第34話・バッタの意地

 

 しかしツマラナイ反省をしてる場合じゃない。

 S225からは離されつつあるのだから。


 道路は緩い右カーブが2つ緩い左カーブと続いて、それらを抜けるといきなりキツそうな右カーブが現れた。


「待ってました」


 緩いカーブなのでアクセルも緩めで回っててクルマもストレス風だったが、右カーブの前で一旦後傾のためにアクセルオン。

 スタリオンが喜ぶ感じが両手に伝わってくる。


 しかしすぐにターンポイントに到達。

 アクセルをジワっと緩めてハンドル切り→アクセルジワ踏みでハンドル戻し。

 それで強烈な左Gの中カーブの出口が見えたが、それは直前でしかもまた右。


「ふっ」


 複合カーブとは意表を突かれたがこの走り方なら逆に好都合。

 アクセルを踏み込んでターンポイントに飛び込むだけでいい。

 今しがたと全く同じ作業で、今度こそカーブをクリア(直線が見えた)した。


 まるでバッタが跳ねるようなコーナリング。

 言ってみれば車も甲殻類と似たような構造だから、走り方も似てくるのかもしれない。


「……いや、まさかな」


 気が付けばS225は10メートルほど先に接近している。

 200メートルほど先の左カーブまでは何とかついて行けそうだった。


 しかし、このスタリオンは不思議なクルマだ。


 昨夜調べたあのS225というクルマは最新式のミッドシップで、エンジンやサスペンション・ボディなどのスペックシートは煌びやかで眩しくてまともに見てられない代物だったというのに。


 そこへ持ってきてこのスタリオンは、車検証によると20年余り前の超々セコハンで。

 (さっきのショー会場には、こっちの方が相応しかったのでは)

 車重に至ってはカタログ諸元で300キロ以上重いのに。


 新免に毛が生えた程度の俺の運転で、直線加速で離され、減速でもコーナリングでも離されてる筈なのに。

 それでも何故かついて行けてる。

 むしろ間を詰めてる。


「……おっと」


 直線の終わりの左カーブは緩いものだった。

 そこを抜けると右側に広い駐車場。

 そこには十台くらいの、いわゆる走り屋のクルマと青年たちが居た。


 彼らの目に、このスタリオンの走りはどういう風に映るのだろうか……


 道路はまた直線になった。


 純音がゆっくり走ってくれてるのだろうか?

 いや、怖くなるからスピードメーターは見ないが。

 実際にフロントウィンドウの向こう側は結構なスピードの世界なのだ。

 手は抜いていても速度を下げるほどのものではないに違いない。


 やはり、このクルマを改造した人間の所為なのだろう。

 浅香 純音すみお、天才と呼ばれた男。


 と思ったところで不意に例の数式が脳内をよぎった。

 あれは液晶の組成を導き出すためのものではなく、もっと広く物理の根源を表すものではなかったのだろうか?

 でなければ、電機業界の人間が自動車をこんなに速くすることが出来るとは……


「っく……」


 先行してるS225が急減速。

 緩い左カーブの後、いきなりキツそうな右カーブが出現したのだ。

 俺も合わせてフットブレーキをかける。


 見ると、S225はまたテールパイプから黒い煙を吐いた。

 あれはたぶんシフトダウンをしているからだろう。

 それで回転を合わせる為にエンジンを空ぶかしして。

 そしてミッドシップ故の運動性能の高さで、捩れるように曲がっていくと。


 ははあ、なるほど……

 と納得したこちらは、スタリオンがブレーキかけすぎで失速気味。

 いかん離される!

 慌てて加速しながらカーブに入って、例のバッタコーナリングを決めた。


 このコーナリングはスキーと同じだからタイミングが全てだ。

 ミスるとたぶん外側に吹っ飛ぶ。

 だから余計なことを考えずに集中しなくては。


 と思いながら左右のカーブを幾つかこなしたところで、道の右側に“ここから那須塩原市”の標識が。


「え……」


 なんてこった、もうそんなに走ってきたのか。

 純音は何処までとは言ってなかったが、常識で考えれば峠道の終わりがゴールだろう。


 そういえば、ついさっきまで道路はそれほど下りって感じでなかった。

 むしろ若干登ってさえいたかも(おかげで走り易かった)。

 それが今、標識を境にして下りに変わったような(微妙な差だが)。


 ショー会場からしばらくは下りだったから、高さ的には頂点が2つある形。

 つまりダブルトップチャートだ。

 株価の推移なら、これから後しばらくして大暴落するのが定石……


 いかん、余計なことを考えるからまた離され始めてる!

 道路はキツ目のカーブが右に左に連続していた。

 近くにいないとS225の明るいライトの恩恵にあずかれないし。

 いやもう本当に集中しないと危険だ!


 そう思って運転に集中。

 チャンスがあればS225を抜いてしまうくらいの勢いで。


 それでしばらくS225の挙動を見ていた。

 しかしそれをすればするほど、那須のゲレンデを思い出してしまう。


『私の後をついて来て』


 白基調のスキーウェアに零れるような笑顔。

 滑り始めると、手を伸ばせば届きそうな距離なのに。

 間を風と雪を削る音に邪魔されて。


 楽し気に舞う後ろ姿を、ついに捕まえる事が叶わないまま――


「……って、ゲッ」


 急に道路の下りがキツくなった。

 増すスピード。

 それに合わせるかのように道幅も広くなっている。

 

 路面には黒々としたタイヤのブラックマーク。

 それらによってセンターラインはほとんど消されている。

 なんというか、路面から殺気のようなものまで感じられて……


「なんだここはっ!?」

 

 まるでサーキットだ(行った事は無いが)。

 見ると、左カーブの内側に駐車場みたいな広場があって。

 そこに数台のクルマ(走り屋っぽい)が止まってるのが見えた。


 あぁ、某峠アニメの影響か。無茶するなあ(自分のことは棚)。


 S225はその道幅いっぱいを使ってコーナリングしていった。

 まるで水を得た魚のように。

 いやこの感じは、ゲレンデの最難関であるチャンピオンコースを斜滑降とパラレルターンで滑り降りていく純音のスキーに極似していた。


「ヤバっ」


 3速のエンブレだけでは減速しきらない。

 それでフットブレーキを踏みながらのコーナリング。

 当然に車体は不安定。

 やっとの思いでクリアすると、そこには真っすぐでキツい下り坂が。


「……!」


 そこをS225は、ゲレンデの直滑降よろしくブレーキランプも点灯させず一直線に駆け下っていったのだ。


 彼我の間に満ちる夜の闇。

 早く追いつかなければ、明かりを失って2度と追いつけなくなってしまう!

 それで歯を食いしばってアクセルを踏み込んだ。


「こっ、怖えええっ」


 100メートルほど先の、直線の終わりに向かって加速するスタリオン。

 先行のS225は道路の左端いっぱいに寄ってブレーキランプを点けて右に曲がり始めたところだった。


「な、なるほどっ」


 道幅を使うのか。

 それでカーブのキツさをいくらかでも解消できるんだな。

 なるほど、純音は理詰めで走ってるに違いない。

 S225のボディから空中に物理の数式が撒き散らされてるように見えた。


「……こなくそっ」


 それに倣ってスタリオンを左端に寄せる。

 そしてカーブにかなり突っ込んでフットブレーキを踏んだ。

 アクセルオフでのターンインを、ブレーキによる荷重移動でと思ったのだ。


「うわっ」


 しかしそれは考えが甘かった。

 過剰な荷重移動に後ろタイヤが簡単にグリップを失い、車体をカーブの内側に突っ込ませようとした。


「くそっ」


 ハンドルをスタリオンに委ねる。

 すると、ハンドルは登りの時と同じように勝手に戻ってくれた。

 それで平行移動に入る。


 冷や汗ドバッ。


 ハンドルを握り直し、恐々とアクセルオン。

 思いのほか穏やかにタイヤがグリップを取り戻し、なんとかカーブを脱出したのだが、その間にS225は次のカーブへ。

 100メートルほど先の(またしても)右カーブへ侵入しようとしていた。


 もう一度勇気を振り絞ってアクセルを開けた。

 増す速度に固くなる恐怖心。

 対抗し得るのは新たなコーナリングを編み出す向上心だけだ。


 今度は早めにフットブレーキで、カーブに入る前に2速へシフトダウンする。


 それなら例のバッタコーナリングが出来るだろう。

 そう思って、サーキットのような道路の道幅をいっぱいに使って。

 例のペダル全部踏みヒールアンドトゥーで2速に落として。

 アクセルを踏みながらキツそうな右カーブにアプローチしたのだが。


「えっ」


 カーブは階段みたいなヘアピンだった。

 その外側はおそらくは谷、こげ茶色のガードレールが心細いほどに低い。

 それでその瞬間、視界の上半分を黒々とした夜空が占めたのだ。


「ええええっ」


 もし外へ飛んだら確実にあの世行き。

 純音に追いつくどころの騒ぎじゃない。

 恐怖心からバッタのタイミングを掴むことが出来ずに、非常に安全な速度でヘアピンをクリアすることになったのだ。


「……くそ」


 しかし悪い話ばかりでもない。

 続く次のカーブ(たぶんまたヘアピン)までは短距離でシフトアップの必要が無かったのだ。

 これなら今度こそバッタを決められる。


「しかも今度のは外側が山だからな」


 安心して……と思いながら強烈な加速で次のカーブへ。


「……よしここっ!」


 しかし先にエンジンが吹け切ってしまって、アクセルを戻した時には思ったほどのエンブレが得られなかった。


「ち……」


 思った通りヘアピンだったが、荷重移動に失敗して前タイヤが噛まない。

 それでズルズルと外側へ。

 当然脱出加速どころではない。


 次の右ヘアピンとその次の左ヘアピンは更に間隔が短かった。

 速度も上がらなかったので、まあ何とかうまく回れた。


 その後は長めの直線下り坂。

 S225は、そのどん詰まりの右カーブへアプローチしているところだった。

 こんなに離されては……


「いや、こっからだ!」


 諦めたらそこで試合終了らしいからな。

 それにこんなワケが分からないほどの山奥に一人残されたら、心細いなんてもんじゃないし。


 200メートルほどの下り直線。

 ためらわず3速にシフトアップした。

 どうもこのエンジンは低回転から使った方が速いようなのだ。


 それでアクセル全開。

 たちまち体にかかる、想像以上の怒涛の加速。


「ひゅうううっ……」


 あっという間に奥のカーブに着いた。

 手前からエンブレ、シフトダウンせずにアプローチ。

 ターンインしながら内側後ろタイヤのエッジを利かせる感じでアクセルオン。


 するとうまい具合に回頭し、広い道幅を一杯に使って旋回できた。


「よしっ!」


 スキーなイメージのコーナリングが初めて上手く行って、心中でガッツポーズを決めた。


 続くわずかな直線、その向こうには今曲がったのと同じくらいの右カーブ。

 直線の間は橋、あっという間に通過して次の右カーブに飛び込んだ。


 って、橋……? 下には川?


 という事は、ここが下りきった底ということに?

 と思ったのと、目前のカーブをバッタコーナリングでクリアしたのがほぼ同じ。

 出口には、壁の様に立ちはだかる上り坂が現れたのだ。


「よしきたっ!」


 望外の好展開。ついでに登り始めたお月様も見えた。

 いや、別にS225とのパワー差を知ってるわけじゃない。

 だから確実に追いつけると決まったわけじゃないのだが。


 得意なのだ。

 下りは怖いよ。いくらスキーと同じとはいえ、さあ。

 得意だから怖さは無いし、だから走ってて気持ちがいい。

 気持ちがいいから無駄なく走れる。

 結果として速く走れる=差を詰められる。


 事実、左のヘアピンとか右カーブの後にいきなりトンネルに入ったって。

 右足のアクセルコントロール一つで自由自在に曲がれるのだ。

 こりゃ気持ちいいし、結果として速い。


 その証拠に、キツいカーブを5つ回ったところでS225との差が一気に詰まった。

 あと車一台分ってところか。


 S225の明るいライトが照らす路面はブラックマークが右側に偏っていた。

 今までの経験からしてこれは先に左ヘアピンがある証拠だ。間違いない。


 そしてすぐに目に入ったのは、思った通りの階段のような左ヘアピン。

 それで今までよりもはるかに余裕を持ってアプローチできたのだが。


「なにっ!?」


 そこで驚愕の光景を見ることになった。

 旋回をはじめたS225が、いきなり眩しい光に包まれたのだ!



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