第37話・ゴルフコースを回りながらロストボールの行方を考察するのはいかがでしょうか?

 

 それからが大変だった。


「今度は開いたよ、ヘッドが」


 ロリが自分の画像を見飽きたところで自己紹介をしあった。

 と言ってもフルネームを伝え合っただけだが。

 

 ロリは、茶臼岳ちゃうすだけ 倍音はいねと名乗った。

 

 名乗るまでにかなり間があったし、あからさまに偽名っぽかったが。

 まあ気にしないことにした。

 呼ぶときに困らなければいいんだからな。

 (名前がちょっと純音に似てるのが気になったが、考えすぎか)


「そ、そうか」


 その後、倍音は俺にレッスンプロよろしくスイングの指導を始めた。

 別に頼んではいなかったのだが。

 まあ他に客が居ないのでヒマなんだろう。


「あと1.15度ね」

「なにその細かい数字、計ったのかよ」


 倍音は俺の背後にいてインパクトの瞬間を凝視している。

 その瞬間以外は見なくてもいいのか? という俺の問いには、その瞬間さえヘッドがボールに真っすぐ当たってれば後はどうでも良いのだと断言した。


「見れば分かるわよ、この程度」


 それは異質な考え方だった。


 俺がたまに行ってた関内のゴルフ練習場では、レッスンプロらしい人がそれなりに熱心そうな人を指導してる場面を何度も見たことがあるが。

 そういう人は、大抵スタンスの取り方とかテイクバックやフォロースルーがどうの、又はグリップの仕方など微に入り細にわたって指導してたもんだ。


 しかしこの少女は全く違った。

 

 曰く、正しいインパクトを導き出すための前段階を教えても、振り上げた状態からスタートした結果は無限にあるのだから、教えるだけ無駄なのだとか。

 それよりもインパクトの瞬間だけを意識させて、その他の動作はその人間の都合や勝手に任せる方が確実だと。


 よく分からない理屈だが、まあ言いたいことは何となく分かった。


「でもそれ、正直に言うと単なるフィーリングだろ」


 それで倍音の言う通りにインパクトの瞬間に有っ直ぐ当たるようにだけ考えて打ち込んだのが。

 20球ほど打ったところで、結構芯を食らう感じが出てきた。


 気が付くと、スタンスもグリップもスクエアになっていて、膝の曲がりも無くなって楽にスイング出来るようになったのだ。

 倍音のコーチングの見事さは認めざるを得なかった。

 

 後で聞いたのだが、先月の県北のゴルフ大会での中学生の部で優勝したのだとか。

 さもありなんと。


「シューッときてバチーン、とか? そんな擬音だらけでワケの分からないことは言わないよ」


 この少女も多分、天才の類なんだろう。

 だから理屈じゃない部分を伝えようとする。

 そしてうまく伝わらずにコーチは失敗する。普通の天才は。


 しかしこの倍音は少し違う。

 それは、この娘が教えられる側の事もよく分かってるということだ。

 まだ若いからなんだろう、他人からレッスンを受けた経験がまだ新しいから。

 それでイチイチ細かな指導はしたくない、てのがホントのところなんだろうな。


「そうじゃないんだが、まあいいや。じゃあなんて言われたい?」


 その上で、あえて弱点を挙げるとするなら。

 ヘッドが正しく当たってるかどうかなんて、手応えとかボールの飛び方とかで教えてもらうまでもなく分かるって事なんだ。


「人は私のことを美人コーチ屋って呼ぶわ」


 それでも倍音のコーチングが効果的なのは、その美少女的なキャラクターと裏表のなさそうな明るい笑顔に拠るところが大だ。

 いわゆる天然系と言ってもいいが……


「……いやそれ誉め言葉じゃねーから」


 などとJCらしいボケにツッコミつつ、その日は暮れていったのだった。


 …………


 ………………


「ぐあっ……疲れた……」


 調子に乗って1000球も打ってしまったからだ。

 もう両手の平がヒリヒリ、体全身がガタガタで。


 まだ、クルマを運転したり館に着いた頃はそうでもなかったのだ。

 厨房で、石上カレーが底をついていたのを思い出して、カレーを自作(食材は奥さんの言った通りふんだんに有った)して食したところでもまだ平気だった。

 

 片付けて、シャワーを浴びつつ洗濯もしてアイロンがけとかしてるうちに怪しくなってきて。

 さっき歯を磨いて、さあ最後にPCのメールチェックをしようとなったところで、アームチェアの上で動けなくなってしまったのだ。


「それでもかなり上手になったぜ」


 最後の方は、ほぼ確実に真っすぐ飛ぶようになったのだ。

 3番アイアンだけだが。


「さてと、何か来てる……わけはないか」


 起動したPCで、速攻でメーラーも開いて。

 しかし意外にも一件ほど着信していた。


「わけはない、事も無かったか」


 開いたメール。

 差出人は祢宜さんだった。

 夕刻に送られたようだった。


 それによると、相変わらず神社への宿泊を促す内容と。

 依頼した基板データの手配に時間がかかりそうなので、明日もまた休暇としてくださいという、嬉しいのか嬉しくないのか実に微妙な指示だった。


「明日は4番でいくかね……」


 …………


 明けて8月19日 火曜日


 昨日の、いや昨日までの疲れが出たのか、今朝は館のベッドで10時まで寝てしまっていた。


 まあ別に何か用事があるわけでもないので、厨房でゆっくりとブランチ(と言っても豪勢なものではなく、シンプルにハムエッグとトースト、簡単なサラダにミルクとコーヒーとした)を作った。


 光子が他の物質にぶつかる際の音が聞こえるんじゃないかと思えるほどに明るくも静まり返った厨房の料理台の前で、ノンビリと時間をかけて食した。


 それでも時刻はまだ正午にもならない。

 念入りに食器を洗い、シンクの拭き掃除までしたってのに。


 そんなワケなので、遊び場所を一か所しか知らない出張先での休日2日目に何をするかなんて、そもそも考えるまでもなかったのだ。


 …………


 ………………


「うわダフった!」


 ピッチングウェッジで地べたを叩く。

 ヘッドのソールで打った形になり、ボールは哀れ眼前に広がる谷底へ。


「ローカルルールにより、OBは前進4打です」


 倍音から笑顔で死刑宣告を受ける。

 今日も彼女の背後バックは抜けるような青空と真っ白な入道雲だ。


「そんな固いこと言わず、もう一回打たせてよ」


 お茶目な顔をして頼んでみる。

 手を合わせて拝んでもみる。

 2周目の1番ホール、ティグラウンドで。


「ダメです却下」


 ショートコースに着いてすぐだった。

 今日は4番アイアンを練習しよう、と食堂で昼食をとっていた倍音に提案したのだが。

 倍音からは拒否された。その上。


「えーいいじゃん、どうせ他にお客さんいねーんだし」


 他に客が居ないからという理由で、コースに出ようと言い出したのだ。

 本当は練習場でのコーチングに飽きたのが見え見えだったが。

 まあ実は俺もここの山の斜面に無理やり作られたようなコースに興味津々だったので、今にして思えば軽い気持ちでオーケーを出した。


「ルールを守るからゲームは面白いんじゃない。大人なのにそんなことも分からないの?」


 いきなり正論で返されてしまう。

 この2時間ほどで回った全9ホール。

 もちろんルールやマナーを厳粛に守ってだ。

 それで面白かったかと訊かれると、多くの疑問符が浮かぶのだが。


「ボールは探さなくていいからねー」


 斜め後ろにある丸木小屋風のロッジの窓から、おばさんが。

 1周目を始めるときに、数本のクラブと共にボールを10個貸してくれた(安いが有料だ)。

 今と同じ注釈と共に。


 ついさっき2周目に入った際にも、ボールはまた同じ数を借りた。

 つまり、全ホールティショットOB。

 おばさんは、しょぼくれ顔の俺に向かってドンマイと言ってくれた。

 初めてコースを回るとはいえ、ちょっと情けない……


「さあー行こー、前進前進!」

「……呼んだ?」


 細い下りの道を降りかかっていた倍音が、俺の渾身のダジャレに苦笑いを返してくる。

 しかしこうでも言わなきゃやってられないほど、このショートコースはキツい設定なのだ。


 まず、平らなホールというのが一つしかない。

 ほとんどが打ち上げか打ち下ろしで、その脇には必ず深い谷がパックリと口を開けている。

 もちろんガードレールなんか無い。


 それに、この1番ホールにはフェアウェイというものが無い。

 ティグラウンドのすぐ向こうからグリーンがあるところまでは幅の広い谷となっていて。

 ざっと見た感じ深さ10ヤード・幅50ヤードほどなのだが、初心者の肩に余計な力を入れさせるには充分な威容なのだ。


 ショートコースって、たいてい河川敷にあって、まっ平らだよねえ。

 距離も精々100ヤードくらいでさ。

 どうかしたらパターでティショットしてる奴もいるくらいの、ノホホンとした雰囲気でさあ……

 なんて認識の初心者向けではない。この山の斜面に作られたショートコースは。絶対に。


「日が暮れちゃうよー、遭難しちゃうよー」


 谷の底から声をかけてくる倍音。

 しかしその内容は決して洒落ではないのだ。

 ホント山の中で、ゴルフじゃなくてクロスカントリーと言っても違和感無し。

 涼しいのだけが唯一の救い。


「そ、そー……わかったよ!」


 そーなんだー、と言いそうになったがグッと堪えた。

 一周目で散々ギャグセンスが古いとオヤジ扱いされたからだ。

 ……いや、年齢相応に見られるのは別にイヤではないし。

 それに美形のJCからなじられるってのも、これはこれで……


 い、いやいや……何言ってんだ俺は……


 そんな益体の無い事を考えながら歩いていると、いつの間にか谷の底に着いていた。


「この1番をホールアウトしたら飲み物を――」


 先に谷から上がった倍音の声が、頭の上から降ってくる。

 ああ、きっと2周目に入る前に何か飲んで一休みしたら、もう回りたくないと俺が言い出すんじゃないかと思っての段取りなんだろうな。

 それで、2周目に引っ張り出せたら目先のエサとして飲み物をぶら下げると。


 まあ、そこそこよく考えられてる。

 つうか倍音自身がそういう風に誘導されたことがあるんだろうな。

 でもそんな気を使わなくとも、折角のコースデビューなんだから、俺も1周で終わらせる気は毛頭なかったんだが。


 そう、そんな気は無かったんだが……


 持っていた細身のゴルフバッグを道端に置く。

 それでたったガシャンという音を、倍音への返事代わりにした。


「――何かあったの?」


 足元には蛍光黄色のゴルフボールが一つ。

 見つけやすいようにと、おばさんがわざわざ10個用意してくれたものだ。


「ボール見っけた」


 逆光で黒いシルエットの倍音に返事する。

 そしてそれを拾い上げ、バッグのポケットに入れた。

 ポケットの中は、明るいピンクのボールが9個に蛍光黄色のボールが一つとなった。


 そう、それは1周目の1打目で谷に落ちたものだったのだ。


 もちろん、1周目に谷に降りた時に探した。

 おばさんや倍音の制止も聞かずに、目を皿のようにして。

 ピッチングウェッジで草むらをかき分けてしゃにむに必死に。


 それが例え田舎のショートコースとはいえ、仮にも生まれて初めてのティショットの結果が(OBは仕方ないとしても)ボール紛失ロストなんて、今後の人生においてゲンくそ悪いにもほどがあるからだ。


 しかし結果は二人のアドバイス通り時間の無駄でしかなかった。

 こんな小さなものなんて、そうそう見つかるものじゃないのだと。


 だが、それはあたかも打った本人の到来を待ち構えているような佇まいで、道のど真ん中にあったのだ。


「そう、良かったねー」


 軽いリアクションの倍音。

 こういうのって、もしかしてコース上ではよくある事なのだろうか?


 と訝りながらバッグを持って上り坂を上る。

 イマイチ釈然としない。

 これじゃまるでボールがタイムトンネルを通って出てきたみたいじゃないか。


 と考えたところで急にピンとくるものが有った。

 それは土曜の夜の、峠道での事。

 純音に追いついたところで頭の中に発生した謎のイメージ。

 それらが示していたものと、このゴルフボールの振る舞いに通じるものが有るような気がして……


「あ、まさか……」


 量子は明滅していると、そのイメージにはあった。

 重い量子は数多く明滅し、軽い量子は数少なく明滅すると。

 それなら、このゴルフボールを構成する量子の全てが次に発生するまでに恐ろしく長い時間がかかったとしたら?


 俺が諦めた後に発生したとしたら、辻褄は合うんじゃないか?


「…………はっ」


 谷を上りきった俺の前に、倍音が立っていた。

 初めて会った時と同じように、まるで俺には倍音が見えてないような態度で。

 だからこう言った。


「やあお嬢さん、今日も可愛いね」


 いかんいかん、変な事を考えてて変な顔になってたんだろう。

 こんな変な事を考えるなんて(しかも納得してるなんて!)、もしかするとのぼせてるのかもしれない。


「……先に水分補給する? スポドリだけど」


 返事を待たずに差し出された紙コップを貰う。

 そして、注がれた仄かにしょっぱいスポーツドリンクを一気飲みした。

 頭の中を冷たいものが流れて行くような快感があって。


「美味しかった、ありがとう。涼しいからって油断してるとヤバいな」


 熱中症にはご用心。

 それは気温や体温だけじゃなく。

 物事に入れ込み過ぎるのも問題だという意味で――



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