第21話・強要される諦観

 

 悪い予感は必ず当たる。


「サラちゃん、これでどう?」

「エヌエーよ園実」


 手術室のような地下室。午前10時過ぎ。

 黒メイドの二人が専用のテーブルでディスプレイの表示と格闘中。


NAノーアンサー? でも何らかの反応はあるんでしょ?」

「ノー、値自体を返してこない」


 8月15日金曜日、午前10時。

 なろうヘッドが動作しなくなった。


「まったく? ゼロなの?」

「こちらが叩かなければ改行すらしない」


 昨日サラに作ってもらった発注用のアルゴ。

 今日は朝一番からそれを使って大相場でっち上げベンチマークをやったのだが。


「ありえないよ、だって」

「現実を見て園実。この子は落ちた」


 最初のうちこそ機嫌よく動いていた。

 アルゴをかまさなかった時よりも、むしろ調子が良さそうにも思えたほどだ。

 それで楽になったので発注量を一気に2倍にしたのが不味かったのか。


「!!…………」


 サラの容赦のない指摘に、美原さんまでもが動かなくなってしまう。

 まあ、今までのなろうヘッドへの思い入れからして無理の無い事ではあるが。


「機械発注まで使ったのは、やりすぎ、だったのかしらね」


 横で腕組みして様子を見ている宇藤が。


「出来高的にはどうだったんだ? 今朝の1時間分は」


 訊いてみる。

 そこら辺の管理は宇藤の受け持ちだからな。


「え? ああ、だいたい3月のSQと同じくらいの出来高と見たけど」


 3月ならメジャーSQで多い方だろうが、それでも現実に有り得る出来高という事になる。

 (※作者注:SQとは先物の締め日の事で、先物はもちろん個別株も出来高が凄く増える日、とご理解下さい)


「なら問題無いんじゃ」

「瞬間最大値として限界を超えたのかも」


 無念そうに眼を閉じて、宇藤。

 その想定に美原さんが。


「まさか限界がこんなに低かったなんて……」


 絶句し唇を噛みしめる。

 普段の穏やかな美原さんからは想像もつかないような、悲愴な表情だ。


「……とりあえず、本部へ連絡入れとくわ」


 美原さんの方を見ずに宇藤が、近くのラックにある電話の受話器を取り上げた。


「本部? ってどこにあるんだ?」


 問いかけられた宇藤は少し迷惑そうな顔を向けただけで、すぐに電話に戻ってしまった。

 それを見ていたサラが。


「東京の有明。東証から数名、宇治通から500名の技術者の、大所帯」


 と俺の問いに答えてくれた。

 有明で500人という事は、きっとでかいオフィスビルを借り上げてるんだろうな。

 そんな中から選ばれ派遣されて来てるんだから、サラも美原さんも優秀な技術者に違いない。

 しかし。


「落ちたと決めつけてるけど、もっと別な可能性は考えられないのか? 例えば……」

「例えば?」


 三白眼のサラに、即座に切り返される。

 掃除のおばちゃんが足をコンセントにひっかけて抜いてしまった、とかの冗談を言える空気ではなかった。


「ソフトウェア的な、安全装置みたいなコードが仕込んであって、それが発動したとか」

「つまり仕様だろうと?」


 ふんと鼻を鳴らした三白眼のサラ、視線をディスプレイに戻して。


「話にならない」


 と吐き捨てた。

 さすがにちょっとムッとしたが、それをボンヤリした顔で聞いていた美原さんが。


「そ、それはですね……」


 間を取り持つように説明してくれる。


 ・以前俺が見たピコピコと違って、問題発生時のログはすぐに見つかった。

 (動作が止まったところを見るのだから、当たり前ではあるが)


 ・ログを見た結果、ソフト的な要因でないことはすぐに分かった。


 ・電源は問題なく動作している。


 ・停電時のバックアップ機能は仕様として組み込まれているが、それが動作した形跡も無い。


 ・異常な温度や過電流なども検出されていない。


 ・以上の事から、ハードウェア的な要因とも考えにくい。


 ・そしてこれ以降は、恐らく、ソフト・ハード両方のログを本部に持ち帰って再現実験を行う事になる。


「ですから、私たち宇治通側も本部に連絡をとって……」


 と美原さんが言いかけたところで、電話を終えた宇藤が被せるように。


「その必要はありません。私も含めて3名全員帰京指示が出ましたので」


 と言った。


「俺は?」


 3人という事は、当然俺は入っていないのだろう。

 だから当然の疑問として訊いたのだが。


「…………」


 宇藤は少し困った顔を向けただけだった。


 まあ考えてみれば、俺は現地調達の人足みたいなものだからなあ。

 それに雇用者は法帖老で、宇藤は別に俺の上司でも雇用者でもないし。


「分かった。法帖さんに聞いてくるわ」


 踵を返し出入り口に向かう。


「ゴメンね、でも大変なのよ」


 背中に言い訳めいた宇藤の声。

 そんなことは充分に分かってる。

 だから振り返って。


「ついでにお茶を貰って来る」


 元気出せ、という気持ちも込めて言った。

 だが。


「…………」


 三人とも微妙な表情で俺を見つめただけだった。


 ………………


 加えて、騒動というのは重なるもので。


「あ、加治屋さん、丁度良かった」


 地下室を出て階段を上がった先。

 厨房に向かう途中の一階のフロアで、祢宜さんと鉢合わせた。


「ちょうどよかった、って?」


 珍しく、車いすも他の荷物も持っていない、手ぶらの祢宜さんに問いかける。

 何か緊急の用事や伝言とかなのだろうか。


「危険ですから外に出ないで下さい。他の皆さんにもそうお伝えください」


 危険? 外は今日も目に染みるほどの青空だった筈だが……


 ………………


 …………


 耳をつんざく爆音と、目を開けていられないほどの強風。

 突如現れた大きく白いヘリコプターが、裏庭に着陸せんとしているところだ。


 裏庭の駐車場、その端のコンクリートで固めた一角に、○にHの表示があるのは見て知っていた。

 だが何故か、それが本当にヘリポートを意味してるのだとは思わなかったが。

 それに、ヘリの誘導にはそれ用の免許持った人が居なきゃいけないんでは?

 いや詳しい事は知らんのだが。


「来ましたよー!」

「おうっ!」


 裏庭の出入り口、その庇の下。

 爆音に負けないように、祢宜さんと法帖老が大声を出している。

 この館には、さすがにジェットエンジンの起動装置は無いとみえて、エンジンを止めるわけにはいかないようだ。


「さあー! 加治屋さんもはやくー!」


 祢宜さんと法帖老は、片手を眼前にかざしながら、ヘリに向かって歩き出した。

 急かされた俺はというと。


「さ、さあ行くぞ!」


 両足に向かって言う。

 だがそれは、轟音と強風に竦む足を叱咤してるわけではなく。


弥紗やしゃちゃん! 歩律ふりつちゃん!」


 両足にしがみつく、双子の幼女たちに向かってのものだった。


「あー……」

「うー……」


 前を行く祢宜さんたちに倣って、前屈みの姿勢で歩き出す。

 双子も、多少むずがりながらも、俺の足の運びに合わせて歩き出してくれた。

 ……ひょっとして、事ある毎に俺の足にしがみついていたのは、ヘリコプターに乗る練習の為だったのだろうか?


 などと妙な推測を立ててみる。

 それほどまでにスムーズな歩き方。


 そんな風に思ってしまうのも、彼女らは法帖老とともにしょっちゅうヘリに乗っていると、祢宜さんから聞かされたからだ。


 館のフロアで鉢合わせた時。

 祢宜さんは、緊急で法帖老が双子を連れて東京の自宅に戻ることになったと告げてきた。

 急ぐのでヘリをチャーターしたと。

 発着時は危険だから、館の外に出ないで欲しいとのお願いだったのだ。


 ヘリに乗り慣れてることについては、特に驚きはなかった。

 なんせ1千億円を見ず知らずの若造に軽く預けるほどの金持ちだ。

 むしろヘリや自家用ジェットくらい、あって当然と言えた。


 だが、だからこそ驚いたのだ。

 そんな頭に超が三つくらい付く金持ちが、知人の娘子を連れて別荘でノンビリ避暑を決め込んでいた筈なのに。

 それをひっくり返すほどの重要な事柄が、傘寿の老人にまだ存在していたという事実に。


「あ、あれは……」


 完全に着陸したヘリのドアが開き、中から地味なスーツ姿の人が二人降りてきた。

 一人は男性で、もう一人は女性の様だった。


「パパ!」

「ママ!」


 誰何する間もなく、双子によって紹介が完了する。

 そうか、あの二人がこの双子の両親、つまり新興製薬会社の社長夫妻なのだな。


「…………!!」


 女性の方が、祢宜さんから法帖老を受け取る形で、ヘリの中に乗り込むのを補助している。

 遠目でよく分からないが、美人なのだがいくぶん線の細さを感じさせる人だった。


 そして、男性の方はこちらに向かって歩み寄ってきた。

 手には、A4大の茶封筒が。

 風でバサバサになってるが(俺もそうだが)、たぶん普段は綺麗な横分けの髪。

 怜悧な感じを与える、ごく細い銀のフレームの眼鏡。

 全体的には細身で長身、年齢は40過ぎといったところだろうか。


 イケメンだが少し神経質そうな印象のある、その男=社長が、轟音の中で俺に向かって問いかけてくる。


「キミが、あのスタリオンを持ってきた男かね!?」


 普通は簡単な自己紹介だと思った。

 しかし、いきなり要件から。

 急いでるのは聞いてるが、それはいくらなんでも……


 だが、そんな事でグズる必要も、またそんな場合でもなかった。

 だから素直に答えた。


「そうです! わたしは加治屋 九郎と言いまして――」


 しかし、そんな俺の自己紹介を兼ねた返答は、社長の動作によって遮られてしまう。


「これは、キミが欲しがっていたものだ!」


 そう言って、茶封筒を俺に突き出す。

 それを受け取ると、慣れた手つきで双子を両腕で抱き抱えて。


「それを対価として! この件からは手を引きたまえ!」



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