――――――弐――――――

 高校のある四条通りから、祇園ぎおんに向かって歩いて約20分。


 緑が増えてくるあたりにある、一際ひときわ大きな日本家屋が、蘆屋家の邸宅だ。敷地を囲む土塀どべい唐門からもんが、その存在を際立たせている。

自転車やバスで通えないこともないのだが、圭一郎は余程よほどのことがない限り、歩いて通学していた。特に帰りは必ず歩いた。

 理由は簡単だ。自転車やバスだと、早く家に着いてしまうからである。


「圭一郎様ァ!お帰りなさいませ!」


 玄関に入るなり、早く家に着きたくない最大の理由が現れる。

  

 行く手を遮るように立つこの初老の男は、圭一郎の“ 自称 ” 目付役、小金井こがねいである。蘆屋家の遠縁で、圭一郎が生まれる前から父の家業を手伝ってきた。

圭一郎を立派な陰陽師にすることが己の使命だと思っており、すきがあれば修行をさせようとしてくる。

 母・笙子しょうこが妹を産んですぐに亡くなってからは、夫妻で住み込み、蘆屋家の家事・炊事を担っている。そのため完全に無下むげに扱う事もできず、圭一郎はよく頭を悩ませていた。


「今日という今日こそは修行を…!」

「しない。出かける」

 圭一郎は、小金井こがねいをほとんど振り払う勢いで2階へあがり、自室へ駆け込む。


「はぁ……」


 出かける用事など特にないのだが、部屋にいるとまた隣の部屋から五行説を延々と説かれたり、呪文を聞かされたりしかねない。


 圭一郎は鞄を置き、外へ出ることにした。








「あ、お兄ちゃん!おかえり~!」


 裏庭へまわった圭一郎を、遊んでいたボールを放り出して迎えたのは、妹・観月みづきである。

 

 圭一郎は、駆け寄ってくる観月みづきの肩に、黒いモヤのようなものがまとわりついているのを認めた。


「観月、ちょっと」

 圭一郎は手招きすると、観月の目線に合わせてしゃがむ。

「今日、幼稚園以外でどっか行ったか?」

「あのね、遠足だったの!嵐山に行ったよ」

(……それだな)



 圭一郎は観月の肩に手を伸ばし、デコピンをするように指を動かす。

すると、黒いモヤはスッと消えた。



 兄の不思議な動きに、観月は首をかしげる。


がついてた。暗くなってきたからそろそろ中に入れ」




 人が多く集まる場所には、「邪気じゃき」が集まりやすい。

 憎悪ぞうお嫉妬しっと怨嗟えんさ―――人間の負の感情が、物の怪や霊の持つ瘴気しょうきと結びついて、形を為したものが「邪気じゃき」である。

 多少なら放っておいても問題は無いが、蓄積すると人体に悪影響を及ぼす。

 観月は、邪気を集めやすい体質だった。


 そして圭一郎は、そのような悪いを「祓う力」を持っていた。


 霊や物の怪を寄せつけやすい、邪気を集めやすい体質の人間というのは、一定数存在する。圭一郎は学校で、そんなクラスメイトを何人も見てきた。は大概、体調を崩したり、学校に来なくなったりした。



 圭一郎は、罪悪感にとらわれた。


――所詮しょせんは他人だ。他人を助けてたらキリがない。

――でもあいつ、苦しそうだった。俺が祓ってやってれば……

――見えなきゃ、一生気づかないんだ。助けてやる義理はない。

――でも……


 葛藤かっとう、圭一郎はできるだけ「」ことを選んだ。

 これが、学校という場所から足が遠のいた理由の1つだった。


 そうして「見えないふり」を続けているうちに、常に見えていた霊や物の怪のたぐいは、圭一郎が意識して「見よう」としなければ見えなくなっていった。



(ただ、観月みづきだけは)


 妹にかかる災難だけは、どうしても見て見ぬふりはできなかった。

 圭一郎は、妹がだと分かった時から、観月のことに限っては意識して「見る」ようにしていた。


(俺が毛嫌いするこの力で、身内だけは助けたいだなんて……都合のいい奴)


 自分が矛盾していることは、圭一郎自身が一番よく分かっていた。




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