第3話

「いらっしゃぁい」

 中に居たのは薄汚い男だった。

 商品棚の方は問題なかったのだが、カウンターの奥が店の入り口にいるコトリにもわかるくらい汚れていた。

 今この瞬間、地震でも起きたらあの薄汚い男は大量の荷物に押し潰れてしまいそうだ。というより、あれでは普段の生活をどうしているのかすらコトリには想像できなかった。

 そして店の中にも特に禍々しい雰囲気であるとか、占いや風水的なものがあるかと言われたらそうでもなかった。

 少なくともコトリが想像していたような、マンドラゴラや魔女の窯のようなものはなく、商品棚の方にも変な置物やサラリーマンが使っていそうな文房具、そして近所のおばあちゃんがよく食べているような駄菓子や煎餅などが、列すら為さずに並んでいた。コトリにはどれも魔法と縁があるとは思えなかった。

 コトリは意を決して、魔法の在り処を男に聞いてみることにした。

「魔法はどこにありますか?」

「そこにあるだろ? 棚から好きなの持ってきな」

「でも棚にはお菓子とか文房具とかしか無いんですけど」

 男は少し考えたような素振りを見せると、立ち上がって商品棚の方に向かっていった。すると男は急に商品である煎餅一袋を、一口で平らげてしまったのだ。

 目の前の男は店主といえど、お金も払っていない商品を、しかも業務中に食べるというのはいかがなものかとコトリが思った瞬間のことだった。

 男の手のひらから、花が咲いた。

 幼稚園児がクレヨンで書いていそうな、綺麗なピンク色の八枚の花弁の花だった。男の身なりからして、タネを仕込めそうな箇所はどこにもなかったし、手から直接咲いていることは目で見てわかった。

「す、すごい! それ、本当に魔法なんですか!」

 思わずコトリは関心して声を上げた。魔法なんて初めて見たものだから、思わず小学生のおうにはしゃいでしまった。

 男はコトリから憧憬の目を向けられても、何にも言わずに花を作業的にその場から消し去った。そしてコトリの方を向いて話を続けた。

「その様子だと、今すぐ魔法が使いたいんだろ? 一応文房具や魔具とかは別売りでマナを買ってもらうことになるから、菓子のほうがオススメだな。菓子は今俺が食ったように、自分自身が使えるようになる感じで───」

「買います、買います。買わせてください。いくらですか?」

 男の言葉を遮ってコトリは身を乗り出した。目の前で魔法を見せられてしまったからか、早く魔法が欲しい気持ちが余計に強くなってしまった。

 花の魔法でも良いが、もっと派手で綺麗な魔法が私にも欲しい。

「別にお嬢ちゃんが思っているほど大したものじゃないぞ、魔法って」

「構いません。、魔法が欲しいんです。それ、一個ください」

 男は少し呆れた顔をした。どうやら諦めたような顔をして、どれだ? と尋ねた。コトリはすぐそばにあった、アイシングクッキーを指差した。男はそれを一袋掴んでレジ(らしきもの)に持っていた。

「嬢ちゃん、買うのは構わないけど説明だけは聞いてくれよ?」

 コトリはうなずいて、男の話を聞く姿勢を取った。なんだか魔法学校の新入生になったみたいでワクワクした。

 目の前に置かれたアイシングクッキーに飛びつきたくて、足の指を開いたり、閉じたりしていた。今のコトリは「待て」をされている犬と全く同じ状況だったのだ。

「俺とかは元の魔力があるからすぐ効果出るけど、お嬢ちゃんは普通の人間だからなぁ、一日二日待たないと行けないかもしれないな。あと体調が悪くなったら病院じゃなくて、こっちに来てくれよ。魔法系統の病気は普通の人間がかかると結構でかい病気だと誤診されやすいから、面倒なんだよ」

「確かに面倒ですね」

「一回おそれで裁判沙汰になったことがあってな」

 魔法に似つかわしくない生々しい単語が出てきて思わず身構えてしまった。

 もしこの魔法屋が全国レベルで知られてしまったら、何が起こるんだろう。

 戦争でも起こってしまうのではないかとコトリは恐怖に打ちひしがれたが、先に著作権の方で訴えられてしまうのではないかと考えた途端に荷が降りた。

「じゃあさっき言ったこと、守ってくれるな? 七百円だ」

「安くないですか? 魔法なんてすごいもの、もっと高くても良いのに」

「言っただろ? 魔法なんて大したものじゃない。俺のタバコ代ぐらいで十分なんだよ」

 コトリは微妙に納得できないまま、千円を渡した。

「あぁ、あと魔法がいらねーってなったときは、一年待たないと書き換え出来ねーからな」

 そう言って店主がなれない手つきで三百円を渡してきた。それを受け取ったコトリは店を後にした。

 帰り道の途中でクッキーを一つ、また一つ、一つと食べていった。普段のコトリなら考えられないほど、食べるのが早かった。コトリの特別への執着が、彼女自身の食欲をテスト前の娯楽のように引き寄せていたのだ。

 クッキー自体は普通のクッキーだった。魔法がかかったように美味しい、とかそういう事は一切ない。むしろコトリは自分で作ったほうが美味しいのではないかと思うほどだった。

 しかし、これでやっと自分は手にすることができるのだ。自分だけの武器を、自分のやれることを。プロ級じゃなくても良い、アマチュア程度のものでも良い。少しでも他の人とは違ったことができる特別感があればそれでよかった。

 未来の私は魔法まで使えてしまうのだ。たった一つの魔法が使えてしまう「魔法使いコトリ」がコトリの妄想のレパートリーに追加された瞬間だった。

 コトリはその晩「魔法使いコトリ」を壊れるまで自分の頭の中で遊び尽くして、久しぶりに幸せな気持ちのまま眠ることができた。


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