1429年 オルレアン

 ジャン・ル・バタールは途方に暮れていた。18歳の若さで騎士に叙せられた歴戦の勇者は、しかし、防衛司令長官としてオルレアンの町にやってきて以来、市民や将兵の期待を裏切り続けている。ル・バタールは、足に弩の矢を受けて負傷していた。オルレアンの街を包囲するイングランド軍の、補給部隊を襲う作戦に失敗したときに受けたものだ。この作戦の失敗がきっかけとなって、クルレモン伯をはじめとする彼の同輩たちは、次々とオルレアンを見捨てて戦場を去ってしまった。

 14年前の、あのアザンクールの惨敗以来、オルレアンは常に戦火に曝されている。誰もが疲れ切っていた。住民の中には、怨敵、ブルゴーニュ公のもとに使者を送って、領主不在の町への攻撃をやめてほしいと懇願しようという動きさえあった。オルレアンの本来の領主たるオルレアン公シャルルは、現在イングランドの捕虜になっている。そのオルレアン公シャルルの異母弟が、誰であろうル・バタールなのだ。兄に代わって町を守らんとするオルレアン公爵家の庶子バタールにとって、これ以上の屈辱はない。


 「ラ・ピューセル乙女が王太子のもとに向かっている。ラ・ピューセルは、オルレアンの囲みを解いて、王太子をランスに連れて行く」

 そんな噂が、ル・バタールの耳に届いたのはこういう時期だった。


 王太子シャルル、と名乗る男は、シノンの城にいる。彼の父は今は亡きフランス前国王、シャルル6世であり、4人の兄が次々と亡くなった後には、当然のことながら彼がフランス王太子となったはずであったが、どういうわけか彼の実母、王妃イザボーはこの5番目の息子を気に入らなかったらしく、「シャルルは自分が不義によって生んだ子で、フランス王家とは何の血の繋がりもない」と公言した。これに目をつけたブルゴーニュ派が、イングランドと結託してトロワ条約に調印し、イングランド国王、ヘンリー6世(この時、まだ8歳の子供である)をフランス王位継承者と定めた。イングランド国王が、ゆくゆくはフランス国王を兼ねることで、フランスとイングランドは一つの連合国家となるだろう。哀れな王太子は、実の母親によって王位継承権を否定されたまま今に至る。


 シャルル王太子にも逆転の道が残されている。古来の伝統に従ってランスの大聖堂で戴冠式を挙げることである。神の名のもとに戴冠式が挙行されれば、シャルルの王位の正当性は神によって保証される。しかし、シノンからランスへの道にはイングランド軍が立ちはだかる。ここオルレアンはとりわけ重要な拠点であって、ラ・ピューセルとやらが王太子を戴冠させるというならば、なるほど、まずはオルレアンを解放せねばなるまい。


 「ロレーヌの境界から出る乙女によって、フランスは救われる」


 そういう予言のあるということは、ル・バタールも知っている。知っているが、信じたことはない。少なくとも、これまでは信じていなかった。けれども、この状況を打開するのに、天佑神助を期待する以外に何ができるだろう。人間には、どう足掻いてもできないことがある。人間の努力や才能で全ての困難を乗り越えられると考えるほどに、ジャン・ル・バタールは不遜ではなかった。

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