――――――伍――――――

 

「……それってやばいのか?」

「やばい……なんてものじゃない」


 泉穂が説明した内容をまとめるとこうだ。


 ――物の怪や妖怪が住まう世界は、「きし」と呼ばれる。

「彼の岸」と「の岸」――つまり、あやかしの世界と人間の世界は、行き来できる場所ポイントが決まっている。術士の間で古くから、その場所ポイントのことを「境目さかいめ」と呼んできた。


 あやかしにもレベルがある。大した呪力を持たず、人間にもほぼ害のない低級から、国一つ滅ぼす力を持つ特級とっきゅうまで。「境目さかいめ」は至る所に存在したが、特級レベルのあやかしは、通ることのできる「境目」が限られていた。

 

 特級の大妖怪おおあやかしみやこを騒がせていた、平安時代。

 かの「八傑はっけつ」たちは総出で、特級が此の岸に渡るための境目さかいめを全て封じた。

 その一つが、八塚やつか神社の北、「鏡池かがみいけ」だった。


「結界術の天才が、命と引き替えに張った最強度の結界だ。以来1000年、特級が此のこっちに出てくることはなくなった」


 しかし今日、その結界は破られた。

 虚無僧は、鏡池かがみいけ境目さかいめを通って此の岸へ来た、特級レベルのあやかしという訳である。


「ここへ来る前に応急処置で結界を張ってきたけど、特級レベルともなるとザル同然だろうね」


「!……ってことは――」


「――ああ、出てくるよ。魑魅魍魎ちみもうりょうの、頂点に立つような連中がね」


 圭一郎は、事の深刻さを理解した。

 もしこの現代に、大妖怪おおあやかしが次から次へと現れたら――


「どうすんだよ」

陰陽連おんみょうれんには連絡した。今こっちに腕の立つ術士が向かってる。複数人で常時結界じょうじけっかいを張れれば抑えは効くはずだ。僕らはこれ以上被害が出ないように、術士が着くまで特級アレをここに留めておかなきゃいけない。境目さかいめに関しては……これ以上出てこないことを祈るしかないね」

 

 要するに絶望的な状況ということだ。


「さっき敷地ここに張った結界は、術士本人ぼくが内側にいることでかなり強化されてる。特級でも簡単には破られない。――ただ、問題が2つ」

「……なんだよ」

特級アレから隠れ続けられるかと、僕の呪力が持つか」


 境目さかいめの結界。身隠しの結界。特級を敷地内に閉じ込める結界。

泉穂は今、3つの簡易結界かんいけっかいを同時に張っていた。簡易結界はいわゆる「その場しのぎ」の結界。今この瞬間も呪力を消費し続けている。


「よりによって征志郎さんの留守中に……タイミングに悪意を感じるよ」

泉穂の頬には、いくつもの汗が伝っている。 

親父おやじがいない時を狙ったってことか?」

「可能性は高い。そもそも結界を彼のあっち側から破るのは不可能だ」

「……此のこっちから、手引きした奴がいる?」

「おそらく。君を殺せば蘆屋家を根絶やしにできる。大妖怪おおあやかしの術士に対する恨みは計り知れないけど、術士は人間にも敵が多いからね」


「……つまり俺は、められたってこと?」


 泉穂は答えない。 







 (―――ああ、やっぱり腹が立つ)


「泉穂、結界を解いてくれ。俺が祓う」

「無理だ。アレは特級だよ、いくら圭ちゃんでも……」

「お前が落ちたらどのみち死ぬだろ。既にしんどそうじゃねぇか」


邪気が濃くなり、空気がズシリと重くなる。

迷っている時間は無かった。


「来たな。泉穂、頼む」 

「……分かった、援護する」



十数メートル先に、虚無僧が現れる。

ふらり、ふらりと、こちらへ近づいてくる。


「今だ!」


 僧が目の前を通り過ぎたタイミングで、泉穂が結界を解いた。


(特級コイツに効くか分かんねえが、俺にはこれしかない!)


 圭一郎は、こぶしを大きく振りかぶる。

 その気配に一瞬早く気づいた僧が、顔を覆っていた天蓋てんがいに手をかけ、外した。


 「!!」


 圭一郎の動きが止まる。


 怖気おじけづいたのではない。。本来目鼻があるべき場所。そこには、ただ漆黒のがあった。圭一郎は、そのに吸い込まれるかのような感覚を覚えた。


「圭ちゃんだめだ!見るな!」


 ――分かってる。

 目を逸らしたいのに、逸らせない。

 目蓋まぶたが張りついたようになって、目を閉じることもできない。


(おそらくこれはの強い人間ほどまりやすい術……!圭ちゃんは……)


 ゴォォォォオオォオオオ


 僧の顔面の穴が、渦を巻く。


(呪力……だけじゃない、生気を吸っているのか)


「圭ちゃん!」

 

 僧が錫杖しゃくじょうを振ると、呪符を飛ばそうとした泉穂が後方へ吹き飛ばされる。


(クソッ!視線さえ逸らせれば…)


 圭一郎は、徐々に意識が遠のいてゆくのを感じた。












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