第44話・サラリーマンは体が資本じゃなかったんですか?

 

 唐突に失われる平衡感覚!

 有無を言わせない強引な力が俺をバイクから引きはがした!


「おああっ!!」


 激しい衝撃と共に右肩から着地。

 前方にうまくスリップダウンする舞音の背中が見える。

 が、それも一瞬の事。


 殺し切れなかったスピードで、俺はうず黒く硬いアスファルトの上を転がった。


 …………


 ……


「……だいじょうぶですか?」


 コケてから今までをずっと見ていたつもりだったのだが、少し気を失っていたのか。

 舞音がいつ俺の前に来たのか分からなかった。


「あ、ああ何とかな、っつ」


 右手を上げて無事を知らせようとする。

 が、その腕を鋭く走った痛みで思うようにならなかった。


「ああ、ムリしないで下さい」


 ヘルメットを被ったままの舞音、しゃがんで俺の額をポケットティッシュで拭く。

 それはあっという間に赤く染まった。

 そして片手の人差し指を揺らして見せる。これを見ろと。


「ごめんなさい、ヘルメット無しで乗せるべきじゃなかったのに……」


 目の動きに問題無しと見たのか、舞音は後悔を言い始めた。

 その姿はヘルメットやバイク用の服のおかげか、少し汚れているもののケガなどは無さそうに見えた。


「気にすんな、俺が勝手に乗ったんだから」


 今度は左手に否定をさせようとする。

 それはうまく行ったが、同時に背中に何かが擦れる感触。

 俺は谷側のガードレールに背中を預けて座っていた。

 眼前に館の塀。

 その上に、館の2階部分がチラ見えしている。


 右斜め前に館の門。

 柵状のその門を突き抜けて来た衝撃波を喰らったのが転倒の原因だろう。

 そこからここまで20メートルってとこか

 それはイコール俺が転がった距離って事だ。

 ……どうりで体中ボロボロで痛いわけだ。


「それは、でも」

「それよりも。使って悪いがひとっ走りして下の宇藤に迎えに来させてくれないか?」


 強引に被せるように言った。

 こういう時には、後悔よりもこれからやるべき事を実行する方が建設的だ。


「あ、えっと、ケータイで連絡されては?」


 左手で上着からケータイを出して見せる。

 感触で分かってはいたが、それはポケットの中で完全に二分割されていた。


 目を丸くした舞音、自分のケータイは無事だが、宇藤の電話番号は分からないかと訊いてきた。

 だが、俺は他人のケータイの番号はケータイに記録させてるだけで、覚えてはいなかったのだ。


「そういうワケだから、頼むよ」


 そこら辺の事情は皆似たようなものだろうし、それに。


「それに、もうあの妖怪もどきの事もどうでもいいだろ?」


 なによりも白けちまったんだ。

 なんでこんな山奥で痛い思いをしなきゃならんのだ?


「どうでも良いって言うか、それよりも今は」

「加えて、宇藤がこの落雷を見て心配してるかもしれんからな」


 仕事とはいえ、こんな理不尽が認められるかよ。


「さすが社会人ですね……こんな時にも同僚に気配り」

「よせよ」


 照れ臭くなる。

 俺はただ単に、さっさとこの場を切り上げて楽になりたいだけなんだから。


 紅白バイクは少し離れた道の上で横倒しのままだった。

 舞音が起こして、その傷み具合が露になる。


「……教授に怒られるかも」


 他人の持ち物だったのか。

 少し良心が痛んだが、だがまあ彼女の体が無事だったことで納得してもらうしかなかった。

 バイクは、右側のカウルとミラーそれに排気管の一部が削れていたが、大して壊れていなかった。

 どうやら舞音と同じように、うまく横滑りして難を逃れたらしい。


「エンジンはムリしてかけなくてもいいんじゃね?」


 声をかけた。

 下でエンジンをかけた時の様に、惰力で下って行けばいいんじゃないかと。

 ブレーキに支障が無ければの話だが。


「そうですね、それなら何とか」


 舞音は車体に問題無しと見たか、サイドスタンドを蹴りあげた。

 そして、車で迎えに来るまで動くなとくどいくらいに念押ししてから、バイクを押し掛けする要領で乗り、静かに坂道を下って行った。


「ふう、やれやれだ……」


 舞音が見えなくなって、ラノベ主人公なため息をつく。

 っていうか何度目だこれ? この館に来てからこっち……


 そう思いながら見上げる館の2階部分。

 俺が寝泊まりして、皆と一緒にサーバーのベンチマークをやった部屋。

 今は落雷でぶっ壊れて……いや、壊れてない?


 バイクを吹き飛ばす威力の落雷だった筈なのに、何も変わりないように見えた。

 そしてその背後は、暗くよどんだ曇り空。


「…………」


 落雷の直後、この空の様子、辺りを包むじめっとした空気。

 これはまさか、例の矢板スコールの前触れじゃ?


「もしそうなら……」


 このままここにジッとしちゃいられない。

 舞音からは動くなと言われたが、あの土砂降りを脳天に喰らったら、その方がよほど体に悪いから。


 それに、あいつらも子供じゃないんだから、大雨が降ったら館に雨宿りしに行くと考えてくれるだろう。

 そう決めつけて、とりあえず体を動かしてみた。


「くっ……」


 下半身はケガしてなかったようで、右腕に気を付けたら何とか痛みなく立ち上がれた。


「マスターキーはズボンのポケットに入れてあったから……」


 そろそろと歩いて、門の横の小さな通用門から館の敷地内に入る。

 そして驚いた。


「げっ……」


 中庭の花壇が全滅していたのだ。植木や花が全部吹き飛んでいる。

 それに加えて、中庭中央部の噴水のブロックも一部壊れていた。

 やはり落雷の衝撃波だろうか。

 外のバイクが吹き飛ばされるくらいだから無理もないか……


「植木屋の兄ちゃんが見たらなんて言うだろう」


 やっぱりガッカリするだろうか。

 それとも、大きな仕事が出来たと喜ぶだろうか?

 結構抜け目ない性格に見えたからな。


 と呑気な事を考えながら、玄関の大きな庇の下に辿り着いたと同時に。


「あ!!……ぶねえぇぇぇ……」


 ナイアガラの滝もかくやの土砂降りが始まったのだ。

 もしあのまま外に居たら、と思ってゾッとした。


 が、本格的に身の毛がよだったのはその後だった。


「?……なんで……」


 何気なく振り返った先、玄関。

 そこにあの大きく重々しい扉は無く、内側のフロアが薄明るく浮かび上がって見えた。

 照明なんか点いていない筈なのに、何故明るい……?


「これはっ」


 中に入ってみる。

 吹き抜けになっているフロアの上の天井がぶち抜かれていて、薄黒い曇り空が見えていたのだ。

 そしてその真下の床には、直径2メートルほどの大きな穴があいている。

 そこから地下室がチラ見えしていた。


 つまり、この頑丈な館の天井や床をぶち抜ける威力を持っていたという事だ、あの雷撃は。


 それに気づいて戦慄した。

 俺は、こんな事を仕出かせる妖怪、いやバケモノを追いかけていたのだ。

 なんという向こう見ず。


「なんで……ここに?」


 と穴の前で硬直した俺に、聞き覚えのある声がかけられた。

 それは矢板の山の上でも聞いた……


純音すみね?」


 なわきゃねえ! アイツは今ここには居ない筈だから。

 だがその姿かたちは、山の上で会った時と同じタイトなスーツ姿で。

 館の食堂がある方(向かって左側)へつながる廊下の前あたりで、こちらを心配そうに見ている女性は、まごうことなくあの純音だった。


(ああ、酷い怪我を)


 驚く俺の右耳に、もう一つの純音の声が。


「え?」


 今度の声は、宇藤たちが寝泊まりしていた部屋がある方(館の向かって右側)へ行く廊下の前、それも2階部分からのものだった。

 そこに居るのも、左側のと全く同じ服装だ。


「何を他人事みたいに! 全部アンタがやったんでしょ!?」

(故意ではありません)

「アンタはいつもそうね、いつもそうやって責任逃れを」

(それは貴女の一方的な決めつけです! もう私を悪者にするのはやめなさい)


 詰り合いを始める二人。

 いや、一方はおそらく例のバケモノだろうから正確には一人と一体か?

 だが、その時の俺にはどうでも良いことだった。

 何故なら……


「くそっ!」


 左側の純音の頭上にある天井の穴の端、そこのコンクリートの瓦礫が今まさに落下しようとしているのが目に入ったからだ。


「!!」

(なっ……!)


 目を見開く左側。右側の何かの叫び声がそれに被さる。

 もし左側がバケモノでも、純音の姿形をしているものが酷い目にあうのを黙って見てはいられない!

 それで右腕の痛みを無視して10メートルほどの距離を一気に詰めた。


「間に合えっ!!!」


 突き飛ばされると痛かろう、と寸前に思ってしまった。

 その一瞬の躊躇から、もう純音の上に覆い被さるしか手が無くなってしまった。

 瓦礫(かなり大きい)はもう、落下を始めていたのだから!


「…………!!」


 突き飛ばすのと覆い被さる動作がごちゃ混ぜになって、結果どういう体勢になったのかよく分からなかった。

 結局、純音を押し倒す形になって、痛い思いをさせたんじゃないか?

 俺は余計なことをしたんじゃないか?


 ただ、同時に背中に強烈な衝撃があった。

 それで、純音を瓦礫から守れたという確信だけは残った。



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