第39話・自分の色彩センスについて考えてみるのも悪くありませんがそんな場合じゃないかもしれません

 

 因みに、ショートコースでは基本的にホールインワンという概念は存在しないらしい。

 俺の2周目3番ホールは、チップインイーグル(-2)となるんだとか。


「ショートコースでホールインワンを認定してたら、保険会社が倒産しちゃうでしょ」


 まあそれはともかく。

 その後、次の4番ホールを終わった(+1だった)ところで倍音がやたらと空の様子を気にしだしたので、途中で切り上げて丸木小屋に戻った。


 すると、流石は地元民の天気予想(山の天気は変わりやすい)。

 小屋に入ってまもなく例の矢板スコールが近辺を襲ったのだ。

 落雷と、小屋の屋根を心配してしまうほどの豪雨。

 コース上に居たらエラいことになってたな……


 …………


 雨は30分ほどであがった。


 おばさんの、ついでに夕ご飯を食ってけという誘いを謝辞して。

 更にこの2日間のもてなしに最大限の感謝を言って。

 (もちろんプレイフィーその他支払いも全て済ませて)

 ショートコースを後にした。


 バックミラーの中の二人の姿が小さくなり、カーブを曲がり見えなくなって。

 そう言えばこの2日間、客は結局俺一人だけだったなと今更ながらに気が付いた。


 …………


 那須の町中の飯屋で晩飯食って、近くのコンビニで弁当買って館に戻った。

 やっぱ自作のカレー(冷凍済み)だけでは飽きるからなあ。

 で、買ってきた弁当2つを厨房の冷蔵庫に入れる。

 これで明日の食事はなんとかなる。ちょっと安心。


 自室に戻り、PCのメールをチェック。

 すると、予想通り祢宜さんからメールが入っていた。

 内容は『依頼のモノは明日の朝9時にダウンロード可能』だった。


 (昨日の昼前に依頼だったから)2日弱で基板図と配線図それに各々のCADデータまで手配が付いてしまうとは。


 宇治通は今回の問題に対してかなりの危機感を持ってることが分かる。

 まだ原因を突き止められていないようだし、俺のような市井の基板描きの力ネコの手さえ借りようってんだからな。


 まあ、とにかくこれで明日からまた仕事の日々だ。


 とりあえずPCを落とし、シャワーや洗濯などを粛々とこなして、結構早い時間にベッドに入った。


 この4日間、色々あったな。

 関内で仕事してたんじゃ経験できないことだらけだったな。


 純音は普段、何してるんだろうか。

 米国から来たとかいう話だったが。

 また会えるだろうか……


 それと、昨日今日のショートコースの倍音。

 なんであんなに親しくしてくれたのかな。

 まあおかげで楽しい休暇を過ごせたけどさ……


 目先の仕事が落ち着いたら、関内に戻る前にお礼に行った方が良いな……


 ……倍音は、何を貰ったら喜ぶかな……


 …………


 ………………


 8月20日 水曜日


 今朝も昨日と同じく、早くに目が覚めた。

 だが昨日と違うのは、体全身が筋肉痛だという事だ。

 い、痛ぇ……全身がギクシャクしている。


 そんなひどい状態の体を、なんとか厨房まで連れて行き、やっとの思いでコーヒーを入れる。

 朝食本体は、昨日コンビニで買っておいた菓子パンだ。


 なんかこの館での朝食は菓子パンというイメージが付いてしまってたようで、非常に美味しく感じたし、それに筋肉痛が幾分和らいだような気もした。

 糖分は筋肉痛に効くんだろうか?

 いや知らんけどね。


 …………


 自室へ行きPCを立ち上げる。

 そして昨日のメールに書いてあったURLへ接続する。

 すると、大企業のページとは思えないとても簡素なダウンロードページが開いた。


「まあ仕事で使うページなんてこんなもんか」


 そして、これもメールにあったパスワード(たぶんワンタイムだろう)を入力し、指定のデータをダウンロードする。


「さて、その間にメールのチェックでも」


 とか思ったところで、ダウンロードが完了した。

 うへぇ速すぎ……


 ゼロデータだったのかもと思い降りてきたデータを確認したが、それらしいデータ量が表示されている。

 そうか、この館のネット環境やPCの性能は超一流だったな。


 解凍先を指定しデータを解凍する。

 (これも一瞬だった)

 それで開かれたデータの一覧を確認した。

 すると、配線図が30枚あったのはまあいいとして、基板図のデータも十枚ほどあったのだ。

 もちろん紙図用の.jpgデータは別でだ。

 いくらなんでも多すぎる……


 と疑問を持ったが、配線図を開いてみて納得がいった。

 このコンピュータシステムなろうヘッドは、スーパーコンピュータという話だったが、要は大規模なサーバーシステムだったのだ。


 だから、機械としてはマスタとスレイブの2種がある。

 それで基板データの数も通常の2倍になってるということだ。


 ああなるほどねと思いながらも、こんな多くの基板や配線図の検図が俺一人で出来るだろうか? と新たな疑問に取りつかれた。

 あまりにも気軽に考えすぎてたんじゃないのか? と。


 しかし、そう後悔を開始しようとした俺の目に、ファイルリストの一番下の“Read me”が目にとまった。

 それで何気なくその.txtを開いてみたのだが。


 そこには、美原さんからのメッセージが綴られていた。


 曰く、先週の金曜日はロクに挨拶も出来ずに大変失礼しましたと。

 曰く、俺からの検図の提案があった時はサラと一緒に喜んだと。

 曰く、それでも一人で無理をしないで欲しいこと。

 曰く、出来れば不具合を直して、またあの楽しかった日々を再開させたいということ。


 などなどの丁寧な文面が、あのモブキャラ然とした美原さんを思い出させて。

 しかも、金曜に帰る間際のワンボックスの中での俯いた表情や、何か言いたげだったサラの事をも思い出させて。


『二人のことをよろしく』


 純音に言われるまでもなく、出来る出来ないなんかでもなく、可能な限り力になってやるべきだと。

 そう思い直したのだった。

 

 気合いを入れ直す。

 服もゴルフウェアからタキシードへ着替え直した。


 誰もいないんだし、楽な格好の方が作業性も上がると思っていたが。

 実際、着替え終わると背筋が伸びる感じがした。

 同時に、優しさの中にも一本芯の通った感じの、あの衣料品店の女性を思い出した。


 やると言ったからには、そりゃもう顔面徹底的にやる。

 これは信用の問題なのだから。


 そして席に着き、PCに一緒に送られて来ていたCADソフトをインストールし、即立ち上げて基板データを開いた。

 (仕事で使い慣れているソフトだったのはラッキーだった)

 まずはマスタの基板から。

 すると。


「こっ、これは……」


 先ずは部品が付いている最外層を開いたのだが。

 なんというか、物凄い緊張感のある銅箔パターン図だった。

 思わず固唾を飲んでしまったほどに。


 他社の設計データを見るなんて、めったにある事じゃない。

 だから異質な感じを受けるだろう事は、ある程度は想定していたが。


 しかしこれは異常だ。

 それになんだろう、この感じ。

 割と最近似たような感じを受けたことがあるような……


 喉に引っかかった小骨に煩うが、それはわずかな時間だった。

 そう、それは初めてここに来た時の、館に対して持った印象そのものだったのだ。


 しつこいくらいにくり返される、真四角のモチーフ。

 90度以外の角度を許さない、部品の配置や銅箔の接合部。

 それは見たことのない緊張感に満ちていて……


 何故こんな配置や接続が可能になるんだ?


 俺もコンピュータの基板は何枚か設計したことがある。

 しかし、それらはほぼ全て色々な大きさの部品を使っているので。

 部品配置や接続は、こんなに直線基調にはなり得なかった筈なのだが。


 しかし、このスーパーサーバーの基板はそれを成している。

 どこの設計会社の仕事だこりゃ。いや、宇治通の社内設計なのか?

 いずれにしても凄すぎる。

 こんな凄いモノを、俺なんかがダメ出し出来るのか……


 いったん席を立つ。

 そして厨房から持って来ておいたカートの前に行く。

 カートの上にはお茶セット。


 淹れておいたコーヒーをカップに注ぐ。

 少し落ち着いた方が良いと思ったのだ。


 カートの前で一口飲んで。

 そう言えば先週の金曜日に、地下室で黒服組にお茶を貰って来ると言って。

 結局持って行けなかったことを思い出した。


 特に美原さんの落ち込み方は、見てて居たたまれなくなるほどだったな……


 と思い出したところで、もっと大事なことを思い出した。

 美原さんは初日に、このコンピュータのシャーシは液冷だと言ってたと。

 だから地下室では、クーラントを冷却する為の設備が冷蔵庫のようなうなり音を立てていたのだ。


 つまり、この基板はクーラントの中にジャブ漬けされている。

 それ故に、普通の基板では使用されている放熱板が不要になっているのだ。


 ああ、それで部品配置の自由度が増して、このレイアウトが可能になってるのか。

 なるほどっ、ありがとう美原さん謎が解けたぜ。


 と、美原さんが聞いてたら困惑しそうなことを呟きながら、再び席に着く。

 そしてPCの別画面に送られてきた回路と基板の仕様書を開いた。

 うむ、まずは仕様の確認からだな。

 設計の基本だな(検図だが)。


 基板の仕様は2-4-2の8層でBH無し。

 (1-2-3層と6-7-8層の間は小信号用レーザーVIA、それと全層貫通のスルーホール)


 意外とシンプルなものだった。

 スーパーコンピューター用っていうから、もっとこう大袈裟な、12層で何でもありな満艦飾を想像してたんだが。


 ちょっと肩透かし、というか肩の荷が下りた感じだ。

 これならなんとかチェックできるかも。


 そこで、持って来てたカップに口をつける。

 さっきは気にならなかったが少し苦めだったかな。

 なかなか祢宜さんのように上手くは淹れられないか。


 っと思ったところで、基本的な事に気が付いた。

 検図と言いながら、この基板はすでに部品を装着されて稼働しているのだ。

 つまり、基板設計会社で行っているような検図はとっくにクリアしてるということ……


 コーヒーの苦みが増したような気がした。


 実機はいじれない(黒服組全員から固く禁止されている)。

 俺がやるべきなのは、先週の金曜に起きた現象を反芻しながら、基板と配線図のデータのみで不具合点を洗い出すという甚だ困難な作業だということだ。


 もちろん21世紀のCADシステムで描かれた基板だから、配線図と接続が合わないなんてことはあり得ない。

 配線図内部の接続ネットデータも、設計者たちによって確認済みだろう。

 だから、回路も基板も仕様通りに稼働しているという前提で見なきゃならん。


「ど、どうすれば……」


 困ったときは基本に戻れ。

 これは俺に仕事を教えてくれた先輩社員の常套句だった。

 それを思い出して、再度気持ちを落ち着ける。


 今回の場合は、とにかく動作中にダウンしたのだから。

 負荷の上昇が原因の異常動作と見なすべきだろう。


 それは普通、発熱が原因の場合が多いだろう。

 熱で何かの部品の内部が焼けて、動作を止めたと。

 停止後、放置してただけで動作が復帰したのがその証拠だ。


 それは、+Bとかの電源系ではないだろう。

 負荷の上昇でキツくなるのは、増えた情報を直接扱う信号系のLSIの方が先だからだ。


 そう考えて、主に信号線バスラインを中心に見ていくことにした。

 等長配線が出来ていないところとかは要チェックだ。

 あとはクロックラインと離れすぎてないか、とかもな。


 銅箔ライン上で微妙な遅延が起きると、それはLSI内部のチップの負荷になるかもしれんからだ。


 そこで、対象となるバスラインを配線図上から引き出すことにした。


 元々ネットゲーム用に据え付け直した、三面鏡状態のディスプレイ。

 その真ん中には基板図、右側には配線図、左側には接続データのリストを表示させた。

 おお、見易い……ウチの会社もこの環境で仕事させてくれ……ないだろうなあ、社長しみったれだから(涙)。


 と感動だか失望だかをしながら、リスト上からそれっぽい名前の接続データを選択し、基板図と配線図に適用した。

 分かりやすく、選択したデータを赤色に変えたのだ。

 すると……


「ぐはっ……」


 員数が数千の接続データが、基板図と配線図を真っ赤に染めたのだ。

 基板は8層全てにわたってだ!


「これ全部チェックするのか……」


 目の前が真っ暗になるかと思ったが、画面はそれすら許さない程に赤かった。



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