第18話・的中した悲観

 

「まさかそれ本気で訊いてるの?」


 隣の席の宇藤が呆れた風で。


「俺はいつだって本気だ」

「じゃあ実際にその注文を出してみるといいわ」


 宇藤が、肩をすくめて首を振りながら。

 どこの欧米だよ。


「課長さんがこんな事言ってるが、やっちゃって平気なのか?」


 ディスプレイに向かって訊く。

 いくらなんでも5兆円分の売り注文なんて、ねえ。

 と思ったのだが。


「かまわない」

「どうぞ」


 2人同時に了承してきた。

 マジですか?


「じゃ、じゃあホントにやるぞ」


 ベンチマークだから平気なのかもしれない。

 むしろ無茶なことをするのが本筋なのかも。

 そう思い直して、早くやれという双方からのプレッシャーの中、注文を入れた。


「くっ、ゼロを入力するのがしんどいなんて……」


 じゅう、ひゃく、せん、まん……

 だめぽの株価は安いため、ゼロを10個も入力する羽目になった。

 なんだこりゃ。


「よし、これを成りで、っと」


 暗証番号は端から省略してある(手数料すら無いのだから)。

 いきなり注文ボタンを押した。

 すると。


「おおっ板が震える、って、アレ?」


 板に注文が乗ったか? と思った瞬間、注文出しの窓がある左側のディスプレイ一杯に、コーションが表示された。

 注文差戻しと、その主な理由が事細かに書かれている。


「……5兆円分も日証金が株を貸してくれると思ったの? バカねー」


 おすまし顔で宇藤。

 まあ、そりゃそうだろうが、しかし画面にはもっと別な理由が書いてある?


「課長、それ以前に」


 宇藤以上のおすまし顔で、美原さんが。


「あまりにも無茶な注文は板に乗せる前に弾きます。これは仕様です」

「ああ、例の誤発注の対策か」


 3年前、だめぽ証券が、新規上場株に発行済み株式数の40倍以上の売り建てという、とんでもない誤発注をかました件(自営コム事件)だ。

 あの一件で東証側のチェック機能がザルである事と、その後の注文取消しが出来なかったことからコンピュータの脆弱さまで、多くの人が知る事となったのだ。


 個人ではけっこう儲けた奴もいたらしいが……


「そういうこと」


 サラが、コイツもおすまし顔で。

 つうか流行ってるのか? おすまし顔。


「もちろん買いでも同じ理由で却下」


 と、サラが追加までしてきた。

 が、まあ、それは当然か。

 しかし。


「……なんで皆ツンツンしてんの?」


 謎だった。


「まさかそれ本気で訊いてるの?」


 隣の席の宇藤が呆れた風で。

 っつーかリフレイン? ノーリプライか!?


「加治屋さん、そういうとこですよ?」


 美原さんが説教顔で。

 理由は分からないがこれはキツい。


「しかたない、加治屋の頭の中は祢宜さんからの追加の仕事の事で一杯だから」


 と、サラ。

 えー? そんな事を気にしてたのか?

 ……いや、気になるのが当然なのか?


「待たせたのは悪かったから、埋め合わせするから、何すればいいか教えてくれ」


 と半ばヤケクソで言った。

 だが。


「まさかそれ(略)」

「加治屋さん(略)」

「しかたない(略)」


 ………………

 あー、つまりアレだ、自分で考えろって事か。

 ううむ、それなら……


「昨夜あれから車検証入れの中を見たら、このメモ用紙9枚が入ってた。内容はさっき法帖さんに説明した通り」

「この事を皆に言わなかったのは、仕事に直接関係ないことだと思ったからだ。それが気にくわないというのなら謝る。すまなかった」


 サラたちが映ってるディスプレイと、隣の宇藤に頭を下げる。

 ちょっと堅苦しすぎかとも思ったが、女の許せんレベルってのが30になった今でもどこにあるのかよく分からないので、こうするしかなかったのだ。


「ちょっと加治屋……」


 案の定、隣の宇藤が戸惑った声を出す。


「すみません加治屋さん、ちょっと悪ふざけが過ぎました」


 美原さんは驚いた顔で。


「24にもなって未だに男のジョークとマジの境界が掴めてない、私の修行不足。加治屋のせいじゃない」


 サラも素に戻った。


「ああ、じゃあ」


 空気が固くなる前に。


「ストップになる程度に注文を出せばいいのか?」


 強引に軌道修正した。


「そのテストはもう散々行いました」

「売買数を定量的に扱える範囲なら私たちにでも可能」


 ディスプレイの中の2人が。

 じゃあ、もしかして……いやまさか……


「例えば、200円高値で寄って180円安値で引けた銘柄があったとして」


 美原さんが説明を始めてくれる。


「場中190円で推移してるはずなのに強引に買い支えて200円をキープしてたら、その時に来る売り注文は基本的に成り売りになります」


 近くにあったメモ用紙に簡単な板の絵まで描いてくれて。


「ですから、ストップに張り付かない程度の注文なら、問題なく進行させることが可能です」


 ああ、なるほど。昨日の注文データは時系列に乗ったものだっていう事か。

 それで、なろうヘッドの稼働をリアルの時間に合わせたがってたんだな。

 なんか納得。


「それは分かった。でもそれじゃベンチマークっていうほどの約定数にはならないんじゃないのか?」


 疑問を素直に訊いてみる。

 宇藤もそれは疑問だったのか、俺の顔を見た後、ディスプレイに向き直って回答を待っているようだ。


「昨日の歩み値を見れる筈。それ使って」


 サラが簡潔に。

 ……って、まさか危惧した通りなのか?


「降ってくる注文に合わせて、ストップに行かない範囲で極力多い約定数が実現するように注文を出してください」

「……!!」


 危惧した通り、昨日の注文データを使って、大相場を作り出せと言ってるのだ。


「大丈夫、加治屋ならできる」


 サラのイマイチ気の乗ってない煽り。

 いや、ムリだってそんなん!


 ………………!!


 …………!


 ……


「ぜえっぜえっ……」


 何とかやり切った……

 人間って、やって出来ないことは……無いのかも……


「……くっ」


 玄関内側のホールに続く階段を降りる。

 その途中で、眩暈に見舞われ軽くふらつく。

 しがみつく手摺り、埋まりこむ厚いじゅうたん。

 薄暗ささえ、平衡感覚を奪い去ろうとしているかのようで……


「あぶねえ、よ……」


 辛うじてバランスを保つことに成功する。


 だめぽと糖蜜、2つの銘柄の出来高を昨日の2倍(前場比)にでっちあげてやった。

 あー、目の前を昨日の歩み値と板の注文数が、お手手繋いでオクラホマミキサー。

 チャートのローソクを移動平均が、お嬢さんお入んなさい、って縄跳びみたいに。


 会社の研修時に、3DCADをブンブン振り回したことがあったが、あの時以来、いやそれ以上のCAD酔い状態だわこりゃ。


「っと、こりゃ」


 ようやくホールに降り立つ。

 11時に前引けしてすぐに、テーブルの上の内線電話が鳴った。

 祢宜さんからで、庭に来てほしいとのことだった。


「ふうふう」


 宇藤の、信じられないものを見たような目が忘れられない。

 美原さんの、大丈夫ですか? と心配してくれる声も忘れられない。

 サラの、良いデータが取れた、って感激を体現したような仕草に至っては、もう……


「ぃよいしょおっ、とお」


 そして今、玄関の重い開き戸を開けにかかってるところだ。

 双子絡みじゃなければいいなあ、などと淡い希望を抱きつつ……


「「あっ♪」」


 だがそれは、無慈悲に打ち砕かれたのだった。


 ………………


「こっちアタシのー」

「ぜんぶアタシのー」


 両足に纏わりついてくる、黒と白のフリルの塊。

 今日のゴスロリは白基調。

 どうも2~3日おきにお召し変えをしているようだ。


「ヤシャずるいよー」

「じゃあフリツには、お靴をあげるわ」

「ほしくないもーん」


 相変わらず、俺の所有権を主張しあう双子。

 つうか、俺は俺のものなんだが。


「ああ、加治屋さん、動いちゃ……」

「おおっと」


 カメラを構えてる祢宜さんからクレームがつく。

 それであわてて姿勢を直した。


「じゃあ、はいチーズ」


 フィルムカメラのそれを模したシャッター音。

 昔取った杵柄、学生時代の趣味。

 その記憶から出たアドバイスの通り、音は2度繰り返された。


「祢宜さん、次はそっちの花壇の前で」

「はい」


 涼しい風と明るい日の光の中で、CAD酔いもすっかり治まった。

 それで、双子を引き摺るようにして移動する。

 結局、法帖老のリクエストは、この双子を写真撮影することだったのだ。


「助かりました、加治屋さんが手伝ってくれて」


 近寄ってくる祢宜さん。

 手にしてるのは、昨夜も使った一眼レフだ。


「いやこれ、手伝ってる内に入らないのでは」


 基本的に双子を抑えてる(押さえつけられてる?)だけなのだ。

 写真を撮ると言われたときは、てっきり俺がシャッター切るのだと思ったのだが。


「いいえ、カメラの使い方を教えてもらって、その上構図のとり方まで」


 今までも双子を撮影したことはあったのだが、それはシンプルなデジカメで行われたらしい。

 そして今回は、昨日宅配便で送られてきたこの一眼レフで撮影するようにと、法帖老から指示があったのだとか。


「それでもそんな大したことでは……あ、もう少し左を向いて」

「は、はい……これでいいですか?」

「オケです」


 言ってシャッターを切る。

 まずは祢宜さんを被写体にして撮影、それを祢宜さんに見てもらって、同じ構図で双子(と俺)を撮ってもらう段取りだ。

 こうすれば、いちいち言葉で説明するよりもずっと早い。


「レフ板がありませんから、館の白い壁を流用する形で影を無くすと……」


 少しはにかんだ明るい顔色の青メイドさんが、手前の花壇の赤と黄色の花と共に写っていた。

 放送局によくある、色度調整用のカラーバーみたいな色合いになってしまい、ちょっと失敗したかな、と思ったのだが。


「わあ、私じゃないみたい」


 こちらに来た祢宜さんが。

 けっこう好評なので、まあ良しとした。

 どうせ保存しないしな。


「「みせてー」」


 足にしがみついてる双子が見たがったので、見せてやる。


「わーわー」

「きれー」


 ふっ、幼女の感想はシンプルでいいな。


「今度はキミらが写るんだよ」


 言って、先ほどまで祢宜さんが居た場所へ移動する。

 祢宜さんの写り具合が良かったせいか、双子は素直について来た。

 こういうところは幼くてもやっぱり女の子なのかねえ。


 ……足にしがみついてるのは相変わらずだが。


「先ほども言いましたが」


 さっき祢宜さんが居た位置について。


「この子らの胸辺りが画面の中心に来るように、高さを調整してください」

「は、はい」


 双子に正面を向かせながら。

 祢宜さんは、アドバイスに従って一眼レフの画面を見ながら中腰になった。

 真剣な眼差しがいい感じだ。


「あ、加治屋さん、もう少し右の方を向いてくれませんか?」

「はいな」


 こちらを見ずに祢宜さんが。


「あ、はいそこです」


 体の動きを止める。

 微妙な動きだったが、双子も大人しく合わせてきた。

 祢宜さんの真剣な表情に押されてるのかもな。


「じゃあいきます、はいチーズ」


 パシャリ、パシャリと2度シャッターが切られる音。


「「わーい」」


 双子なりに緊張していたのか、それから解放されて喜んでいるように、祢宜さんの元に駆け寄った。

 そして、今撮ったばかりの画像を見せてとせがんでいる。


「ああ、はいはい」


 こちらから見ると逆光気味だから、彼女らの左側に行って見る。

 すると、シャッターを切った中腰のまま一眼レフの画像を見せる祢宜さんと、両サイドからその画像を興味深そうに覗き込む双子。その間を夏の白い光が通っていて……


 思わず手指で四角を作って覗き込んでしまう。

 なんというシャッターチャンス!


「こっちアタシ?」

「そっちがフリツ?」

「「ええー?」」


 双子が、祢宜さんを俺に見立てて、ふんわり広がってるスカートの端を摘まんでどちらがどっちかと首を傾げている。

 そして、それを見てる祢宜さんもまた、いつもの仕草で小首を傾げていた。


 ああ、これもまた最高の――


「でもホント、加治屋さんに手伝ってもらって良かったです」


 一瞬だと思った時に、なんでカメラを持ってないんだと思ったその時に。


「私だけじゃこの子たち、こんなに笑ってくれませんから」


 祢宜さんが意外な事を言った。


「笑ってる……?」


 たしかに、笑い声は聞こえていた。

 しかし、顔までは見えてなかったのだ。

 なんせ、この双子は始終俺にへばりついてるから。


「ええ、いつもニコニコ笑顔ですよ」


 気づいてなかったのですか? と、いかにも意外そうな顔で祢宜さんが。


「30男の顔見て、何が面白いのやら……」


 ふてくされた俺の自虐に、明るい笑顔を見せる祢宜さん。

 それを見て、今こそが絶好の機会だと思った。

 もちろん、それは写真を撮るのではなく……


「この子らは、いったいどこの誰の娘たちなんですか?」


 ………………


 …………


 ……


「おじい様の会社の、社長さんの娘たちなんだそうな」


 午後0時25分、PCルーム、テーブルの席。

 傍らに宇藤、正面斜め上のディスプレイにサラと美原さん。


「幼稚園が夏休みなんで、会長である法帖さんが預かってるのだと」


 昼前に祢宜さんから聞いた話を公開した。

 分かってみれば、どこにでもあるような話だった。


「で、なんでアンタらはこの事を教えてくれなかったんだ?」


 当惑してる風の三人に問いただした。


「それを何故、本当の事だと思えるのかしら」


 質問に対して疑問で返す宇藤。相変わらず失礼な。

 でもまあ、普通のツッコミではあるだろうな。

 但しそれは、昨日までの俺にしか通用しない。


「それは当然、祢宜さんを信用してるからさ」


 決まった……そう思った。

 これが後の世に言う、那須のお山への誓い、ってやつなのだ!

 しかし……


(宇)「え……」

(美)「あ……」

(サ)「む……」


 概ね不評だった。

 これはひょっとすると、何かヤキモチ系の悪感情なのだろうか?

 いかん、急ぎフォローしなければ!


「も、もちろんアンタらも信じている、そりゃもう心の底からっ!」


 と、青年の主張よろしく、テーブルをダンと叩いて立ち上がり宣言した。

 無論、いちいち三人の目を見ながらだ。

 すると……


(宇)「ちょ……マジレス?」

(美)「加治屋さん、そういうとこですよ……」

(サ)「加治屋、キモい」


 と、冷ややかな反応を返されたのだった。

 っく、納得いかねえ。


「じゃ、じゃあ、アンタらはどういう風に聞いてたんだよ?」



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