第45話・私情のライセンス

 

 ………………


 …………


「……き%つ※たか?」


 くぐもった男の声。

 低周波の振動、薄暗い空間。


「#…をみろ」


 眼前に差し出される人差し指。

 左右にゆっくりと動かされる。

 またこれかよ……


「どこかイタい&*はないか?」


 特には、と言おうとして喉がカラカラに乾いてるのに気づいた。

 吐き気もあって発声はキツい。

 それで首を横に振って否定を示そうとしたのだが、後ろ頭に何かが当たっていて、それを許してはくれなかった。


「……じゃあ、ラクなしせいをとれ。カラダはうごかせるか?」


 そう言われて、やっと自分は何か固い板のようなものの上に寝かされていることに気づいた。

 周囲を改めて確認。小さな窓に小さなカーテン、コンパクトな何かの測定機らしいものとその横に点滴台。


 体中が痺れていたが、なんとか男のいる右方向に寝返りをうてた。


「大丈夫そうだ、出してくれ」


 傍らで色々言っていた男(よく見たら白衣に白いヘルメットをかぶっていた)が、俺の頭上方向に言った。


 救急車に乗せられてる……?

 そう思ったのと、下から振動が伝わって来て意識が再び遠くなったのがほぼ同時だった。


 …………


 ………………


 結局、舞音はバイクで自走して帰京したらしい。

 らしいというのは、つまりそれを人伝ひとづてに聞いたからだ。


「それで、体は本当になんともないのね?」


 その情報は、眼前で同じ質問を何度も繰り返す者によってもたらされた。

 館で気を失った次の日。

 那須のとある病院、メンドくさそうな顔した宇藤によって。


「あ、ああ、なんともない」


 外傷は頭や手足に幾つかあった。ただそれらもバンソーコーで何とかなるようなもので。

 今朝、集中治療室で目が覚めた俺を診てくれた医師が気にしたのは、もっと別なところだった。

 50絡みの彼曰く『MRIによると脊髄が一度完全に粉砕されたような跡が有るのだが、不思議なことについ最近完治したように見える』


 脊髄に限らず、骨というのは一度折れると完全に元の形状に戻るのは不可能なんだそうな。

 普通は折れた個所に軟骨のようなものが巻き付いて、それが硬くなって繋がるのだとか。

 (だから折れたところは治ってら頑丈になって若干膨らむ)

 それが何故か軟骨状のものも無く痛みなども無いときている。

 しかし頭部のケガも気になるので、大事をとって7日ほど検査入院をせよとの宣告を受けたのだった。


「そう? 玄関で倒れてたアンタは死んだように見えたのだけど」


 狭い個室、白い壁を背もたれにして、宇藤はため息とともに簡素な丸椅子に座った。

 俺は最初からベッドに座ってる。


 それで、館から降りてきた舞音の話を聞いて、豪雨の中ワンボックスをガードレールに当てまくって方向転換したらしい。

 そうして着いた館で俺を見つけた宇藤は、冷静に119番で救急車を呼んだそうな。


「そんなひどいコケ方をした覚えはなかったんだが」


 だが転倒直後にも気を失ってたし、実際にはダメージが大きかったのかもしれん。

 しかし医者は大したケガじゃないと言ってるから、なんか話が繋がらないな……


「頭を打った直後ってのはそんなもんなんでしょ。まあそんな状態で土砂降りを予測して軒下に移動したのは、アンタにしちゃ上出来だったわね」


 目が覚めた今朝の10時頃からずっとこんな調子でやり込められている。

 もうすぐお昼だってのに。


「アンタってのは余計だ」

「なに言ってんの、そもそも私の制止を聞いてればこんな事になってなかったでしょうに」

「……違いない」


 この件に関しては宇藤に頭が上がらない。

 入院の手配から細々した雑事、例えば救急車の邪魔になっていたスタリオンを移動させたりまでやってくれたのだから。

 だが、このまま言われっぱなしというのもなんか釈然としない。


「制止と言えば、祢宜さんも来てくれてないしな」


 祢宜さんからも制止されたのに無理やり行ったんだから、無視されても仕方ない。

 それでも何も無しってのは寂しいものがある。


「来てたわよ、祢宜さん」

「え、マジ?」

「ああ、やっぱり……今朝アンタ朦朧としてたようだったからね」


 聞くと、宇藤の連絡を受けて昨夜から病院へ来ていてくれてたらしい。

 で、宇藤と一緒に空いてる病室に泊まらせてもらったのだとか。


「お医者さんとアンタが話してるのを聞いて、大した事は無いと分かったら、さっさと帰って行ったわよ」

「そ、そうだったのか」

「その時、アンタはベッドの上でそれを見てたはずなんだけどね」


 うう、そう言えばそんなことがあったような気が。

 しかし今朝目が覚めてからしばらくは、頭がボーッとしてたからなあ。


「なんか、とにかくスマんかった」


 ベッドから立ち上がって頭を下げる。

 ちょっと頭がクラっとしたが、とりあえず日常の動作に不具合は無いようだ。


「え、なにちょっと」


 俺の動きが予想外だったのか、宇藤は少しキョドった風に見えた。ふむ、なるほど?

 が、すぐに持ち直して俺をベッドに座らせた。そして。


「まあ反省してるようだから、アンタには良いものをあげるわ」


 そう言って、手元のバッグから何かの用紙みたいなものを出してきた。

 受け取る。二つ折りのA4用紙。開くと。


「その一番上の空欄にサインしなさい」


 パッと見、何かの申請書のようだった。

 内容も分からずにサインなんかできるもんか。


「……通るかどうか分からないけど、とりあえず労災の申請をしてみるからって祢宜さんがね」

「へ?」


 言われて、改めて読んでみる。

 すると、それは(初めて見るのだが)確かに労災の申請用紙だった。

 しかし気になるのは。


「災害の状況という項目が、あからさまに作り話なんだが」


 流麗なペン字で書かれたその内容は、俺が館の掃除をしている最中に落雷に巻き込まれたという、至ってシンプルなものだった。


「それは祢宜さんが書いてくれたのよ」

「なんで?」

「なんでって……アンタにやらせたらまた幽霊とかバケモノとかって訳の分からないコト書きそうじゃない。だからよ」

「む、う……」


 いや、いくら俺でも役所に出すのならそんな素っ頓狂なものは書かない。はずだ。

 しかしここまでハッキリ別な話にもしなかっただろうが。


「なんだかんだ言っても、祢宜さんはやり手の役人さんね。こういう申請書がさっと出てきて、中身も後はサインするだけで良いように仕上げてくるし」


 大田原市でスタリオンの名義変更の手続きをしてた時のことを思い出した。

 あの手際の良さ。なるほど納得。

 それも含めて考えると、祢宜さんがさっさと帰ったのにも理由があるんだろう。


「まあ私も祢宜さんのことを悪く言ったりしたけど、この気遣いは認めるしかないわね」


 ベッド横のテーブルで、宇藤が出してきたボールペンを使って書面にサインした。

 自腹を切らずに済むかもしれない事を祢宜さんに感謝しつつ、それらを宇藤に渡す。

 そういや、昨日は宇藤も祢宜さんに招かれてたって言ってたな。


「無論祢宜さんには感謝してるし、後でお礼も言うけど」


 つまり祢宜さんは、俺らを仲直りさせるつもりだったのかも。

 宇藤はそこまで気づいていないようだが、これまでの流れをまとめるとあながちない話でもない。

 宇藤と俺が二人きりになれるから、自分は居ない方が良いと判断したのかもしれんからな。


 そう思った俺は、祢宜さんの意向にも沿うことにした。


「まあそれが当然よね」


 言って宇藤は、書面を折ってバッグに仕舞う。

 そして(都合よく)じゃねと短く告げて出口に向き直った。


「でも俺が本当に感謝してるのは、あんたに対してだよ」


 ドアノブを掴んだ宇藤が首を巡らす。何言ってんの? ってな表情で。


「色々助かったよ、ありがとう姉さん」


 薄く作り笑顔をして。

 言われた宇藤は、一瞬目を大きく見開いたかと思うとすぐにドアに向き直り、ば、ばかじゃないの、とか、また連絡しなさい、とか何とか口走りながらドアを開けて出て行った。


 宇藤が瞬時に赤面したのは見えたし奇襲攻撃成功と思ったが、俺自身もかなり赤くなったのが分かった。

 くそう、これは自爆攻撃だったのか……姉妹にお礼を述べるのがこんなにも恥ずかしいコトだったなんて……


 ………………


 …………


 8月29日 金曜日


「実はよく聞く話だよ、それは」


 細身の体によく似合った瀟洒なダークグレーのスーツ、お洒落な仕立てのワイシャツに嫌味の無いネクタイ。

 病院の庭のベンチに座るその中年男性は、法帖老と幼女たちの帰京の時に一度会った事のある、製薬会社の社長だった。


「え、そうなんですか」


 入院してから7日目。

 宇藤以降誰も来ない高原の病院。検査入院と言いながら検査は初日以外ほとんど行われず暇を持て余しきっていた俺にとっては、例えそれが退院の前日でも、あまりいい印象を持っていなかった人物でも、大変なウエルカムだったのだ。


「うん、院長から聞いた話なんだが」


 狭い病室にもウンザリしていたので、面会にかこつけて庭への外出を看護師に了承させた。

 着てるものは入院患者用の簡素な浴衣だったが、気にしないことにした。


 社長は、瀛洲 東永(えいしゅう こちなが)と名乗った。

 変わった名前だが、久しぶりの屋外での開放感からかどうでも良いことに思えた。


「まさか、あの老人にもそういう経験が?」


 瀛洲さんは法帖老を会長ではなく院長と呼んだ。かつて勤めていた病院での院長と若手医者という関係を未だに崩したくないのだろうか。

 どこか若さを感じるのは、そういう青い部分が残ってるせいなのかもなと思ったり。


 それはともかく、初対面の時のあまりよくない印象を覆したのは、きっと俺との契約を終了させるのが目的での来栃だったせいだろう。

 もともと法帖老が来る予定だったそうだが、重要な用事が入ったとかで急遽自分にお鉢が回ってきたんだと、前回とうって変わって快活に話してきた。


「いや、担当してた患者の診察結果からだそうだ」


 まあ大企業の社長ともなれば普段はオフィスで退屈なペーパーワークが主だろうから、お供も無しでリゾートへ出張となれば、それは楽しいに違いないか。

 そんなわけで、病院の庭の端の、大きな木の陰でベンチに座っての歓談となったのだが。


「し、診察結果、ですか?」

「そうだよ、キミの骨折跡がどうのという話で。そういう不思議な患者というのは居るもんだよって。……何だと思ってたんだい?」

「…………」


 そ、そう言えばその話をしてたんだよな。医師の所見の話。

 何をボケてるんだ、俺は。

 瀛洲さんの困惑の視線を振り切るべく見上げた先は、真っ青な空に真っ白い雲がぽっかり浮かんだ、どこか抜けた感じの那須の夏空だった。


「一週間も院内でじっとしてれば、そりゃ調子も崩れるだろう」

「あ、はあどうも」


 気を使われてしまったが、まあ仕方ないか。


「お金を使わずに済ませたお盆休み、とでも思えばいいんじゃないかな」


 契約はあと12日ほど残ってるんだが、と瀛洲さんは手持ちの真っ黒いバッグからA4大の書面を出してきた。

 そろそろ本題に入るつもりのようだ。こちらもシャンとしなければ。


「お金を使わない、ということは……」

「そうそう、通ったんだよ労災の申請。だからね」

「あ、そうなんですか。ありがとうございます瀛洲さん」


 立ち上がってお辞儀する。瀛洲さんは、そんな気にしないでと再び座るように言ってきた。

 だが正直助かった。まああの祢宜さんの仕事だから不安は無かったが、実際に確定したとなるとやはり安堵はある。

 特に俺のような貧乏サラリーマンにとっては。


 と、座りながらホッとしたのが顔に出たのか、瀛洲さんはこんなことを言ってきた。


「……正直に言うと、院長はもうこれ以上自分の道楽に他人を付き合わせるべきじゃないと思ってるんだ」

「はあ、道楽ですか」

「医薬学の発展の前では、相場など貧乏人の賭博に過ぎんだろう」

「…………」

「今こうしている間にも、世界中で新薬の開発を待っている患者たちが大勢いるんだ」


 確かに、そうかもしれない。

 いやそうなんだろうけど、なにか腑に落ちないものを感じた。


「ましてや今回のキミのように怪我人まで出したのでは」

「あ、今回のは天候の問題ですし私自身の判断ミスも」

「キミの意見は聞いてないんだよ」

「な……」


 なんなんだ、その決めつけは。いかにも俺が能無しのボンクラみたいじゃないか。

 だがそれで分かった。瀛洲さんは俺を名前で呼んでない。

 つまりまともに相手にしていないってことなのだ。


 法帖老は、初対面の際ですら不手際があったと思ったらすぐにフォローしてくれたんだが(趣味を訊かれたのにはちょっと笑ってしまったが)。


「相場の神などと、普通の人に聞かれたら精神を疑われるようなことを」


 そう言えば、最初の契約書にそういう事が書かれていたな。

 すぐにメイド組によって廃棄されてたが。

 だがそれで、法帖老がそれを本気で考えていたのだと分かってしまった。


 だから、瀛洲さんには本当のところを言うことにした。


「実は、私はこの出張中に、幽霊のような妖怪のようなものと会ったんです」

「……なにっ」

「それが、法帖さんの仰るところの相場の神なのかどうかは不明ですが」


 と前置きして話し始めた。

 最初に館の地下で見たこと。その後もゴルフのショートコースなどで。

 瀛洲さんは、最初のうちこそ事故の影響で記憶が混乱してるんじゃないかと疑っていたが、話が引力の正体に関するところに至ると、疑うことを止めて黙って聞き始めた。

 そして。


「……なんという事だ」


 と言ったきり、頭を抱え込んでしまった。


「この話は、最後に館にやって来た茶臼岳ちゃうすだけ 舞音まいねさんに確認して頂いても結構です。目撃者は私だけではないという事が」


 館に来るのには法帖老やその身内には話を通してるだろうから、こう言えば通じるだろう。

 それでも、内容が突飛すぎるから否定してくるだろうと予測したのだが、しかし瀛洲さん意外な反応を示した。


「実はね、院長も実際には見たことがないんだよ、その相場の神とかいうものを」

「え、そうなんですか? それじゃなんで」


 なんでそんな信じ込んでるんだろう、こんな荒唐無稽を。


「我々には大切にしていた少女が居たんだ。その娘がずっと言っていたんだ」

「え、はあ」

「その娘は難病を克服したんだが、それに使われたクスリはくだんの相場の神によってもたらされたと言い張ったんだ」

「…………」

「だから、あ、いやその」


 俺が理解に乏しいと見たのか(実際は瀛洲さんの勢いに圧倒されてたんだが)瀛洲さんは言い方を変えようとしたようだった。


「この話は長くなるし、公表されると色々と拙い内容もあるのでオフレコでお願いしたいんだが、それでもいいか?」

「あ、ええはい。というかまだ契約中ですから秘匿義務も有効の筈ですしね」


 場を和ませようと少し砕けて言った。

 だが瀛洲さんは深刻な空気を変えずに、うむとだけ応えて続けた。


「まず、その少女の名は甘露 純音という、今では30歳の女性だ」


 あまつゆすみね……

 社長のに続いて珍しい苗字だが、こちらはどこかで聞いたことがあるような気がした。

 あくまでも気がするだけだが。


「実はあの館は、行方不明になった純音を呼び戻すために建てられたものだったのだ」

「あの館が? 東証用のコンピュータを作るためだったのでは」

「表向きはね。だが実際には……いや」


 そこまで言って、瀛洲さんはもっと最初から話をしなければいけないなと零した。

 そして。


「では分かりやすくする為に、その当時少女だった純音が語った話をしよう……」


 そして始まった、長い話。

 それは戦後間もない頃の夏の軽井沢が舞台で。

 仕事が安定し始めた父親が、大き目の麦わら帽子を被って野原ではしゃぐ息子を温かく見守るシーンから始まるという。


 まさに正しく父子のお伽話だった――



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2008年の悪夢~失われた相場譚2~ 焼き鳥 @oppaiff16

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