――――――肆――――――


 まだ日没の名残の残る、黄昏時たそがれどき

適当に時間をつぶして家に帰ると、いつもはこの時間は家にいる征志郎せいしろうがいなかった。

 

(……そういえば昨日)


『圭一郎。明日から関東に出張に出る。陰陽連おんみょうれんの支部にも顔を出すから、3日間家を空けることになる。私がいない間、留守をたのんだぞ』

『ああ』


 ――という会話を交した。

 その時、食事をしながらぼんやりとTV を見ていたため、すっかり忘れていたのだ。

 征志郎が仕事で家を空けることはよくあったので、圭一郎は特に気に留めなかった。









 ―――“その日”。


征志郎せいしろうが出張に出て、3日目の深夜。

時刻はまさに、草木も眠る丑三つ時。



圭一郎は、寝苦しさに目を覚ました。

目覚めてすぐに、異変に気づく。


(なんだ?この嫌な感じ)


空気が重い。体に重石おもしでも乗っているかのような息苦しさだ。

息苦しさの正体が、充満した邪気だと気づいた時、とっさに観月みづきのことが頭をよぎる。


圭一郎は、部屋を飛び出した。


 

―――バンッ


二階の奥、小金井こがねいの妻・多恵子たえこと観月の寝室の戸を開け放つ。

その音で目覚めた多恵子が、布団から起き上がる。

「おや、圭ちゃん、どうしたんだいこんな時間に」

観月みづき!!」

布団に駆け寄ると、観月は苦しそうにうなされていた。

ひたいには、玉のような汗がにじんでいる。多恵子は、その様子を見て狼狽うろたえる。

「多恵子さん、すぐに観月を連れて家を出て。できるだけここから離れて。俺も小金井さん起こしてから行くから」


――ここは危険だ。


圭一郎の本能が、そう言っていた。


「何があったんだい?観月ちゃん、熱あるんじゃ…」

「いいから早く!!」

圭一郎の気迫に押されて、多恵子は観月をおぶる準備をし始めた。

それを見届けてから、階段を一気に駆け下りる。


(何なんだ、一体)


邪気は、敷地全体を覆っているように思えた。

いつも小金井が寝室に使っている和室へ向かったが、姿が見えない。

布団はカラだった。


小金井じい……さん?」


(返事がない、おかしい。それに何だ、この嫌な気配……外か?)





やけに月の明るい夜だった。


縁側から庭園へ出た、圭一郎の目に飛び込んできたもの。


それは―――――




(虚無僧こむそう…?)


松の木の下に、闇に溶け込むかのような黒衣をまとった僧が立っていた。

天蓋てんがいのせいで顔が見えない。

圭一郎はその気配で、人間ではないことを直感する。

そしてその足下には――



「!!」


小金井が、血だらけで倒れていた。


圭一郎は、自分の心臓がかつてないほど激しく脈打つのを感じた。


「圭一郎様、お逃げください…!」

小金井が弱々しく叫ぶ。


『憎き蘆屋あしや末裔まつえいか…我らを封印しおって……許さぬ』


頭の内側に響いてくる、憎悪に満ちた声。

 

「……ッ」


頭痛に耐えきれず、圭一郎は膝をつく。

かすむ視界の先で、僧が錫杖しゃくじょうを振り上げるのを見た。

一瞬の内に、思考が巡る。

 

――が襲ってきた?

――観月は?逃げられたのか?

――俺は死ぬのか?


その時。






「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」



―――バシュッ!!


格子状の青白い光が、僧の錫杖しゃくじょうを吹き飛ばす。

同時に数枚の呪符が、僧の体に張りつく。


「圭ちゃん!今のうちにこっちへ!」 



 母屋おもやの陰から叫んだのは、泉穂いずほだった。

 呪符の効果で、虚無僧の動きが鈍る。

 

泉穂いずほ、これは…」

「走って」


 泉穂は圭一郎の腕を掴むと、裏庭に向かって走り出す。


 走りながら、泉穂はひたすら何かを唱えていた。

 その声に合わせて、蘆屋家の敷地を結界が覆ってゆく。






 泉穂は、裏庭の躑躅つつじの茂みに圭一郎を押し込むと、即座に「身隠し」の結界を張った。余程走ってきたのか、息が上がっている。

「観月たちは…」

「大丈夫。裏口から逃がした」

それを聞いて、圭一郎はひとまず安心する。


「……何が起こってんだ?」


 泉穂のこれほど取り乱した表情を、圭一郎はかつて見たことがなかった。


「――勧修寺晴久かじゅじはるひさの結界が、破られた」







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