見神者
垣内玲
1424年 ドンレミ
「フランスに行かねばならない」
“声”はジャネットにそう告げた。ジャネットは深く畏れた。ジャネットはその頃、13になるかならないかの百姓の娘でしかなかった。縫い物をして羊の番をして過ごしている、ドンレミの田舎で一生を終えるであろう娘である。人よりはいくらか宗教心の強い娘であってみれば、教会に通う頻度は高かったかもしれない。それとて、生来の真面目さの、その延長としての敬虔さであるにすぎない。
気立の良い、優しい娘。これが、ドンレミの村におけるジャネットへの一般的な評価であったし、少なくともジャネット自身、それよりも偉大な何者かであろうという意志など、少しも持ち合わせてはいないのだ。そんな慎ましい娘であってみれば、誰もいないところから“声”が聞こえたとしても、それを即座に神の声であるなどとは思わないのである。どうして神さまが、私のようなただの娘に直接声をかけるだろうか。ジャネットは神を信じているし、古の預言者たちに神が直接語りかけたことを知っている。同時代にも、神の声を聞いたと称する女たちがいるのも聞いたことがある。それでも、他ならぬ自分が神の声を聴く者であると即座に信じることができるほどに、ジャネットは自惚れていない。
“声”はジャネットに語り続けた。怖かった。たまらなく怖かった。“声”が、神の声であって、錯乱した己の心の作り出した声ではないと、どうして確信できるだろう。ジャネットはこれまで、自分が他と違う特別な何かであると考えたことはなかったし、おそらくこれからもそのような確信に至ることはない。ジャネットは、必死に、必死に、“声”が自分に告げる言葉を吟味した。そこに矛盾はないか、悪魔の声ではないか、婚約者と揉めて故郷に居づらくなっている自分に、都合の良い“お告げ”を聞いているだけではないのか。
ジャネットは、文字も読めない。無学な娘である。しかし、賢い娘である。たとえば、ドンレミの西の森にある「仙女の樹」にまつわる言い伝えなど、少しも信じていない。仙女のご利益などを信じるのは、野蛮で未開な異教の迷信である。キリスト教の聖者によって引き起こされる“奇跡”と“呪術”とは違う。難解な神学的議論を知らないジャネットも、そのことはよく理解している。
それでも、ジャネットは“声”に従うことを決めた。その“声”の正体が何であれ、自分の振る舞いが神の御心に沿うものであるなら、必ずや神は自分を助けるだろう。そうでないなら、フランスにたどり着くことさえできないだろう。ジャネットには、こういう素朴な信仰があった。自分が本当に神の声を聴くものなのかどうか、彼女にはわからない。
「フランスに行かねばならない」
“声”はジャネットにそう告げた。だから、ジャネットは行く。
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