第35話・225は下り最速
しかしその光の白さには覚えがあった。
これは確かカメラのフラッシュのそれだ。
「なんだコイツら」
チラと見たカーブ山側のブロックの上、そこには数人の男たちの姿が。
それを確認した次の瞬間には。
「くっ……」
斜め上からこっちにもフラッシュを浴びせられる。
見ないように気を付けながら、左ヘアピンをアクセル+ハンドルでクリア。
他人が走るところ撮影してどうしようっていうんだ!?
ブラックマークの付き具合からして次もヘアピン、右。
それは数十メートル先で、S225はすでにアプローチしてるところだった。
つまり減速中、こっちは立ち上がり加速中。
それで一気に差が詰まる。
反射的にエンブレで減速しながら接近したS225の挙動を注視する。
相変わらず物理の数式や記号(gとかcfとか)を撒き散らしてる、そんな理詰めに見えるコーナリング。
「……うっ!」
このヘアピンでもまた斜め上からフラッシュをたかれた。それも数回。
それで視界に白く浮かび上がるS225が、まるで連続写真の様に見える。
その時、俺の脳内に……
「ああああっ!?!?」
物理法則の証明をするかのように動くS225。
それが連続して幾つも同時に存在するかのように見える状況。
そして脳内に響く、まるで文章のように形式ばった声。
『量子は明滅している』
ゾッとした。
しかもその声には、初めて聞くのに聞き覚えがあるというか、絶対の真理を示すような圧倒する説得力まで有って……
その上、謎のイメージが脳内に再生された。
小さな白い球が真っ黒い世界の中に発生する。
これは多分、電子や陽子などの量子だ。
それはすぐに消えて、そこから離れたところにまた発生する。
その周囲でも同じような事が起きている。
ただ、重い原子はその回数が多く、軽い原子は回数が少ない。
重い原子が100回明滅する間に軽い原子は2~3回といった感じだ。
カメラが引き、それらの状況がより多く見えてくる。
それはどうやら樹脂の内部の分子の様子だったらしい。
更にカメラが引き、その樹脂の表面には白い塗料が塗られているのが分かる。
そして更にカメラは引いて、現実の我々の視点と同じになった。
するとその白い樹脂はどうやら車体の一部であることが見えてきて、最終的にそれはS225のリアフェンダーであることが判明するのだ。
完全にクルマの形になって、また無に戻り、そしてまた発生を繰り返す……
そんなバカな!
納得しがたい、生理的に馴染めない考えを示すイメージだった。
そもそもあの車検証の数式、あれは確か発散系の状態を示すものだったんじゃないのか!?
「……あっ」
気が付くと、S225がカーブから立ち上がろうとしていた。
リア周りをグッと沈み込ませた躍動感あふれる姿勢。
その向こう、S225のライトに駐車場が照らされていた。
そこには数台のクルマと数人の男女が。
みな一様に両手を振り回している。
応援でもしてるんだろうか?
しかしS225はそれらに対するリアクションは一切無しで、フル加速でその前を通過した。
「逃がすか」
アクセルを緩めずに、わずかに当て舵で後ろの流れを収まらせる。
やれば出来るもんでアクセルを緩めずにカーブから立ち上がることに成功。
そして純音に倣って駐車場のギャラリーは無視した。
眩しいんだよ、まったく……
3速にシフトアップ。
緩やかな右カーブをS225の後に続いて加速していく。
数百メートル行ったところで唐突に路面のブラックマークが消えた。
走り屋さんたちはここまでしか走らないってことか。
しかしカーブのキツさを予測できる材料がなくなったのは痛い。
それでより一層、S225から離されるわけにはいかなくなった。
「それにしてもさっきのアレは……」
いったい何だったんだろうか?
聞いたことのない物理の法則。
それはS225がモデルになっていたが。
言っていたのは浅香さんか? それともスタリオンなんだろうか?
いずれにしても何故何の為に……
とか考えていると。
どんな道も登りっぱなしという事はあり得ない。
この峠道もその例外ではなく、クネクネ曲がり続けながらも緩やかな下りに変化した。
「うへっ」
今まで登りだったのでエンブレだけでバッタコーナリング出来てたのだが、これからはフットブレーキも使わなければならない。
道幅がある程度ある事だけが救いか。
と、冷や冷やしながらS225の後を何とか付いて行くと。
「お?」
左側に脇道がある形の、T字の交差点が見えた。
その真ん中には大きめの赤いカラーコーンが置いてあって。
その傍らには二人の男性。
一人は赤い棒ライト、もう一人はケータイらしいものを持ってこっちに手を振っている。
なるほど、ここが道路占有の終点ということか。
ひょっとすると、ここが追いかけっこのゴールなのか?
もしそうなら大変助かるのだが。
仮にそうではないとしても、左の脇道はこちらのそれよりも幅が広くて上り坂のようだ。
ゴールでないのなら、せめて左の道路に行ってくれないか、純音……
が、俺の切なる願いは二人の男を無視して直進するS225によって儚くも霧散してしまったのだった。
「トホホ……」
俺も二人を無視し直進する。
いやマジでスマン、文句なら純音に言ってくれ……
そう心中だけで手を合わせる俺の前に待っていたのは、幅員減少を示す標識とその現実だった。
下り傾斜角の増加というオマケ付きで。
「お、おい……」
そこに至ったS225は一回だけハザードを光らせて、キツそうな下りだってのにリアを沈み込ませて加速していったのだ!
やはり手を抜いていたんだな。
それも実は速度も落とすレベルで……
離されながら、俺も狭い道路に突っ込んでいく。
その道は普段はあまり通りがないのだろう、道幅は3メートルといったところで、端には木の葉や枝などが積もってる。
対向車が来たら一発でアウトだ。
一言で言うと、傷んだ舗装林道(いや、こんな言葉があるかは知らんが)だ。
「ああ……」
最初の内は、律儀にカーブごとに設置してあるカーブミラーにS225のテールランプが見えてたりしたんだが。
カーブを10個回ったらもう気配すら感じられなくなってしまった。
それにしてもこの道路。
下りだし右に左に細かなカーブが連続する、で、まるでスキーのウェーデルンを強要されてるみたいだ。
「ウェーデルンはマスターしきれてなかったんだよなあ……」
2速でのアクセルオンオフはぎくしゃくする挙動しか呼ばず(いや、俺が下手ってだけなんだが)ペースを掴むことも上げることも出来ずに。
とうとうS225=純音にぶっちぎられてしまったのだった。
………………
…………
「そうですか、姉さんがそんなことを」
大変失礼しました、と館の庭のベンチから立ち上がって頭を下げる。
バックは正午の青い空と白い雲。
頭を下げたのは昨夜のショー会場に居た青年。
名前は
「いや、そこまでの事じゃないから」
若干逆光なので微妙に眩しい。
それで手を翳そうとして、膝の上に置いていたカレー皿を落としそうになる。
(石上さんが作って冷凍してくれてたもので、昨日も昼食はこれだった)
「とりあえず飯を食おうぜ」
そう言って栄樹を座らせる。
栄樹は胸の前に持ち上げていた自分の弁当箱を降ろしながら、再びベンチ(俺の右隣)に座った。
「庭の手入れの進み具合はどう?」
「あ、ええ、それは問題無く。あと2時間ほどで終わりそうです」
たしかに今日見ていた感じではそつのない手際で、別にウソを言ってる様子はなかった。
そこら辺、仕事に対する姿勢は姉とは違うのか。
まあ、姉の方も事情を聞くと無理のないところもある。
最近の株の大暴落に巻き込まれて、信用で買っていた姉は大損したらしい。
(損を確定したくなくとも、追証になって強制決済されたんだとか)
どうも倒産しそうな米国の証券会社を韓国が救おうとして急に止めたとか。
なんか酷いことになってるのな、最近の相場は。
それで、娘の借金を返済する為に父親(清掃会社の社長だ)が金策に走って。
「しかし、今朝会った時は驚いたよ」
ショー会場の交通整理係の青年がなんでここに!? と。
それは、金策で父親が手持ちのクラッシックカーを競売に出す為で、ショーに参加する条件として交通整理係の人員の提供を言われたのだとか。
「アメリカから駆けつけてくれたそうです」
クルマをショーのホムペに掲載すると、すぐに問い合わせが入ったらしい。
どんな大金持ちのジジババが来るのかと思ってたら、あの純音だったと。
その若さには栄樹も驚いていたようだが。
「簡単に見抜かれましたね、単なるレプリカだって」
ジャガーEタイプ・ライトウェイトの本物なんて日本に無いのは常識……
と、栄樹はよく分からないことを呟いていたが。
どうも純音は、そのジャガー何とかに異常な執着を持っているらしい。
つうか、米国で何してるんだ純音……
「そう言えば昨夜、ショー会場で」
栄樹の方は、昨日から俺の顔を見て知っていたので昨夜もすぐに分かったそうな(クルマで判断したんじゃなかった)。
いや、これは恥ずかしい。
「僕も驚きましたよ」
下の方からなかなかいい音を立てて上がってくる奴がいると。
どんなクルマなんだろうなと思って待っていると、それは白いスタリオンで操るのは館の管理人だったと。
なんでも、あのスタリオンは走り屋の間では有名なクルマらしい。
持ち主は死んで廃車になったと聞いていたのが、いきなり八方に現れて、しかも最新型のロータスを凄い勢いで追い回してるのだから。
それはまあ驚くか。
因みに、一緒にいた40絡みの男性も同じ職場の人だった。
今は他の庭師数人と一緒に、館の玄関の下の日陰で食事中だ。
今朝会った時には、開口一番「ちゃんと抜いただろうな」と訊かれたが。
ぶっちぎられたと言った時の、明るい笑顔が印象的だった。
まあ無事でなにより、と背中をバンバン叩かれて。
「若い連中はみんな大盛り上がりでしたよ」
英樹がそう言ってフォローしてくれる。
連中は、ついて行けてたところしか見てないからなあ。
「つうか、キミも若いだろ」
と、普通につっこんだ、つもりだった。
いや、まだ俺もこんなセリフ言う年齢じゃないとは思ってるんだが。
しかし。
「いえもう来年30ですから」
「え……」
俺のたった一つ下……
なんでここら辺は若作りな奴ばっかなんだ!?
聞くと、大学の4年間だけ東京に居て卒業と同時にこちらに戻って、父親の知り合いの造園業の会社に就職して現在に至るのだとか。
県北ではわりとよくある人生設計らしい。
あ、じゃあその可愛らしいキャラ弁は……
「え、もちろん嫁が作ってくれたんですが」
子供用のついでですけどね、と、照れ隠しにならない追い打ちまで追加で。
ううっ、まあ二十台で嫁や子供が居ても別におかしくないっちゅうか、むしろそれが自然なんだろうなとは思うけどさあ。
「ご、ごちそうさま……」
こちらはいまだ独身という冷酷な現実を突きつけられて、とてもトホホな気分になってしまった。
「……? ああ、昨日の事がまだ気になってるんですね」
と、栄樹が気づかないふりでフォローしてくれる。
もちろん競争に負けてガッカリって話じゃないのは分かってるだろうに。
でも栄樹たちにも言ってない事があるのだ。
それは昨夜の続き。
例の舗装林道を走り終えて、塩原の町中に出てきた時の事。
行き先案内の看板が無いので、最初の四つ角の交差点の中の駐車場で途方にくれていた時だ。
不意に胸ポケットのケータイが鳴ったのは。
すぐに出た。
しかしそれは一回だけ鳴ってすぐに切れた。
表示された電話番号は覚えのないものだった。
間違いかな、と思ったがケータイは未だにランプを光らせてて。
それは実はショートメールの着信だったのだ。
すぐに開いた。
するとそこには、こう書かれていた。
『今夜はありがとう
また会えると信じています
それまで二人のことをよろしく』
…………
俺はケータイの番号を大学時代から変えていなかった。
それに内容からしても純音からのもので間違いないと思ったが。
とにかくすぐに表示されてる電話番号にかけてみた。
すると思った通り、着信拒否を意味する申し訳なさそうな機械音声が出た。
しかし本当に後輩たちが心配なのな。
何とかしてやらなければ……
というワケで、まだ純音と繋がりはあるのだと自分を慰めてたんだが。
「大丈夫ですよ、昨夜の甘露さん、きっと加治屋さんに気がありますよ」
と、栄樹が嬉しいことを言ってくれる。
なんだよ、分かってるんじゃねーか!
「姉が結婚する前の頃と雰囲気がそっくりでしたから!」
……そ、それって、喜んでいいのか……?
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