第36話・爽やかな高原のゴルフ練習場でスカッとするのはいかがでしょうか?
「へえ、あんちゃん結構上手にタイヤ使うじゃない」
2008年8月18日 月曜日 午前10時
栃木県に来てから一週間が経った。
「はあ、そうですか?」
ここは例のガソリンスタンド。
お兄さんの方が相手をしてくれている。
一昨日の晩にスタリオンを酷使したので、車体に不具合が出てないか確認してもらいに来たのだ。
買い上げられて代車ではなくなったとはいえ、あくまでも他人(法帖)からの借り物だから。念のために。
「こんな硬いサスだと、普通はハンドルこじってタイヤの肩を削るもんだが」
ここに来る前には祢宜さんの神社に寄った。
昨日までの、綺麗に仕上がった館の掃除の結果を報告する為だ。
それは館や庭の要所を撮った画像データであり、また、業者の仕事を監督した所感を書いたテキストファイルだった。
共にメールに添付してこの神社のPCへ送ることもできたのだが。
一人っきりで居ずに、まめに神社に顔を出せという(主に祢宜さんのご両親からの)命令に加えて、例のスーパーコンピュータの基板の設計チェックをしたいという要望を出す都合もあったので。
これは土曜の夜の純音からのお願いに応えるもので、宇治通の若い二人(と、ついでに宇藤)の手助けになればと思っての事だ。
実際には法帖老から宇治通へ依頼を出すという形になるだろう。
そういうこちらからの一方的な提案(要求かも)なので、メールとかではなく、実際に面と向かってお願いをする必要があると思ったのだ。
もちろん純音のことは言えないので、これはあくまでも自分個人の提案だとしたのだが。
もっと難色を示すと思った祢宜さんは、意外にもその場で法帖老へ連絡を取ってくれて、すぐにオーケーの返事を貰ってくれたのだ。
ただ、追加の指示もあって……
『法帖から、加治屋さんに休みを取らせよ、という指示が出ています』
労働基準の関係で、雇用主は労働者を何日か連続で勤務させた後は休日を取らせなければならんらしい。
いやしかし、こんなに真摯な対応をしてもらえるとは。
そこら辺ズボラなうちの社長に言って聞かせてやりたいところだ。
とまあ、それでいきなり降って沸いた出張先での休日に当惑してしまって。
とりあえず神社からガソリンスタンドへと来たわけだ。
そういう状況なので。
「お堅いのも悪いことばかりじゃないですよね」
と、トンチンカンな返事をしてしまっても。
「タイヤのトレッドが均一に減ってて……ってなんだそれ?」
苦笑いでごまかすしかなかったわけで。
…………
………………
結局スタリオンは問題無しだった。
それで点検料を頑として取らないお兄さんたちの為にと、ハイオク満タンをお願いした。
もっとも祢宜さんから預かってるカードで支払ったのだが。
それでかなり重くなったスタリオン(60リッターも飲んだ!)で、大田原の町中のデパートへ行った。
私服を買うためだ。
実はガソリンスタンドのお兄さんに相談したのだ。
いきなり休みになってしまったので、何したら良いですかねえ、と。
もう館でネットゲームも飽きて来ていたのだ。
出来れば、これぞ栃木の県北のレジャーって感じのをと。
すると、お兄さんはやたらと羨ましがった後で腕組みをして。
まあ、県北らしいってのは渓流釣りかゴルフのショートコースかねえ、と教えてくれたのだ。
ゴルフ!
実は、関内でもゴルフの打ちっぱなしにたまに行ってるのだ。主にストレス解消の為に。
だから、この出張でも或いはと思ってグローブだけは持って来ていたのだ。
お兄さんに聞くと、ショートコースのほとんどは練習場も併設しているとのことだった。
好都合だ。それで、出来るだけ館に近くてかつ涼しいところにあるショートコースの場所を教えてもらった。
それは、どうも館から数キロのところにあるらしい。
礼を言ってガソリンスタンドを出た。
練習場に行けるような服を買うためだ。
(着ているヨレヨレのサマースーツでは流石に無理なため)
で、デパート(小ぶりだ)で適当なポロシャツとチノパン、それにスニーカーを買った。
このスニーカーは安いくせに厚底のテニスシューズの様な造りをしていて、試し履きでもしっくり来たので喜んで購入したのだ。
もちろん関内にも持って帰って、練習場専用シューズにするつもりだ。
デパートを出て、途中コンビニに寄って昼食のサンドイッチをスタリオンを走らせながら頬張った。
広くてまっすぐで車の少ない(世間でのお盆休みは、大体先週で終わったようだ)並木道を木洩れ日を浴びながら走るので、爽やかではあっても特に危ないという局面は無かった。
それによく見ると、時間柄なのか、対向車の業務車っぽいバンの運転手も大抵パンみたいなものを片手で食べてる。
一人ほど、箸を使ってる豪の者もいた。
流石にそれは危ないだろう……
………………
…………
とかやってる内に、教えられたショートコースに到着。
「た、たしかにここは……」
館のわりと近所だった。
と言っても歩いて来れる距離じゃないが。
それでも近いというのは、つまり高度も似ているという事でかなり涼しい。
日が照ってる駐車場でもそうで、受付があると思われる丸木小屋風のロッジの中はむしろ寒いくらいだった。
「ごめんくださーい……」
そのロッジの中、一歩踏み込んだところは、喫茶店というか食堂みたいな造りで。
6つほどの4人掛けのテーブルと、それ用の椅子。
それらには客は一人もいない。
奥側にはカウンターと、その奥が調理場になっているようだった。
カウンターの端にはレジっぽいものが。
たぶんそこがコースと練習場の受付も兼ねてるのだろう。
カウンターの端にその旨の張り紙がしてある。
カウンターの上側、壁部分には幾つかの大きな写真が額に入って飾られてる。
その中の一枚、親子3人で写ってると思われる写真の、中央の女の子がやたらと印象的だった。
「……?」
が、それよりもっと印象的なのは。
いや直截に言って衝撃的だったのは。
カウンター席に一人で座ってこちらを振り向いたのが、館の地下室で見た、中学生くらいの純音にそっくりな女の子だという事だ!
「……いらっしゃい」
その少女の向こう側。
カウンターの奥から50歳くらいの女性が出てきた。
この店の人だろう。
「え、あのっ……」
そのおばさんに訊こうとした。
このピンクのパジャマの娘はどこの誰なんですかと。
しかし。
「どうしたのぉ?」
おばさんは、斜め前にいる筈の少女に全く無頓着なまま俺に問いかけてきたのだ。
まるでそこには誰も居ないかのように。
しかし、それはすぐに疑問ではなくなった。
「あ……えっと、ですね」
純音もどきに見えたのは俺の錯覚だったようだ。
改めて見直すと、それは年齢は同じくらいだったが、ベージュのサンバイザーをポニーテールの頭に乗せた、純音とは別人の快活そうな少女だったのだ。
紺色のポロシャツの上に同色のニットベスト。
ベージュ地に黒赤タータンチェックの、ミニの巻きスカート。
黒いハイソックスに白いゴルフシューズ。
パッと見シックな印象ながらも可愛らしい組み合わせだ。
その少女は、体重を感じさせない軽やかな動きでカウンターの高い椅子から降りて、店の奥の方へ入っていった。
空いた席の上の壁の写真が目に留まる。その少女と今の娘がそっくりだった。
つまり今のポニテ少女も店の関係者のようだ。
それでおばさんも少女を気にしなかったのだろう。
「打ちっぱなしをしたいのですが」
まあ一昨日の事があったとはいえ、純音のことを気にしすぎだ俺。
いくらなんでも、あんなロリと間違えるなんて……
…………
「しっ!」
インパクトの瞬間パキンというアイアン特有の音をたてて、きれいな青空に吸い込まれるように飛んでいく白いボール……
なら気持ちいいんだろうが、実際には低い弾道で左にひん曲がっていった。
爽快感の欠片もない。
ロングアイアン難しい……
他にお客さんが一人も居ない、ショートコースに併設されてる練習場。
そのまんまん中の打席。
目の前に広がるのは、街中の練習場とは全く違う天然芝のフェアウェイだ。
打った後に、思わず第2打を打ちに前に出て行きそうになる。
(いや、コースに出たことはないんだが)
おまけに、この練習場は山の下の方に向かっているのだ。
だから上手な人がドライバーなどのウッドで打つと、いくら街中のとは比べ物にならない広さを持っているとはいえ、簡単にフェンスを越していってしまう。
だから、この練習場ではウッドは禁止されているのだ(以上おばさん談)。
当然、貸しクラブにもウッドは無い。
それで、慣れないながらも当たれば気持ちが良かろうと、貸し出されている中で一番長い3番アイアンを借りたのだが。
いやあ、全く上手く打てない。
「…………?」
それに、打てない理由がもう一つ。
それは、この……
「いいかげんに」
目の前をチョロチョロする、先ほどのポニテロリだ。
「しろって!」
こんな近くにいたら危ないし、練習者が集中できないだろうことくらい、ゴルフ場の関係者なら分かるだろうに。
なんで俺が全く気づけてないみたいに振舞ってるんだ?
挑発か?
ケンカ売ってんのか?
「ほえ……?」
それでも、まだ当事者意識の欠片もない顔をしてこっちを見てる。
いや危ないんだからマジで。
それともあれか? いわゆる頭が可哀そうな人なのか?
「頭が可哀そうな人なのか?」
最後の方は声に出てしまった。
しかし構うまい。
その程度で引くくらいなら、こんなオチョクリは最初から……
「アナタのよりはマシだよ」
しないだろう、と思ったところで意外な反応をしてきた。
いや、これは普通なリアクションだろうな。
それでもまだ半信半疑な風だが。
何が信じられないのだろうか?
「じゃあ、せめて客の邪魔をしないという最低限のマナーくらいは思い出してほしいところだな」
「客? アナタが? では私は……?」
と、ロリは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。
「いえ、アナタには私が見えているの!?」
と、問い直してきた。
つーか、そっからかよ。
「もちろん」
「え、ど、どんな風に見えてるの?」
? なんでそんなことを訊くのか。
と疑問に思いながらも、見たままを伝えることにした。
「趣味の良いゴルフウェアを着た可愛い女の子」
「も、もっと詳しく。年齢は? 髪型は?」
と、何やら期待感丸出しのワクワク顔で見上げてくるロリ。
うむ、自分の可愛さに自覚的だからなんだろうな、こうして男に自分の褒め言葉を言わせようとするのは。
「……ちょっと待ってろ」
それが面倒臭かったから、いちいち喋らないで済む方法を採ることにした。
(こんな小娘に面倒臭がるのは自分の器の小ささを証明するようで嫌なんだが)
打席の後ろにあるベンチに置いていたバッグからケータイを取り出して、写真撮影する。
「……ほらこれ」
やってから、凄くイヤミで嫌らしいやり方だと気づいた。
そこまでして褒めたくないのかと。
我ながら嫌な奴だと思ったが、もうやった後だったし、それにロリはどうやら別の意見を持ったようだった。
「…………えっ……」
俺のケータイの画面をしげしげと眺め始めたのだ。
まるで初めて自分の写真を見た幼子のように。
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