖』を渡そう』

 カウンターのスイングドアに風が吹いたような開き、閉じた。ソールが移動したのだ。揺れる光粒の後を追う。

 するすると棚の間を縫って、それこそ隙間風のように歩く彼女を、真夏は慌てて追いかける。

 ぴたりと突然止まったソールの、恐らく背後で同じように停止する。目的地の『杖』がある場所らしい。数え切れない程の量の木箱が棚に詰まっていた。

 棚に入りきらず床に置かれた山の幾つかを手に取ると、髪飾りやピアスのような装飾品が箱に収まっていた。

「これが『杖』?」

『そうだよ。「杖」と一口に言っても本当に杖の形をしているものだけじゃない。流れる行く時代に応じて姿形は幾重にも枝分かれしている。さて、どれがいいかな』

 うーん、とわざとらしく悩む声に、真夏は質問した。

「使えれば何でもいい訳じゃないんですか?」

「そりゃあね。別にどれでも使う事自体は出来るよ。でもこの『杖』は魔法を律するものだから、波長が合わないと魔法が暴走する事もあるし、逆に『杖』が壊れる事もある」

 ソールが指摘したのはつい最近の事だった。彼女がそれを知っているのかどうかはわからないが、失敗は既にこの身で実体験済みなので、ここは専門家に任せて物言わぬ彫像となっておく。

 ふらふら揺れる灯をぼーっと眺めていると、叱責するように後頭部をがんっと何かで叩かれた。

「?」

 後頭部を摩りながら後ろを見る。誰もいなかった。ふと足元を見ると、小さな箱が無造作に転がっていた。棚から落ちてきたのか。

 何の気なしにそれを手に取る。

 刹那、木箱から真夏の全身へ熱い何かが流れていった。心臓に行きついたそれは、何故だか悪い心地はしなかった。

「何だ、今の――」

『おや? それは……』

 いつの間にか背後にいたソールが手元を覗き、木箱を開封した。

 入っていたのは指輪だった。銀に光る愛想のないただの指輪。

「『杖』にはこんな形もあるんですか」

『そうだよ。まあそれにしたってこの形は珍しいね。これ、どうしたの?』

「おれにぶつかってきました」

『ふうん? 取り敢えず試着してみなよ』

 箱から指輪を取り出し、左手の人差し指に嵌めてみる。少々大きかったのだが、指の太さに合わせて独りでにサイズが変化し、ピッタリはまった。

 過度にキツくもないし緩くもない。ちょうどいい。

『うん、じゃあそれでいいんじゃないかな』

「え? これでいいんですか?」

『あはは、何か儀式でもうすると思った? 波長が合えばサイズ調整してくれるから、それで大丈夫だと思うよ。代金も頂いてるからね』

「代金? いくらなんですか、これ」

『それは、そうだね、一千万ぐらいかな』

「いっ……」

 百万と言い、スケールのデカすぎる買い物だ。アルマが事前に払っているのだろうが、何を買うかもわからないのに何故ポンとそんな大金を出すのか。

『今ここで魔法を使ってごらん』

「え? ここじゃ危ないですよ。大切な商品が壊れます」

 こんな指輪でさえサラリーマン二年分の年収以上の値段が付くのだ。一億とかそんなものがあっても可笑しくない。

 だがソールは気にせず続けた。

『問題ない。使おうとする意志が無ければね』

 確信に満ちた言葉で断言するソールを信じ、真夏はがり、と親指を歯で噛み、出血させた。

 今までの『血花』ならば、自他問わず血液に触れる事で、自己とは無関係に強制発動するしていた。

「魔法が……発動しない」

 しかし『杖』を装着した今、ただ親指が痛いだけで朱色の花々が傷口から零れる事はなかった。

 初めてだった。あの日以来、血液に触れてもあの忌々しい花々が咲かないのは。

『「杖」を持った事で、魔法の制御が出来たんだよ。今までのようにただ条件を満たせばいいだけじゃなく、魔法使い本人の任意で発動出来るようになる。その様子だと、これで正解のようだ』

「……これをはめていれば、自分の意志で魔法が使えるようになるんですか?」

『まさに今がそれだね』

 真夏の胸に去来した感情がとてもじゃないが単語一つでは表し切れない。驚愕でも、歓喜でも、失意でもあった。

 形容し難い言葉に心中が埋まり、茫然としている処に、中性的な美声が割って入った。

「お気に召したかな?」

 ひょっこりと顔を出したのは、アルマ。その隣から明原もその長身を覗かせる。

 人差し指にはまった指輪を見て、明原が意外そうな声を上げる。

「二位くんの『杖』は……その指輪? 適合したの?」

「ああ」

「そっか……! 良かった、二位くんも『杖』が貰えて」

 我が事のように顔を綻ばせる明原に、真夏は息を吐く。

「燃々は? あいつも持ってるのか?」

『あの紫色の髪の少女かい。彼女にも渡したよ』

 それを聞いてほっと安心する。燃々の魔法は任意型なのだが、それでもうっかりという事は有り得る。というか有った。だがその問題も一先ず解消出来たらしい。

 安堵すると同時、アルマが告げた。

「さあ、プレゼントも受け取った事だし……、帰ろっか。また来るよ、ソール」

『お前は来なくていいよ。真夏、玖秭名。何か『杖』に不調があればいつでもおいで』

 アルマがお開きにし、用済みだとばかりにさっさと店の出入口に向かった。

 ぺこりと頭を下げてアルマの後を追う明原に続く形で、感謝の言葉を述べた。

「ありがとうございますソールさん。大事にします」

『またね、人の子』

 それに真夏も一度頭を下げる。それから出口へ足を向けた。

 二人に追いつき、外に出る。

「さあ、次は『教室』に行こうか」

「教室?」

「そう。最初に言ったろ? 魔法使いに学びを与えるものだって。早速そこで授業をしようか」

 返事も聞かずにスタスタとアルマはさっさと先を歩く。我が道を行くアルマのペースにも何だか慣れてきてしまった。

 明原が真夏の隣に並ぶ。距離の近さに少しだけドキリとした。

 やめろやめろ、童貞臭い、と脳内の邪念を振り払い、思考を切り替える為にアルマに質問した。

「『教室』の生徒はおれ達以外にもいるのか?」

「うん。でも今は色々あってね、大体の生徒が抜けてる状態さ。一ヶ月もすれば会えると思うよ」

 境遇を共有できる同胞がいるという情報だけで真夏の心は軽くなる。それが顔に出てたか、明原が嬉しそうに微笑んでいた。

 数分後、着いたのはさっきまで真夏が眠っていた病院だった。

「ここって……」

「学校だよ。君がさっき寝てたのは保健室」

 保健室にしては広すぎなような気もしたが、そこを突っ込む理由もないのでスルーする。

 靴のまま校内に上がり、アルマが「取り敢えずここにしようか」と多分適当に教室を選び、がらっと木製の扉を開けた。

 それに続き、真夏、明原と入室する。

 室内は質素で、特別な魔法陣やそれっぽい道具などは置いていなかった。黒板が全面と後面に貼り付けられていて、机と椅子が二十人分ほど並べられている。ぱっと見の内装は至って普通の教室だ。

 黒板の前の踏み台に立ったアルマが、机を指差して言う。

「さ、座ってごらん」

「…………」

 大人しく従い、一番前に席に二人揃って着席する。アルマは背が低いので、年齢の割りに高身長の二人と目線が揃う形となった。

 ぱん、と両手を叩いたアルマは、にっこりと笑いながら新米魔法使いに告げた。

「さあ、日直の真夏。号令をよろしく」

「……きりーつ」

 がたがたっ。

「きをつけー、」

 びしっ。

「れい」

「お願いしまーす」

 ぺこ。

「あは、本当にやってくれるんだ」

「「……………………」」

「ごめんごめん、こっからは真面目にやるからさ」

 信用をドブに捨てる言動を繰り返しておきながらのこの台詞である。言い争うのもこちらの体力の無駄なので静かに着席した。

「さて、魔法について教えようと思うけど……。そうだね、君らの魔法に対する知識がどれくらいなのか分からないから、一から説明しようか」

 まず、と前置きしてアルマは物語る。

「魔法というのは、魔力をエネルギーにした超常現象の事だ。と説明して終わりじゃない。概要は間違ってないけど、魔法と一口に言っても色んな種類があるからね」

 アルマはどこからともなく『杖』を取り出し、先端で黒板を叩く。すると、水に浸らせた和紙のようにじんわりと文字が浮かんできた。右から順に『魔法』『詠唱術』『呪術』と。

『魔法』の二文字を『杖』でスライドさせ、ひゅっと手前に引くと、何と文字が『杖』の先に引っ張られる形で、二次元の黒板から三次元の空間へと実体化して移動した。驚く新米二人の反応を愉快そうに見つめ、解説を続けた。

「まず『魔法』については君らの知ってる通り。持ち主を転々とする傍迷惑な異能。これに関しては一つとして同じものはない。同位はあっても、同質は絶対に有り得ない。『血花』も『死神』も『事故』も『鎧狗(がいく)』もね。十人十色、みんな特別な人間って事だね」

 四つ目の魔法が分からなかったが、テンポ重視で質問は禁じた。

「『魔法』は不幸を呼ぶとされている。されている、とゆうか呼んでるんだけどね。何故か? 一説によると、『魔法』には悪魔の意志が宿っているとされる」

「…………悪魔」

「そう。とは言ってもただの可能性の一つだからね、全部を事細かに話したら日が暮れるから、今は流すよ」

 片手に人差し指の先から『悪魔』の文字を書き、話を入れ替えるようにすぐに消した。

「『魔法』というのはさっきも言った通り、科学技術の埒外にある超常現象の事だけど、これは意外と理屈に適った現象なんだよね」

「理屈?」

「全知全能ってわけじゃないって事さ。例えば君の『血花』も『血に触れる』という条件がある。何もない所から花はつくれないだろう? それに『血花』には毒の成分が含まれているけど、君の持つ抗毒血清ならば除去できる筈だ」

「……ああ、まあ」

 確かに真夏の血液を使用すれば、毒の血清にもなる。それは事実だが何故それをこの男が知っているのか。聞きたいようで聞きたくなかった。

「要するに、ちゃんと理にかなった現象なんだよ、『魔法』というのはね。大衆が思ってる程何でも出来るスーパーパワーじゃない。条件が成立しないと発動もしないし、デメリットとメリットの釣り合いはちゃんと取れてる。ま、存在自体がデメリットみたいなもんだけど」

 アルマはそう締め括り、『魔法』の二文字を黒板に戻し、次に『詠唱術』の三文字を取り出した。

「続いてはこれ。『詠唱術』。これは源流は同じだけど、正確には魔法じゃない。一般人が『神秘』とか『奇跡』と呼んでるものがこれだ。聖女や僧侶が極希に使えるケースがある。詠唱や真言を唱える事により、世界の事象を改変する。ちょっと大袈裟に言ったけど、基本的には存在している物質をどうこうする力だ。熟練すれば詠唱を短くする事も破棄する事も出来る」

 説明しながらアルマは、自身の頭上に炎の竜を創成し、海を回遊する魚のように好きに飛び回らせた。

 それを見た真夏は、カフェで『詠唱術』の訓練をしている燃々を想起する。

 真夏にも『詠唱術』を使用できる才能はある。だが、今までそれをやってこなかった。何故、など最早愚問だ。

 あの時真夏は強がりを言った。

 本当は怖かった。魔法を使うのが。怖い。嫌だ。また誰かを傷つける。怪物になんてなりたくない。

 魔法に対する畏怖なんて語り出したら、それこそ日が暮れる。

 ――……本当に、あいつは強いな。

 ――おれはいつも自分の事ばかりだ。

 自己嫌悪の沼に陥る真夏の心中を切り払うかのように、明るい声でアルマは続けた。

「これは魔力があれば誰でも使える。これだけ使えても『魔法使い』とは名乗れないけどね。君らにもその内教えるよ。簡単な催眠や、『人払い』ぐらいは出来てもらわなくちゃね。『詠唱術』の由来なんて喋り出したら胸糞悪いしキリがないから、これもここまでで切りまーす」

 台詞と共に炎の竜を消し去った。端折ってばかりだ。例によって黙っておくが。

『詠唱術』の文字を黒板に返し、『呪術』を引っ張り出す。

「最後に『呪術』。これは魔法じゃないし、魔法使いとは殆ど関係がない。藁人形とか占いとかが『呪術』にあたる。『詠唱術』との違いは、呪いや霊魂といったオカルトの半面が強い性質がある事かな。時たまの心霊番組でお化けが出たりするだろう? ああいう手合いの九割はガセだけど、まれに本物がくる。一般人が中途半端な知識で中途半端な儀式を行った結果、霊を呼び寄せてしまうんだよ。『邪術』や『妖術』と呼ばれる事もある。説明はしたけど、これはあまり君たちには関係がないかな。呪いたい相手がいるなら別だけど」

 そう言ってアルマは肩をすくめた。呪いたい程憎い相手がいるなら自分の魔法で何とかすると思うが。

「『呪術』は魔力を持たない一般人でも使用する事が出来る。ここが『魔法』と『詠唱術』との大きな違いだよ。まあ特殊な条件下で特殊な道具で特殊なプロセスを踏む事になるけどね。一般人としてはこれが一番身近じゃないかな? 魔法使いの近くで偶発する事も多いらしいから、何かあったら相談してね」

 アルマは話しながら、『杖』を操って藁人形や人形の式紙を二人の机上にそれぞれ生み出した。奇怪なダンスを踊っている。話し終えると、すっと風に揺られた霞のようにふっと消えた。面白そうに見ていた明原が「ああ」と名残惜しそうに言葉を漏らした。

「とまあ、取り敢えず全部説明したけど、何か質問があるならどうぞ?」

 そう言われると何も返せなくなるのが生徒という生き物である。

 気まずい沈黙を破ったのは、真夏。

「『教室』は具体的に何をするんだ?」

「魔法の成長。魔法使いの保護などが主な目的だよ。勿論君らにも手伝ってもらうよ。日本には一宿一飯の恩義という諺があるんだろう?」

「それをして、あんたに利点があるのか」

「あるさ。魔法は世を乱す神の権能。整合するには同じ魔法使いの力が必要。ただそれだけの事だよ」

「…………」

 アルマのニコニコとした笑みは、聖人のようでもあったし、道化師のようでもあり、詐欺師のようでもあった。

 本心じゃない。本心だとしても、それだけじゃない。

 だがそれを追求するだけの理由と必要性を、真夏は思い付く事が出来なかった。

「他に何か?」

「……あの人……、『優生思想』について」

 明原の質問に「ああ」と思い出したように語り出す。

「彼等は君らが聞いた通り、魔法使い中心の秘密結社さ。目的は大体聞いただろう? 彼等は一般人を鏖殺し、魔法使いの世界をつくろうとしている」

「何でそんな事……」

「『復讐』さ。魔女狩りや異端狩り、太古から存在する滑稽で嘆かわしい負の文化遺産。それは今この時代にも根付いている。彼等はきっと、世界各地で差別と偏見の雨に晒されていたんだろうね。ま、暴力という手段を用いた時点で彼等の嫌いな人間と大して変わりないのだけど」

 失笑と言わんばかりに肩を竦めるアルマは『優生思想』にはまるで同情していないようだった。

「『優生思想』は平然と一般人を手にかける。そこが『教室』との違いだよ。僕らは戦争がしたいんじゃない。僕らが求めるのは『秩序』だ。暴力だけじゃ人徳は集まらないしね。……それでも『優生思想』を師事する魔法使いは増加している。彼等だけが一方的に悪いと罵るつもりはないけど、思想を違える以上、やはり雌雄を決する事は避けられない」

 戦争は理屈ではなく本能が導いた結論だと、アルマは語る。そう言われても、何だか現実味がないのも事実だった。

「連中は少し前から勢力を拡大しているんだけど、困った事に彼等は割と強い。お互い睨み合ってるのが現状かな。とは言え、目先の目標は『優生思想』の崩壊だ。君らも、覚悟はしておいてね」

 アルマは言葉を切ると「他に質問は?」と話を振った。

 顔を見合わせて沈黙する二人の反応を満足そうに笑い、アルマは『杖』を懐にしまった。

「質問がないなら、今日の授業はここまでにしておこうか。初日だからね。宿題も今日は無しでいいよ」

 普通の学校なら「やったぁ」と喜ぶとこだが、初日じゃなかったらどんな宿題が出されるのだと、別の不安が二人を襲った。帰りの号令は、やらされるのが嫌なので指摘しなかった。

 三人で外に出る。外は何故かもう真っ暗だった。

 ああ、そうだ、とアルマが思いついたように言った。

「真夏、ここからお家への帰り方を教えておこう」

 アルマはポケットから銀に光る何かを取り出し、ぴんっと真夏に向けて抛った。

 ぱしっとそれを受け取る。硬く冷たいそれは、何の変哲もない銀の鍵だった。

「何だ、これ」

「それを教室の鍵穴に入れてごらん」

 アルマの意図の分からない言葉に、明原へ視線を移すと、大丈夫だと目が言っていたので、取り敢えず大人しく従う。

 銀の鍵を、明らかにサイズの違う鍵穴に差し込み、捻った。驚く事に、あっさりと扉は開いた。

「ん?」

 扉を開けた先、そこは室内ではなかった。

 見覚えのあるどこかの薄暗い路地裏だった。

「……え? ここ何処だよ」

「日本の首都、東京さ」

「は?」

 扉の向こう側に足を踏み入れ、身体を乗り出す。路地裏の扉は、木製ではない鈍色の扉だった。 

 そうだ、と思い出す。ここは家の近くの路地裏だ。最近は通う用事がなかったので忘れていたが、ここから家までそう遠くない。

「それは現実世界と魔法世界を繋ぐ鍵なんだ。扉はどれでもいい。どこでも行ける訳ではないので気を付けてね」

 明原が扉に跨ってこちらに飛び出てくる。燃々もこの手段で帰ったらしい。

 ――……なんか、これくらいじゃ驚かなくなってきたな。

 いや、と真夏は自問を否定する。

 ――これが当たり前になるんだ。それが魔法使いになるって事だ。

 立て続けて起こった超常現象に、真夏はこれから必要になる覚悟の重さに身震いし、しかし不思議と悪い心地はしなかった。

 魔法初心者の魔法使い二人に、アルマが声をかける。

「今日は二人とも、もう帰っていいよ。用件は済んだからね」

「また明日来いって?」

「いや、明日はいいよ。何か、燃々が真夏に言いたい事があったそうだよ?」

 それだけ言ってアルマは扉を閉めた。

 真夏は明原の方を見る。こっちに恐らく伝えているだろうと思ったからだ。

「言いたい事?」

「あ、うん。――明日、三人で遊びに行くよって」

 


 ――――――



「あ、真夏! 玖秭名! こっちこっち!」

 駅前。紫色に染めた髪を揺らし、顔に眼帯を付けた少女が、一目を気にせず二人の学生に向けて手を振っていた。

 あまりに大声を上げるものだから、周囲の人々の目線は未成年に対する生暖かさ半分、恥ずかし気もない燃々に冷笑半分、美女二人を連れる男子中学生に妬み僅少と言った処であった。

 友人の奇行(通常運転)に明原は苦笑、真夏はクソデカ溜め息を吐く。他人の振りをしたかったが、そしたら「何で来ないのー!?」と喚くのは火を見るよりも明らかなので、衆目に耐えながら大人しく燃々の下まで行く。

「叫ぶな、燃々。迷惑な上に恥ずかしい」

「ええ~。真夏に久しぶりに会えたから、嬉しくてつい叫んじゃった。玖秭名も元気そうで良かった!」

「うん、燃々さんも楽しそうだね」

「気持ちも嬉しくないが、取り敢えず人の目がある時はやめろ。せめて身内がいる時だけにしてくれ」

「あはは、ごめんごめん。じちょーするよ」

 幼児を見守る母のような眼差しで燃々に微笑む明原に、いつも通り燃々の奇行に軽く糾弾する真夏。

 だが、それにしても燃々の機嫌が普段よりも殊更良いのは、きっと例の件が影響しているんだろうなと真夏は考えた。

「私行きたいとこあるの! 二人とも、ついてきて!」


 

 昨日。告げられた言葉に困惑しつつ――明原も燃々の真意まで聞かされなかった――、明原を送って自宅に帰宅した時は、もう夜だった。

 次女と三女には燃々が「真夏は今日私の家に泊まるから!」と反論を許さない強めの口調で説明していたようで、事無きを得た(?)。妹は帰宅した兄に事情も聞かなかった。出来た妹だった。次女は目を合わせてくれなかった(長女は不在)。

 燃々の家まで行ってもよかったが、夜分遅くに迷惑なので、電話をかけた。燃々は真夏から通話がきたと知るや否や、何やら大声でよく分からない言語で喋っていたが、一分後に落ち着き、事の顛末を語った。

 全て話した後に、燃々から「明日、玖秭名と一緒に駅に来て!」と言われ、現在に至る。

 真夏と明原が制服、燃々は白いワンピース。ちぐはぐな格好の三人組に、度々奇異の目を向けられつつ、それをものともしない燃々がずんずん進んでいく。

「何処に行ってるんだよ、燃々」

「映画だよ、映画。ほら、これ。前に行きたいって言ってたやつ!」

 渡されたパンフレットを確認すると、『女優が死んだ。』と、これだけなら結構興味惹かれるタイトルが踊っていた。何かの映画賞を受賞したミステリとの事だ。

 劇場に入り、明原を挟んで真夏と燃々が席に座る。燃々は既にウトウトし始めていた。

「映画面白かったね! ラストで主人公が自殺するシーンが衝撃的だった」

「それ冒頭一分。てかお前序盤から寝てたろ」

「三人で遊びに行くの楽しみで、昨日は寝れなかったんだよ」

 映画を見終わった後は、少し早めの昼ご飯にした。燃々おススメのラーメン屋に向かった。

「玖秭名、めちゃくちゃ食べるね。それ2キログラムって書いてあるけど」

「え、そ、そう……?」

「お前ほんとに数年間引きこもりしてたのかよ」

 明原が異常な健啖家で、当店自慢の重量ラーメンをぺろりと完食していた。入店した明原の視線が、それより更に重い3キログラムラーメンの方へ向いていたのを真夏は見逃さなかった。

 お腹一杯になると、今度はボウリング場へ足を運んだ。力加減の練習とは言っていたが、明原がボウリングボールに罅を入れたのには思わず目を点にした。

 二時間程ボウリングで遊んでいたが――器用な真夏が勝利した――、身体を動かしたらまたお腹が空いたらしく、今度はおやつを買いにクレープ屋まで足を運んだ。

「……よく動いて、よく食べるね。燃々さん」

「よく寝ても付け加えろ」

 屋外のテーブル席に陣取る真夏と明原は、クレープを買いに行った燃々の背中を見つめる。明原は感心、真夏は呆れながら。

 真夏たちの来たクレープ屋はそれなりの人気店で、カウンターには数人が並んでいた。

「そういえば、二位くん……。今更だけど、燃々さんはどうして急に遊びに行こうなんて言いだしたの? 遊びたいなら、私を入れなくても……。二人だけで行けばいいのに」

「ああ……。まあ、あいつの魂胆は大体読めてるよ」

 真夏の視線の先、自分の番が回ってきた燃々が女性店員にメニュー表を指差してクレープを注文していた。出来上がるまでの時間に、持ち前のコミュ力を活かして店員と会話し始めた。店員も迷惑そうには見えず、燃々の生来の明るさに顔が緩んでいた。

 特別じゃない。ごく当たり前の光景。

 それを何より魔法使いは求めている。

「あいつはおれらに『普通』を体験させたかったんじゃないか」

「――あ……」

 普通の生活。人並みの幸せ。魔法使いから最も縁遠い言葉。

 燃々は真夏と明原に『ごく普通の学生』に、今日ぐらいはなって欲しかったんじゃないか。

 悲劇という言葉さえ優しく思えるような魔法の惨劇に、今日は、今この一瞬だけでも、目を閉じてくれれば。

 彼女なりの気遣いだという事に気付かぬ程真夏は鈍くないが、それを本人に言う程無恥でもなかった。

「燃々さんは……どうして、あそこまで明るくなれるのかな」

 明原の呟きに、真夏はこう返した。

「知ってるか? あいつの魔法」

「うん。本人から聞いたよ。『事故の再現』、だよね」

「ああ。だからまぁ……言うまでもないが、結構酷い目に遭ってる。無二の幼馴染を巻き込んでしまった……とかな」

「……! うん。聞いたよ」

 明原の思わぬ返答に真夏はやや調子を崩される。あんな過去を、それも殺されかけた相手によく話せるものだ。器が大きいと言えばいいのか、能天気と言えばいいのか。

「だが……、燃々の心が折れた事はない。あんだけの魔法を持っていながら、燃々はあの天真爛漫さを崩そうとしなかった。魔法に屈する事はなかった」

 初めて彼女の話を聞いた時、真夏は正直燃々が恐ろしかった。何故。何故。そんな悪意に満ちた魔法を持っていながら、ああも明るいのか。何で夜明けに希望を持てるのか。

「燃々は、過去の人から託されたものを、大事にしてるから……ああも明るいんじゃないか」

「……託されたもの」

 両手を広げた明原が、じっと掌を注視する。何人も傷つけた手だ。洗っても洗っても消える事のない鮮血の痣がそこにある。

 思考の海に意識を飛ばす明原に、真夏は声をかける。

「……悪かったな。何か語っちゃって」

「ううん。ありがとう。二位くん」

「二人とも、お待たせーっ!」

 クレープを片手に二つ、もう片方に一つ持った燃々が真夏たちに駆け寄る。礼を言ってから注文したものを手に取る。

 椅子に座った燃々が、早速クレープを頬張る。

「美味しい!」

「うまいな」

「おいしい」

 夏空のように表情が忙しなく変わる燃々に、素直ながらも淡白な反応の真夏と明原。因みには真夏はチョコバナナパフェ、明原は黒蜜抹茶白玉、燃々はトロピカルフルーツにした。

「ねえ、次はどこに行く?」

「もう次の話か? おれは少し落ち着きたいよ」

「え~。玖秭名はもっと遊びたいよね? 今日という日は今日しかないんだよ。今遊ばなきゃ損だって!」

「え? 私は、ううん……」

 既に半分以上食べ進めている明原が答えあぐねていると、意想外の所から声がかかった。

「あーっ!? 燃々ぇ!」

 声のした方向へ名前を呼ばれた燃々が振り向く。聞いた事のある声だった。

 そこには、私服姿の一人の女子がいた。

「あれ、望愛ー? 何でここにいるの?」

 燃々の友人、甘原望愛だった。如何にも今時のギャルっぽく服を着崩しており、髪に赤メッシュが入っているのが特徴的な美女だ。

 燃々行方不明の際に真夏が話を聞いたのが彼女だ。

「あ、なっちゃんもいる! あれっ、横の人は? うちの生徒じゃないよね?」

「はい。私は――」

「うわ、赤毛だ! それ染めてるの!?」

「い、いえ、これは地毛で……」

「地毛!? すご、天然の赤毛とか初めて見た! 髪さらっさら! めちゃくちゃ美人じゃん! 観賞料で金取れるって! まつ毛なが、やば、え、アイドル!? どっかのタレント!?」

「あ、い、いえ、あの……」

「ねえ、写真撮ってもいい!? SNSとか挙げたりしないから!」

「望愛。用件があるなら早く言ってくれ」

 猪宛らの猛進っぷりに明原がタジタジになる。見かねた真夏が助け船を出すと、はっと望愛が思い出したように顔を上げた。

「そうだ!! 燃々ぇ、私どうしよう! 死んじゃうかもしれない!」

「死!? どうしたの!?」

「私――」

 半泣きで望愛は叫んだ。


「自分のドッペルゲンガーに会っちゃった!!」

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